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十六話 令嬢の誇り

 奥まった路地に飛び出すと、近くの広場からの喧騒が耳にはいった。

 まだ午前の時間とはいえ、朝市に月の定期市までひらかれていれば、晴れの日に人足がのびない理由がない。


 ノイエンは馬車があるとかといっていた。

 馬車で人波をかきわけるのは楽じゃない。案外まだ近くにいたりするんじゃないかと通りをみわたしてみるが、それらしき姿はなかった。


 かまうもんか。

 どうせ、向かう先は決まってるんだから。


 遠くにその外観をみせる、領主の城へ足をむけかけたところで、おもいっきりスラ子にひっぱられた。


「な――」


 ぶれる視界の端に、黒い人影。

 周囲の人込みにおされるように近くまで流れてきたフードの男。その手になにかがにぎられていて、それを振りかぶろうとした瞬間、スラ子が思いっきり相手を殴りつけた。


 盛大にふっとんでいく拍子に男のフードがはずれ、人のものではない地肌があらわになる。

 壁まで飛んで昏倒した魔物をみた近くの人々から、甲高い悲鳴があがった。


「……魔物だぞ! 魔物がいる!」

「ギルドの連中かっ」


 考えてみれば、屋内にいたので全部な理由がない。監視役や、予備が家のまわりにひかえているはずだ。


「数までは不明です、応戦しますかっ?」

「駄目だ。ここじゃ被害がでる、……離れるぞっ」


 暗殺者ギルドが領主たちと繋がってるなら、街で目立つことはしないはず。だが、もし相手がそうしてこなかった場合、間違いなく人死にものだ。


「追手をひきつけながら城にいく!」

「了解です。ただし、近道でっ」


 いきなりの魔物の出現に周囲が騒然となるなか、走り出した俺の手をとったスラ子がにこりと笑った。


「いきます――」


 風色の魔力が俺とスラ子の周囲を包み。

 次の瞬間、身体が跳ねるように空へと跳んでいた。


 空転する視界に、思わず身構えてから気づく。急加速でうける衝撃がない。

 それどころか、全身から重さがうせ、いきなり体重を自覚できなくなったせいで姿勢をくずしかけたところをスラ子にささえられながら、下をみた。


 街が、一気に離れてしまっていた。

 もちろん、実際には離れたのはこちらのほう。


 周囲はそれまでの濃い密度が嘘のように、なにもない青空が広がっている。


 飛翔魔法。

 はじめての経験に頬をひきつらせながら顔をあげる。声をかけようとしたスラ子の視線が、まっすぐに城を見つめていた。


「……頼む」

「はいっ!」


 空を飛ぶ。


 風圧もなく、一直線に視界の城へ。

 徐々にその姿が大きくなるのをみながら、こわごわと地上の様子を確認しかけた先で、なにかが光った。


「避けろ!」

「っ……」


 スラ子が身をひるがえしたその寸前を、魔力の矢が貫いて空に散る。


「対空魔法! そのわりには数が――」

「問題ありません! このまま抜けますっ」


 散発的に打ちあがってくる攻撃魔法をかいくぐりながら飛びつづける、スラ子の腕につかまりながら、ふと嫌な予感をおぼえて地上に目をくばる。

 ある一点に、異常な濃度のマナがこもっているのをみて、


「上がれ!」


 俺の声に反応したスラ子が即座に上昇する。

 はじめての加速圧を感じながら、腰から妖精の鱗粉入りの小袋をとりだして口紐をゆるめ、全力で下になげた。


「ファイア!」


 虹色の軌跡を残しながら落下する袋にむけて、口火をはなつ。

 たよりない火は飛散する鱗粉の後ろ端に着火し、すかさず鱗粉全体に連鎖して燃焼反応をおこし、


「――――」


 直後、爆発が立て続けに起こった。


「これは……っ?」


 大気中のマナがかき乱れ、その制御に苦労しながら目をみはるスラ子にうなずきながら、苦々しくうめいた。


「点で誘導して面で落とせ。そんな授業あったな……!」


 多種族の魔物たちが集まるアカデミーでは、その多様性を生かした魔法についての研究がすすんでいる。


 呼吸とおなじく、ほとんどの魔物にとって魔法は本能みたいなものだ。

 それを理論としてまとめ、体系化することは決して簡単なことではなかったが、アカデミーの創立から今日までの長い道のりのなかで、それなりに成果もあらわれていた。


 基礎ができれば、応用にも適用される。

 たとえばそれは、より効果的な対空魔法のやり方。正確に狙いをつけるための技術の習熟や、戦術そのものといった話にもなる。


