二話 領主の街
「はー」
幌から身を乗り出し、ぽかんと目の前の光景を見る。
隣を見回すと、馬車のうえでも、横でも、大体似たような表情が並んでいた。
「ギーツ。この辺りをおさめるゼベール・フォン・ノイテット二世様の城下街です。ご覧のとおりセーベ川に面し、他方と物流で繋がる玄関口でもあります。人口はゆうに万を越えていることでしょう。街とはいいますが、周囲を巡らす防壁を見るかぎり、城塞都市といってもよいかもしれません」
淡々とした説明をききながら、目をこすってみる。
目の前にある光景が幻ではないかと思ったわけではなかったが、一瞬、一瞬で移り変わる物事の早さに頭のほうがついていかず、頭が混乱していた。
それくらい、目前にはたくさんの色と音があふれていた。
無数の人間が通りをいき、なにかの掛け合いが忙しくとびかっている。そこらの人は、来ている格好こそメジハの連中とそう大差なかったが、どこか決定的な違いがあった。
ああ、とすぐにその理由に思いいたる。
表情だ。
メジハの村の人間とは顔つきが違う。
閉鎖された田舎町で、のんびりと農業をやってきた人々とは生き方が違うのだろう。歩き方さえ違ってみえる。すごく早足だった。
いわゆる都会というやつなのだろうが、噂話にきいたことはあっても、実際にこうやって足を運んで目にするのははじめてだ。
洞窟生まれのスラ子はもちろん、カーラやスケルだってこんなところに来たことはないはず。
メジハの町がそのまま、すっぽりと何個もはいりそうな街の外観をみただけで、口をあんぐりさせて驚いてしまっても無理はなかった。
唯一、平然としていたのはルクレティアだけだが、これは前にもこの街へ来たことがあるのに加えて、その前は王都にも住んでいたらしいのだから、当然か。
「それはどうでしょう」
ルクレティアが皮肉げに首をかしげた。
「たしかに、単純な都市の大きさであれば、王都に劣りましょう。しかし、伝統に飾られ、慣習で縛られた大都市は、徐々に老衰していく巨獣のようなものです。むしろ自由な商いに富んだ中小都市のほうが、将来性という意味では上かもしれませんわよ」
「前にいってたな。地方と平民の時代とか」
ギルド主体の政治云々。
ルクレティアにきかされた内容はあまりおぼえていなかったが、おぼえていないのはまるで理解できなかったからだった。
政治っていうのは偉いやつの仕事だ。王様や領主のやることだ。
それを、冒険者ギルドみたいな連中が受け持つだなんて、ピンとこないどころか、想像だってできやしない。
美貌の令嬢はうっすらと微笑んだ。
「どうでしょうか。移り変わる時代というのは間違いなく訪れますが、それがどのようなものになるかわかれば苦労はいたしません。世の中の変化には流れというものがありますから」
「流れ、ね」
今度の言葉にも聞き覚えがあった。
バーデンゲン商会の人間がいったことだ。――商売とは流れである。
政治も商売も問題漢の俺だが、目の前に広がる光景をみれば、なんとなくその言葉の意味がわかるような気がした。
「……たしかにな。活気か。金貨五千枚だって、ぽんと用意できるはずだよ」
街に住む人々相手の食べるもの、着るもの。日用品や雑貨、嗜好品なんかの数々。
近くの農村から食料を買い取り、かわりに必要なものを売って、川をつかった水運で他の地方とも交易をしている。
そうした物々があちらからこちら、こちらからあちらに人の手をかいして移動するたび、そこには労働とそれに対する金銭が発生する。
それをつかってまた別の商いが生まれ、それを目的に人もあつまってくる。
ギーツとはつまり、この地方の商いの中心地でもあるのだ。
「町」を自称しているとはいえ、麦と家畜だけで細々と食べていってるメジハとは文字通り、経済の桁がちがう。
「領主のノイテット様とは面識がありますが、決して開明的な為政者というふうではありませんでした。しかし、少なくとも時勢にさからい、発展の芽をつむほど愚かでもなかったようですわね」
「そこまで努力しなくても栄えちゃったってことか? そんなにいい立地なのか、ここ」
「決してそうとはいえません。この場所はともかく、周辺は未開の土地ばかりですし。内陸の我が国ではただでさえ他にくらべて交易が遅れていますが、そのなかでも主なやりとりは左右の大国に面した東西でおこなわれています。むしろ、他方のおこぼれに預かって、ひっぱりあげられた形でしょう」
「ってことは、他はもっと凄いのか。信じられん」
「世界とはことのほか大きく、変化はとく早いものですわ」
百年前に寸断された交流が復活し、それにともなって物流が生まれ、商いが活発になる。
復興から発展へとシフトしつつある世の中の「流れ」、その一端に触れて、俺はなんとなく不安な気分をあじわった。
今まで自分の知っていた世界がいかに狭く、小さかったのか。
それと同時に、ルクレティアが今までどんな気持ちでやってきていたかも想像した。
大きく変わっていく世の中の動きを知っているからこそ、その内心にある焦りや苛立ちはおおきかっただろう。
