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十七話 小物の意地

 堂々とこちらをみる、金髪の令嬢を凝視する。


「……なにいってんだ?」

「もちろん、アカデミーの件は気になるでしょう。今から、そちらに向かおうとしているのですから。ですから、その前に、すぐにこの街の問題を片付けてさしあげます。それをお待ちください」

「いや。人の話をきけよ。いったいなにいってるんだ、お前は」

「これ以上なく、簡潔にお話しているつもりですわ」


 表情を冷ややかにかえたルクレティアが、くるりとこちらに背中をむけた。


「話は以上です。お帰りください。――ジクバール様、お手間をかけました」

「おい待て。こっちはまだ、」


 追いかけようとして伸ばした手を、横からがしりと掴まれて、


「お帰りを」


 迫力ある顔と声がいった。


 ジクバールを振り払おうとするが、太股の痛みでほとんど踏ん張れず、つっけんどんに突き飛ばされて石畳にころがる。

 ほとんど受け身もとれないで、太股につきささった矢がどこかにひっかかって激痛がはしった。


 抑えのきいた声がふってくる。


「橋のむこうまで、お送りしろ」


 衛兵たちが近づいてくる。

 俺は追い込まれた野犬みたいに、歯をむいてみせた。


 痛む足をひきずって、どうやってこいつらをだしぬく? 必死に頭を回転させようとしている耳元で、


「――マスターにさわらないでもらえますか?」


 地を這うような声。


「……っ!?」


 俺をつかみあげようとしていた二人の衛兵が、いきなり宙に浮いた。

 見えない手につかまれ、ひねりあげられ、そのままギリギリと締めつけられる。


「か、は――っ」


 自分たちのおかれた状況もわからず、突然の激痛にもだえてか細い悲鳴をもらす男たちをポカンとみあげてから、


「スラ子っ。やめろ」


 男たちを締め上げていた見えない力が、ぴたりと止まった。


 俺の目の前の地面から、不定形が湧きあがる。

 人型をとったスラ子が、心配そうに顔をゆがめて俺に駆け寄ってきた。


「……マスター! すみません、私が側を離れたりしたせいで――」


 泣き出しそうな顔。

 太股の痛みをこらえて、ただし涙目のまま、強がった。


「なんてことないって。それより」


 宙ぶらんのまま放置されている衛兵をみあげて、


「……おろしてやれ。あいつらがやったわけじゃないしな」

「でも」


 きっと男たちをにらみつけるスラ子の表情が冷たくなる。このまま引き裂いてやる、とでもいいそうな表情だった。


「いいから。あ、でも殴られたからちょっとムカつくな。よし、堀に落としてやれ」

「――わかりました」


 ものすごく不満そうに、スラ子が宙に吊り上げられた衛兵を橋の下に放り投げる。

 男たちは盛大な悲鳴をあげて視界から消えた。


 ちょっと待ってから、ぼちゃんと水の音。

 ……金属鎧を着ていたわけでもないから、溺れはしないだろう。


「マスター、すぐに治癒を」

「大丈夫だ、これくらい。それより肩をかしてくれ」


 スラ子に手をかしてもらって、たちあがった。


「せめて消毒だけでもさせてくださいっ」

「あとでいい。痛いくらいで、いいんだ。――腹がたってるからな」

「マスター、怒ってるんですか?」

「まあな」


 びっくりしたように目をまるめるスラ子に、うなずいた。

 そんなことより、と俺はスラ子をみて、


「スラ子。お前は大丈夫か?」


 こちらを心配そうにみるスラ子が、話をそらされたことに、むうっとうなり声をあげる。

 恨めしそうにため息をついて、それからにっこり笑った。


「もちろんです! ぜんぜん余裕でしたっ」

