十五話 いまだ大人未満
影が錯綜する。
視界の右で左で、俺には追えない速度のなにかが飛びかって、とりあえず急所だけはと腕をクロスさせて硬直する目の前に、背中。
「――なんでだ?」
ぽつりと声がつぶやいた。
それをききながら、俺はあわただしく目玉をうごかして状況を整理する。
視界の右でスラ子が、どこかからあらわれた巻き毛の女の子がかまえたナイフを、刃ごとにぎりしめてふせいでいる。
左では、カーラがミスリル銀の手甲で、反対方向からやってくれていた長髪の少年の一撃をさばいてくれていた。
俺の両肩に後ろから手をかけ、いざとなったら身代わりになろうと飛び出そうとかまえてくれている温度は、スケルのものだ。
そこまで周囲の状況を確認してから、あらためて眼前に意識を戻す。
テーブルに飛び込み、向こうから卓上にかけあがってきた、グングと呼ばれた少年と対峙している、タイリンの小柄な背中が目の前にあった。
手には、どちらもナイフ。
互いの刃をかみあわせてギリギリと力を競りつつ、こちらに背中をむけたままのタイリンが、歯をきしらせながら、
「――マギ。ヒト殺しは、なんで悪いことだ?」
唐突な質問に、俺はおもいっきり顔をしかめた。
タイリンから発せられたそれは、子どもがまわりの大人にして困らせるタイプのものだった。
赤ちゃんってどこからくるの、とか。
死んだらどうなるの、とか。
誰だって幼いころに思いついて、周囲の誰かに問いかけたことがあるような素朴な質問。
暗殺者として訓練を受けてきたタイリンにとっては、その行為はごく自然なことで、だからそれは違うと教える立場にたつなら、その理由をはっきりといえなくちゃならない。
大人なら、不意に子どもからそういう質問をうけたとき、なにかしらの答え方をもっているもんだろう。
駄目だから駄目なんだと理不尽に押し通してみせたり。
大人になれば自然とわかるものだよとずるくかわしてみせたり。
良くも悪くも、そういうのが大人の役目だ。
だから、
「……わからん」
としか二十年以上生きてきて答えられない俺は、その時点でろくな大人じゃなかった。
「なんでだろうな。……人間なんて、しょっちゅう同族で争ってるのにな。俺なんか魔物だし、今までひどいことやってきてるのに」
視界の右側にある不定形の姿を視界にいれて、考える。
――スラ子も。俺が見ているところや、きっと見ていないところでも、誰かを殺してきている。
それが自分の手であるかどうかに関わらず。
人間が、人間を殺すことはある。
なら俺が、タイリンにそういった行為をやめさせようとしているのは、いったいどういう理由なのだろう。
幼いころから偏った思想を強制させられた相手への哀れみか、それとも偽善。
いいや、違う。
俺というチンケな器量の人間は、もっと自分のことしか考えてない。
多分、知りたいからだ。
どうして人殺しがいけないのか、俺自身がはっきりと答えをもちたいのだ。
頭がわるいから他の大人のように悟りきることができず、いつのまにか考えなくなっていたことをあらためて考えて、知りたいからだ。
全部を周りのせいにして、洞窟のなかで、なにもかもから逃げ回っていた。
そんな今までの自分から変わるために。
俺は、自分のためのきっかけにタイリンを利用している。
そんないやしい性根で、大人ぶった上から目線なんかしていいわけがない。
強制なんてできるわけがない。
救うだなんて、なんの冗談だって話だ。
俺にできることは、ただ、
「なあ、タイリン。よかったら考えないか。そういう疑問を、一緒に考えよう。いくらでもつきあうから。お前が大人になって、自分で答えをだせるまで、俺も考えるから」
そして、俺もちゃんとした答えをもちたい。
いつか――“誰か”から同じ質問をうけたとき、きちんと答えられるように。
……ほんと、自分のことばっかりだとちょっと自分を嫌になりながら、俺の台詞をきいてじっと動かない小柄な背中をみつめて、
「――ッ」
ひっかいたような音を響かせて、刃がはじける。
タイリンと対峙する少年の姿がしずみ、前掛かりの体重をいなされたタイリンが反射的に踏みとどまろうとした瞬間を狙って、足を払う。
