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九話 暗躍する魔物アカデミー

 人間から「魔物」と総称される生き物たちが、人間社会で生活するケースは稀にある。


 たとえば、人間に一番近い魔物であるエルフは、今では大半が人間と距離をおくようになっているけれど、極少数の変わり者は人間とのかかわりを続けているし、他にも精霊語を理解し、人間の慣習に興味をもって冒険者として活動しているリザードマンとかの話もある。


 魔物側が主導して、人間種族もふくめた特殊なコミュニティとして成立するアカデミーは例外として、そういう例は稀有ではあっても、絶無じゃない。


 ギーツが他種族の受け入れに寛容だなんて知らなかったが、もしかしたら街角で人間と魔物が「こんにちは」なんて、ここではよくあることなのかもしれない。


 ――が、しかし。

 例えそうだとしたって。それが人通りの少ない路地裏の、今にも崩れそうな廃屋一歩手前の建物の前であれば、それだけで十分に異常すぎるだろう。


 凝視する俺の前にいるのは、ちっさな青いおっさんと形容すべき外見のインプ。

 人間からもよく知られた魔物のひとつであるその種族は、力も魔力も弱いが、その代わりにひどく頭がまわることが有名だ。


 悪戯好きの妖精とはまたちょっと違う、悪くて陰険で狡猾な妖精ってところだろうか。

 人間をそそのかす悪魔、というイメージの大元にもなっているそのインプ族が、正装姿で人当たりのよい笑顔をうかべていた。


「いかがいたしました。ここにやってきたということは、貴方がたもこちら側なのではありませんか? それに、」


 充血しきった瞳をぎょろりと動かして、


「――タイリン。おかえりなさい。最近、姿がみえないから心配していたんですよ」

「た、ただいま」


 ふるえながら、しかしそう答えるのが当たり前という口調で、タイリンがいった。


「……タイリンのことを、知ってるんだな」


 なんとなくタイリンを背後に隠しながら、俺は自分よりずいぶん背の低い魔物をにらみつけた。


「それはもう」

「ここって。暗殺者ギルド、なのか?」 

「そうですよ?」


 隠そうともせず、あっさりと認めた。


 それをきいて、


「――あんた。アカデミーの関係者だな」


 インプがにんまりと笑みを強めて、


「ということは、貴方もそうなのですね?」 


 だまってうなずくと、相手はおかしそうに肩をゆらした。


「なるほどなるほど。人間の関係者とは珍しい。ああ、とりあえずこちらへ。立ち話というのもなんですから」


 誘われる言葉に躊躇してしまい、周囲に目をくばる。


 外観は古びた一軒家だった中身は、家というよりは詰め所のような雰囲気だった。

 広くない室内は、壁際に最低限の棚なんかがあるだけで、がらんとしている。地下だから窓のない、その奥にはさらに別の部屋がつづいているらしかった。


 ……できれば、出入り口からは一歩も離れたくはなかった。

 そんなこちらの本音を見透かしたように、インプの男は近くの古いテーブルへ手をむけて、


「どうぞ。今、お茶を用意します」  


 奥にひっこみ、すぐに戻ってきたときにはウエイターよろしく、片手に盆をもっている。

 テーブルについた俺たちに慣れた手つきでお茶をおいてまわる。


 香りが鼻腔をくすぐったが、手をつける気にはなれなかった。――毒気で味付けしていないなんて保証はない。


「さて、それでなんの御用でしょう。タイリンのお知り合い、というのはわかりましたが」

「どういうことだ。アカデミーが、暗殺者ギルドなんてやってるのか」


 タイリンが使う闇属はレアだ。

 光、闇、月。天属性の魔法は、魔法を“技術”として扱う人間には普通、使えない。


 しかし、“生態”として魔法を使う魔物には、それを扱える者もいる。

 だからタイリンがそれを扱えることに、もしかしたらアカデミーに関わりがあるのかもなんて考えたことはあったが、そのものずばりだなんて思いもしなかった。


「その質問にお答えする前に、貴方の素性をお聞きしてもよろしいですかな?」

「近くで、洞窟の管理をやってます」

「お名前をお聞きしても?」 

「……マギ、です」


 インプの眉間に皺がよる。

 しばらく記憶の底をあらうようにしてから、青色の肌の小男はふうっとため息をついた。


「失礼。どこかで聞いたような覚えがあるのですが――思い出せませんな。やれやれ、年をとるというのは嫌なものだ」

「嘘じゃないですよ」

「わかっております。嘘をつくのも見破るのも、我らの一族は得意としておりますから。なるほど、魔渦の管理業務をされてあるというのであれば、外の事情に疎くても仕方ありませんな」


