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十話 貨幣、経済、魔薬、臨床

「貨幣とは、それそのものがもっとも単純な契約の形のひとつです。互いの信用があって成り立つ約束事。たしかに、共有された価値観といってよろしいでしょう」


 状況をのみこめない一同にむかって、ルクレティアが説明をはじめた。


「同族とすら相食む人間が、それでも互いに同朋意識を抱き続ける理由は、そうしなければ対抗できない多くの外敵の存在があるからです。竜のように強くもなく、エルフのように聡くもない。人間には自分たちを繋ぎとめるための手段、価値観が必要であり、そのひとつが貨幣です」

「いわゆる報酬だな。なんの利益もない魔物退治で、自分の命を投げ出せるのは聖人だけだ」

「はい。そしてそういった聖人は、聖人であるがゆえに、真っ先に命を落としていきます。その後に残るのがどういった人々かを考えば、奇麗ごとやお題目では物事が成り立たないことは明白でしょう」

「いい人ほど早く死ぬってやつですか。世知辛いっすなぁ」


 しみじみとつぶやいたスケルの台詞に、ルクレティアが冷ややかな笑みをうかべる。


「もし個人の善性というものが、その人に流れる血に拠るとしたら。善人ほど早く死に、善なる血は絶たれ、悪人の血脈ほど目立って後代まで引き継がれることになります。そう単純な話であるはずがありませんが、けっこうな皮肉ではありますわね」


 血統主義といえば貴族だが、その貴族の血をひくルクレティアが時々こういうことをいうから不思議だ。

 それとも、だからこそか?


「一方、エルフや精霊などの一部をのぞいた、大半の魔物の価値観は単純明快です。個人主義、暴力主義。生まれもった力が全てであり、連携を欠き、共闘など考えもしない。基本的な身体能力ではるかに劣る人間が、この大陸で繁栄する理由ですが、魔物の一部がそうした人間種族の強みに気づくのは当然でしょう。そのきっかけのひとつはいうまでもなく、」

「……百年前の魔王災だな。人間も魔物もない。あれはこの世界に生きる全種族が共闘した唯一例だ。二度とないだろうが」

「魔物アカデミーという組織が成立したのもそれ以降ということですから、影響があったことは確実です。狂竜グゥイリエンが残した深い傷痕と、多くの教訓。神のごとき圧倒的“個”も敗れることがある。共闘する強みを、魔物たちは痛感したはずです」

「だから、人間に学ぼうとした? それがアカデミーなんだ」


 感心したようにカーラがうなずく。


 俺は肩をすくめて、


「ていっても、魔物の大半はいまだに個人主義だけどな。強い連中になればなるほどそうだ」

「どうしてなんですかね?」

「喉元すぎればってこともあるが――百年前の大災ってのは、個に対する集団の優位性を実証したのと同時に、飛びぬけた個の恐ろしさを見せつけたって話でもあるんだよ」


 魔王竜との死闘を経て生き延びた多種族たちは、グゥイリエンの同族である竜族に対して、世界が滅びる寸前まで追い詰めた責任を追及することができなかった。


 しなかったのではない。

 できなかった、だ。


 百匹からの竜が先だって戦死して、竜族はすでに種族としての責任を果たしているから――なんていわれたりもするが、そんなわけがない。


 理由は簡単。

 文句をいって、それに反発されたら怖いからだ。勝てないからだ。


 どの種族も疲弊してたってこともあるが、それ以前に、多種族連合が魔王竜グゥイリエンに勝てたのは、精霊や竜という強力な種族が味方してくれたことが大きい。


 もし戦死した百の竜がいなければ、世界はとうに終わっていた。

 一匹の竜にすら滅ぼされかけたのに、竜という種族にケンカをうってしまえばどうなるかなんて、考えるまでもない。


 結局のところ、この世界の最強は竜だ。

 その事実は変わらない。


 黄金竜グゥイリエンは自身の命と暴虐とで、あらためてそれを証明してみせたのだった。


「まあ、そんなわけで魔物の世界では集団主義ってのはあくまで異端なんだよ。そんな弱小勢力に参加しようってのは、元々弱い種族だったり、個体だったりしかない。そうしてここ何十年、地道に活動してきてたんだが」

