十一話 夜釣りのスラ子
「タイリン!」
廊下からカーラの声。
それでタイリンの動きが一瞬にぶるのを見逃さず、俺は叫んだ。
「スラ子!」
「ふぃーっしゅ!」
こっそりベッドに隠れていたスラ子が腕をしならせる。
横合いからの奇襲を、俺しか目にはいっていなかったタイリンはかわそうとする余裕さえあたえられなかった。
鞭のように伸びた腕に足をひっかけられ、足首を掴まれて、一気にひきずりあげられる。
「タイリンちゃん、一本釣りー!」
「よッ、スラ姐! ナイスふぃっしゅ!」
部屋に灯りがともる。
そこにはスラ子の腕にグルグル巻きにされたタイリンが、吊り下げられた天井から声をじたばた足を動かしていた。
「ひきょうものー! 大人がよってたかって! 恥をしれー!」
「人の寝入りを襲っておいて、随分だな」
やれやれと頭をふりながら、俺は天井のタイリンをみあげて、
「昨日の今日で、あんな顔してたら誰だって怪しいと思うだろ。不意をつくならもっとこう、いつもと変わらない様子をとりつくろうとか工夫をだな」
「うるさい! 敵のいうことなんか聞くもんか! はなせー!」
「暴れると危ないですよー。あ、回転スラ子ラウンドでもやりますか? 妖精さんたちには大人気でしたよー」
「まわすなー!」
「スラ子、いいから毛布かなんかでしばりあげてやれ。カーラ、今日はこいつを抱き枕がわりにでも使ってやってくれるか」
ぎゃあぎゃあとうるさいが、そのうち大人しくなるだろう。
「あ、はいっ。……すいません。気づくのが遅くて、タイリンがでていくのを止められなくて」
「いや、そんなことない。カーラが後ろから声をかけてくれて助かった」
「その通りですわね」
廊下から、一番遅れてやってきたルクレティアが冷めた声でいった。
やけに薄い下着姿にローブだけをかぶったはしたない格好で腕をくんで、
「なにやら茶番じみた一幕のように演じていらっしゃいますけれど、タイリンがご主人様の命を狙ったのは本気だったはずです。それを、毛布でくるんで反省させて、それだけですか?」
とがめる口調の令嬢を、俺は正面からみかえして、
「ああ、そうだ。文句あるか?」
「――いいえ。たった一人のことに一生懸命で、実にご主人様らしいと思いますわ」
皮肉たっぷりの台詞をのこして、ルクレティアは不機嫌そうに自分の部屋へ戻っていった。
「マスター」
心配そうにみてくるカーラに、肩をすくめて笑いかける。
「タイリンをたのむ」
「……はい」
カーラとスケルが、毛布にくるまったタイリンをひきずっていく。
「やっぱり、ルクレティアさんにはあっさり見破られちゃいますね」
一人だけ残ったスラ子が、苦笑をうかべて近づいてきた。
「そうだな。ったく、可愛げがないったらない」
「ルクレティアさんなりに、マスターを心配してるんですよ。急いで来たから、格好だって」
「ありゃただの趣味じゃないのか。前もああだったぞ」
「ふふー。目のやり場に困りました?」
「また鼻先を燃やされるのはごめんだ」
ベッドに腰掛ける。
隣に、ぺちっとスラ子が腰をおろした。
「……自分の部屋に帰ってもいいぞ?」
「マスターの護衛が必要です!」
さすがに、今夜はまたタイリンがやってくるとも思えなかったが――俺はスラ子を好きなようにさせることにした。
それに、ほら。怖いし。
「ふふー」
抱きついてきたスラ子が、耳元でそっとささやいた。
「――あの子、処理してしまいませんか?」
黙ってスラ子をひきはがす。
渋い顔をした俺をみたスラ子が、困ったように笑った。
「マスターのお考えはわかります。でも、いつも今回みたいに防げるかどうか。たとえば、戦闘中にタイリンちゃんが、急に敵にまわったりしたら――」
今日の昼、スラ子が俺を制止したことを思い出す。
あの場面。
暗殺者ギルドの内部でもし戦闘になっていたら、タイリンは恐らく向こう側の戦力になっていたはずだ。
味方の裏切りは、戦力のマイナスになるだけじゃなくて、同じ分の戦力が相手にプラスされることになる。
不意をつかれた動揺なんかを考えたら、影響はそれ以上だ。
「……わかってる」