「スラ子、おりろ! 連中、“射的”に慣れてる!」


 相手は多数で狙ってきて、こちらからは相手を狙えない。

 どう考えたってこっちが不利だ。


「わかりました! でも、あと少しだけ――」


 うなずいたスラ子が、爆発直後、まだマナの対流が滅茶苦茶にみだれている空間につっこんで、そのまま急降下。

 みるみるうちに近づく地上の光景に、顔をひきつらせながら、歯をくいしばった。


 激突する――目をおおいかけた瞬間、急制動。水堀に囲まれた小城にかかる橋の手前に着地して、しっかりとした足元の感触に、俺はほっと息をはいた。


 周りでは、いきなり空から降ってきた二人組に注目があつまっていたが、気にしている暇はない。

 すぐに橋にむかって走りだし、隣をいくスラ子の足がとまった。


 後ろを振り返る視線をおって、俺も気づく。

 遠巻きにする街の住人とは明らかにただよわせる気配のちがう、異色な連中がたっていた。


 身長も横幅も様々。

 特徴のないフードとマントだけが統一された格好を凝視しているうちに、その数が一人増え、二人増えて。

 またたく間に、十人近い集まりとなった一団をみすえたスラ子が、口をひらいた。


「マスター。ちょっとだけ、先にいってもらえますか?」

「スラ子?」

「ここなら周りに迷惑はかかりません。街に被害をださないで、無力化してみせます。――この橋から先には、一歩も近づけません」


 きっぱりと断言してから、はにかむように笑う。


「……マスターのためにできること。私なりに、考えてみたいんです」


 ――あそこにいるのは間違いなく暗殺者ギルドの連中だ。


 一人でも苦労したタイリンのように、きっと専門の訓練を受けているのであろう連中が、ほぼ十人。

 その全部を一人で引き受けるとスラ子はいっている。


 無茶だ、といいかけた。


 それに。

 もし、逆にそれが無茶じゃなかったとしたら――それはそれで、ぞっとしてしまうことだった。


 それは、スラ子がそういうモノだということの証明になる。


 けど。

 いつの間にか、人肌の擬態がとけている半透明な質感の横顔をみて、思った。


 ――スラ子がなにか変わろうとしているのなら、俺がそれを邪魔しちゃ駄目じゃないか。


「……わかった。ゆっくりでいいぞ」

「最速で片付けて追いかけます!」

「じゃあそれで頼む」

「了解ですっ」


 背中に声をききながら、一歩を踏み込む。


 スラ子との距離があいた。

 それだけで、もう不安になる小心さを恥じながら、橋の向こうの城をみあげた。


 城としては決して大きい規模ではないのだろうが、俺がいままで見てきたなかでは一番おおきな建造物。

 あとはアカデミーの校舎棟とか。


 もっとでっかいものってあったかなあと頭をひねって、ふと思い出した。


 ここではないどこか。

 まるで小山のような巨躯と、ドスのきいた声が脳裏によみがえる。


「ううっ。どんどこ……!」

「マスター!?」


 心配そうなスラ子の声に手をふりながら、不意に馬鹿らしくなって笑った。


 もう一度、顔をあげる。


 城があった。

 記憶にある竜よりはいくらかちいさな城。

 あのふざけた黄金竜のバカ親子に比べたら、いろんな意味でなんてことのない城だった。


 中にどれだけ兵士がつめてるかは知らないが。

 最悪でも、せいぜい殺されるくらい。――それだって、むこうで何度もやられたじゃないか。


 自分でもよくわからない理屈でビビリをおしこめて、橋をわたった。


 大きな門扉の前にたつ。

 門前には髭面の厳しい衛兵が二人、うさんくさそうな視線をこちらにむけていた。


「なんだ、お前は」

「この城に招かれてる、ルクレティア・イミテーゼルの連れの者だ。ルクレティアが帰っているなら、会わせてくれ」


 息をおちつかせ、できるだけ低い声をつくった。


 髭面の衛兵が互いの顔をみあわせる。

 もう一人に比べて、いくらか年長にみえる男が、


「どこの誰だと聞いている。そんな小汚い格好で、領主様のお客人の連れなど信じられるものか」


 吐き捨てるようにいった。


 一張羅のフードを馬鹿にされてむっとしながら、


「なんなら、おたくらの上司の、ジクバールに取りついでくれればいい。街で騒ぎが起こってるぞっていえばわかるはずだ」

「なにっ? ではさっきの爆発は、お前が――」

「被害がでかくなる前に、急いで報告にいったほうがいいんじゃないか」


 再び男たちが顔を見合わせる。

