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十一話 混迷の宵

 外に出てすぐ、村の人間と鉢合わせした。


「うおっ」


 思わず顔をのけぞらせけてから、相手がこちらを見てもいないことに気づく。


 暗闇に溶ける、混濁した表情と眼差し。

 こちらを向いて焦点をあわせることなく、まるで目をあけたまま眠っているみたいにふらふらと頭ごと身体を揺らす相手に、息を飲んでからそっと距離をおいた。


 ――いったいなんなんだ。


 瘴気の影響と、その源の山中に栽培される瘴気性植物。それらが関わっていることは間違いないが、それだけでは説明がつかない事態が起こっている。


 スラ子がいったようにルヴェの拾った赤子が関係しているのか。


 スラ子はいった。

 俺にはわからない、と。

 理解できない。おかしいと感じることもできない。


 あの赤ん坊が、そういうものなのだって?


 ……はっきりいってしまえば、スラ子がなにをいってるのか俺にはさっぱりだった。


 たしかに、なにも食べずに生きてる赤ん坊なんてありえない。

 あの赤ん坊が普通のはずがないのだ。


 けれど、俺にはあの赤ん坊がそれほど異常な存在だとは思えなかった。

 考えてみれば、それこそが異常なことなのかもしれなかった。


 本当なら、あの赤ん坊の事情を聞いたとき、もっと警戒するべきだったのかも。嫌悪感さえ抱くべきだったのかもしれない。


 だが、あの赤ん坊のことを頭に思い浮かべると、どうしたって俺には悪意を持つことができない。


 どんな生物だって持ち合わせるだろう、幼児に対する保護欲求?

 それとも、俺がどこまでもおめでたい性格だからか?


 いや――まるで意識以前の問題で、そうしろと誰かから命じられているようだ。


 妖精族の使う、認識阻害を起こす魔法のような現象。

 もし、そういった事象をまったく別次元の観点から起こすことができたとして。それが、あの赤ん坊という存在だとしたら――


 遠くで爆音が轟いた。

 真っ暗に落ちた集落の空に、ほのかに赤い明かりが浮かぶ。


 戦闘。

 戦っているのはもちろん、スラ子とルヴェだろう。


 自由自在に自分の姿を変えることができるスラ子とはいえ、赤ん坊を連れたまま地中に潜ることはできない。


 体調だって万全ではないはずだ。

 それはもちろんスラ子だけではなく、俺やカーラたちも同じことではあったけれど。


 なら、ルヴェは?

 さっきは、特に体調が悪そうな素振りは見えなかった。単純に、怒りでそんなことどうでもよくなっていただけかもしれないが。


 ともかく、まずはスラ子たちを追いかけないと。

 スラ子とルヴェのガチの戦闘なんて洒落にならない。


 スラ子の戦闘能力は当然として、ルヴェだって大勢の魔物連中が巣食うアカデミーの出身だ。

 俺みたいにコソコソしてた奴と違い、ルヴェはアカデミーでもひどく目立つ存在だった。

 降ってかかる面倒だって桁が違う。


 というか、自分からそうした面倒を進んで買っていて、それら全てをひっくるめて受けて立ち、生き延びてきたのがルーヴェ・ラナセという人間なのだ。


 尋常なわけがない。

 ルーヴェ・ラナセは決して短気でも理不尽でもなかったが、だからこそ絶対に怒らせてはいけない存在だった。


 ルヴェがキレれば、集落の一つや二つはなくなってしまう。


「冗談じゃない……!」


 あわてて走り出し、すぐ先にふらふらとよろめいている村人の傍を駆け抜けようとして、


「――っ」


 なにかにひっかかり、おもいっきり態勢を崩してすっ転んだ。

 びりびりと服が破れる。


 木の枝でもひっかけたかと振り返り、そこにあったのはぼんやりと突っ立っている村人だけだった。


 その眼差しが、焦点のあわないまま俺を見おろしている。

 伸びた腕がゆらりとこちらに向かって、


「――やあ!」


 横合いからの当身を食らって吹き飛んだ。


「マスター! 大丈夫ですかっ」

「あ、ああ。悪い、助かった」


 息を切らしてやってきたカーラに礼をいいながら、立ち上がる。

 カーラと一緒にタイリンの姿もあった。


 二人に状況を訊ねようとして、その前にゆらりと影。


 突き飛ばされた村人がむくりと起き上がる。

 表情は変わらず、痛みを感じている様子もない。


 それ以外にも、いつのまにか周囲にあらわれた村人は数人。いずれも意識のうかがえない虚ろな双眸をこちらへ投げかけたまま、ふらりふらりと包囲をせばめてくる。


 見えている?