いざってときにあてにできない戦力を味方にとどめておくことは、ただの自殺行為だ。
もしかしたら、それが他の味方の命をおびやかすことにもなるのだから。
「マスター。わたしなら多分、タイリンちゃんの記憶のとっても深いところにある命令を、塗り替えることができると思います」
じっとこちらを上目遣いでみあげて、スラ子がいった。
「きっとできます。方法だっていくらでも思いつけるんです。スケルさんのときみたいに、一度わたしのなかに取り込んでから、余分なものを取り出して、あたらしくつくりなおすとか。それに、」
「……シィのときみたいに催淫物質とかそういうのをつくって、洗脳とかか?」
「――はい。あのときは、意識しないでただ魔力を得やすくするためにでした。けど、今のわたしなら、自分で意識すれば“そういうもの”だって、つくれます」
真剣なスラ子の眼差しに、俺はため息をついた。
スラ子がそういうなら、きっとそれは可能なのだろう。
不定形という性質のスラ子にできるのは、外見を変えることだけじゃない。
自分の思うとおり、自分自身を変える。自分の能力さえ、自分の思うままにしてしまうことができる。
あらためてぞっとする。
そんなのは、スライムだからなんて範疇の話じゃない。
今後の方針についての話し合いで、ルクレティアがこちらにむけた意味ありげな視線を思い出した。
――もしかしたら。スラ子なら、ギーツで使われようとしてるハシーナなんて代物より、よほど性質が悪い薬剤だってつくってしまえるかもしれない。
たとえば、相手を意のままにして、しかもなんの後遺症もあとに残さないような。
呪いなんて強制力ではなく、苦もなく相手を隷属させてしまうような。
剣でも、金でもない統制。
……たしかにそれは、最悪だな。支配者層の人間や悪者が小躍りして喜びそうなくらい、最悪だ。
「やっぱり、わたしのことが不安ですか?」
スラ子がそっと目を伏せる。
「それは違う。俺がそういうことをしたくないのは、俺が嫌だからだ。そういう途方もないことに尻込みする、ただの小物だからだ」
俺は断言した。
「……マスターはただの小物じゃありません。頑コモノです」
苦笑したスラ子が、ほうっと息をはいた。
「今日、考えごとをしてたんです」
「そういや、話し合いでもそんな顔だったな。なに考えてたんだ?」
「――わたしになにができるのか。なにをすればいいか、です」
遠くをみる眼差しになって、
「わたし、いろんなことができるようになりました。水精霊さん、土精霊さんを食べて。精霊のこととか、マナのこととかもわかってきて。もしかしたら、できないことなんてないんじゃないかなって思えるくらい、いろんなことができるようになったんです」
でも、と頭をふった。
「せっかく、なんでもできるようになったのに。マスターになにをしてあげればいいか。なにをするべきなのか、わからないんです。……もしかしたら、前にいわれたみたいに、わたしはもうマスターには要らないんじゃないかなって」
「おい、そんなことないっていってるだろ」
血相をかえて俺がいうと、スラ子は弱々しくうなずいた。
「……わかってます。ただ、自分がなにをするべきかが、わからないだけなんです。できることが増えたのに、やればいいことがわからなくなるなんて、不思議ですね」
憂いの表情で、スラ子はささやくようにつぶやいた。
「ルクレティアさんや、タイリンちゃんのことも。マスターのために、あの二人をどうすればいいかなら、どんなひどいことだって考えつくのに、二人の立場で考えたらどうなんだろうって――そうしたら、まるでわからなくて。どうするべきなのか。どうありたいのかも」
俺はだまってスラ子の横顔をみつめる。
スラ子の悩みは、不定形という在り方の問題だ。
自由すぎて、枠がないから、自分自身のことだってわからなくなってしまう。
そのスラ子の不安をとりさるのは簡単だ。
たった一言ですむ。
俺だけをみていろと、そういえばいい。
全て俺を中心に考えて、そのために判断しろと。
スラ子の価値観、思考、基準にそれをすえれば、スラ子は安心して俺に依存することができる。
――けれど。
俺は、そんなのは嫌だ。