「そりゃ凄い」


 タイリンみたいのを十人相手にしたくらいじゃ、問題にならない。

 それがスラ子の現状ということを、しっかり把握しておこう。俺にはその必要がある。


「はい。それで、カーラさん達の様子もみてきて――皆さん、こっちに向かってきてます。それで来るのが遅れてしまって」


 すみません、としょんぼり肩をおとすスラ子に、


「ああ、それは全然いい。お前がそうしたいって思ったんだろ」


 なら、きっとそっちのほうが正解だ。

 ……そのあいだに、こっちはこっちで片付けられてれば最高だったが。


 自分のしまらなさにムカムカして、その感情を吐き出すように、


「ルクレティア!」


 大声で吠えた。


 ジクバールに先導され、城のなかへ消えようとしていた優美な後ろ姿がたちどまる。

 冷ややかな美貌がこちらを振り向いた。


 それをにらみつけて、


「どこいくんだよ。話は終わってないだろ」

「……無理をするのはお止めください」


 哀れむように、ルクレティアが冷笑した。


「この期に及んで、命じることができない。それが貴方という人柄の限界なのです。善良ではありますが、それだけでは成しえないことがあるのですわ。……それとも、この街の病巣を叩くために、この街を支配する気概が貴方におありなのですか?」


 一瞬、期待するような色をふくめた視線で問われて、


「んなもん、あるか」


 スラ子にささえられて歩き出しながら、吐き捨てた。


「……そうでしょうね」


 小さく唇をかんだルクレティアが、


「でしたら、お下がりなさい。あれも嫌。これも嫌。そんなものは、ただの子どもの我儘です」

「誰も嫌だなんていってない」


 ルクレティアが眉をひそめる。


 そちらにむかって、スラ子の肩をかり、足をひきずって歩きながら、


「この街をどうにかする気なんてねえよ。才能も、器量もないんだからな。そんなやつが上になったりしたら、まず街の人間がいい迷惑だ。お前がいったように、俺みたいなのは、自分と自分のまわりの身内のことだけ考えてるほうがいいんだろうさ」

「ですから、そうしろと――」 

「そんなのは、できるやつがやればいい。やりたいやつがやればいい。その通りだろうよ。ルクレティア、お前が正しい。だから俺は別に、お前の邪魔をしたいわけでも、お前が間違ってるだなんていいたいんでもない」


 ジンジンと、なんだか痛みが麻痺してきた気がする右足をひきずりながら、歩く。

 こちらを凝視するルクレティアに、


「俺はただ、お前の勘違いに腹がたってんだ」

「勘違い?」


 ルクレティアの細くて綺麗な眉が、きゅっと鋭角にもちあがった。


「私が、なにを勘違いしているというのです」

「お前が、俺を護ってくれるんだろ。さっきそういったな」

「ええ。言いましたわ」


 自分の宣言した言葉を誇るようにうなずく令嬢に、


「だったら、お前はどうなんだよ」

「……私?」

「俺のことを護ってくれるお前は、いったい誰が護るんだ?」


 ルクレティアの呼吸が、一瞬とまった。

 ゆっくりと、自分を落ち着かせるように再開してから、


「――そんなもの、」


 小さく、はっきりとした口調で、


「そんなものは必要ありません。自分のことは、自分でどうにかできます」

「違うだろ。お前が俺や、俺たちを護ってくれるっていうんなら。お前を護るのは、俺や、俺たちだ」

「……そんな必要はありません」


 吐息とともにつぶやかれた台詞に、かっとなった。


「なんでだよ? お前がいったんだろ。俺は自分と、自分のまわりのことぐらいで精一杯だってな。ああそうだよ。だから俺は、自分と、自分のまわりのことならなんだってやってやる。お前だって俺の身内だ。そうだろうが、ルクレティア!」