 年長の衛兵が舌打ちした。


「……少し待て。おい、ジクバール様にお伝えしてこい」

「わかった」


 衛兵が合図をして扉をあけさせ、あわただしく城内に消える。

 残された衛兵は、油断なくかまえた槍の穂先をこちらにむけ、警戒の姿勢をとっていた。


 すぐに扉がひらき、あらわれたのは見覚えのある体格のよい男。


「先ほどの場所でお待ちいただくように、お伝えしたはずですぞ」


 傭兵団の長ジクバールが隙のない視線で、じろりとこちらを一瞥した。

 戦場帰りの風格をただよわせる男の一言にビビリながら、


「あんなやり方で急に軟禁みたいなことされて、じっとしてるはずないだろう」

「それで街中にまで騒ぎを起こされてしまっては困りますが」

「仕掛けてきたのは、そっちの雇ってる連中だ」


 にらみあう。


 相手の双眸は静かだったが、顔つきや体つきに、まとった雰囲気がちがう。

 目をあわせているだけで冷や汗がでてしまいそうな男を前に、震えがでることだけはないよう全身に力をこめながら、


「――ルクレティアと話がしたい。会わせてくれ」

「出来かねます」


 岩のようなきっぱりとした声に、即座に拒否された。


「なんでだ」

「ルクレティア様は、ギーツにとって大事なお方です」

「だから、誰にも会わせないで城にとじこめるって? なんだそりゃ。誘拐かなにかかよ」

「まさか――」


 壮年の男が苦笑して、


「もちろん、婚礼ということになれば、メジハの身内方を招待することになりましょう。しかし、怪しげな連中に会わせる必要はない」


 俺は顔をしかめた。


「思いっきり失礼だな。これでも、ルクレティアの連れだぞ」 

「そのルクレティア様から、護衛や同行の必要はないとあったはず」


 ぐ、と言葉につまる。

 鉄仮面のような表情をにらみつけて、


「――あんた、いったいなにを企んでるんだ」


 うなるように訊ねた。


「ルクレティアになにをやらせるつもりなんだ? ここの領主がやってることは、知ってるんだろう。その上で、なんなんだ? ハシーナなんて。それに、」

「……それ以上はやめていただこう」


 低い声がさえぎった。


「知ったような口をきいてもらっては困る。下賎の者には、理解できない話だ」

「その下賎の助けがなければ、竜のゾンビだって殺せなかったのがあんただろ?」


 ジクバールは挑発にのってこなかった。

 むしろ、それをきいて体内の熱を冷ましたような表情で、


「――この者を放り出せ。抵抗するなら、打ち殺してしまってかまわん」


 命令をうけた衛兵の二人から槍をむけられて、俺は舌打ちすると、腰の袋に手をいれながら、


「どうしても会わせてくれないってんなら、無理にだって通してもらうぞ」

「果たして出来ますかな。こちらには人質がおります」


 なにいってんだ。俺は思いっきり笑った。


「あんたらがルクレティを傷つけるわけがないじゃないか」

「たしかに、ルクレティア様は人質にはなりえませんな。しかし、用意してあるのはそちらではない。……以前、メジハでお会いしたとき、随分と近くの森にご執心でしたな」


 男の言葉の意味をさとって、はっとなった。


「おい。まさか、」

「なにか不穏な行いがあれば、すぐにメジハにむかわせた兵達が森を焼くことになりましょう」


 平然とつげる男を凝視した。


「……正気か? そんなの、メジハだってただじゃすまない」


 森は恵みの元だ。

 いくらそこに多くの魔物が生き、人間にとって決して安全な場所ではないとしたって。


 水、穀物。自然。

 そうしたものが近くにあるからこそ、集落は集落として成り立つのだから。それが失われてしまえば、メジハに悪い影響があるにきまってる。


「もちろん相応の注意は含めたうえでのこと。それに元々、森とは人間外の領域だ。そこを拓くとあれば、それに反対する者はないでしょうな」

「ふざけ――」


 頭がかっとなりかけるのを、精一杯の自制で押しとどめた。


 ……こっちが挑発にのってどうする。


 考えろ。

 俺たちがこの街にきてまだ二日だ。


 そのあいだに兵を編成、メジハまで移動を終わらせた? そんなこと、物理的に不可能だ。


「――はったりだろ」


 吐き捨てる俺に、男は肩をすくめた。


「早計でしょう。先日の竜騒動に、イラドの件を知っていれば、前もって兵を動かしておくことはありえる。そう考えたからこそ、ルクレティア様は我々の話をお聞きになられた」