「そのアカデミーが、貨幣という人間の得意とする価値観と、それを用いた人間の経済活動に注目している。彼らはギーツの闇というべき暗殺者ギルドに目をつけ、そこを乗っ取り、拠点として人間社会で活動しているというのが、今の状況かと思われます」

「どうしてその人たちは、その――暗殺者ギルドを?」


 物憂げに顔をうつむかせたタイリンを気にするようにしながら、カーラが疑問をなげかけた。


「……ひとつは、隠れ蓑として扱いやすいからでしょう。世間の目をのがれた『汚れ役』のギルドなら、実態を知る輩はすくない。中身が変わっても、することだけこなしていれば、それだけで不審がられることもないというわけです」

「つまり、暗殺者ギルドの仕事ってことですかい? ガワだけじゃなく中身まで乗っ取っちゃったわけですか。抜かりないっすね」

「彼らは、人間社会の経済を学ぶために、自分たちで商いをしているのでしょう。そのために、自分たちの特性を生かそうとしている。どこにでもある商品では、“売り”にはなりません。だからこそのハシーナであり――、闇属魔法なのではありませんかしら」


 全員の視線がタイリンに注目する。


 闇属性の魔法に特化した暗殺者。

 それは、暗殺者ギルドという名前を額面どおりに引き継いだとしても、いかにも便利な存在ではあるだろう。


 顔をふせたまま沈黙しているタイリンから自分に注意をむけるよう、ルクレティアが咳をはらう。


「……問題は、ハシーナです。人間に知られていない瘴気性の植物。出所は魔物アカデミーと考えて間違いないでしょう。この街の上層部が、暗殺者ギルド、ひいては魔物のアカデミーと通じている恐れがあります」

「人間と魔物が?」 


 びっくりしたようにカーラが目をまるめる。


 まあ、人間と魔物の複雑な関係といえば俺たちも他人のことはいえないが、それでも俺は立場としては“魔物”側だ。


 カーラも魔物、ルクレティアは魔物に隷属している立場。スラ子にスケル、シィや地下のエリアルやリーザなんかも魔物の範疇なのだから、人間と魔物って関係とはちょっと違う。


「イラドでの一件を考えれば、背後に権力意志が働いていることは明らかです。一部の人々に出回りはじめているというハシーナ入りの煙草が、魔物だけの企みであるとは考えにくいですわ」

「でも……じゃあ、このギーツの偉い人の誰かが、自分たちの街で、やっぱりそういう毒みたいなのを広めようとしてるってこと?」


 信じられない、と頭をふるカーラに、ルクレティアは落ち着いた声音で、


「それ以上の利があるという判断なのでしょう。本格的に、末端まで普及させさえしなければ致命的な問題には至らないと考えているか、あるいは自分の邪魔物にだけ狙って嗅がせているかもしれません。魔物側の立場からであれば、理屈はもっと簡単になります」

「魔物にとっては、自分たちの土地じゃないからな。住人の健康がどうなろうがしったこっちゃない」 

「その通りです。大規模な臨床場という認識でもおかしくはありません。さらに、この実験にはハシーナの有用性を知る以上に大きな意味があります。ハシーナが商品として市場に流通するということは、それにつけられた価格で貨幣が動くということですから」

「――経済の動きを知ることができる。ってわけだな」

「はい。経済とは関わる人や物の規模が大きくなればなるほど、その複雑さも飛躍的に増していきます。一面的であれ、なにかひとつに注目したほうが全体の把握が容易いのは間違いありません。たったひとつの品目がはびこることで、一個の街で経済が死滅していく様を見届けることができるとなれば、これは非常に有意義な実験であると言わざるをえないでしょう」


