十三話 時はきた
結局、計画を固めるのに一週間を要した。
不慣れなルーキーたちを相手どって、ちょっと驚かせて怖い目にあわせてやろうって程度の作戦になにをだらだらやってるんだという意見もあるだろうが、それでも俺にはまだ不安があった。
研究畑の人間としては、理論と実際には多くの齟齬がでることを何度も経験してきている。
所詮、研究なんてものはトライ&エラーの繰り返しだ。いくら試行錯誤をくりかえしても、完璧なんてものからは程遠い。
だからこそ、考えられる不確定要素は全てつぶしておくに限る。
そこで俺はやってくるルーキーたちの数や強さ、装備やパーティ構成までパターンを綿密に調査するため、一ヶ月の観察時間をおくことを提案してみたのだが、
「長すぎます」
スラ子に笑顔で却下された。
「装備や構成パーティについてある程度、調べてみることは必要だと思いますが、人間がダンジョンにやってくる行動パターンまで調べようとするなら、一月程度ではとてもサンプルがたりないのではないでしょうか。通年を通してはじめてある程度の傾向が分析できるのでは?」
「む」
「結局、有意差がとれないのに時間をかけるというのでは、ただの自己満足にしかなりません」
「むむ」
「あるいは、マスターが今までこの洞窟にいらっしゃってからのデータが残っていれば、判断を補強する有力な材料にはなると思いますが……。いかがですか?」
「むむむ」
もちろんそれまでひたすらひきこもってきた俺に、そんなデータを残す余裕なんかなかった。
理路整然とした口調で、しかも頭ごなしに否定されるのではなくて笑顔のまま優しく諭すようにいってくるので、こっちは「自己満足で悪いか!」とわめき散らすことさえできない。
おのれスラ子。頭がまわりすぎじゃないか?
それでもしつこく食い下がった結果、それならということで一週間の調査期間をもうけるという話でおちついたのだった。
もう一つ、計画を長期観点から早めなければならなくなった理由もある。
現状、俺たちのほとんど唯一といっていい収入源になりそうなのがシィの「妖精の鱗粉」だが、これをもう一度町まで売りにいったところ、買取値で前以上に買い叩かれてしまった。
前回、俺が弱気で受けてしまったのも理由の一つだろうが、道具屋の婆さん曰く「前の分が売れてもないのに、そうそう在庫だけ増やしていられるかい」とのこと。
妖精の鱗粉が高価なものであることは間違いないが、それを買ってくれる相手がいなければどれだけ貴重な商品の価値だってさがってしまう。
このままではそう長くないうちに、近くの町では妖精の鱗粉を買い取ってさえくれなくなり、すぐにまた元の金欠生活に戻ってしまうかもしれない。俺たちには、時間的な余裕も決してあるわけではないのだった。
当日の計画内容はこうだ。
まず監視と偵察。これはシィの役割になる。
水の精霊がいなくなり、管理者のない洞窟近くの湖は現状、誰の手にもないフリーになっている。せっかくなので、ウンディーネには悪いが利用させてもらう。
そういえば、と思い出したのが湖の魔力バランスのことだ。
ウンディーネが気をつかっていたのがなくなったのだから、徐々に環境に変化があらわれてくるかもしれない。やっかいなことになったりしないよう、後々考えるべきだろう。
まあ、それは後のことだ。今は冒険者たちに注力する。
湖付近に待機したシィが冒険者の来襲を察知すると、連中が洞窟に入った時点でこちらに合図を出す。入り口の反応石に魔力を送り、その信号パターンの種類で相手の数、装備を伝える。
その後、シィは洞窟周辺に幻惑の魔法をかける。これは念のため、後続のパーティがやってくることがないようにだ。
後方の安全を確認して、シィはそのまま冒険者たちの追跡にはいる。
洞窟のなかは単純だ。
人間たちだってもう先達が何度も来ているところだから、前もって地図のようなものが準備されているかもしれない。いずれにせよ、連中はそう苦労もなく奥まで進んでくることだろう。
そして、連中がクエストのためにやってくる奥の広場で待ち受けているのが、スラ子とスライムたち。
このダンジョンにある吹き溜まりからでは考えられないほどの数のスライム。それが密集して、冒険者たちの前にあらわれる。
前にいったとおり、スライムはまともに戦うことだけを前提とすればかなりやっかいな存在だ。武器による攻撃が通じにくいことは、魔法力の未熟なルーキーたちにとって脅威になる。
それが異常な量で繁殖していれば、それだけでかなりの恐怖だろう。
普通のスライムには知性がないから、集団で戦うとか、相手を罠にかけるとかそういう応用力がまるでない。
だったら、それをこちらで用意してやればいい。
そして、スライムの誘導をすることなら、習性や生態について長く研究してきた俺には容易なことだった。