 イラドそのものが、メジハにむけた侵略の拠点として開拓された村――そんなようなことを、ノイエンは示唆していた。

 俺は舌打ちをこらえて、目の前の男をにらみつけた。


「そんな話きかされたら、ますます引き下がれるか!」

「無理やりでもお引取りいただこう。――やれ」


 ジクバールの指示に、衛兵たちが前にでる。

 俺は腰から鱗粉入りの袋をとりだして、おもいっきりその二人の足元にたたきつけた。


「ファイア!」


 発光する。


 相手の目がくらんでいるうちに、衛兵の一人に飛びかかった。


 思い切り身体ごとぶつかって、槍を奪う。

 体勢を崩した相手を蹴倒し、構えた槍をもう一人の男につきつけようとしたところを、上からあっさりはたき落とされた。


 そのまま突き出される穂先を、必死に身体全体でよけて。

 ――逃げたところをあっけなく、ジクバールの豪腕につかまれた。 


 片手一本でふりまわされ、そのまま石畳にたたきつけられる。

 頭こそぶつけなかったが、背中から落とされて息がとまった。身体を折りまげて悶絶していたところに、靴裏で容赦なくふみつけられる。


「放せ……!」

「お引取りを。ルクレティア様の連れを手にかけるのは、いささか忍びない」

「ふざけんなっ」


 身体の自由をほとんどうばわれながら、なんとか腰に手をのばす。

 そのなかにある小袋の一つをつかんで、


「ファイア――っ」


 至近距離でおこった爆発に、ジクバールの拘束がはずれた。


 そのまま爆風にのせられて、石の上を猛烈に転がる。

 ここ最近、もう何度だって経験している痛み。だが、いつまでたっても慣れそうにないそれに、しばらくジタバタと転がりまわってから、顔をあげる。


「無茶をなさる」


 少し離れたジクバールが、呆れたようにいった。

 涙目になりながらいいかえす。


「無茶くらいしかとりえがないんでね」

「お若いのですな」


 やれやれと首をふるジクバールは、俺とおなじくらい近くで爆発を受けたはずだが、ほとんどダメージはなさそうにみえる。

 生屍竜討伐のときも思ったが、頑丈すぎだろう。ほんとに同じ人間か?


 内心で毒づきながら、全身の痛みを無視して起き上がった。


「これ以上――こっちの無茶につきあわされたくなけりゃ。通してくれよ。おかしな自爆にまきこまれたくないだろ」

「それは出来ないと、すでに申し上げた」


 ジクバールが冷ややかに応える。腰に差した長剣を抜き払った。


「……帰られよ。片腕をなくして歩くのは、辛いですぞ」

「それ以前に、血がなくなって死ぬよな。それ」


 頬をひきつらせながら、俺は必死になって打開策をかんがえた。


 口では解決できない。

 かといって。武装した相手を三人、突破できるような実力があれば、はじめからそうしてる。


 なら、スラ子や、他の連中が追いつくのを待つべきか? 一旦ひいて、合流してから――いや、駄目だ。

 脳裏にうかんだ考えを、即座に否定した。


 そりゃ、そっちのほうが確実だろう。

 俺一人で特攻なんかするより、そっちのほうが成功の確率はある。

 無能なら無能らしく、誰かに助けてもらっておくべきなのかもしれない。


 ――だけど、それじゃ駄目だろう。

 それじゃあ、なんのためにカーラやスケル、タイリンが足止めを引き受けたのか。

 スラ子が、どうして俺を先にいかせたのかがわからなくなる。


 ――なにか変わろうとしてるスラ子の元に、のこのこと戻れってのか? 助けてくれ、スラ子。なんて泣きついて?

 それこそ、ふざけんな、だ。


「……なあ、どうしても通してくれないのか。俺は、別にあんたと敵になりたいわけじゃないんだ。話してみれば、わかることだってあるかもしれない。手伝うことだって」


 前の竜騒動のとき、それほど話せたわけではなかったが、ジクバールという目の前の男の人柄は、決して悪いものではなかった。


 どこかの騎士崩れという、粗暴さのない傭兵。

 生屍竜を倒すにあたって、一時的に協力関係にあった俺や森の魔物の存在を周囲にあかし、排斥しようとしなかったのは、この男の誠実さのあらわれだろう。


 その男が、メジハを盾にとってルクレティアになにかやらせようとしている。

 なにか理由があるはずだった。

 それさえ聞かせてもらえれば、こちらにだってなにか協力しようがあるかもしれない――


 俺からの提案に、ジクバールは眉間に深いしわをつくって、


「……お帰りを。それ以上近寄れば、切り捨てる」


 低い声でいった。


 ……なら、仕方ない。

 話せないのは、話せない理由があるんだろう。


 それは多分、俺たちになにもいわず、ノイエンについていったルクレティアだって。


 ただし。

 それで聞かされてないほうがどういう行動をとるのかだって、こっちの勝手だ。


「っ――」


 覚悟をきめて、俺は一気に駆け出した。


 城門の前に、剣をかまえたジクバール。その左右後方に槍をかまえている衛兵が二人。

 狙いは、ジクバールただ一人。

 あのおっさんさえどうにかすれば、あとはなんとかなる!


