三話 最近のお流行りは?
川沿いに広がる商業地区の一画に、バーデンゲンの商館はあった。
その建物は、新進気鋭の勢いに満ち満ちて――というよりは、他の商館連中に押し込まれ、押さえ込まれ、呼吸をするのにも息苦しそうな感じ。
大通りの目立つ立地でもなければ、川から運ばれた荷を卸すのに使う桟橋にも直接は面していない。真新しさの残る木造家屋も、周囲の石造りにくらべて重厚さにかけ、前の印象にいっそう拍車をかけてしまっていた。
「我々は、ここでは後進の新参者ですから。ゆうゆうと縄張りして石で組んでいく余裕はなかったんですよ。なんとか、隙間に商館をかまえるのだけで精一杯というところでして」
髪を後ろでしばった優男ふうの男が、苦笑をうかべていった。
ディルク・スウェッダ。
最近、辺境の田舎町メジハとのあいだにおおきな商いをはじめた若い商人は、商館までやってきた俺たちを笑顔でむかえいれると、すぐに全員分のお茶を用意してくれた。
「まずは長旅、お疲れ様でございました。途中、色々と大変だったご様子ですね」
「ありがとうございます。ディルクさんのほうこそ、すぐに水や食料を準備していただいて、助かりました」
「いえいえ。お代さえいただければ、なんでも用立てさせていただくというのが商人というものです」
やり手の商人らしい表情で微笑み、ディルクは申し訳なさそうに眉をよせた。
「私どもの商会長も、ルクレティア様がいらっしゃる機会には、ぜひ直接ご挨拶をと申していたのですが。今朝方、少しトラブルがありまして……まことに申し訳ございません」
建物には、男と俺たち以外の姿はない。
閑古鳥で暇をあますのでもなければ、待っていれば勝手に客のほうからやってきてくれるわけでもないのは、まさに中堅どころの商会といったところだろう。
商会の長たる人間が手ずから現場にでむかわなければならないというのも、中小ならではだ。
「残念ですわ。けれど、私どもとの商いについては、ディルクさんがいらっしゃれば問題はないですわよね?」
ルクレティアの質問に、ディルクはにやりと商売人らしい自信にみちた表情で、おおきくうなずいた。
「もちろんでございます。皆様のお宿もよいところをご用意させていただいておりますが、――その前に、お話からでしょうか」
俺たちが到着するまでのあいだ、バーデンゲンの人間にはギーツでの情報収集をたのんでおいた。
内密話をするなら、誰が聞き耳をしているかわからない宿よりも、情報の秘匿にうるさい商人連中の建物でやるほうがいいだろう。さりげなくルクレティアがむけてくる視線にうなずくと、了解した令嬢が商人へむきなおって口をひらいた。
「それでは、ディルクさん。お手紙でお願いしていた件について、わかったことがありましたら聞かせていただけますかしら」
「かしこまりました」
自分で用意した茶を一口し、舌をしめらせてから男は話し始めた。
「まず、お問い合わせいただきましたハシーナという植物。それを用いた薬品か、嗜好品のたぐいについてですが。そのものであるかどうかはわかりかねますが、それらしきものが流通している様子はございます。ほとんど一部の階級にかぎった話ですが」
「それは、上ですか。それとも下の方々にですか?」
「いわゆる上流階級とよばれる人々にですね。煙草の一種のような代物でして、なにやらひどく具合のいいモノがあるらしいと、口コミで評判を呼んでいるようです」
「実物は?」
「こちらです」
さすがにやり手の商人らしく、用意に抜かりがない。
テーブルのうえに置かれた一本の細巻きに、全員の視線が注目した。
それは、一見すると、貴族連中が好みそうな吸い煙草の類にしかみえなかった。いや、実際にそうなのだろう。問題は、そこに含まれる成分だ。
「どうだ?」
深いローブをかぶり、人肌を擬態したスラ子にたずねると、神妙そうにじっと見つめていた表情がもちあがり、首をふった。
「……瘴気の気配は、ありません」
「俺も感じない。ま、吸ったらすぐ体調不良になったりするようなもんだったら、商品として成立しないしな。すくなくとも、わかりやすい瘴気くささなんて残ってるわけないか」
