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八話 正装の悪魔

「――カーラ。いいか?」

「――はい」


 扉を叩くと、少し待ってから硬い口調の返事がかえってきた。

 部屋には、窓際で膝をかかえて椅子に座ったカーラの姿。並んだベッドのひとつには、あおむけに転がったタイリンがいて、むっとした顔でこちらをみあげた。


「さっきは、すみません。ボクになにかご用ですか、マスター」


 微笑んでみせるカーラだが、表情が沈んでいる。

 どういうふうに話をきりだそうか迷ってから、


「あー。ちょっと外でも歩かないか。タイリン、お前もどうだ」


 しかめっ面のタイリンが俺をみて、ちらりとカーラをみた。


「カーラは、どうして元気ないんだー? マギのせいか?」

「そうかもしれん」

「マギはサイテーだな!」

「そんなことないよ……」


 苦笑して、カーラが勢いよくたちあがる。


「誘ってくれて、ありがとうございますっ。ご一緒します。――タイリンもいこ?」


 タイリンは俺のほうをみて嫌そうに口をまげて、けれど断りはしなかった。

 ずっと宿にいても暇というのもあるだろう。タイリンにとっては、故郷なのかもしれないのだし。


 隣部屋のスケルに出てくることを告げて、宿の外へ。

 スケルと同部屋のスラ子はすでに姿がなかった。隠れて護衛をしてくれるつもりなのだろう。


 はじめて来た街で、土地勘なんてあるわけない。

 とりあえず宿に帰れなくなることはないよう気をつけながら、適当に人の多いほうへと足をむけた。


 俺の隣にカーラ。その隣をタイリンが連なって歩きながら、


「びっくりしたなー」

「……ごめんなさい。大声なんかだして」

「いや、それはいいんだが。カーラは、なんでそんなに怒ってるんだ?」

「それは――」


 ぎゅっと唇をかみしめたカーラが、しぼりだすようにささやいた。


「ルクレティアが、自分のことなんてどうでもいいなんて言うから。それが腹がたって」

「結婚のことで?」

「……そうです」


 うーん、と腕をくんでうなってから、


「まあ、考え方が違うんだろう。貴族って生き方は、家とかそういうのを大事にしなきゃいけないわけだし」


 魔物っていうのは基本的に個だが、人間というのは集団の生き物だ。


 そのなかで限られた一部が統制する側にまわる。

 それを周囲に認めさせるために、特別な力がある、あるいはそう思わせるために必要なものが、血だ。


 家柄や、生まれ。

 つまり貴族や彼らの大半がいだく選民思想は、人間という社会動物が生きるうえで必要な、生態のようなものなのだ。


 女王蟻のように、集団の誰か一人に特別な機能があらわれるようなことがあればわかりやすい。

 だが、そんなものはないから、人間たちは自分たちでなにかの権威づけを考える必要がある。


 それが、血統主義というやつだ。


 人間の面白いのは、まったく並列に、それとは異なる思想もあることだろう。

 先祖代々魔法を使えない家系から、ひょいと大魔道士があらわれたりする。血統こそが尊いのだと叫ぶ思想にまっこうから対立する、魔法を扱える人間こそが優良種という――いわゆる魔力偏重主義というやつだが、


「それは、わかってます」


 カーラは大きく頭をふった。


「……前に、そういうことルクレティアにもいわれたから。よくわからないけど、わからないことだってあるんだろうなってことは、わかるんです。でも」

「でも?」

「だからって、ルクレティアも驚いたり、思い悩んだりしたっていいはずじゃないですか。これから一緒にいる人のことなんだから。自分の意志で決められなくたって、ルクレティアのことには変わらないんだから。なのに、」