 もちろん、正面からかかっていったところで、剣で斬りつけられ、槍で追い打ちされるのが目にみえてる。

 逆に、リーチのある槍で牽制され、動きがとまったところをジクバールがとどめって線も。


 ただでさえ雑魚なくせに、一対三なんて勝てる見込みがない。

 それに、俺は武器すらもってなかった。


 スケルから椅子をふんだくってりゃよかったと思いながら、腰袋に手をつっこむ。

 そのなかの一つを取り出して、


「ファイア!」


 投げつけ、即、着火。

 煙幕用に鱗粉以外の砂やら粉やらをまぜた袋が炸裂して、発光と同時に周囲に白煙をたきあげる。


「ち――」


 ジクバールの舌打ちをききながら、俺はすかさず、腰袋から適当な重さの石ころを取り出して、おもいっきり投げつけた。

 もちろん、こんなものが直撃してくれるはずがないし、それがたまたま当たり所が悪くて相手が昏倒だなんてなれば、ほとんど奇跡みたいなもんだ。


 つまり、ありえない。


 だが、飛んでいった石ころが地面に跳ねた音は、間違いなくジクバールたちの気をひいたはずだった。

 その一瞬の注意がそれた瞬間を狙って、かけぬける。


 だが――


「ふん!」


 轟音が、白くにごった空気ごと叩き切る。

 嫌な予感に全身が総毛だって、俺は前に流れようとした体を無理やりにひねって、斜めに飛んだ。


 がつん、と鈍い音がひびく。

 さっきまで俺がいた場所にむかって、煙幕のなかからあらわれた長剣が正確に振り下ろされていた。


「めくらましなど。そんなものが通じるとでもお思いか」


 煙幕のなかからジクバールが姿をみせる。


 油断なく剣をこちらにむけ、睨みつけてくる気迫はまさに歴戦の戦士そのもの。

 俺なんかが太刀打ちできる相手じゃなかった。


 ……太刀打ちなんか、できなくっていい。


 俺は息を吸って――呼吸を止めた。

 わずかに眉をひそめるジクバールにむかって、足元のそれを蹴り上げる。


 武器にもならない、口紐のとけた皮袋。

 中身はすでにない。


 ――その中身はどこにいったのかと、中身のない袋を目で追ったジクバールが考える余裕はあたえなかった。


 まだ周囲には煙幕がのこっている。

 そして、その白いにごりは視界をかくし、そこにあるものは隠してくれていた。


 つまり――あたりに蔓延した、虹色に光る妖精の鱗粉を。


「く……」


 今さらながらに気づいたジクバールの次の行動よりはやく、右手にためた魔力を解放する。


 威力は必要ない。

 狙いをつける必要もない。


 小さな口火は、すぐに周囲に連鎖反応をまきおこした。

 俺とジクバールをつつむように大気中に飛び散っていた鱗粉が、爆発する。


 広範囲に散った鱗粉の爆発に、威力はない。

 だが。あけた目に、ひらいた口に、する呼吸に。ちいさいとはいえ自分をまきこんだ爆発をうけて、なんの効果もないはずがなかった。

 前もって、それを知っていた俺以外には。


「ッ……!」  


 ジクバールが長剣をふりまわす。

 だが、至近距離の目くらましに五感をやられたそれは、ただのあてずっぽうだ。


 薄目をひらいてそれを確認した俺は、ぎりぎりのところでそれをかわして、そのまま男の脇をかけぬける。


 よし! このまま城内へ。門はさっきあいていた。

 あとは中にはいって、騒動でもなんでも起こして、ルクレティアをひきずりだす。


 これからのプランをたてながら、徐々に薄れていく白煙のなかをはしって、それを抜けて。


「――撃て!」


 頭上からの声に、かわす暇はなかった。


 右足に激痛。

 ふんばろうとしてかなわず、そのまま頭から転がる。


 見ると、自分の太股に矢がつきささっていた。

 頭上をみあげる。

 死角になって見張り塔から、こちらに弓をかまえる兵士の姿がいくつかみえた。


 ああ、そりゃそうだ。

 城門の前なんだからあるよな、そういうの!


