五話 急な発熱、炎症には冷えスラ
しばらく馬車に揺られ続けていたせいで、身体の節々には疲れがだいぶたまっていた。
ベッドに倒れこんだとたん、すぐに睡魔。
少しだけ、このまま休んでもいいかと思って意識をおとしかけているところに、
「ふふー」
いつのまにか、うつ伏せになった上からなにかの重みがおぶさってきていた。
「……マスター、お疲れです?」
「ちょっとな」
「回復、かけましょうか」
「いや。ただの筋肉痛だしな。平気だよ」
個人の腕にもよるが、回復魔法っていうのにたよりすぎるのはよくないといわれている。
急激な治癒は、体内で自然と回復させようとする動きをなくしてしまうとか、免疫バランスを崩すとか。
魔法は便利だが、万能じゃない。
魔道をこころざす子どもに教えられる笑い話の一つに、魔法でなんでもできるが、なんでもできるので家のなかにこもった結果、足腰がよわって早死にした魔法使いなんてのがある。
なんでもできるはずの魔法使いが、老化や身体の衰弱には対処できなかったのか――そういうわかりやすい矛盾話だが、この話にはもうひとつ、ようするに人間は自分で動かないとすぐに弱ってしまうのだという教訓もふくまれている。
俺みたいに長いあいだ洞窟でさぼってたヤツは、とくにそうだ。
身体をイジめてやらないと、いつまでたっても普通にもなれはしない。決してそういう趣味があるわけではなく。
「わかりました。じゃあ、こういうのはどうですか?」
声と同時、背中にかかった重みがひやりと温度をさげた。
「あー。いいな、気持ちいい」
「ふふー。それじゃ、このまま全身マッサージしてさしあげますっ」
冷たく、やわらかい物体がゆっくりと全身をはいまわりはじめる。
えもいわれぬ感覚に身体中をつつまれて、すぐそこまできていた睡魔が喜びいさんで殺到しかけたところで、
「――ご主人様。よろしいですか」
ノックとともに、扉のひらく音がした。
顔をあげると、部屋の入り口で極寒の眼差しをたたえたルクレティアが見下げ果てた表情をうかべていた。
「プレイ中とは露知らず、失礼いたしました。後ほどあらためてうかがいますわ」
「なんのプレイだよっ! スラ子、もういいぞ。ありがとう」
「はーい」
ちょっぴり不満そうなスラ子をおしのけて、あわてて起き上がる。
「よろしいのですか」
「なにがだ。冷やしてもらってただけだ。……話ってのは?」
「先ほど、お話できなかったことについてです」
「座れよ」
「失礼します」
近くの椅子をひいて腰をおろしたルクレティアが、あらためて口をひらいた。
「ディルクさんから、暗殺者ギルドについての報告がありました。タイリンの前で聞かせるべきか迷いましたので、お部屋にうかがわせていただきましたわ」
「ああ、そうだな。気をつかってくれて助かる」
前髪をてっぺんで結んだ変な髪形の女の子、タイリンは自称暗殺者だ。
人間には扱えない闇属性の魔法を使い、一旦スイッチがはいった彼女は、まだ十歳くらいだろうとはとても思えない、一流の戦闘技術を発揮する。
自分のことも、自分が所属していた組織のこともよくわかっていなかったタイリンが、どうやら所属していたらしいのが、『暗殺者ギルド』。
ふざけた名前だが、ぞっとするネーミングでもある。
「本当にそんなものがあるのか? リリアーヌ婆さんが、ずっと昔に自分がぶっ潰したとかなんとか、そんなこといってたけどさ」
あの婆さんがいってることだ。どこまで本当かなんてわかりゃしない。年齢的には、過去の思い出と妄想がごっちゃになってたっておかしくないからだ。
本人にきかれたら即、ナイフで“なます”にされそうなことを思いながらたずねると、
「どうやら実在するようです。といっても、さすがに表看板に堂々とそれを掲げているわけではないようですが――」
そもそも、とルクレティアは講義する口調で説明をはじめた。
「自力扶助、相互扶助を目的とした組合制度。つまりギルドが生まれ、土地や行き場のない者が食い扶持をもとめて生まれたのが冒険者です。雑用から魔物退治まで。その組織的活動の母体である冒険者ギルドは、我が国の事情ともあいまって、需要にめぐまれ、今では社会形態の一部として認知されています」