 どうしてあんなに強いんだろ。カーラは、悔しそうにつぶやいた。


「……ルクレティアに悩んで欲しかったのか?」


 俺がきくと、カーラはびっくりしたように瞳をまばたかせて、それから恥ずかしそうに笑った。


「そうなのかも。こんなときぐらい、頼ってほしいってだけかもしれません。仲良くなんかもないのに。かっこ悪いですね」


 カーラとルクレティアはお互いに微妙な関係だ。

 二人のあいだにある感情の機微を、俺なんかが読み取れるとも思えなかったし、そうすべきでもないのだろう。


 別に、どっちが悪いという話ではないのだから。


 価値観の相違? そんな一言ですませていいなら、楽な話だ。


「マスターは、」


 しばらく沈黙していたカーラが、思いつめた表情で顔をあげた。


「……ルクレティア。マスターに止めてほしがってるんじゃないかなって、思います」

「……どうだろうな」


 さっきのやりとりを思い出しながら、肩をすくめた。


「だいいち、俺はルクレティアを呪ってるんだ。そういう人間が、言っていいことと悪いことがあるんじゃないか」

「そう、かもしれませんけど」


 なにかいいたげに、カーラが口をとざす。

 物憂げな横顔をみながら、俺はルクレティアの表情を思い出していた。


 邪魔をしないでくださいといわれた。


 今までの経験上、ルクレティアのいってることで間違っていた試しがない。

 邪魔をするつもりなんかさらさらなかったが、今回の件でいえば、ルクレティアの言動のなかで頭にひっかかっている部分があった。


 結婚が云々ではなく。

 その自分にとってのひっかかりどころについて、なんとか記憶のどこかからそこに繋がる道はないかと模索している途中、ふと思い出した。


 いつも澄ましきった、冷ややかさを崩さないルクレティアがみせた、数少ない別の表情。

 生屍竜を倒し、その事後処理について語る途中で浮かべた素直な笑顔が、唐突に脳裏に浮かんだ。


 ああ。俺が気になっているのは、それか。


 ――あいつ、メジハのことはどうするつもりなんだ。



「なにがなんのことか、さっぱりだー!」


 いきなりタイリンが吠えた。


「よーするに悪いのはマギか! このおとこを殺せばまるくおさまるのか!?」

「……いいかァちみっこ、よく聞けぇ」


 世界中で起こる悪事の元凶をみるような目でにらみあげるタイリンを見おろして、


「俺を殺しておさまるのはお前の事情だけだ。世の中、そんな単純にはできてないんだよ。大人は大変なんだ」

「マギのくせに大人ぶるなー!」

「アホか。俺なんか大人ってなんだって二十年近く悩んでんだ。お前もあと十五年は悩み続けやがれ」


 つかみかかってくるタイリンをひらりとかわしながら、舌をだす。

 ますますムキになったタイリンが、両手をあげて突進してきて――ふと、その視線が、俺の背後の一点で止まった。


 ふりかえる。

 石造りの大通りを、雑踏がながれていた。


 特に変わったところはなかったが、


「……タイリン?」


 カーラの呼びかけを無視して、ふらふらとタイリンは歩き出した。


 様子が普通じゃない。

 妖精の魅了にあったように、人ごみのなかをかきわけていく小さな後ろ姿を、慌てて二人で追いかける。


 魔法がかかった気配はない。

 ということは、つまり――


 頭にうかんだ想像は、すぐに結果になって目の前にあらわれた。


 大通りを歩いて、路地裏にはいって、入り組んだ道を曲がって。

 タイリンの足がとまる。


 ほとんど人通りのなくなった一画の、いかにも古臭い一軒家の前だった。


 まるで人が住んでいなさそうな、廃屋の香りただようその家の、正門ではなく裏口側にまわって、地下につながる石階段の前でタイリンはぴたりと足をとめた。


「タイリン。どうしたの?」 


 声をかけたカーラの、伸ばした手をにぎって、タイリンはうつむいた。


 カーラが顔をしかめる。

 それくらい強く、タイリンがカーラの手をにぎりしめているのだった。全身がこまかく震えている。


 ……ここが、それか?