妖精の鱗粉を町の産業にしたいと野望を瞳にかがやかせていた、初めて会ったころのルクレティアの表情を思い出し、いま現在の表情に怪訝な顔つきをされた。
「どうかなさいましたか」
「……いや、なんでも。それで、まずは宿だよな。とりあえず中央にむかってみればいいのか」
「はい。直接、領主様にお伺いするわけにもいきませんし、手紙で到着のご挨拶からいたしましょう。宿の用意はバーデンゲン商会のほうでしてくれているはずです。商館にむかいましょう」
「わかった。よし、いくぞー。お前ら、迷子になるなよー」
まだ面食らったような表情のままでいる他の面々に声をかける。
返ってくる反応がひどくにぶい。
本当に迷子になられたら困るので、全員を馬車のうえに避難させてから移動をはじめた。
「――マスター」
あまりに多い交通量におっかなびっくり、御者席で手綱をにぎって馬をすすめる俺の耳元に、そっとスラ子がささやいたのは、少ししてからのことだった。
「どうした」
「つけられています。……多分」
「多分か?」
つけられているということより、それがあいまいな言い方で告げられたことに俺は眉をひそめた。
精霊の力をもつスラ子は、地上をあるく存在を探知することができる。その精度はかなりのもので、また範囲もかなりの有効距離をもっているはずだったが、
「はい。ちょっと、ここは人が多くて――そういうの込みで認識するのに、慣れるのに時間がかかりそうです。すみません」
「ああ、そうか。メジハとは違うもんな。いいんだ、無理はするなよ」
イラドで受けた瘴気の毒気もぬけ、スラ子の体調は回復していたが、無茶なことはさせたくない。
申し訳なさそうなスラ子に自重をうながしてから、俺は隣にすわって案内役をつとめるルクレティアにささやいた。
「領主の密偵か?」
「恐らく。コーズウェル様もすでに到着しているはずですし、イラドでの一件について、報告は受けているでしょうから」
「コーズウェルか。うまいこと、味方してくれるといいんだがな」
「あまり期待はされないほうがよろしいでしょう。こちらの申し出を受け入れたあたり、頭の回転はよさそうでしたけれど、だからこそあの方からは官吏の匂いがします。我々を犠牲の羊に、山畑消失の失態をなんとかしようとしてもおかしくありません」
まあ、ハシーナの畑を実際に燃やしたのは俺たちなのだが。
というかルクレティアだ。いや、責任はとるといったのは俺なのだけれども。
「自分に得がある話なら、きいてくれることはするはずです。交渉のチャンネルは多くあって損はありません。――ジクバール様とも、可能であれば接触しておきたいですわね」
「ああ、竜騒動のときのあのおっさんな」
いかにも多くの戦場を経験してきたという、無骨な中年男性の厳しい眼光をおもいだし、にらまれた心地で背筋をふるわせる。
「それこそ、味方になってくれる理由がないんじゃないか? 竜騒動のあれは、もちつもたれつだろ」
俺たち魔物の存在を公にしないかわり、竜殺しの栄誉を受けたとはいえ、そんな義理があるわけではないだろう。
「英雄になった今だからこそ、スキャンダルを嫌うかもしれません。それでこちらのことをバラされては目もあてられませんが、話の持っていきかたひとつでしょう。人脈であることには変わりありませんわ」
「頼れる相手は少ないんだから、大切にしろってことか」
「そういうことです。あとは、バーデンゲン商会の伝手にもいくらかは期待できるでしょうが。領主様からの呼び出しがどのようなお話かわからないとはいえ、イラドの件もあります。基本的には敵地という認識でよろしいでしょう。くれぐれも油断なさらないことです」
「そうだな。……ところでさっきからなにやってんだ、お前」
左肩がどっしりと重い。
そこにあごをのっけたスラ子をにらみつけると、
「マスターの肩から、外を見てますっ」
「それはわかるんだが。重いぞ」
「幌のなかにいたら外が見えないんです!」
「そうっすー」
右肩に新しい重みがのった。
「別にご主人とルクレティアさんの密談を邪魔しようってんじゃないんで、ご心配なくっす」
「密談ってなんだ。外を見るなら、顔だけだして見ろ。人の肩を使うな。……息をふきかけるなっ」
「んーじゃご主人、御者かわってくださいな」
スケルがねだってくるが、さっき御者をまかせていたところ、風景に気を取られて馬車ごと側道に落ちかけたばかりだ。とてもまかせる気にはなれない。
「街の見学なら後でもゆっくりできるだろ。子どもじゃないんだ、ちょっとは我慢しろ」
「子どもです! 文句ありますかっ」
「子どもっす! 文句ありませんっ」
「ええい、両側から怒鳴るな! 邪魔するな!」
まとわりつく二人をひきはがしながら、ふと幌のなかをみる。
カーラと目があい、微苦笑をおくられて、彼女に膝枕をしてもらって横になっているタイリンの姿が目にはいった。
うすぐらい幌のなかで、その表情がやけに沈んで見えた。
タイリンの視線が俺をむいて、舌をだされて、そっぽをむかれる。
馬車の乗り心地っていうのは決して良くないから、酔いでもしたのかもしれない。
なるべく早く幌からおろしてやろうと、俺は手綱をふって馬をいそがせた。