飛べば、そこを狙われる。
無理に左右へ避ければ、相手はタイリンを追いてそのままこちらに殺到してくるだろう。
だから、タイリンのとった行動は、そのどちらでもなかった。
まるで相手の動作など予想していたとでもいうような自然な動作で、相手の軸足、その太股を蹴り飛ばす。
ほとんど腰のはいっていない、牽制だけを目的にした小突きで相手の姿勢を一瞬、崩すと、打点のそれた相手の蹴りの内側にはいりこむと、そのまま脳天へナイフを落としかけて、
「タイリン!」
思わず呼びかけた、俺の声にぴたりとその動きをとめる。
そして次の瞬間、半身をひるがえしたタイリンがこちらにむかって駆け出した。
逆手にかまえたナイフが奔る。
正確にナイフの刃先が喉元をなぞる、その未来の軌跡がはっきりと予知できるようなナイフの一撃を、座った体勢からかわそうとすることもできず、俺の頭をかかえてかばおうとするスケルをどかそうと両腕に精一杯、力をこめた。
「――」
ナイフの先端は、ほとんど触れそうな目の前で止まった。
息がかかりそうな近さまで一瞬で距離をつめたタイリンの、頭のすぐ横に薄く鋭利に伸びた触手。
自分の目の前にいる相手を抑えこみながら、スラ子がぞっとするほど怖い顔で腕を伸ばしている。
少しどころか、髪の毛単位でも筋肉を動作したら、次の瞬間には貫くという無言の殺意。
タイリンは、それをちっとも気にもとめない態度で、
「まったく。マギは、駄目な大人だなー!」
はじめて会ったときのような屈託ない表情で笑った。
不意にむけられた緊張感のない笑顔に、虚をつかれて声がでない。
俺がかける言葉をさがしているうちに、
「――なにをしているのです、タイリン。それはあなたの目標でしょう?」
テーブルの向こうに座ったランピェが、静かに口をひらいた。
黒い正装の邪妖精は穏やかな態度をくずさず、聞き分けの悪い孫に語りかけるようなやわらかさで、
「あなたは、きちんとやるべきことがわかるはずですよ」
「わはっ! もちろん、わかってる!」
タイリンは相手を振り返りもしなかった。
「マギはあたいの目標! だから――」
後ろから襲い掛かってくる少年の攻撃を、かわし、肘打ちから関節を極め、相手の身体が伸びきったところにみぞおちを貫き手でうって悶絶させてから、容赦なく蹴り飛ばした。
そして、あらためて宣言する。
「他のやつには、殺させない! じゃないとあたいが殺せない!」
……ん?
なんか、今のはひどく歪な発言じゃなかったか?
おおっ、と俺の頭を脇にかかえたスケルが、ぐっと腕をにぎりこんでうなずいた。
「なんという完全論理! さすがのあっしもツッコむ隙がありません……!」
「え、そうか? いや、おかしいぞ? いや、いいんだけどとりあえず頭いたい」
そりゃあ、命を狙われるっていうのは、とっくに覚悟はしていたけれど。
いや。この場合は、タイリンが、絶対的なはずの暗示を自分で曲解してしまったことを喜ぶべきなんだろう。
……まったく、人間ってのはこれだから。
「――まったく。人間というものは」
俺が思ったのとおんなじ感想を抱いたらしい悪魔が、憮然として頭をふった。
「数年かけて蓄積させたものが、たった一月程度であやふやになってしまう。かかるコストに対して、やはり実用性が乏しすぎますな。人間の精神というのは脆いくせにしつこい。なるほど、人間そのものだ」
「これでも。大陸の現繁栄種族なんでね」
ランピェはちらりと俺をみやって、皮肉そうに笑った。
「たしかに。さすが、我らが天敵。下手に利用するのではなく、やはり根絶をこころざすべきかもしれませんな」
さらりと吐かれた物騒な台詞に、俺がなにかをいいかけたところに、
「まあまあ、ご主人。やっすい挑発にのってる場合じゃありませんぜ!」
「……とりあえず放してくれるか」
「おや。こいつは失敬」
舌をだしたスケルが俺の頭を放り出して、
「こんなところでガチンコやってる暇があったら、急いで追いかけなきゃなんない人がいるでしょうよ。いったいどうして、この暗殺者ギルドさんはあっしらの足止めなんてやっちゃってんです?」
――足止めを頼まれてる?