 その可能性をまったく考えなかった自分をののしりながら、痛みをこらえて立ち上がる。

 ずきんずきんと容赦なく痛みはしたが、こんなところに止まっていたらそれこそ蜂の巣にされるだけだ。


 まずは中にいく。

 それか、遮蔽物かなにかを――


「ぐあっ……!」


 後ろから思い切り引っ張られる。

 振り向くと、衛兵の一人が怒りで真っ赤にした顔で俺につかみかかってきていた。


「この、不届き者が――」


 引きずり回される。

 槍を使わないのは、優しさというよりむしろ、積極的な暴力をのぞんでのことらしい。


 矢のささった太股を蹴りつけられ、脳天まで激痛がひびく。

 悲鳴すらあげられず、うずくまったところを強引に頭をもちあげられた。


 視界に、見張り塔の上から新しい矢をつがえている兵士の姿がみえた。


 やばい。

 避けないと、死ぬ――


 矢が放たれる。

 撃たれた矢を目で追うなんて、できるわけがない。


 だけど何故か、その矢はゆっくりと、一直線に俺にむかって飛んでくるのが見えて。


「ライトニング」


 その途中で、雷に撃たれて弾けた。


 間違いなく俺の額を射抜くはずだったその矢を迎撃した魔法、その唱い手を振り向く。

 城の中から姿をみせたルクレティアが、冷ややかにこちらをみおろしていた。



「……一体なにをしているのです」


 極寒の眼差し。


「いや、これは――」

「貴方には言っていません」


 口をひらきかけた俺をぴしゃりとさえぎって、ルクレティアは鋭い視線を俺の後ろにむけた。


「お放しなさい。私の連れに、無礼は許しません」


 俺をつかんだ男が、戸惑ったような気配があった。


「……お放ししろ」


 ジクバールの男に、不満そうに手をはなされる。

 膝から崩れ落ちて、その衝撃に太股がじくりと痛んだ。顔をしかめる俺をみおろしたルクレティアが、


「これは一体どういうことです。ジクバール様」


 厳しい声音をしかめ面の男にむけた。


「ギーツでは、客人を訪ねてきた相手に対して、このような手荒な扱いをなさるのが習わしですか」

「無礼は承知しております。しかし、お会いさせては決心を鈍らせることになるのではないかと」

「そのようなこと」


 冷ややかにルクレティアが笑った。


「余計な世話でしょう。……とはいえ、こちらの不手際であったことも確かです。お気遣いには、感謝します」

「とんでもありません」 


 頭をさげるジクバールから、視線がこちらにむく。

 冷たく見おろしてくる令嬢から嘆息が漏れた。


「……ひどい有り様ですこと」

「……そんなことはいい」


 そうですわね、とあっさりとうなずいたルクレティアが、


「それで、一体このような場所まで、なにをなさりにきたのですか」

「なにを、だと?」


 むっとして口をひらきかけた俺がなにかいう前に、ルクレティアが続けた。


「申し上げたはずですわ。私の邪魔をしないでください、と」


 たしかに宿でそんなことをいわれたな。


「別に。邪魔なんてしにきてない」

「では、何をしにいらっしゃったのです。同行の必要はないとお伝えしたはずですが」

「――そりゃあ。話を聞きにきたんだよ」 


 ルクレティアが眉をひそめた。


「話?」

「いきなり一人で出て行って、状況が理解できるわけがないだろ。いったいお前が、ここでなにをやろうとしてるのか。知らなきゃ、この後どうすればいいかもわからない」

「どうもこうもありません。なにもしないでください」


 冷ややかな一瞥で、ルクレティアは吐き捨てた。


「ふざけてんのか?」

「どうして私がふざける必要があります」


 身じろぎしない、冷徹な美貌をしばらく見上げてから、


「……メジハか」


 ルクレティアの眉がゆれた。


「メジハが狙われてるから、それで一人で城に来たのか。人質がいるから、言うことをきくしかないってことか? だったら、」


 一人でなんとかするんじゃなくて、俺たちに協力をもとめればいい。

 ジクバールがいる手前、後半を省略して口をつぐんだ俺をまじまじと見つめてから、


「――相変わらず、甘い考え方しかなさらないのですわね」


 ルクレティアが唇の端をつりあげた。


「この私が、そのような陳腐な脅迫に屈するような女とでも?」


 俺は困惑して、ジクバールをみた。

 渋面になっている壮年の表情をたしかめてから、


「じゃあ、なんだってんだ。わけわからん」

「わからなくてけっこうです。わざわざ言う必要がありません」


 いってから、ルクレティアは唇をゆがめた。