 納得したようにうなずいてから、


「では、先ほどの質問にお答えしましょう。イエスです。ここは、アカデミーが試験的にこころみている新規事業のひとつです」 

「なにを試してるんです? 暗殺者ギルド? それとも、人間社会にとけこむことを」

「もちろん。後者ですとも」


 インプの男がうなずいた。


「人間社会の内側にはいりこむことが目的です。この場所はまあ、その為に色々と都合がよかったのです。普通の人間と変わりなく、とはいかないのでね」

「なんのために」

「それはもちろん、人間を知るためにですよ」


 聞くまでもない質問を、小馬鹿にするように目をほそめる。ひどく人間じみた表情だった。


「アカデミーの設立の経緯を知らないわけではないでしょう? 百年前の魔王災、それから各地で勃発した種族闘争に際し、弱小種族同士で手を組んだのがアカデミーです。そして、そのアカデミーにはもうひとつ目的があった。弱小種族でありながら、勢力を伸ばすとある種族に対抗、研究するため。そう、貴方がた人間をです」


 もちろん知っていた。

 アカデミーというのは弱肉強食、個性万歳な魔物連中が、人間社会を模してつくりあげたコミュニティだ。


 種族や個体としては力の弱い魔物たちが、他の魔物や、人間たちに対抗するための組織。


「人間の一番の特徴はなにか、人間である貴方はおわかりですか?」

「……貨幣って。いいたいんですか?」


 少し前に、似たような会話のやりとりが記憶にあったから即答すると、男は意外そうに目をまるめて、


「よくおわかりですね。あまりそうした自覚をもっている人間というのは、多くないイメージだったのですが。やはり、人間というのはあなどれない」

「魔物をやってる、人間ですよ。普通の人間は、あんまり考えたりしないんじゃないですかね」


 というか、ルクレティアから聞かされてなかったら、思いつきもしなかっただろう。


「ああ、なるほど。それもそうだ。まあ、もう少しいえば、価値観。ということなのかもしれませんがね」

「価値観?」

「そうです。貨幣というのは、共通する価値ですよ。そしてその素晴らしいのが、他の価値観を阻害しないことです」

「価値観を、阻害しない?」

「つまりですね」


 こちらの表情を確認してから、インプが続ける。


「人間というのは複雑怪奇です。生まれ、文化や慣習。まるでひとつの種族とは思えないほど、多種多様な考え方がある。愛こそ全て、と叫ぶ人間もいれば、宗教に全てをささげる人間も。ここに、極上の馳走をなによりの幸福と考える価値観があったとしましょう。貨幣はその価値観の邪魔になりません。大金があれば、馳走を手に入れることができるからです」

「金なんていらない。って考え方の人間もいると思いますけど」

「しかしその人間とて、なにも食べずに生きられるわけではない。狩るか、育てるか、それとも交換するか。その有効な手段のひとつに貨幣が含まれるのは事実でしょう。もちろん、お金なんて信じられないという価値観もあるでしょうが、しかしそれは個人が阻害したのであって、貨幣が阻害したわけではない」


 ……俺は黙って、相手に先をうながした。


「最上かどうかはともかく、他の価値観と共存できる価値。それが貨幣です。さて、それでは我々、魔物に共通する価値観とは?」

「力でしょう」

「そのとおり。シンプルでわかりやすい。だからこそ、そこには他の価値観が付け入る隙がない」 


 竜を絶対的な頂点とする魔物の在り方。

 それはつまり、勝て、奪え、殺せ、だ。 


「力か、貨幣か。いやいや、金もまた力であることはありますが、我々は既存の魔物社会における“力”以外のなにかを模索していたのです。当然でしょう? 生まれ持った種族や個体の暴力では抗えない非力な連中がこぞって集まったのが、アカデミーなのですから」

「そのために、貨幣をつかってる人間社会を体験してるってことですか」

「そういうことになります」


 インプがにっこりと微笑む。

 その笑顔をみながら、俺はぞっとした思いをおぼえていた。


 話の内容自体にはあまり驚かなかった。

 それはやはり、前にルクレティアから似たような話を聞かされていたからで――人は、竜すら貨幣という価値ではかろうとする――それと似た話を、ルクレティア以外の誰かから聞いたことに、ぞっとしていた。


 いいや、そうじゃない。

 個人じゃない。もし、アカデミーという組織そのものが、そうした考えをもっているのだとしたら。


 脳裏に嫌な連想がまたたいていく。


 街の一部でひろまりつつあるという嗜好品。人間には知られていない、危険な瘴気性の植物をつかったそれには、魔物の誰かがかかわっているはずで、そして目の前には人間社会にとけこもうとしている魔物たちの組織がある。


「あんたたちは――」


 この建物にきて、今の話をきいた時点で誰だって頭で線にむすびつけてしまうその想像について、確認をとろうと口をひらきかけて。


 いきなり、誰かに足をつかまれて飛び上がった。


 テーブルの下、足元の床から手だけが伸びて俺の足首をつかんでいる。

 すぐに手はひっこんで、テーブルの向かい側に座ったインプの男が不審そうに眉をひそめた。


「どうかしましたか?」

「あ、いや。なんでもないです」


 ……今のは、制止か?

