六話 スケルトノナイト
宿で休んでいるうちにすぐ日が暮れて、夕食になり、それもおわって部屋へもどって。のんびり風呂につかり、あとは寝るだけだとまぶたを重くしていたところだった。
「とゆーわけで! 栄えある先陣は自分がきらせていただくことになりました!」
勢いよく部屋へとのりこんできた相手に、目いっぱい冷ややかな視線をくれる。
「そうか。眠いから帰れ!」
「なにいってんすか、夜はまだまだこれからっすよ! 眠いだなんて眠たいこといってないで、テンションあげていきまっしょい!」
目の前にいるのは、真っ白い肌を上気させたスケル。
風呂上がりだからかなんなのか、だいぶうっとうしいテンションに仕上がっている。
「だいたい先陣ってなんだよ」
「そりゃあ、ご主人。デートってのは、自分がやりたいことを叶えてもらえるってことっすよね」
「いや、その解釈はどうなんだ。え、そういうものなのか?」
それが正しいのか間違った知識なのかわからない。
「そーいうもんなんす。で、ご主人となにがしたいかなーって考えたら、これだったんで」
通せんぼする俺の横をすり抜けて、部屋のなかにはいったスケルは、脇に大きな瓶をかかえていた。手にはふたつのグラスをひっかけている。
瓶のなかには、たっぷりと満ちたぶどう色の液体。
「……酒か?」
「さあ! てなわけで、今夜は二人でがっつり飲みましょうぜ!」
「そんなデートがあるかああああああ!」
思わず叫んでいた。
「デートってのは、違うだろ! もっとこう、幸せで、豊かで……!」
「相変わらず夢見がちっすねえ」
力説するこちらを無視して、スケルはさっさとテーブルにおいたグラスに酒をそそぎはじめている。
「ご主人の言い分もわかりますが、そういうのはスラ姐やカーラさんがいらっしゃるじゃないっすか。人には人の役割ってもんがあるんでさ」
悟った物言いに、俺は顔をしかめてスケルをみた。
「それに、まる三日も日中の時間があくってのもさすがに考えにくいでしょう。ご主人の貧弱な体力だってもつはずがありませんしね」
「……それで、ふたりに遠慮したってことか?」
スケルはぱちくりとまばたきして、笑った。
「なにいってんです。これがやりたかったっていってるじゃないっすか。ほら、座ってください、はじめますぜ!」
「わかった。わかったよ」
ためいきをついて、テーブル前のベッドに腰掛ける。
「ほらほら、ご主人。もってください。はやくしないと満杯になっちまいますぜー」
「おい、いれすぎだ。こぼれる!」
すごい勢いで酒瓶をかたむけるスケルからグラスを奪いとって、ぎりぎりの表面張力を発揮しているグラスを慎重に手元にはこぶ途中、スケルのグラスが体当たりしてきた。
「んじゃ、かんぱいわーい!」
「やっぱりこぼれた! あほスケル!」
文句をいいながら一口する。
ほとんど濁ってない、かなり上等のぶどう酒だった。
「お。うまいな」
「宿屋の親父さんに頼み込んで、とっておきをだしてもらいました。せっかくなんですから、おいしいお酒で飲みたいっすからねえ」
両手でグラスをかかえて、スケルがにんまりと笑う。
「そうだな。……つまみが欲しいな」
「なにいってんです。んなもん、酒をつまみに酒を飲めば問題なしじゃないっすか」