 しん、とあたりが静まり返った。

 ジクバールや、集まってきた衛兵たちも含めて、その場に沈黙がおとずれて。


「馬鹿なことをおっしゃらないでください」


 呆れ果てたように、ルクレティアが頭をふった。


「それではなんの意味もないではありませんか。ご自分のおっしゃっている意味が、本当にわかっているのですか」

「わかってるさ」

「いいえ、わかっていません。巻き込まれるのですよ。貴方の嫌いな政治や、戦争。血みどろの争いに、足を踏み入れるということです。貴方は、そういったものがなによりお嫌いだったはずでしょうっ」

「ああ。嫌だよ。嫌だし、そんなこと考える頭もないしな」

「だったら、どうなさると言うのですか!」 


 ルクレティアが激昂した。


「護られるだけは嫌だから、自分にも護らせろ? ただし、血生臭いことには関わりたくないなどと、それが我儘以外のなんだというのです!」

「お前が、俺をつかえばいい」


 ルクレティアの切れ長の瞳が、おおきくみひらいた。 


「……なにを。貴方は、」

「俺が、お前をつかうんじゃなくて。お前が俺を使えばいいだろう。ルクレティア」


 呆けた表情をみせる相手に、


「俺にはこの街をどうにかする器量も、考えもない。だけどお前には、そのどっちだってあるんだろう。だったら――“お前”が“俺”をつかって、それをすればいい」


 重苦しい沈黙があって、


「ふざけたことを……!」


 これ以上ないという怒気をふくめたルクレティアが、吐き捨てた。

 豪奢な金色の髪をふり、


「貴方は主でしょう。洞窟の。女たちの、……この私の! それが、自分を使えなどと、なにをのうのうと――誇りはないのですか!」

「誇りでなにかできりゃ、世話あるか」


 憎々しげなほどの視線をなげつけてくるルクレティアに、負けじとこっちも吐き捨てる。


「頑張ろうって、それでなんとかなってれば、俺はこのあいだまで洞窟にひきこもってなんかねえよ。俺はダメな男で、すぐ調子にのって、痛い目にあって、そしたら今度はビビって尻込みするような野郎だ」


 自分ひとりじゃなにもできない。

 ダメな自分を変えることさえ、できやしない。だからこそ。


「そんな俺を変えてくれたまわりの連中のことは。なにひとつだって、絶対にあきらめてなんかやるもんか」


 スラ子にシィ。カーラ、スケル、ルクレティア。リーザやエリアル。そしてタイリン。

 それだけじゃない。

 メジハのリリアーヌ婆さんや、山の上でふんぞりかえる、あのお気楽極楽ヤクザなストロフライだって。


 ……最強の竜を護ってやるだなんて、本人の前でいおうものなら、指さして大笑いされたあげくデコピン一発で消し飛ばされそうだが、それはともかく。


「今さら昔に戻るなんて、やってたまるか。ダメならダメなりに、亀の歩みでも前に歩いていってやる。失敗して、呆れられても、何度だって、這ってでも先に進んでやる。そのためなら、下っ端だろうが一兵卒だろうがやってやるさ。そうやって必死こいて千年もすりゃ、こんな俺だって竜にも届いてるだろうよ!」


 再び、場が静まりかえる。

 ヤケクソじみた咆哮に、ルクレティアばかりかそれ以外の誰もが声をうしない、沈黙して。


 くすくすと耳元で笑い声。


 俺の肩をささえているスラ子が、嬉しそうに、楽しそうに笑っていた。


「マスター。それは男の意地ですか?」


 からかうような問いかけに、考える。

 いいやと首をふって、


「小物の意地だ」


 かっこ悪い台詞しか思いつかなかったので、せめて見映えだけでもつけようと、胸をはった。


 ◇


「さっきから、いったいなにを騒いでるんだ」 


 張りつめた空気にそぐわない、明るい調子の声。

 城内から姿をあらわした領主の息子ノイエンが、あたりの雰囲気にまるで気づかない様子で、眉をもちあげた。


「ルクレティア、なにをやってるんだい? おや、君の連れじゃないか!」

「……帰れっていうなら帰るさ。俺や、俺たちを使ったお前の最善が、それだっていうんならな」


 俺はノイエンの言葉を無視して、声をなくして立ち尽くすルクレティアに問いかけた。


「答えろ。それがお前の最善だな。ルクレティア」


 凍ったように動かないルクレティアが、無言のまま俺をみつめてくる。


 ノイエンが顔をしかめて、不愉快そうに口をまげた。


「なんだい、あの男。付き人のくせにやけに偉そうだな! ルクレティア、ああいうのはきっちりとしつけておかないと駄目だよ。平民ってのは、こっちが優しくすればすぐに――」