「どうしても知りたいというのなら、ご命令なさってはいかがですか? どうぞ、この胸に」


 豊満な胸に手をあてる。

 挑発の台詞をうけて、俺は顔をしかめて沈黙した。


 そのまま沈黙が続く。


 ルクレティアがそっと息を吐いた。


「――だから。ですわ」

「なんだって?」

「なんでもありません。……わかりました。それで貴方様が納得するというのであれば、お話します」

「ルクレティア様、それは」


 厳しい声をむけてくるジクバールをちらりとみやって、


「私と連れとの話です。私の好きにさせてもらいます」


 不満そうに、ジクバールが引き下がる。

 こちらを振り返ったルクレティアが、


「今、この街はひどく危うい状況にあるのです」


 ジクバールが衛兵たちを下がらせているのを目で追いながら、聞き返した。


「ハシーナのことだろ?」


 ルクレティアはゆっくりと頭をふった。


「もちろんそれもありますが。もっと根本的な問題は、魔物からの融資を受けたということです」

「借金か」

「はい。人間と魔物の賃借。それが意味するものは様々ですが、この場合、魔物が目的しているものは一体なんでしょうか」

「貨幣ってのがえらく便利そうだから、それの使い方とか、経済とかを学ぼうとしてるんじゃなかったのか?」

「その通りです」


 ルクレティアがうなずいた。


「人間という種族同士を結びつけている概念の一つは、間違いなく貨幣です。それを魔物たちが手に入れればどうなるか。元々、個としての能力でははるかに劣るのが人間です」


 魔物が人間的な集団性、社会性を手に入れればどうなるか。

 それは今、大陸に繁栄する人間種族からすれば、恐ろしいだけの未来だろう。


 だが、


「そんなことが簡単にできないから、“魔物”だろ」


 自己中心的な生き物ばかりの魔物が、そう簡単に団結とか、一つの価値観に集まるわけがない。

 魔物たちの中に共通されているのは暴力だけだ。


「はい。そして、決して魔物たちの主流ではない輩が集まったのが、魔物アカデミーということでした」

「……アカデミーの連中の考えが、魔物の主流になるっていうのか?」

「それはわかりません。しかし、今の時点で彼らは既に知っています」

「なにを」

「腕力や魔力ではない“力”。貨幣という、新しい力を」


 正装を着た悪魔の姿を脳裏におもいだす。

 たしかに。人間の街で商いをやろうだなんて、そこまで積極的な行動をおこすなんて、俺の知ってるアカデミーとは違う。


「それがどうして危ういことになるんだ? 連中、つまり自分たちも貨幣経済をやろうってしてるんだろ。そんなの、そう簡単にいきっこないぞ」


 それでハシーナなんて厄介なものをばらまかれるのは、たしかに迷惑すぎるが。


「確かに、暴力主義がまかりとおっている魔物社会で、貨幣経済という新しい習慣を根付かせるのは容易ではないでしょう。一から構築するのでは手間も暇もかかります。しかし、もっとよい方法があります。――既にあるものを、そのまま利用することです」


 俺は眉をしかめて、すぐにルクレティアの言葉がなにを指しているのか気づいた。 


「だから、ギーツなのか」

「そうです」


 ルクレティアがうなずく。


「ハシーナを流し、経済のお勉強をしようなどという話ではありません。金を融資し、権力者にコネを作り、地盤を手に入れる。そうして徐々に自分たちの影響を強めていく。やがて、自分達が経済活動を行う拠点とするために。――彼らは、すでに戦争をしかけているのです」


 ――戦争。

 暴力ではない、戦争。


 いったいなんの話をしてるんだ、と頭が混乱した。


 金の戦争?

 そんなものを、暴力大好きな魔物連中が仕掛けてるだって?


「おわかりでしょう。これは、まったく魔物らしくない仕掛けです。だからこそ危険なのです。そして、ここギーツでそのことに気づいているのはほとんどおりません」


 なんとなく、俺はジクバールに目をやった。

 渋面で押し黙った壮年の傭兵の表情が、男の苦い内心を物語っていた。


「領主様やノイエン様は、いざとなれば借金など踏み倒してしまえばいいというお考えなのでしょう。人間同士ならともかく、人間と魔物であれば文句も言われまいと。しかし、問題は契約の履行不履行などではなく、彼らを一時的とはいえ経済の環のなかにいれてしまうことです」

「きっかけになるから、か」

「前例ができれば、利さえあれば後発が続くのが商いの道理です。そして、それを押しとどめる力は領主様にはありません。人間と魔物の取引という行い自体については、私は否定しません。それに対する認識があまりに甘すぎるのが、何より問題なのですわ」 