 タイリンが所属していた、『暗殺者ギルド』とかいう場所なのか。

 擬装した看板どころか、店のたたずまいですらなかったが、世をしのばなきゃならない稼業ならそんなものかもしれない。


 問題は、これからどうするかだが、


「――スラ子」

「……危険だと思います」


 足元の地面から慎重な声がささやいた。

 でも、とすぐに続ける。


「夜よりは、マシかもしれません」

「そうだな」


 建物のなかにはいってしまえば昼も夜もないが、そこからでた後がちがう。


 別に乗り込んで即ケンカをするって決まってるわけではないが、そうなる事態だって十分にありえるのだから、


「偵察は、してみたいけどな」

「私がいってきますか?」


 スラ子の声に、俺は頭をふった。


「……俺もいく。たしかめたいことがあるからな。カーラ、お前はタイリンを連れて宿まで、」

「――イヤだ」


 震えながら、タイリンがいった。


「……あたいもいく」


 がたがたと全身をふるわせながら、意志のかたい目でおれをみあげて、


「どこかわかんない。どうしてこんな場所しってるのかわかんないけど。……いかないと。帰らないと」


 ――帰らないと。


 これで確定だ。


 タイリンは、自分の所属している組織についてほとんど情報をもっていなかった。

 それはタイリンが幼いこととか、もしかしたら個人的なもの覚えの悪さだったりするのかもしれないが。


 なら、今、こういうふうに誘われるようにやってきたタイリンの挙動はいったいどういうことだ?


 帰巣本能?

 それとも、記憶よりずっと深いところに染み込んだ。いや、染みこまされたなにかか。


 こんな場所に、危ういタイリンを同行させていいはずがなかったが――同時に、いつかはそうしなきゃいけない問題でもあった。


「……スラ子。いざとなったら、“全員”を連れて逃げるってことは、できそうか」 


 全員、というところに力をこめてたずねると、しばらくの沈黙のあと、


「できると思います。結界のような気配はありません。ただし、気をつけてください。戦闘状態になってしまえば――」


 後半を省略したスラ子がいいたいことは、わかっている。


「ああ、わかってる。まずは敵情視察だ。カーラも、そのつもりで頼む」


 カーラに念をおす。

 もちろん、わざわざタイリンに聞くようなことはしなかった。


「じゃあ、いくぞ」


 ごくりと唾をのみこんで、階段をおりる。


 縁がボロボロにこぼれた、今にも崩れ落ちそうな階段を一歩、二歩と慎重に足をすすめる。

 どうしたっておさまりようがない生来のビビリ性に心臓の鼓動をはやめながら、それでも半地下ほどの深さをおりてから、目の前の扉に手を伸ばして。


 ドアノブに触れようとその瞬間、ひとりでにそれが回って、扉がひらいた。


「――いらっしゃいませ」

「ぎゃー!」

「きゃー!?」


 ぎょっとして飛び上がる。

 俺の悲鳴にびっくりしたカーラとタイリンもつられて大声をあげてしまい、目の前の相手が苦笑した。


「失礼。しかし、幽霊でもみたようなお顔ですな」


 こちらを落ち着かせようと、胸のところで両手をあげさげしながらおだやかに微笑む。

 俺や、その後ろのカーラとタイリンに視線をむけてから、


「これはこれは……。なかなか珍しいお客様のようですが、なにか御用ですかな」 


 落ち着いた、渋みのある声をききながら、身長はだいぶ低いその相手の容姿をまじまじと見つめて、俺はしばらく声もなかった。


 幽霊でもみたような。


 冗談のつもりでいったのだろう、目の前にいる相手の台詞はたしかにこの場合、しゃれた台詞ではある。


 低い背丈にぎょろりとした目。

 禿げあがったのではなく、元から存在しない頭髪。

 そしてなにより、――青い肌。


 それがどうしてタキシードなんて着ているのかはまるで理解できないが、目の前にいるのは人間ではなく、間違いようもなく魔物だった。



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