 その台詞のなかにある違和感を、俺は逃さなかった。


 ――付き人。


 俺たちがルクレティアに同行する子飼いの者だっていうのは、間違ってない。

 表向き、そういうことになっているのだから。


 だが、領主側にも、必ずしもそうではないということを知っている相手がいるはずだった。


 たとえば、ジクバールだ。

 竜騒動で一時的に共闘した壮年の傭兵は、俺たちの正体について知ってる。

 俺たちとルクレティアの関係がただの主人と手下ってわけじゃないことだって、感づいてたっておかしくない。

 なのに、ノイエンがそれをまったく知った素振りがないというのは。つまり――


 そして、こんな俺が気づくようなことに、俺よりよほど頭のきれるルクレティアが、気づかないはずがなかった。


 沈黙したままの双眸に、光がやどる。

 鋭い眼差しをこちらにむけたまま、ルクレティアの頭のなかで脳細胞が猛烈な勢いで活動しているのが、外からみても手にとるようにわかった。


 やがて、


「……まったく」


 心の底からついたようなためいきとともに、口をひらく。


「勝手をおっしゃってくださいますこと。こちらの言い分もきかず。……私の気持ちなど知りもせずに。よくも、情けないことを堂々とおっしゃるものです」 

「悪かったな」

「少しでも悪いと思っているなら口をとじてください。声をきいているだけで、腹がたちます」


 ひどい。


 はあ、と忌々しげに頭をふったルクレティアが、歩き出す。

 すたすたとこちらに向かってくる後ろ姿に、あわてたようにノイエンが声をかけた。


「ルクレティア? どこにいくんだい」

「――申し訳ありません、ノイエン様。ジクバール様」


 ルクレティアは振り返らないまま、


「ことを穏便にすませるためには、多少の妥協も必要と思っておりましたけれど。……そんなものが最善か、などと言われてしまえば、私としても黙っていられません。お二人にはご迷惑をかけてしまいます」

「ルクレティア様……!」


 悲痛な表情でジクバールが呼びかける。

 肩越しに男を振り返ったルクレティアが、


「ご安心なさい。ジクバール様、この街のことは確かに、救って差し上げますわ」

「救うだって? いったいなにをいっているんだ、ルクレティア」


 理解できない、と舞台上のような手振りで両手を広げて、ノイエンがいう。


「いや、そんなことはどうでもいい。それより戻っておいで。お茶にしよう! そして、これからのことについて話し合おう! 挙式は、知人や貴族方への招待はどうしよう!? 王都のご祖父様にだって、お手紙を届けないといけないだろう。やらなくちゃいけないことがたくさんだ!」