「そういえば、冒険者ギルドが流行ってるのはこの国だけなんだよな」
横から抱きついてくる冷スラ子の重みに耐えながら、疑問を口にすると、ルクレティアが肩をすくめた。
「前にお話したとおり、ギルドというのは上の統制が十全に効かないことに対する、苦し紛れの方策です。便利ではありますので、他国でも似たようなものがあることもあるようですが、我が国のような自由すぎる在り方ではありえません。ですが、それは今はよろしいでしょう」
「ああ、話の邪魔して悪かった。それで?」
「ギルドという在り方の問題点はともかく、それはたしかに有用ではあったのです。所在する町の規模にあわせて、ギルドは規模を大きく、所属員の数を増やしました。それで起こったのが、ギルドの“枝分かれ”です」
「商人ギルドとか、そういうのに分化していったってことだな」
「組織というのは大きくなりすぎると鈍重になります。いったいどれほどが適正かについては、その組織自体の効率性や上に立つものの器。そういった諸々にもよりますが。そして、分化といってもひとつではありません。ご主人様のおっしゃった商人ギルドのような職能別種によるもの。あるいは、組織内の人間関係や、ただ大きくなりすぎた組織をスリム化するためだけに、分化する場合も」
「ようするに、暗殺者ギルドっていうのは、必ずしも職能によるものじゃないってことです?」
スラ子の疑問に、ルクレティアはこくりとうなずいて、
「はい。それがいったいどういう経緯であったかは、明らかではありません。しかし、ここギーツにも他の大都市でそうであったように、ギルドが栄え、分裂し、縄張り争いや内部でのいざこさが生まれたのでしょう。いくつものギルドが興り、潰れ、そのなかのひとつに、ひどく柄の悪いタイプのギルドが残りました。頼まれればどんなことでもやるという職能性、あるいは精神性。つまりは“暗殺者ギルド”の誕生というわけです」
「何でも屋って揶揄される冒険者連中の、悪いとこをぎゅっと凝縮したようなもんか。……酒にしたら、さぞ濁ってそうだなあ」
「飲み口がとってもクドそうですねっ」
やたら嬉しそうにいうスラ子だった。
「暗殺者ギルドという名前も、通称のようなものだそうです。ですが、そういうものがあることは、それなりに有名ではあるようですね。街に住んでいれば噂を聞くことも珍しくはないそうです」
「領主は、だんまりなのか? そんだけ有名なら、犯罪みたいのも起こしてるんだろう」
「汚れ仕事を引き受けてくれる存在は、為政者にとって有用でもあります。特に、大きな街になればなるほどに」
「そういうことか」
――問題は、タイリンがどういう目的でメジハにやってきたのか。
途中からスイッチがはいって俺を狙うようになっていたが、それが元々の狙いだったのか。それとも別の諜報活動みたいなものが主目的にあったのか。
……あのタイリンに諜報活動をしろなんていうのは、いかにも分にふさわしくないが、すくなくともその戦闘力は、暗殺者の自称に恥じないものではあった。
暗殺に特化した魔法各種に、身体能力。スラ子がいなければまず生きてはいられなかった。
「タイリンの雇い主。さっきの話をきくと、領主って線も全然あるな」
むしろ、街にはいって俺たちをつけていた何者かが、その暗殺者ギルドの手のものだってことも十分ありえる。
「そうですわね。領主様と暗殺者ギルドとの関係性も、探ってみたいところではあります。そちらは引き続き、ディルクさんにお願いしていますが。問題は、タイリンでしょう」
「そうだな」
俺は渋面になった。
タイリンが暗殺者ギルドに所属していたなら、ここは故郷みたいなものかもしれない。
今はメジハで、ルクレティアのところに住み込んではいるが、顔見知りだっているかもしれないし、同僚だって。暗殺者の同僚というのも、おかしなものかもしれないが。
「タイリンを連れてきたの、間違いだったかなあ。けど、俺たちがいないメジハに留守番させとくってのもな。……洞窟でじっとしてくれるとも思えんし」
