十話 信用する。
「スラ子?」
耳に届いた言葉の意味がわからず、聞き返す。
だが、頭で理解できていなくとも、目にははっきりとスラ子の表情がうつっていた。
敵を見るような視線。
それが焦点をむすんでいるのは、どうみたってルヴェの腕のなかで泣き声をあげる赤子で、
「赤ん坊から――離れる? なにいってるんだ」
「マスター」
スラ子が、ゆっくりと、説き伏せるようにいう。
「なにも食べず、なにも飲まないで平気な赤ん坊なんて、いません」
……そりゃそうだ。
この赤ん坊は普通じゃない。そんなことはわかってる。
まずルヴェに拾われた状況からしておかしい。
近くに人里もないのに、そこらに落ちてたなんてありえるはずがないのだから。
「そうです。その赤ん坊は、普通じゃありません」
「……わかってるさ。けど、それ以外は変わってるところはないんだろう? お前も別に、おかしなことは感じないって」
「おかしなところはありませんでした。いいえ、きっとそうじゃなくて――おかしいとか、おかしくないとか、関係ないんです」
「どういう意味だ」
スラ子が首を振る。
「私にも、はっきりとは。けど、その子がどんなにおかしくたって、それで正しいんです。多分、その子が中心だから」
俺は顔をしかめて、こめかみを押さえた。
スラ子の台詞を反芻するように頭のなかで繰り返してから、
「すまん。さっぱりわからん」
「今、マスターが感じている通りです。その子がどれだけ異常でも、この世界にいる人には、それを自覚できない。そういう存在なんです、その赤ちゃんは」
「……幻惑か? 妖精たちのやったような、認識を塗り替える類の?」
「騙しているのとは、違うはずです。この世界に生きる生命にとっての原則みたいなものなんだと思います。精霊がいることや、マナがあることとおなじくらい、決まりきった約束事。――多分、その子は、」
「――待て。待て、スラ子」
核心に触れそうなスラ子の発言を思わずさえぎって、
「……どうしてお前には、それがわかるんだ?」
だってそうじゃないか。
スラ子のいっている意味はほとんどわからないが、あの赤ん坊が普通じゃないってことを伝えようとしているのは理解できた。
その異常性を、この世界に生きている連中には理解できない?
――それを理解できるスラ子は、いったい何者だ?
スラ子は弱々しく微笑んで、
「私のことは……いいです。それより、今はその子を」
「いいわけあるかっ」
世界? 世界だって?
いつもは回転の良くない頭が、こんなときにだけすぐ記憶をさらって手繰り寄せてきてくれる。
イエロという竜がいっていた。
竜にとっての世界は一つじゃないとか、そんなようなことを。
この世界に生きる存在には異常を認識できない。
ということは。
その異常を認識できるということは、この世界以外にいるってことになるんじゃないのか。
「お前。まさか、あの時みたいに――」
竜と相対した際、追い詰められたスラ子が垣間見せた、竜族の行使する力に似た“なにか”。
それを目撃して感じた、ぞっとするほど不吉なものを思い出して背筋を震わせる。
「少しズラしてみただけですから、平気です。私はちゃんと、ここにいます」
「馬鹿! 無茶な力を使うなっていっただろう!」
怒鳴りつけてしまう。
いつもなら、スラ子は俺が怒ればしゅんとして謝ってくる。
けれど、今回のスラ子はきっとこっちを睨みつけてきて、
「私は、マスターのことが心配なんです!」
「俺はお前のことが心配なんだよ!」
さらに怒鳴ろうとしたところで、頭痛が響いて目を閉じる。
真っ暗いまぶたの奥に痛みを押し込みながら、感情を落ち着かせた。
――言い合うのはあとだ。
まぶたをあげ、泣きやまない赤ん坊を抱く相手に顔を向けて口をひらきかけて、
「……おかしな赤ちゃんを抱いている人だって。普通なわけ、ありません」
横合いから声をかけられて、かっと頭が熱くなった。
「スラ子! いい加減に……!」
「聞いてくださいっ」
こちら以上の怒声を被せられて、口を閉じる。
険しい表情のスラ子が、まっすぐに俺をみていってくる。
「マスター。ルヴェさんは、私の容姿のモデルとなった方なんですよね」
「それがどうした」
一拍をおいて、