 もちろん、是非善悪は別問題としてですが。カーラが非難的な目になったのを受けて、ルクレティアは最後につけくわえた。


「……ハシーナを広めるなら、敵方へ。ルクレティアさんのいっていたとおりですね」


 ぽつりとスラ子がつぶやく。

 この話し合いがはじまってから、ずっとなにかを思索している様子だったスラ子をちらりとうかがって、ルクレティアがうなずいた。


「潜在的な敵か、顕在しているかというのもありますけれど。それに、もっと不愉快な結末もありえます」

「どういうことだ?」

「ハシーナがはびこることで、ギーツが滅びる恐れは十分にあります。しかし、もしも何かの因果か偶然で、そのバランスがとれてしまったら、この街はいったいどういうことになってしまうでしょう。魔薬に依存しそれを求める住民と、それを供給する魔物。この街の経済はひどく歪になり、魔物たちに支配されてしまうことになりかねません。ハシーナという代物は、剣でも金でもない最悪の統制手段になりえるのです」


 一瞬、ルクレティアの眼差しがするどくなる。

 俺とスラ子を等分にみすえる視線がなにかを告げていた。


 ふう、と息を吐いてから、


「……ギーツという環境条件も、そうした思惑には適していたのでしょうね。適度に田舎で、それなりに規模があり、ある程度は豊か。領主の権力は決して低くありませんが、強権でもなく、危機管理意識も薄い」

「悪いことを企むのには絶好の場所ってわけで。やれやれっすねえ」


 決してむずかしい話は得意でないスケルが、頭にはいった情報を押し込めるように自分の頭をつつきながら、こちらに微妙な視線をむけてくる。


「しかし、もっとやっかいな問題もありますよね。アカデミーってったら、ご主人の所属先っすよ」


 全員の視線が、今度はこちらに注目する。

 俺は、自分が苦みきった顔になっているのを自覚して、


「しょせんは、場末の洞窟の管理人だからな。上のやってることなんか知らんし、上が俺なんかにわざわざ教えてくれるはずもない」


 ふてくされるようにいったが、腐ってばかりもいられなかった。

 俺の住んでる洞窟周辺でも、魔物アカデミーの査察員であるエキドナが、以前からおかしな動きをみせていた経緯があるからだ。


 それがエキドナ一人の策動であればまだいいが、仮にアカデミーという組織としての意向を受けてのものであったなら――頭がいたくなるどころの話じゃない。


 なにしろ、俺たちはこのあと、そのアカデミーに向かおうとしているのだ。


「アカデミーがなにを考えてるかは、確認しとかないとな。うちの近所でハシーナの栽培なんて、冗談じゃない」


 アカデミーにむかう途中でこういう事態にでくわせたのは、幸運でもあるのだろう。

 ……ルヴェがアカデミーに同行しなかったのも、正解だった。


「そういった事情ですから、状況はシビアです。のんびりとしていればハシーナの被害がこれ以上広がることも考えられます。人間側の協力者の特定と、対策。それを考えるために、ジクバール様であれば力になっていただけるはずですわ」

「ああ。前の竜騒動の件で、こっちが魔物の事情に詳しい理由もわかってくれてるしな」


 ルクレティアがすぐに手紙をだして、返事があり次第、今日にでもジクバールに会いにいく。

 そういう結論で、話し合いはおわった。



 ――その夜のことだった。


 さすがに当日中にジクバールからの返事が届くことはなく、俺たちは早めの夕食をとってそれぞれ部屋で休み。

 深夜になったころ、ぎい、と扉の蝶番がきしんだ音をたてた。


 その音で目がさめたわけではない俺は、足音をころして部屋のなかにはいってきた相手の、廊下からもれるわずかな灯りにふちどられた陰影にむかって、


「……夜這いには、十年はやいぞ」


 声をかけられた影が動きをとめた。


 沈黙。

 そして、疾走する。


 あらかじめ闇に慣れさせていた視界で、なんとか相手の姿を把握する。

 手ににぎった刃物のかがやきすら闇にしずめたタイリンが、無言のまま襲いかかってきた。



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