 見てはいない。だが、認識はしている。そんな風な動きだった。


「どこもこんな感じか」


 俺をかばうように手甲を構えるカーラに訊ねると、こくりと緊張感のある横顔がうなずいた。


「はい。スラ子さんたちは、ルクレティアが追ってます。戦闘音もあるから追尾は難しくないだろうって。それで、ボクとタイリンはマスターの護衛に」


 とっさのことで三人にスラ子たちの追跡をたのみはしたが、徘徊する村人連中のなかをどうやって俺が追いつくかどうかちっとも考えていなかった。


「そうか。ありがとう。タイリンも、ありがとな」


 ナイフを持ったちんちくりんな暗殺者に告げると、ふんとそっぽを向かれた。


「マスター。スケルさんは」

「ああ、――とりあえず中立ってとこかな」

「そうですか……」


 心配そうに眉をひそめるカーラにうなずいて、


「あいつなら大丈夫だ。それより、すぐに追いかけよう。このままじゃあ、朝が来る前にここら一帯が火の海だ」


 見境をなくしたルヴェが周辺の環境に配慮をしてくれるとは思えない。

 火属性の魔法で山火事でも起きれば、それこそ死人どころの話じゃなくなってしまう。


「はい。ついてきてくださいっ」

「了解」


 駆け出すカーラのあとを追う。


 夜の集落には、あちこちに松明が掲げられてあった。

 カーラたちが用意したものではないだろう。コーズウェルだ。


 視界の悪い闇のなかでは、不意打ちで襲い掛かられるのが怖い。ある程度視界のひらけた集落の通りを走って、少ししたところで村人同士でもみ合っている光景にでくわした。


 近くの物陰に隠れて様子をうかがう。


 押し合っている一方はコーズウェルが指揮する連中で、盾らしきものを構えて押し合いへし合いしている。


 その相手もやはり同じ村の連中だが、違うところもあった。

 相手方は盾をかまえず、服装だって鎧はもちろん皮当てさえつけていない。今まで部屋で休んでいたかのような普段着のままだ。


 ようするに、コーズウェルの率いる側が、おかしくなってしまった奴らを鎮圧しているのだ。


 だが、その図を客観的に見れば、どうしようもない違和感があった。

 しこりのようにひっかかる違和感の正体がなんなのか、深く考えるまでもなくその要因に思い至り、それを頭に刻み込んだまま隣のカーラたちに目線で合図をおくる。


 コーズウェルたちが揉めている横合いを抜けて、さらに走る。


 戦闘音は今も断続的に響いている。

 炎や爆発音はコーズウェルの耳にだってはいっているはずだ。あちらが町の連中にかかりきりになっているあいだにけりをつけておかないと。


 爆音の元へ足を向け、そのうちに集落をでて山へと踏み入れた。

 ただでさえ足場が悪い山中、それも夜に森を駆け抜けるだなんて地元の人間にだって無茶だ。

 ライトの魔法を撃ち出して先行させるが、いかにも弱々しく少し先しか照らし出すことができない。


 無言のまま、タイリンが俺とカーラの先に進み出た。

 月の光も木々にさえぎられ、俺が生み出した頼りない白球程度ではまるで力の及ばないほとんど無明のなかを、まるで恐れることなく駆ける。


 暗闇を生業とするタイリンならではだが、いかんせんこちらはそうはいかなかった。

 目を閉じて全力疾走するのと変わらない。無意識に速度が落ちかけたところに、すぐそばを走るカーラからの声。


「手をっ」


 ありがたい申し出に、遠慮なく伸ばされた手をつかむ。――それだけで暗闇を走る恐怖が和らいだ。

 藪のなかを進んでいるわけではないらしく、枝や幹にぶつかることもなく、それでも何度か転びかけながらひたすら走り続けるうちに徐々に戦闘音が近づいてきて、


「――っ」


 ぞわりと不吉な気配を全身に感じて、カーラの手を握りしめた。


「タイリン!」


 先をいく相手に叫ぶ。


 声が届いたか、それより早くにその小柄な身体から魔力の気配が収束して。