「お前はなにをいってるんだ」
突然の酒盛りがはじまった。
テーブルにむかってさしで座り、ちびりちびりとグラスをかたむける。
うるさかったのは最初だけで、俺もスケルもあんまりしゃべらず。会話はぽつぽつとあるくらいだった。
互いのグラスの中身がなくなってきたら、だまって酒をたす。
始まり方とくらべたら静かすぎる雰囲気は、けれど決して居心地はわるくなかった。
グラスをかたむけながら、椅子の背もたれを前にして座ったスケルは、さっきからずっとにやにやと頬をゆるめっぱなしでいる。
「なに笑ってるんだよ」
「いやあ。昔を思い出しまして」
くふ、と肩をゆらした。
「昔はよく、こんなふうにご主人の晩酌につきあってましたねぇ」
「そういやそうだな」
まだスケルが口のきけない、ただのスケルトンだったころ。
暗くてジメジメした洞窟で、一人で酒を飲むのはあまりに切なすぎたから、いつもスケルに相手をしてもらっていた。
とはいっても、スケルトンなのだから、もちろん酒はのめない。
結局はひとりでちびちびと飲むしかないが、スケルが鳴らすかたかたというあいづち未満の音をきくだけで、少しは孤独がまぎれたのだ。
「一度なんか、からんで無理やり飲まされたこともありましたっけ。案の定、ぜんぶこぼれて、その後始末もこっちにやらせるんですから、たちが悪いったら」
「酔っ払いだぞ。酔っ払いの言動に理屈をもとめるな」
「そんな根暗で横暴なご主人と、洞窟の外でお酒を飲む日がくるなんて。立派になったもんです」
しみじみというスケルにはまったく悪気も悪意もなかったから、かえって恥ずかしくなった。
「悪かったな」
「よかったなっていってるじゃないっすか」
「うるさい。ほら、空いてるぞ、飲めよ」
「とっと。そんなに急に酔わせてなにしようってんですかい。イヤらしい」
「アホか」
なみなみと相手のグラスをみたして、息をはく。
顔を上げると、スケルは心底から嬉しそうにグラスに口をつけていて、
「ありがとな」
みているうちに、自然と、感謝の言葉が口をついていた。
「なにがです?」
「だから、あれだ。感謝のしるしにってことだよ」
まじまじとみつめられ、顔から火がでそうになる。
「今までのこととか。……それに、スラ子のことも。ありがとう、スケル」
スケルとは長いつきあいになるが、面とむかって礼をいった記憶なんてほとんどない。
それは、あまりに一緒にいるのが当たり前すぎたからだけれども、だからってそれが当然なんてことはないのだ。
いおういおうと思っていても、それを口にする前に肝心の相手が目の前からいなくなっていたらしょうがない。
実際、スケルはそうなるところで、今日みたいな機会はたしかに得難いものだった。
「なにいってんです。真顔なんて似合いませんぜ」
ぱたぱたと手をふって、スケルはグラスで表情をかくすように頬にあてた。
「なんだか暑いっすねぇ。さすがに酔ってきましたかね」
「窓あけるか」
立ち上がって木窓をおしあげる。
外には、真っ暗い街の通りにぽつぽつとした灯り。
まだ早い夜だから、わいわいと酔い客のさわがしいかけあいもあちこちから聞こえてくる。
振り返ると、スケルがテーブルにぐにゃりと伸びていた。
もうツブれたのか?