「……貴方のその能天気な馬鹿さ加減は、決して嫌いではありませんでしたけれど。すみませんが、先約がありますの」

「先約だって?」

「ええ、そうです」


 いいながら、俺の目の前までやってきたルクレティアが、おもむろに俺のむなぐらをつかみ。


 息がとまる。

 つっけんどんに突き放された。


「私、少し前から、とある小物な輩の虜になっておりますの。貴方の求婚は、お受けできません」


 ルクレティアの突然の振る舞いに、ぎょっと一同が目をむいた。


 一番びっくりしたのは俺だ。

 こんな人前で、なんてことをしやがる。


 俺の表情をあざけるように唇をゆがめて、


「覚悟はおありですね。やってみせろと言われた以上、私はもう遠慮などいたしません」

「……最善ってのは、そういうことだろ」


 ふん、とルクレティアは鼻で笑った。

 切れ長の視線が隣にうつる。


「……スラ子さん。文句はございませんわね」

「もちろんです」


 にっこりとスラ子が笑う。


「もしもルクレティアさんが私のマスターに悪さをしようとしたら。その時は、わたしがあなたを処理するだけです」

「同じ台詞をお返しします。貴女が、私のご主人様を破滅させる枷になるというのなら――スラ子さん。貴女はこの私が、処分します」


 異なる生き物の、異なる表情の二人が、冷え切った視線をからませる。

 ふふー、とスラ子が満足そうに頬をゆるめた。


「つまり、ライバルですねっ!」

「仲良しゴッコはいたしませんわ」


 嫌そうにルクレティアは顔をしかめた。


「いや、お前ら。そんなことより、あっちがなんかヤバいことになってるんだが」


 男には理解できない雰囲気をかもしだす二人に、俺は恐る恐る声をかけた。

 目の前の事態についていけていけず、ぽかんとしばらく放心していたノイエンが、わなわなと全身をふるわせ、その顔色が徐々に真っ赤になっていく。


「裏切ったな!」


 悲劇の俳優そのものの声と仕草で、指をさした。


「僕を裏切った! ルクレティア、なんてひどい女なんだ! 僕という者がいながら、そんなみるからにしょぼい男になびくなんて! とんでもない悪女だ、この毒婦め!」

「毒だなんて言われてますよ、ルクレティアさん」

「口にもできていないくせに、そんなことを言われたくありませんわね。相手がしょぼいというのには同意しますけれど」


 おいこら。てめえ。


「ジクバール! なにをしてる! あの女を捕まえろ! 兵をだせ! コーズウェルはどこだ、コーズウェル!」


 わめきたてるノイエンに、苦みきった表情のジークバルが見張り塔の兵士に手合図をおくる。


 招集をつげる鐘の音がなって、城門へぞくぞくと兵が集まってくる。

 そのなかには、コーズウェルの姿もあった。


 わらわらと凄い勢いで集まってくる兵たちを遠くに眺めながら、


「……だいたい二十、三十人くらいか。もう少ししたらますます増えるな」


 領主が貴族ではないギーツに、正式な騎士団はない。

 代わりに戦力として雇われているのがジクバールたち傭兵で、その全体としての錬度はわからないが、竜騒動のときの活躍をみれば馬鹿にはできなかった。


「とりあえず、話し合いの前に一戦です?」 


 スラ子がいう。

 束になった暗殺者ギルドの連中を倒してやってきたスラ子なら、きっと人間の傭兵連中だなんて物の数ではないだろう。

 だが、 


「その必要はありません」


 ルクレティアがいった。


「あの程度、私一人で十分です」

「お前が全員、倒すのか?」


 露骨に馬鹿にした眼差しで、ルクレティアが俺をみた。


「どうしてそんなことをしなければなりませんの」


 一歩、前に進み出て、


「ノイエン様。取引をいたしましょう」


 そんなことをいいだした。


「取引?」


 突然の申し出に、ノイエンが顔中をゆがめてせせら笑う。


「なにをいってる! 僕を騙した売女と、する取引なんてあるもんか! メジハとの関係も今日までだ! 故郷ごと滅んでしまえばいい! 恨むなら自分の軽率な行いを恨むんだよ、ルクレティア!」