 直後、辺り一帯を消し飛ばす勢いで魔力の嵐が渦巻いた。



 ――音も光もない。


 衝撃に備えて身構えていた俺は、いつまでたってもそれがやってこないことに、反射的に閉じていた目をひらいた。


 周囲のすべてがおおわれていた。

 右も左も、上も下もない完全な暗闇だった。


 一瞬、なにが起こったのかとパニックになりかけて、右手のぬくもりはそのままあることに気づいた。


 それをきっかけに、地面の感触を思い出す。

 ちゃんと地面はある。しっかりと足を着いている。


 なら――これはただ、見えないだけだ。


「カーラ、無事だなっ」

「はいっ。でも、これって――」


 すぐ近くから返事が戻ってくる。


「タイリン、お前か?」


 返事のかわりに闇が晴れた。


 周囲を包んでいた暗闇が失せたあと、開けた視界にあったのもやはり夜の闇。

 ただし、今度はあちこちに炎が散らばっている。


 焼け野原となった一面。

 さっきまで月光も届かない山のなかだったのに、平野のように開けた一画になっていた。


 なにがあったかはいうまでもない。

 俺たちを巻き込むような大規模な爆発から、タイリンが護ってくれたのだ。


 それを起こした相手は、俺たちから少し離れた場所にいた。

 紅い魔力光を身にまとったルヴェと、蒼色のマナを全身に輝かせるスラ子。


 そして、対峙するその二人から少し離れたところにもう一人、


「ルクレティアっ」


 こちらに気づいた相手が、あちこちの地面に散った炎を避けるようにしてやってくる。

 近くで見ると、ルクレティアは服装があちこちが焼け焦げてしまっていた。いつもはよく手入れの行き届いている金髪も乱れ、かなりぼさぼさになってしまっている。


 爆発を至近距離で受けて、とっさに防ぎきれなかったのだろう。

 俺の視線に気づいたルクレティアが、ぎろりと睨みつけてきた。


「なにか?」

「いや、なんというか、すいません」


 俺の隣のタイリンがけたけたと指をさして笑った。


「わはっ! ぼさぼさ! ボサボサ!」


 むっとしたルクレティアが、頭のてっぺんで結われたタイリンの髪を掴んで引っ張った。


「なにが可笑しいのですか」

「やめろー!」

「なにが可笑しいのか言ってごらんなさい」 

「離せー! 女ボスー!」

「誰がボスですか」

「ま、まあまあ。ルクレティア……」


 とりなそうとするカーラをちらりと見て、ルクレティアはふんと鼻息を鳴らしてタイリンを解放した。


 そんなことをしているあいだ、それぞれ魔力をまとって剣呑な気配を放出しまくっているスラ子とルヴェは、一言も発さずに睨みあっている。

 スラ子の腕には今も大声で泣き声をあげる赤ん坊が抱かれたままだ。


 とりあえず赤子がまだ無事でいることにほっとして、その姿を視界にとらえた瞬間、忘れていた頭痛がよみがえった。

 見れば、カーラやルクレティアも顔をしかめている。


 ……あの赤ん坊を意識した途端、これか。


「確かに、ただの赤ん坊ではないようです」

「らしいな」


 うなずいて、カーラたち三人を順番に見て、


「ルクレティア。お前は戻れ」


 金髪の令嬢が不服そうに眉をひそめた。


「何故ですか。多少、余波にあてられはしましたが、直撃は受けておりません」

「そうじゃない」


 俺は首を振って、


「お前は、村を探れ。気づいてるだろう。さっきのコーズウェルの言い方は妙だ」

「……私たちをこのままギーツに向かわせるわけにはいかない、という言葉の意図のことですか」

「そうだ」


 コーズウェルは、ハシーナの栽培に領主が関わっていることをはっきりと示唆した。


 だが、それならルクレティアがギーツにいって領主に申し立てたところでなんら不都合はないはずだ。

 じゃあ、コーズウェルが「困る」といったのは一体なんのことなのか。


 領主のお墨付きがあるといったのが、そもそもただのはったりだったのか?