前に洞窟で宴会やったときなんか、もっと盛大に飲みまくってた気がするが。
「おい。スケル。ったく――スラ子、いるか?」
ツブれたんなら、部屋にもどさないといけない。
スラ子のことだから、護衛もかねて部屋の様子はみてくれているはずだが、しばらく待っても返事はかえってなかった。
「風呂にでもいってんのかな」
「ニブいっすねえ、ご主人」
むくりと顔をもちあげて、スケルが半眼でいった。
「スラ姐は、気をつかってんじゃないっすかー。忘れてんじゃあないでしょうね、今はデート中なんですぜぃ」
「そりゃ悪かった」
「反省したんなら、頭をだしやがってください」
黙って頭をさしだすと、頭を小突かれて、
「ご主人の、ばかたれー」
けらけらけらと笑い出す。完全な酔っ払いになっていた。
俺はため息をついて、
「本当にこんなのでよかったのかよ。お前」
「なにいってんです。こんなのだから、いいんじゃないっすか」
スケルはにんまりと微笑んだ。
「なんの話だよ?」
「スラ姐には感謝してるって話です」
「……俺だって。感謝してるさ」
スラ子のおかげで、こんなふうにスケルと話すことができるのだから。
テーブルのうえに伸びたスケルの腕をつまんでみる。
スライム質が変化して、手触りはまったく普通の人肌。スケルの細い腕は、アルコールでほんのりと桃色がかった今もひんやりとしていた。
目を閉じてみる。
スケルトンの骨を接いでいた、魔力のくくり。
つたない技術で必死につむいだ糸は、どこにもその名残を感じることもできなかった。
それは――ようするに、そういうことだ。
「……どうかしましたかい、ご主人」
「なんでもない」
グラスをあおる。
そうですか、と熱っぽくつぶやいたスケルが、
「ご主人。――あっしはですね、しようと思えばご主人をナイフで刺したりできるんですよ」
「なにそれ怖い」
「しませんがね。でも、“できない”んじゃなくて、“しない”んです」
猫のように目をほそめて、言葉をかみしめる。
「たたいたり、からんだり。ケンカもやれちゃうんです。いいっすねえ、そういうの」
「そうだな。――友達ってのは、いいな」
それは主従関係ではできないことだ。
くふふ、とスケルが笑った。
「夢が叶いました! ずっと、そういうのがしたかったんです」
「そうなのか?」
「さみしがりな誰かさんを見てましたんでねえ」
俺はふんと鼻をならした。
五年前、洞窟でひとりっきりが怖くて、なけなしの金でスケルトンの作成キットを買った。
そのスケルから、ずっとそんなふうに思われてたなんて。
見守られていたのだ。なんて自覚するのは恥ずかしすぎたが、それもスケルが生きていてくれて、こんなふうに話せるからだ。
「ほら、飲めよ」
「はいな。ご主人も、飲んでくださいよ」
まだ中身のあるグラスに強引に酒をついで、一気にかたむける。
五年前に戻ったような、二人きりの室内。
目の前にいるスケルの姿はその頃とはまったく違ってしまっているけれど、変わらないものもあるはずだった。
懐かしい思い出話を肴にしながら、俺とスケルはそれからしばらく、まったりと酒をたのしんだ。
「――スケル。お前っていい女だな」
「おやおや。そいつは五年ほど気づくのが遅いってもんですよ」
「骨だったじゃねえか」
◇
次の日。
「おはよーございます!」
顔をツヤツヤさせたスケルの大声が、まるで遠慮なしに脳髄にひびきわたった。
「今日もいい天気でよかったっすね! おや、ご主人どうしました? ただでさえ陰気な顔がひどいことになってますぜ」
みてわからんのか。
「ていうか、お前はなんでそんなに元気なんだ……?」
「貧弱っすねえ。だいぶ手加減してあげたじゃないですか」
「どこが加減だ! 地獄だったじゃないか――っ!?」
自分の大声で頭痛が一段と増して、ぐああと頭をかかえる。
「死ぬ。……スラ子、魔法。回復を、」
「却下します」
まぶしいくらいの笑顔で、スラ子に即答された。
「筋肉痛とおんなじ、ただの二日酔いです。昨日はお楽しみだったんですから、そのくらい我慢なさるべきですっ」
「お、鬼。悪魔――」
「スライムです!」
俺のかわりにスラ子を説得してくれる誰かはいないかと目線をなげてみても、味方になってくれそうな相手は一人もいなかった。
「馬鹿馬鹿しい。そんな体たらくで、領主様からの呼び出しがあったらどうするのですか」
冷ややかな眼差しでルクレティアがいう。
「それまでに治せばいいんだろ……」
俺は反論したが、その次の瞬間。
「やあ、おはよう!」
聞き覚えのある大声とともに、宿の扉がたたくようにしてひらかれた。
そこにいるのは、若い、見覚えのある能天気な顔の男。
竜騒動で前にメジハにやってきたことがある、この街の領主の息子が満面の笑顔で立っていた。
「ルクレティア、街に到着したってきいて朝食もとらずに飛んできたよ、久しぶり! 待っていたよ、僕の花嫁!」
……花嫁?