 それを口にするのはやめろってことか。スラ子。


 きっとそうだ。


 建物のなかにはいってから、スラ子は姿をあらわさず、声もだしていない。

 その理由は、スラ子が警戒をといていないからだ。


 今は、偵察にきただけなんだから。

 引き返せなくなるかもしれない発言は、控えておくべきだろう。


「……ありがとうございました。興味深い話をきけてよかった」


 会話に熱中しているあいだは忘れていた、はやる心臓の鼓動をおぼえながら、俺はつくり笑いをうかべた。


「いえいえ。このようなお話ならいつでも。マギさんは、どのようなご用件で街にいらっしゃったのですか? もし時間があれば、食事などご一緒しませんか。洞窟管理のお話など聞きたいものです」

「街へは、――ちょっと買い物で。そうですね。ぜひ。時間をみつけて、また寄らせてもらっていいですか?」

「もちろんですとも。私はいつもここに詰めていますから、いつでもいらっしゃってください。なにか洞窟で入用があれば、ご相談にものりますよ」

「商売上手ですね」

「なにより嬉しいお言葉ですな」


 愛想笑いをかわして、席をたつ。

 そのまま早足をおさえて出口へむかう、後ろから声がかかった。


「――おや。タイリン、どこへいくのですか?」


 びくりと、タイリンの足が止まる。

 カーラがつないだ手が、なにかに強制されたように固まった。


 タイリンの表情は青ざめている。

 助けをもとめるような目がカーラをみて、俺をみて、あきらめるように顔を伏せる。


「……実は俺、タイリンに命を狙われてるんですよ」


 後ろを振り返ろうとしたタイリンの肩をおさえて、俺はインプの小男にむかって口をひらいた。


「おや、それはそれは。災難でしたな」

「ええ。ですから、俺を殺すまで、タイリンは俺たちと一緒にいます」

「はあ」


 大きくてまんまるの目をきょとんとまばたかせたインプが、ああ、と合点がいったように笑い出した。


「ああ、ああ。なるほど。そういうことですか。なるほど、それならたしかに、そういうことになりますな。いいでしょう。タイリン、“しっかりやって”きなさい」

「……わかった」


 かぼそい声でタイリンがささやく。

 俺はカーラに目配せして、強引にタイリンを外へとむかわせた。


「それじゃあ、失礼します」

「またのお越しをお待ちしております」


 にこやかに微笑した男が、その表情のままでさりげなく続けた。


「ところでマギさん。こちらには、タイリンとおなじような子が他にもいるのですが」

「……そうでしょうね」

「ええ。そうなのです。ですから、またのお越しをお待ちしておりますよ」


 繰り返された台詞は、今度は脅迫じみた響きを秘めていた。


 精一杯にらみつけても、悪魔は涼しい顔で微笑のまま。 

 捨て台詞も思いつかず、唇をかんで外にでた。



 急いで宿に戻り、ルクレティアの部屋にあつまる。


「――なるほど。魔物のアカデミーが……」


 俺から話をきいたルクレティアは、俺が思ったことなどもちろんすぐに考えついたのだろう、眉間に深いしわをつくった。


「ああ。まさかとは思ってたが、そのまさかだ。うわさの暗殺者ギルドには、アカデミーとの関わりアリだ。多分、ハシーナにも」


 ハシーナを供給したのが何者かというのは、ギーツでうずまいているなにかについて知るための重要なポイントだったが、さっきの暗殺者ギルドでの話を聞けば、その疑問はすんなり解決する。


「……ジクバール様に、あらためてお手紙をだしておきましょう。明日の早朝にでも、お会いできるようにお願いしてみます」

「ああ、頼む」


 さすがにルクレティアも落ち着いてはいられないらしい。

 すぐに筆書きにとりかかろうとするルクレティアを追いながら、いまいち事態を理解していない表情のスケルが頭をひねった。


「ご主人、どういうことですかい? この街でなにやらうごめいてる陰謀の黒幕がわかったってことじゃあないんで?」

「いや、そうなんだが――」

「それ以上ですわ。私が考えていた以上に事態は切迫しているようです。……ご主人様のお話では、魔物たちの一部ではすでに貨幣の有用性について十分に認知されているということになります。そして、それを受けての行動を開始している」


 緊迫した口調で、金髪の令嬢はささやいた。


「――魔物は、この街の経済を牛耳ろうとしているのかもしれません」



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