「――今、ここにいる人は、本当にマスターの知ってるルヴェさんですか?」
当たり前すぎる質問だったので、理解が追いつかなかった。
「なに、いってんだ。そんなの」
「本当ですか? もう一度……よく、確かめてみてください」
スラ子はどうかしてしまったのか。
冗談じゃなく心配になったが、スラ子はまったく真剣な表情でこちらを見ていたから、俺は悪態を飲み込んで昔の知人へと視線を戻した。
中肉中背で、均整のとれた体つき。
ぱっちりとした猫目。勝ち気で、でも決して粗暴ではない自然体の態度。
……どこからどう見ても、ルーヴェ・ラナセだ。
髪を高いところで結っているところこそ違うが、その他は記憶にある姿とまったく相違ない。
まるで違和感のない、思い出どおりの容姿。
――そのことに、針のような違和感をおぼえた。
目の前の相手の姿のなにに引っかかったのか、自分でもわからずにしばらくまじまじと凝視して。
あ、と声がでた。
ルヴェの姿は、俺の知る彼女とあまりにも同じすぎた。
俺が最後に彼女を見たのは五年前だ。
俺とルヴェがアカデミーをでて、もうそれだけの時間がたっている。
その頃は十代だった俺はもう二十を過ぎて、それは同い年のルヴェだって同じはず。
けれど、目の前にいるルヴェの外見には、その五年分の時間の積み重ねがまったく見当たらなかった。
再会したときに感じた率直な感想。
――“二十歳にも届いてないような”若々しさ。
もちろん、人間の年の取り方なんて個人差だ。
すぐ老けるやつもいれば、若いままのやつだっているだろう。
そうだとしたって――変わらなさ過ぎる。
まるで、今、俺の目の前にいるルヴェが、五年前の彼女そのものであるかのようだった。
「ルヴェ……」
あまりに自然すぎて、今まで気づかなかったその不自然さに呆然となる。
ぽかんと間抜け顔をさらしているだろうこちらを見て、旧友の昔の姿をしたその人物が笑った。
「んー。ちょっと困ったなぁ」
「ルヴェじゃ、ないのか?」
恐る恐る訊ねる。
ルヴェ、の姿をした誰かはにっこりと笑って、
「もちろん、あたしはあたしだよ?」
その笑顔は間違いなく、俺が知る彼女そのものだったから、いっそう頭が混乱する。
わけがわからない。
間違いなく彼女はルヴェだ。ルヴェだと、思う。
でも――じゃあ、どうして五年前の姿なんかをしてるんだ。
「マスターをたぶらかすのは、やめてください」
「たぶらかしてるつもりはないんだよー」
剣呑な声でいうスラ子に、ルヴェが頭をかく。
それまでと変わらない。まったく悪意のみえない態度だった。
スラ子が顔をしかめた。
「あなたはいったい何者です。なんのために、マスターに近づいたんですか」
「近づいたっていうか。偶然、会っただけだってば! あたしもびっくりしてたでしょっ?」
「しらをきるのであれば、かまいません。マスターに害をおよぼすというなら、私が――」
不穏な雰囲気になりかける。
「待て。待ってくれ」
とりあえず、それを制しながら、錯乱しかけた頭を懸命に落ち着かせた。
深呼吸。
よし、と息を吐いて、
「――スラ子。本当に、平気なんだな」
まずはじめに、確認した。
俺が一番怖いのは、スラ子のことだ。
スラ子にもしものことがあるのが、何より恐ろしい。
質問に、スラ子はルヴェへの警戒をとかないまま、こくりとうなずいた。
「本当に平気です、マスター」
「わかった。さっきは怒鳴ったりしてすまん」
スラ子が顔を歪める。
「わかっていただけたのなら、それで……。ですから、マスター」
「ああ、待て。一個ずついこう。頭がこんがらがる」
スラ子を押し留めて、視線をルヴェの抱く赤ん坊へむけた。
「その赤ん坊。その子が普通じゃないってことは、確かだよな。スラ子、お前は今のこの状況にも、その子が関わってるっていうわけなのか?」
「はい。……間違いないと思います」
赤ん坊は、この村に入ってすぐに泣き出した。
コーズウェルがいったように、俺たちの来訪が集落におけるなにかしらの異常の引き金になったとしたら、それがこの赤ん坊だっていう可能性はある。あくまで状況としては。
「なるほど。じゃあ――」
俺は腕のなかの赤子から視線をあげて、