「本当に、これがハシーナとかって危ないのをつかったヤツなんで?」
すんすんと鼻を近づけて匂いをかぎながら、スケルが眉間をしかめさせている。
「どうだろうな。だが、実際に試してみる気にはなれんぞ。イラドでつくってたハシーナの出所とか、行き先とか。その加工流通とかわかれば一発なんだがな」
そのあたりはどうだろう、とディルクに視線をむけると、
「さすがに、そこまでは。どうやら今現在、でまわっているものは個人由来のようでして……その煙草の出所さえ、わかってはいないのです」
「個人。つまり商売とかでってことじゃないってこと?」
「あるいは、事前調査というのもありえますわよ。実際に売るより先に、評判や、知名度をあげておけば、商いをはじめたときに上手くまわりますからね」
「でも、危ないものなんだよね? そんなの、自分たちのところで売ろうとなんてするかな」
「本格的に売り出そうとしているのは、ここではないのかもしれませんわ。あるいは、それを売ろうとしている者にとって、ここはホームではないということも」
「どういうこと?」
カーラの質問に、ルクレティアは答えなかった。
無視する格好になったのは、嫌がらせや悪意ではない。隙のない表情で目元を細めるディルクへ、ルクレティアが訊ねた。
「ディルクさん。もし、あなたの商会の売り物に、安定した継続消費を見込める嗜好品があったとしたら、どうしますか」
「もちろん、喜んで売り出します」
若い商人は即答した。
「当然ながら、販売するリスクを十二分に検討してからになりますが。嗜好品というのはあたればとても大きな稼ぎになりますが、流行廃りというのもありますし、入手経路も限られた場合が多い。限定的だからこそ、嗜好品という品目に成り立つということもございますが……なにより、まずは腹がみたってからの需要でもあります」
「そうです。しかし、その代物に、もし食料品と同等、あるいはそれ以上の必要性――それを利用した相手にとってそう思わせる中毒性があったなら?」
「……その品目は商人にとり、この上なく有益な売り物になるでしょうね」
ディルクは慎重な表情だった。
「依存性、とでもいえばよろしいでしょうか。そんなものが、使用者になんの影響ものこさないはずがありません。そうですわよね?」
ルクレティアに問いかけられ、俺は渋面でうなずいた。
「依存が云々ってだけじゃない。瘴気性植物なんて代物をつかって、身体にいいはずがないんだ。幻覚、身体細胞の破壊。長く使った連中はそういうふうに壊れていく。日常生活もまともに送れないくらいにな。だから、魔薬だとかっていわれてるんだ。ハシーナは」
物騒な魔物連中の集まりであるアカデミーで、禁制になったくらいだ。まともなはずがない。
「そんなものを自分の領内で売ろうというのは、たしかにあまり考えられません。ですから私なら、それをどこか遠くに売り出します。あるいは、敵地にでも」
「敵地にです?」
「たとえば敵国の農村にでも広め、農村の人々がそれを好んで使い続けたらどうなりますか? 身心ともにダメになってしまった人々はもう労働力とはしては期待できません。つまり、交易品として金銭を稼ぐのと同時に、敵方の経済基盤を壊すことができるのです」
「一石二鳥ってやつですか。恐ろしい話っすねぇ」
「ええ。自国の労働者をダメにするのでは、自分で自分の首をしめるようなものです」
「――なるほど」
スラ子がなにかを察した表情で沈黙した。視線がちらりとこちらを見る。
俺は黙ってそれを受け流した。
視線の意味はわかっている。協力者とはいえ、俺たちの素性まではしらないディルクがいては話題にできない話もあった。
「ですから、領主様のお考えというのがやはり気になりますわね。どのような意図で、あのような代物をイラドで栽培されようとしていたのか。ディルクさん、そのあたりについてはどうですか。イラドで起きたことや、その後の行動について」
「開拓の責任者であったコーズウェル様が戻られたのは二日前です。私どもの知る限り、領主様の近辺に目立った動きはありません。イラドへ物資を送った私どもにも、問い合わせなどは特にございませんでした」