ギーツにはルクレティアを降ろすのに寄るだけで、すぐに魔物アカデミーに向かうはずだったから、ギーツに滞在したときのことは考えてなかった。
「タイリンにも、思うところがあるかもしれません。動向には気をつけておくべきです」
「ああ。カーラに頼んでおく」
宿でも同室のカーラは、俺たちのなかで一番、タイリンと仲がいい。変わった様子があれば気づいてくれるだろう。
「――マスター」
そっとした声音に顔をむけると、スラ子が真剣な表情でこちらをみあげていた。
「もし、タイリンちゃんが、自分から暗殺者ギルドに戻りたいっていったら。どうしますか?」
……どうだろう。
メジハの件からこっち、俺たちと一緒にいるタイリンだが、それは別に本人の意思ってわけじゃない。
麦をダメにした償いの意味での開墾労働もあったから、なかば無理やりルクレティアのとこに住まわせているだけだ。
タイリンも、別に嫌とはいっていない。
顔をみれば殺す殺すといってくる俺に対しては別に、カーラやスケルなんかとは楽しそうにやっているが――この街に家族がいたりしたら。
いや、暗殺者なんてやらせてる時点でまともな家族がいるわけがないかもしれないが、家族みたいな誰かならいる可能性はある。
例えば、そういう誰かに会いたいとタイリンがいったら。それを止める権利は、俺にはないだろう。
戻りたいといったらそうするべきなのかもしれない。
暗殺という行為の是非はともかくとして。それが、タイリンの自分の意志であるなら。
――自分の意志。
俺を殺そうと、スイッチの入ったタイリンはまともじゃなかった。
あきらかにそういった洗脳、あるいは教育を受けたうえでの豹変だったはずだ。あれは。
だが、それなら自分の意志ってのはなんだ?
そんなもの、他人がどうしてわかる。
あいつは、本当はそんなことやりたがってないんだと吠えるのは、いかにも独善的でおめでたい考え方じゃないか。
「……どうだろうな。帰りたいっていうなら、帰してやるべきなんだろうな」
俺はタイリンの親でもなんでもない。
友達だなんていってはいるが、相手の生き方にケチをつける友情なんてただのお節介かもしれない。
ただ、ひとつだけはっきりしていることはあった。
「タイリンが帰りたいっていうなら、邪魔はできない。でも、子どもに洗脳やって、暗殺だなんてやらせる組織があるんなら、滅んじまえ」
そんなもん、俺が滅ぼしてやる。
もちろん一人でそんなことができるわけがないので、全力でスラ子たちの力をかりて。
「……タイリンには、恨まれるかもしれませんわよ」
「知るか。それでタイリンが殺しにきたら、なんとしても生き延びてやるさ。俺を殺せないかぎり、あいつはずっと暗殺者廃業だ、ざまあみろ」
「子どもですか」
「ふふー」
呆れたようにルクレティアが頭をふり、嬉しそうに表情をほころばせたスラ子が抱きついてくる。
「重い! 寒い!」
「ならもっとくっつかないと!」
ぎゃーぎゃーとしばらくやってから、はっとルクレティアの視線にきづく。
「……そうですね。貴方は、そういうお人ですわ」
冷ややかな視線の、目元が少しゆるやかにみえたのは、角度のせいだけだろうか。
凝視しかけて、すぐにいつもの視線に戻ったルクレティアが、
「いちゃつかれるのはけっこうですけれど、その前にもうひとつよろしいですか」
「まだあるのか?」
「ディルクさんの前で、魔物が云々とお話するわけにはいきませんでしょう」
「ああ、そうか。そうだな。……ハシーナか」
「はい」
ルクレティアがうなずいた。
「ハシーナの出所はわかっていません。ですが、人間社会には存在さえろくに知られていないものが出回るのに、そちらの筋の手が関わっていないはずがありません」
「少なくとも、俺みたいな魔物がかかわってるはずだ。個人か、それとも組織かはわからないが」
「はい。それに加えて、先ほどの話。竜云々というのも、今はただの可能性の話ではありますが、なかなかある話ではありません。竜の記念貨幣という思いつきだけでも、相当の商才があってのものだと思います」
「黒幕は、お前くらい頭がキレるって可能性があるか?」
ルクレティアは冷ややかな笑みをひらめかせた。