ノイエンたちと暗殺者ギルドが協力関係なのは間違いないが、その暗殺者ギルドが交渉だなどと持ちかけて、この場所に俺たちをとどめようとしている理由があるのなら。
脳裏に、護衛はいらないと頑なだった金髪の令嬢が浮かんだ。
「……わかった。悪い、まかせていいか?」
俺はスラ子にむかって訊ねたが、
「いやいや。スラ姐はご主人と一緒にいっちゃってくださいな。ここはあっしとカーラさん、それにタイリンさんで受け持ちます」
「いや、それは――」
暗殺者ギルドなんかやってる連中相手に、三人じゃ戦力的に心もとないだろう。
「なにいってんで。たった二人で領主の城に乗り込もうってほうが、よっぽど頭おかしいでしょうが」
それに、とスケルはにこやかに、
「タイリンさんは、ご主人が近くにいないほうがやりやすいはずっす。弱っちいんですから、せめて迷惑にならないよう気をつかえって話です」
うむっ、とタイリンが大きくうなずいた。
「マギなんて、邪魔以外のナニモノでもない!」
ひでえ。
「――マスター、いってくださいっ」
激しい攻防をやりとりしながら、懸命な視線をこちらに流して、カーラがいった。
「つまり、あれか。ここにいても戦力にならないし、どっかいけと」
『そういうことです!』
異口同音に声がハモった。
本当ひでえ。
からからと笑ったスケルが、のんびりとスラ子にむかって歩きだしながら、
「まあまあ、ご主人。ここにいたってなんの役にもたちやしませんが、ごく稀にご主人じゃなきゃダメって場合もあるわけでして。ようするに、さっさとお姫様を取り戻してこいコノヤロウってんですよ」
肩をすくめる真っ白い魔物少女のあとを、見習い魔物の少女が継いだ。
「……ルクレティア、きっと待ってますから!」
その台詞を聞かされて脳裏に思い浮かんだのは、とても冷たい光をたたえた極寒の眼差しではあったけれど。
「――わかった。ここは頼む」
「はいなっ。ってーことでスラ姐、ご主人のお守りを頼みまっす」
眉をしかめて会話のやりとりを黙ってきいていたスラ子が、
「……無理は、ダメですよ」
心配そうにいった。
びしりと親指をたてたスケルがにかっと笑う。
「そりゃもう、適当にやってヤバそうなら即、三人で逃げだします!」
ふう、と息をついたスラ子が、目の前の相手を触手で横薙ぎに吹き飛ばしてから、振り返った。
「わかりました。スケルさん、これを」
さっと腕をふると、手にどこからともなく見覚えのある椅子があらわれる。
「おお、マイ・イス! これさえあれば百人力、もとい一竜力!」
ストロフライ印の椅子を嬉々として受け取るスケルをみながら、俺は目の前の光景に頬をひきつらせていた。
さもなんでもない風にやってくれたが、今の芸当はいったいなんだ。
洞窟においてきた椅子を瞬時に取り出してみせるとか、そんなストロフライみたいなことを……と口にしかけてから、ぞっとする。
「スラ子。お前、」
思わずスラ子に訊ねかけて、
「どうかしましたか? マスター」
「……いや。いい。いくぞ」
確認はあとだ。
視界のなかでは、すでにスケルたちが戦闘を開始している。
三人が俺たちが脱出する機をつくってくれているのに、議論をやってる場合じゃなかった。
「了解ですっ!」
元気いっぱいに返事をしてくるスラ子と、駆け出した。