 復讐に猛った眼差しの男に、ルクレティアが肩をすくめて、


「ずいぶんと過激ですこと。色々と申し上げたいことはありますが、――そんなことをして、よろしいのですか?」

「なに……?」


 ノイエンが眉をしかめる。


「そんなことをして、本当によろしいのですかとお聞きしています。ノイエン様もご存知のはずですけれど」

 誘うような笑みを浮かべながら、ルクレティアが首をかしげる。

「なんのことだ、ルクレティア!」


 容易く男を会話の釣り針にひっかけて、美貌の令嬢は悠然とつづけた。


「メジハの近くの山には竜が住みます。その麓で、人間同士の争いなど起こしては、どのような怒りを招くかわかりませんわよ」


 いくらおめでたい頭をしていようが、竜の恐ろしさを知らない人間なんていない。

 ぐ、と顔をしかめるノイエンに、隣にたった男がささやいた。


「――はったりです。竜は下界のことに忖度などしません。若様、惑わされてはなりません」

「そ、そうか……。危ないところだった!」


 看破されても、ルクレティアは余裕の表情をくずさない。


「あら。コーズウェル様は、竜について随分とお詳しいのですね。さすが、近くのイラドでお仕事をされていたからでしょうか――それとも、どなたか竜にお詳しい知人でも?」


 ルクレティアからの問いに、コーズウェルは答えなかった。

 下手に口をきけば、なにを吊り上げられるかわからない。ルクレティアの話術を気にしたからこその沈黙だろう。


「けれど、確かにその通りです。先日のドラゴンゾンビの際にも、その発端となる竜を落としたのは山頂の黄金竜ですが、その後の生屍竜の討伐に彼の竜は関わってございません」