誰がなんといおうと、絶対に。スラ子をそんなふうにしてやるもんか。
「……そんなのは、簡単だろ」
だから、なんでもないふうをよそおって、いった。
すがるように見上げてくる不定形の生き物に、
「お前は、俺が間違っているときに、止めてくれ」
「マスターを――止める?」
スラ子が、きょとんとして小首をかしげた。
「そうだ。たとえば、タイリンのことだ。俺はこれからずっと、あいつにつきあってやるつもりだ。あいつが、ちゃんと自分の意志で殺すとか、殺さないとか、そういう判断ができるようになるまであいつに命を狙われつづけてやる。……でも、そんなの絶対に無理って状況だってありえるだろ。これはただの俺のわがままで、俺のわがままを聞いてられない事態だってあるはずだ。だから、そういうときは、お前が俺の間違いをただせ」
「間違いを、ただす……」
おうむがえしに繰り返す、スラ子はまるでピンときていない表情だった。
続ける。
「ただでさえ、三歩すすんで四歩さがるような男だぞ。これからも似たような失敗をくりかえして、螺旋状にでもちょっとずつ進歩できてりゃいいが、ぐるぐるおんなじとこをまわってるだけかもしらん。ルクレティアが頑張って怒ってくれてるが、あいつだっていつも一人じゃ大変だろう。そんなときはお前が俺を叱ればいいんだ」
「――叱る」
「そうだ。だから、スラ子。俺を見るな。俺のみてるものを見ろ」
「……マスターの、みているものをですか?」
「ああ。俺のほうをみてたら、俺が正しいことしてるか間違ってるかなんてわからないじゃないか。隣にたって、おんなじ方向をむいといてほしいんだよ」
ベタな恋愛ものの話にもあるじゃないか。
どうせ二人でいるのなら、見つめあうより、おなじ未来をみていたいとかなんとか。
――なんだか、気づいたらやたら長いこと語ってしまっていた。
気恥ずかしさに、最後は一気に話をしめてしまうと、
「マスター!」
いきなり、スラ子にとびかかられた。
「もしかしてマスター、今まで生きてきてはじめてイイコトいっちゃいましたかっ!?」
「俺の人生そんなにダメかよ! 今までだってちょいちょいイイコトいってたろ!」
「いえ、今のは、今までのなかでもかなり凄い、とびっきりでした! どれくらい凄いかっていうと――これっくらいですっ!」
「抱きつかれてもわかるか! 言語表現をあきらめんな!」
スラ子に押し倒されて、そのままベッドにたおれこむ。圧迫しているスライム質の物体に、俺はすぐに抵抗をあきらめた。
全身で抱きついてくるスラ子に、諦観した気分でたずねる。
「……そういや、スケルの次はスラ子とカーラ、どっちなんだ? ほら、あれだ。デート」
「あ。カーラさんですっ」
「そうなのか?」
「はい。わたし、今の言葉をいただけただけで十分ですから。それに、忘れちゃったんですか? マスター、再来年までのお小遣いをルヴェさんに餞別だってあげちゃったじゃないですか」
「……忘れてた」
他に用意できるようなものも思いつかないで、とりあえず路銀くらいしか渡せなかったのだが。
そうか。再来年まで小遣いなしか、俺……。
ふふー、とスラ子が笑った。
「カーラさんのデート代は、大丈夫です。一日中、どんなに散財したって怒りませんから、カーラさんを思いっきり楽しませてあげてください」
「お前は、それでいいのか?」
「遠慮なんてしてません。さっきのは、それくらい嬉しかったんです。モヤモヤが全部とんでいっちゃいました!」
正直にいえば、そんなに格好のいい台詞をいえたとは自分では思えなかったが。
スラ子がすっきりしたんなら、まあいいか。
「……そうだな。まあ、この街でのことが落ち着いてからだな」
さすがに今の状況で遊びになんかでかけたら、ルクレティアが怒りのあまり逆立てた髪で絞め殺されそうだ。
「はい。それから、マスター。ルクレティアさんにも、なにか日頃の感謝を考えておいてくださいね。シィやドラちゃん、洞窟の皆さんへのお土産もですっ」
「あー。そうだな。やっぱり、そういうのは大事だよな」
「はい、とっても大事ですよっ」
断言して、スラ子は満面の笑みで微笑んだ。