 それとも、


「集落の人間が徘徊する事態に、私たちの訪問が関わっていたと思っていたらしくもあります。それを探るため、引き止めるための口実に使っただけかもしれません」

「ありえるな。だが、どちらにしたって俺たちはこれからギーツに出向くんだ。そして、そこで領主に会う。それはお前の望むところでもあるわけだろう? だったら、そのときの材料は多いほうがいい」

「領主様がこの件に関わっていようが、関わっていまいが。使えるネタを見つけてこいと?」

「コーズウェルが村の連中の対処に追われてるうちなら、自由に動けるはずだ」

「つまり、家捜しをしろというわけですか。この私に」


 すっと目が細まる。

 ルクレティアは貴族の血筋という話だ。空き巣紛いだなんてプライドが許さないのだろうが、


「ネタになりそうかどうかなんて、この場にいる人間でお前以外の誰にもわからないからな」


 肩をすくめる俺に、じっとこちらを睨みつけたルクレティアが、ふうとため息をついた。


「確かにそうですわね。では、いってまいります」

「頼む。それから――タイリン、お前もルクレティアについていけ」


 それを聞いたルクレティアが眉を持ち上げた。


「どういうことです」

「闇属の魔法ってのは、元々そういうことのほうが得意だろ」

「そうではありません」


 爆音が轟いた。

 スラ子とルヴェが戦闘を再開する。


 魔力余波が渦巻き、離れた距離のこちらまで風が届いてあおられる。

 ルクレティアが苛立たしげに金髪を振って、


「ご主人様とカーラだけで、あのなかに入ろうというのですか。とても正気の沙汰とは思えません」


 それぞれの魔力をまとって烈しく争う二人を見やって告げる相手に、苦笑をかえす。


「ていうか、多分何人いたって変わらない。スラ子もだけど、ルヴェだって。アカデミーにも、ああなったルヴェを止められる奴なんてまともにいなかったんだ」

「ここにいても邪魔なだけと?」


 低く唸るようなルクレティアに、


「そうじゃない。だから、あの二人は俺が止める」


 告げた。


「お前らはそのあいだに村のことを探っておいてくれ。二つやらなきゃいけないことがあるんだ。二手にわかれるべきだ」

「それぞれに要求される困難さがあまりに違いすぎるでしょう。こちらは私一人でけっこうです。タイリンはそちらのサポートに――」


 いいかけたルクレティアが口を閉じた。

 タイリンを見おろし、それからこちらに視線を戻す。ほとんど苦笑のような表情で唇を歪めた。


「……つくづく、甘いお方ですこと」

「なんのことだ」


 仏頂面をよそおうと、やれやれとルクレティアが頭を振った。

 カーラを見て、視線を落として、不快そうに顔をしかめてから息を吐く。


「わかりました。タイリン、いきますわよ」


 うながされた暗殺者が首をかしげる。


「そこに悪いヤツがいるのか?」

「いいえ。悪いご主人様の命令で、やりたくもないことをしにいくのです。貴女と私で」

「マギはサイテーだな!」

「ええ、最低です。最低ですから、さっさといってしまいましょう」


 口々に最低、最低と口走りながら去っていく二人を見送ってから、苦笑いをしているカーラを振り返って。

 今さら、カーラの手を握りしめたままなのに気づいた。


「あ、すまんっ」

「いいえ」


 恥ずかしそうにカーラが頬をかく。

 そんな仕草をみて、俺は急に申し訳なさをおぼえてしまう。


「……悪い。カーラ」


 あちこちに飛んだ炎に照らされたカーラが、きょとんとまばたきする。


「なにがですか?」

「偉そうなこといっといて、俺一人じゃあ止められそうにないんだ。ごめん。手伝ってくれ」

「そんなの」


 くすりとカーラが笑った。


「当たり前じゃないですかっ。それに、大丈夫です」


 大丈夫?


「スラ子さんを止めるのなんて、マスターにしか出来ません」


 断言するようにいった。

 全幅の信頼をおいてくれているカーラの表情と、まっすぐな視線。自信に満ちた口調に一瞬、スラ子の面影が重なった。


 ――いったいその面影は、どちらがどちらに似ているのか。


 ああ、そうか。

 きっとそれが、スラ子の抱える不安そのものだ。


 だったら――それをわからせてやるのは、確かに俺のやるべきことで。

 俺以外には、出来ないことのはずだろう。


「よし。……いこう。どっちも、このあいだのドラゴンゾンビ級にヤバイ相手だけど、このお礼はなんでもするから」

「ほんとですか?」 


 カーラがのぞきこんでくる。


「ああ、なんだっていいよ」

「やったっ」


 嬉しそうに小さくガッツポーズをとるカーラには、そういえばルヴェのことだって話していない。

 その埋め合わせだって考えないといけないが、まずは目の前の事態を収拾してからだ。


 少し離れて暴力的な魔力を撒き散らす二人に一歩を向けながら、ざっくりとした方針を告げる。


「サポートしてくれ。――前衛は、俺がやる」



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