「もちろんさ! 竜殺しを成したのは我がギーツの誇る英雄たちなのだからね!」


 堂々と胸をはるノイエンに、ルクレティアが底意地の悪い微笑でこたえる。


「英雄なら、メジハにもおります」

「なんだって?」

「ノイエン様もご存知でしょう。それに、ジクバール様や、その配下の方々がなによりご存知のはずですわ。竜殺しを成した者のことを」


 ルクレティアがいっているのは、表向き、ノイエンたちに付き従って竜討伐にむかった冒険者たちのことだった。


 だが、それだけじゃない。

 ルクレティアはほのめかすように、竜殺しの英雄譚に語られていない連中のことをいっていた。


 それはつまり、俺たちや、妖精たち。あの口悪エルフのことだ。

 ――英雄譚に語られない、おとぎ話の存在。


 ギーツの竜殺し語りに俺たちが関わろうとしなかったのは、なによりも俺たちの事情だった。

 人間と魔物は、そうそう仲良くなれる間柄じゃない。


 だから、竜殺しの栄誉をゆずるかわりに、ジクバールにはそれを公言しないよう求めた。

 どちらがどちらに譲歩したというわけでもない、取引だ。


 今、ルクレティアがそれをちらつかせるようにするのは、ひとつはそのときと事情がちがうからだろう。


 人間と魔物のあいだにある溝は根深い。

 種族によって関わりや付き合い方に違いはあるが、やはり人間にとってもっとも身近な敵は、魔物なのだから。

 メジハの長の身内が、その魔物の一部とつきあいがあるとなれば、その一事をもって周囲の人間勢力から不審をもたれる恐れがあった。


 だが、今は違う。

 なぜなら、他ならぬギーツの領主とその後を継ぐ息子が、アカデミーという魔物たちの組織と関係をもっているのだから。


 そして、もうひとつ。

 恐らくルクレティアが、今、言下にいおうとしているのはこっちだ。


 はっきりと口にせずとも、誰かに公言しなくても。たしかなのは、竜殺しに一役をになったそうした戦力が、メジハ側にあることだ。


 それがわかっているから、ジクバールや、その配下は渋面になっている。

 実際にギーツとメジハが戦争をすることになったら、どういう事態になるか。それを見越したうえでの発言が、ルクレティアの「取引」。


 そのことに気づいていないのは、この場で恐らくノイエンだけだ。


「ジクバール? なんだ、どうしてそんな顔をしている」

「……取引の内容について、話を聞いてみるべきかと思います」


 苦渋に満ちた声で、ジクバールがいった。

 実情を知るからこその台詞は、しかし罵倒によって返された。


「なにを言っている、ジクバール! この僕に、あんな連中に妥協しろっていうのか!」

「そうではありません。そうではありませんが、あるいはそれが、この街にとってプラスになることもあるのではないかと」

「そう言っているじゃあないか! 何を考えてるんだ、もういい! コーズウェル! 連中はどこだ!」

 壮年の傭兵長が無念そうに目を閉じた。


 ジクバールがノイエンに全てを報告しなかったのは、きっと本人なりに考えてのことだろう。


 ノイエンの器量。ギーツの現状。

 そうした諸々をかんがえたうえで、自分なりの判断にでた。


 それが間違っていたかどうかはわからないが、ジクバールとノイエンのとのあいだで意思疎通ができていなかったことは間違いない。


 そんな隙間を、ルクレティアが見逃すはずがない。

 悪魔のような微笑が標的をとらえたまま、


「最近、お雇いの方々のことでしたなら、お頼りになるのはおやめなさるべきかと思いますわ。ノイエン様。ギーツに毒をはびこらせようとしているのは、彼らなのですから」

「毒だって……?」

「お聞きになってはなりません、若」


 コーズウェルがたしなめるが、ノイエンはきかない。


「毒とはなんのことだい」

「目に見える毒と、目に見えない毒がございますわ。はっきりと敵として認識できるもの。それに、味方のふりをして罠に落としいれようとしている輩も」 

「若、それ以上、この女の口車に乗ってはなりません!」


 コーズウェルが激昂する。

 それをみて、ルクレティアが冷ややかな視線をなげた。


「なにをあわてていらっしゃるのでしょう。イラドで例の栽培に関わっていた貴方様が、なにか焦られる理由でもおありなのですか?」

「貴様……!」

「動かれる決断なら、もう少し早めにしておくべきでしたわね。あわよくば共倒れ、などと余計な算段に心を囚われてしまうから、尻尾をつかまれる羽目になるのです」

「ほざくなっ」

「いったい。なにを言ってるんだ、ルクレティア……」


 ルクレティアとコーズウェルの会話に、困惑したようにノイエンがいった。


「口車に乗ってはなりません!」


 コーズウェルが、充血しきった目で叫んだ。


「この街の財政は苦しいのです。その為に“彼ら”の助けが必要だということは、若が一番ご存知のはずです。相手を落としいれるだけで、なんら解決策を持ち出さない輩の話などに惑わされてはなりません!」

「心外ですわ。ですから、取引だと申し上げているではありませんか」


 ルクレティアがいった。 


「取引?」

「はい。この街の苦境の一つは、外へ売りに出せるものがないということにあります。そして、メジハにはそれについてギーツへ協力できる用意があります。人を蝕み、魔を呼び込まずとも、この街の経済を活性化する術があるのです」

「そんな都合のよいものがあるものか!」

「黙れ!」


 ついに、ノイエンがコーズウェルを叱りつけた。


 部下を一喝した領主の息子が、ルクレティアをみすえる。

 いつものどこか底の抜けた調子のよさが影をひそめた、真剣な眼差しだった。


「……ルクレティア。本当に、そんなものがあるというのかい」

「ございます」

「それが、取引だって?」

「メジハは、これまでのギーツとの友誼に感謝しております。恩義ある相手が苦境にあるのであれば、共に手をとりあって立ち向かおうと考えるのが当然のことでしょう」


 なにをそらぞらしいことを、と呆れるような台詞だったが、ノイエンは真面目な表情でそれを聞いて。息を吐いた。


「聞かせてくれ。ルクレティア。――僕は、この街がとても大事だ」

「……貴方のそういうところ、嫌いではありませんわ」


 ルクレティアが薄く笑って、


「今、私の町では、いささか以上に質のよい薬草を売り出し始めておりますの」


 とっておきの商談に対する商売人のように、極上の微笑みを浮かべた。



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