「似たようなセンスを感じることはたしかですけれど。しかし、竜を用いることについては、私より以前からなにかしら考えていた方もいらっしゃるのではありませんでしたかしら」
「……そうだな」
ルクレティアは、魔物アカデミーのエキドナについて言っていた。
正直、俺もそれをうたがっている。
つまり、瘴気性植物なんて危ないものを商売にしようとしているのも、それを元手に竜硬貨なんてのをつくろうとしているのも。
あの人身蛇体の美女がかかわっているのではないかと、そう思えてしまうのだ。
とはいえ、ハシーナの入りの煙草はともかく、竜の貨幣なんていうのはまだ、たんなる噂話でしかない。
ルクレティアだからこそ思いつくようなアイデアを、そこらにいる誰かが簡単に頭に思い描けるとも思えなかったが――ともかく、気にはなる。
「アカデミーへむかうのは、その辺りをたしかめてからだな。こっちが不在にしてるあいだ、地元でおかしなことをされてても困る。領主との謁見は明日か?」
「明日か、明後日になるかもしれません。ひとまず、これから到着したという挨拶状をだそうとおもいますが、あちらにも予定がおありでしょうから。面会の用向きが簡単な挨拶だけなら、そう時間もかからないはずですが」
領主が、メジハの町の長をこの街へ呼び出した理由もわかっていない。
竜騒動でギーツからやってきた連中をよく世話したというのが一応の理由らしいが、さっきの噂話なんかをきくかぎり、他にもなにかありそうな感じもする。
ともあれ、とルクレティアが話をしめた。
「情報が不足している段階で、考えても仕方ありません。旅の疲れもありますし、まずは身体を休めることでしょう。……空いた時間をどうお過ごしになろうとご主人様の勝手ですが、くれぐれも油断なさいませんよう」
最後にチクリといって、ルクレティアは部屋をでていった。
そういえば、カーラやスラ子、スケルとそれぞれ街にでる約束をしているんだった。
……一日×三人で三日分?
金銭的事情と体力的事情の双方から、俺がこれからの事態について頭をいためていると、
「マスター」
思案顔だったスラ子が、じっとこっちを見あげてきた。
「ルクレティアさんにも、気をつけてあげるべきかもしれません」
ルクレティアに?
「ええと、カーラやお前と約束して、あいつだけしないのはまずいってヤツか?」
「それもですけれど、そうではなくて、さきほどの話です。竜のお話。あんなのは、ルクレティアさんじゃないとまず思いつかないですよね」
「ああ、そうだろうな。バーデンゲンのディルクも、商人形無しとか嘆いてた」
「はい。ですから、あれはルクレティアさんにとって状況を最大限に活用したという仮定。その場合の可能性でもあると思うんです。ようするに、ルクレティアさんが相手の立場にいたら、そうしてるっていう」
「……希望ってことか? あれが、ルクレティアの?」
「ルクレティアさんがやりたいことでは、あるのかもしれません」
それは、どっちがだ?
ハシーナなんて物騒なものを使うことか。それとも、竜をつかった経済圏とやらを画策することか。
「わかりません」
スラ子は首をふって、けれど、と続けた。
「それがありえないということも、ルクレティアさんにはわかっています。マスターが、ハシーナなんてものを認めるはずがありません」
「当たり前だ。あんなもん、商品にして流通させるなんて狂気の沙汰だぞ」
スラ子はまっすぐな視線でおれをみて、うなずいた。
「だからこそです、マスター」
どういう意味だ。
なにかを危惧するように、スラ子は眉をひそめて、それからささやいた。
「……ルクレティアさんは、“できる”人です。そして、そのことだって、ルクレティアさんは当然わかっていると思うんです」
「そりゃどういう――」
その発言の意図について、俺はさらに詳しくたずねようとしたのだが、
「どーん!」
盛大な声とともに、部屋の扉がたたきひらかれる。
「まだデートの順番もきまってないってえのに、なぁにを一人で抜け駆けしやがってんですかスラ姐はあたーっく!」
嬉々としてベッドに飛び込んできたスケルの乱入のせいで、話はうやむやになってしまった。