子飼いのスライムちゃんズ以外にも、洞窟に生まれたスライムを利用して、包囲戦の格好をつくる。
洞窟のなかで遭遇するスライムへの対処なら前もってギルドで教わっているだろうが、スライムの大量発生なんて事態は考えたことがないはずだ。
激しく動揺するだろう連中に、さらにスラ子とシィの魔法でたたみかける。
洞窟に魔法を使う魔物が発生することはほとんどない。少なくとも、俺がここにきてからは一度も出会ったことがない。
冒険者たちも同じように教えられているはずだ。
連中が事前に対応してきているのは、スライムやコウモリといった、洞窟で今まで他のパーティが出遭ってきた魔物だけになるはず。
そこにいきなり魔法なんていうのが使われたら、どうなるか。
パニックだろう。
そして、逃げる。俺なら逃げる。俺じゃなくたって逃げる。
危険を察知したら即退散。それがルーキーたちが冒険者になってまず、口をすっぱくして教わることでもあるからだ。
スラ子とシィは、連中をいい感じに翻弄しながらルーキーたちを逃げ道まで誘導する。
命からがら逃げ出したルーキーたちは、町の冒険者ギルドに異常を報告。後日、彼らのクエスト失敗を受けてダンジョンには調査が入るはずだ。
しかし、念入りに装備を整えた彼らがダンジョンで見るものは、それまでとまったく変わらない、いつもどおりの平穏な『初心者用』そのものの洞窟の姿で。
頭をひねりながら連中は調査を終え、ギルドには異常はなかったと報告がされる。
結局、先日の一件がなんだったのか。ルーキーたちの見間違いだったのだろう、というような見解に落ち着きながら、人間たちには「初心者用ダンジョンでおかしなことが起きた」という事実が記録に残る。
ここまでで、スラ子立案の『ドキッ。もしかしてやばい? あの洞窟』はその全てが終了となる。
全ては人間たちが「このダンジョンは安全だ」という意識、その慢心に影を及ぼすこと。しかもなるべく穏便にだ。
俺? 俺はボスらしく、一番奥にこっそり隠れておくことが仕事だ。
連中に姿を見られるわけにもいかないので、せいぜい物陰から応援に励もうと思う所存である。
同じことは、魔法を使ってルーキーたちを脅かすスラ子やシィにもいえることだ。
この洞窟でスライムやコウモリ以外の、脅威度の高い魔物の存在がはっきり人間たちに確認されるというのは、現状あまりうまくない。
あくまで魔法は、それがはっきりとしない形で使われるように留めておくべきだった。
この計画でもっとも重要な役割は、いうまでもなくシィだ。
冒険者を発見、報告することから、実際の戦闘。連中を逃げ道へ誘導することまで。
さらに、なにか不測の事態が起きた場合にも、シィには広間から続く道の一つ、この洞窟に唯一ある縦穴でその奥には人間も俺もいったことがない場所で浮遊の魔法を使い、非常用の脱出経路として俺やスラ子が逃げるのを助ける役割もあった。
戦力がスラ子とシィしかいないのだから仕方のないことではあるのだが、あまりにシィへの負担が大きい。
そして、そのことが俺の不安の種にもなっていた。
スラ子の忠誠心には俺はかけらも疑いをもっていない。
しかし、シィはいまだに、どうして俺たちに協力してくれるのかよくわからない。
スラ子のあの恐るべき手管に篭絡されただけなのかもしれないが、俺はまだシィがどうして妖精族の仲間たちから離れることになったのか、それについても知らない。
いざ人間の冒険者たちがやってきたときに、シィが裏切ると思っているわけではない。
そんなことをするなら、もっといい機会はいくらでもあるはずだった。俺たちを殺したいなら、寝てるときにでもすればいい。
だが、仲間のことを疑う――あるいは信用できないまま作戦をおこなうというのは、不安だ。精神的によろしくない。
そのことをスラ子にたずねてみると、スラ子は微笑んでいった。
「大丈夫です。シィは私たちを助けてくれます」
やけに自信満々だからその根拠を聞くと、
「スライムの勘ですっ」
俺は笑ってしまった。
世の中にある、実証はできなくともその信頼性に誰一人疑う余地のないものに「女の勘」というものがあるが、スライムの勘なんてものは初耳だった。
そんな答えを堂々と使われてしまったら、もうあれこれと思い悩むのも馬鹿馬鹿しくなって、俺も疑うのをやめた。
一対一で戦えばルーキー冒険者にだって勝てないかもしれない。そんな俺が頼りにできるのは、長年の研究でつくりあげることに成功したスラ子だけだ。
そのスラ子が大丈夫というならそれに従おう。というより、俺にはそうすることしかできない。
それから俺たちは三人で事細かに偵察、誘導や戦闘行動、非常事態時の対処などを細かく話し合った。
スライムちゃんズの誘導練習や、準備期間に設けた一週間のあいだにやってきた二組の冒険者の装備を確認し、実際に演習までして少しでも錬度を高めて――
決行の日がやってきた。