「コーズウェル様からは、なにか?」
「ございません」
「……そうですか」
思案げな表情になる。
自分を見つめる周囲の視線に気づき、ルクレティアはさっと金髪を揺らした。
「いずれにせよ、領主様に面会してお聞きしなければ、わからない話ですわね。ディルクさん。では頼んでおいたもう一つの件はいかがですか」
「“竜”についてですね」
男がうなずいた。
「メジハからの凱旋とともに持ち込まれた遺骸は、その一部が王都まで運ばれて献上されたようです。その後、竜を用いた商いについて禁じる旨が発布されていましたが、つい先日、これはまだ噂の域ですが、領主様のほうで今回の業績について記念硬貨をつくろうという話がでているらしいと聞きました」
「記念硬貨ですか」
「はい。なんでも、竜貨、というそうです」
「それはそれは」
ルクレティアが面白そうに唇の端を吊りあげた。
若い商人も黙したまま、意味ありげな笑みをうかべる。
それだけで二人のあいだではなにか共通した認識がめばえたらしいが、こっちはまるでわからないので、素直にきくしかなかった。
「どういうことだ?」
訊ねられたルクレティアは、視線をバーデンゲンの商人へとむけた。
「ディルクさん。あなたのお考えをきかせてもらっても?」
「……かしこまりました」
商人は苦笑して、うなずいた。
「一商人の、乏しい見識と想像力ですので、どうか可能性のひとつとしてお考えくださいますようお願いいたします。……もしかすると、領主様は大きな商いについて計画なさっているのではないかと思われます」
「商い?」
「はい。この地方は特に際たる名産があるわけではございません。かといって、工業や商業が活発ということではなく――だからこそ、手前どものような新参が旗をあげる余地があったということでもあるのですが。失礼。話を戻しましょう」
こほんと咳をついて、
「この地の商いは、他方と比べて大きく遅れています。安く、質のよい作物が他方より運び込まれ、自分たちの品物は売れず、あるいは買い叩かれる。商いで得る金貨より、商いで失う金貨のほうが多い状態。つまり商売という戦において、劣勢にあるわけです」
「金の戦争か」
「まさに」
商人がにこりと微笑んだ。
「権力者にとっては、抱える金銭の重さこそが力の証です。中央から発行される公貨幣がとどまってからは、各地で有力者による私貨幣も生まれています。そうして信用がある貨幣が重宝され、逆に信用のない貨幣は忌避されるのです」
「……貨幣の信用?」
なんだか小難しい話になってきたぞ。
「貨幣とは誰かがその価値を与え、それを万人から認められてはじめて意味があるものです。逆説的に考えるなら、誰もが認める貨幣を、誰より多く抱え込むこんだ人物こそが、最大の権力者でしょう」
「なるほどな」
俺は腕をくんで、大きくうなずいた。
わかったようなわからんような話である。
「で、それが今回の件となんの関係があるんだ?」
俺ひとりの頭がわるいのかと思ったが、カーラやスケルも似たような表情だったのでそういうわけではなさそうだった。
タイリンにいたっては、はじめから聞く気もなさそうに大あくびをうっている。
「権力者にとって、自身の発行する貨幣というのは権力の象徴でもあります。もちろん、発行すればいいというわけではありません。明日にも価値がなくなってしまうような貨幣なら、誰もそれに換えようとはいたしませんからね。独自性と有用性。信用という無形の固まりと、その価値を保証する有形の財源が必要になるわけです」
あ、とカーラが声をあげた。
「それが、竜?」
「少し違います」
ディルクはゆっくりと首をふった。
「竜というものを経済単価として考えた場合、それは確かに計り知れない価値をもちます。ですが、この場合はもっとわかりやすい、具体的な財源が必要なのです。たとえば、産出のゆたかな鉱山ですとか。その地方でしかとれない極上の名産品。あるいは――流行り廃りにかかわらず売れ続ける嗜好品、というのはいかがでしょうか」
――さすがに、そこまでいわれて理解できないやつはいない。
俺たちは全員、黙ってテーブルのうえに転がる一本の細巻へと視線を落とした。