「……私は、商いの話については全くの門外漢です」


 それまで沈黙していたジクバールが、重々しく口をひらいた。


「ルクレティア様が話された内容についても、とても全てを理解しているとは言い難い。所詮は戦場でしか働いてこなかった男です」


 だが、と頭をふって、


「領主様や、ノイエン様がしようとしていることが、この街にどのような結果をもたらすか。それについての不安はあります。理由も、理屈もありませんが、ひどく不安に思えるのです。ハシーナなどといういかがわしい代物についても、もちろん。――しかし、私にはそれを止められない。その能力も、立場もありません。ですから」


 まっすぐにルクレティアをみたジクバールが、


「ルクレティア様。どうかお助けいただきたい。領主様や、若殿の暴走を止められる存在が、この街には必要なのです。貴女はそのための立場を、そして能力をお持ちです」


 ――それで、ルクレティアを結婚させたがってるわけだ。


 領主の配偶者となれば、一定の発言力がある。

 それに、ルクレティアなら、領主やノイエンくらい簡単に手綱をにぎってみせるだろう。


 街の将来のために、ジクバールはルクレティアにギーツに来て欲しいといっている。それが、多少強引な手になったとしても。

 かたくなにルクレティアに会わせようとしなかった男の言動に納得して、しかし俺にはまだ納得できないことがあった。


「それで、どうしてお前一人なんだ」


 ちらりとこちらをみるルクレティアに、


「ようするに、アカデミーがやってる話だろ。だったら、俺にだって無関係じゃない。いや、俺にこそ関係あることじゃないか。どうしてそれを、お前一人でどうにかしようってことになるんだよ」


 俺から疑問をぶつけられて、ルクレティアはしばらく無言だった。

 じっと黙ったまま俺をみつめてから、 


「――貴方は凡庸です」


 いった。


「才がなく、器量もない。分不相応な野心をもつこともなく、中庸そのもの。生粋の凡人といってよろしいでしょう」


 もしかして俺は今、静かにけなされているのか。


 俺の表情を読み取ったように、ルクレティアが小さく笑って、


「ただ事実として言っているだけです。凡庸であることが、悪ではありません」

「そりゃよかった」

「……きっと、どこかの農村にでも生まれれば。そこで育ち、誰かと家庭をつくり。子を育て、日々の平凡な生活に少しの愚痴をいいつつ、慎ましくも穏やかな生を過ごされたはず。貴方にはそういった生き方がお似合いです」


 やっぱり馬鹿にされてるのかと思ったが、ルクレティアの表情はそうではなかった。

 美貌の令嬢は、ほとんど悲しそうな顔になっている。


「似合わないのです。竜に目をかけられ、それに周りから目をつけられ。降って湧いた力に振り回され、支えきれない責を負わされることなど。ただの偶然、あるいはそれが偶然でなかったとしても。貴方という人物には、そういったことは似つかわしくありません」


 豪奢な金髪をふる。


「ご自分がそうした器量ではないという自覚はおありでしょう。自分と、自分の身の回りの者たちのことを考え、そのために身を粉にする。そういう生き方しか自分にはできないと、おわかりでしょう」


 俺はこたえられなかった。

 ――実際、そのとおりだったからだ。


 ルクレティアが薄く笑う。


「それでよろしいのです。大きなことは、才や器量がある者がやればいい。野心がある者が、それを行えばいいのです。田舎で、平穏無事に過ごそうと思っている相手に、それをやれというほうが間違っています」

「……こっちがそう思ってたって。向こうから勝手に押しかけてくることだってある」


 やっかいごとってのはそういうものだ。


「はい。小さな平和をのぞむ者は、大きな野望を抱く者には抗えない。強欲の火に巻かれ、理不尽な暴力に引き裂かれてしまう。日々を静かに過ごしたいという健気な人々の、その健気さが罪になることがこの世の中では往々にして起こります」

「だから、自衛が必要なんだろう」

「ですから、貴方は貴方の手の届く範囲でそれを成さるべきです」

「手の届く範囲?」


 眉をひそめる俺に、ルクレティアはどこか遠くから微笑むように、


「ご自分と、周りの大切な人達をですわ」

「……それで手に追えない厄介ごとがやってきたら、諦めろってことか?」

「違います」


 ルクレティアは大きく頭をふった。


「どう違う」

「――私がいます」


 かけられた台詞の意味がわからないで、顔をしかめる。

 察しの悪い俺を笑うように、金髪の令嬢は達観した表情で俺をみて、


「貴方と、貴方の慎ましい平穏は。私が護ってさしあげますわ」


 毅然とした眼差しで、宣言した。



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