「……ルヴェ。ルーヴェ・ラナセ。彼女も、スラ子。お前がいうように普通じゃない。五年前の姿と変わらなすぎる」
「あたし、そんなに若く見える?」
あははと頬をかくルヴェ。
「ルヴェ。茶化すのはよしてくれ」
「あ、ごめん。黙っとく」
緊張感のない相手をにらんでから、息を吐いた。
「スラ子。今の時点でわかってるのは、それだけだよな?」
「それだけ、というのは?」
スラ子が眉をひそめる。
「普通じゃない赤ん坊。普通じゃなさそうなルヴェ。けど、例えばそれで、このルヴェが本人じゃなくて偽者かどうかなんてことは、わからない。そうじゃないか?」
「それは――」
「もちろん、おかしい。なにせ、普通じゃない赤ん坊と一緒なんだ。そのことがなにか関わってるのかも。もし、このルヴェが俺を騙そうとして魔法かなにかで姿をとりつくろってるだけなら、お前やルクレティアが気づかないはずがない。そうだろ」
ルクレティアを見る。
黙ってこれまでのやりとりを聞いていた美貌の令嬢が、
「少なくとも、私には赤ん坊も、ルーヴェさんにもおかしなところは感じられません。もっとも、そこらの魔法使いより長けているという自負ならありますが、感知能力についてはスラ子さんのほうが数段上でしょう」
俺はうなずいて、スラ子を見た。
「スラ子、どうだ。このルヴェにおかしな気配はあるのか?」
「……ありません。でも、だからこそおかしいんですっ」
「そうだ。それはもしかしたら赤ん坊の影響なのかもしれない。断定はできないが、その可能性がある。つまり、ルヴェが偽者じゃない可能性だ」
赤ん坊の異常性を俺たちは見抜けない、とスラ子はいった。
なら、その赤ん坊がルヴェに異常をもたらしていたとしたって、そのことはわからないだろう。
今の時点でまず確実なのは、この赤ん坊が普通じゃないってことだ。
スラ子がいった認識云々はともかく、まるで食事をしないだなんていう一事だけでそれははっきりしている。
それに、と俺は息をついて、
「ルヴェが本物かどうか、お前には判別つかないはずだ。スラ子、お前は目の前にいる彼女以外と会ったことがないんだから」
ぎゅ、とスラ子が唇をかみしめた。
「マスターになら、わかるんですか?」
「どうだろうな。正直いって自信はない。五年前のルヴェには間違いないような気がするんだが――そのあたりはもっと本人に話を聞いてみないと」
目の前にいるルヴェが本物なのかどうか。
本物なら、どうして年をとっていない姿でいるのか。偽者ならそれを話しているうちにボロだってだしてくれるだろう。
うながす視線を、赤ん坊を抱いたルヴェへ。
「んん、どういう風に話したらいいんだろ」
首をひねるルヴェに全員の視線が注目して、
「――その必要は、ありません」
注意が外れた方角から、ぽつりと声が響いた。
下をうつむくスラ子へ視線を移しかける、その視界の端でなにかがぶれる。
「わっ――」
なにかが、ルヴェの腕から赤ん坊をはねあげた。
それがなんなのかを頭で認識する前に、俺は声をあげていた。
「スラ子!」
床から伸びた触手じみたものが、空中に飛ばされた赤ん坊を拾い上げる。
それを受け取ったのは、半透明の質感をもった不定形の生き物だった。
「……なんのつもりだ、スラ子」
飛ばされた赤ん坊を助けた。のではない。
赤子をルヴェの腕から弾き飛ばした触手は、スラ子のものだった。
「話し合う必要はありません、マスター。だって、この赤ん坊は異常で、その異常はマスター達には認識できないんですから」
びえんびえんと泣く赤子を抱いたスラ子が、静かな表情で告げる。
「結論は決まってるんです。だから、話し合いなんてしても意味がありません」
「なにをするつもりだ、って聞いてるぞ」
訊ねると、ちらりと腕のなかの赤子に目を落としてから、
「もちろん――処理します。この子は、危険ですから」
「誰がそんなことをやれっていった?」
「いってません。マスターにはそんな命令できっこありません。だから、やるんです」
スラ子はなにかを確信した眼差しだった。
「マスターに出来ないなら、私がやります。マスターができないことを、私がやるんです」
「……やめろ。怒るぞ」
「怒られてもかまいません。この子は必ず、マスターにだって良くない影響を与えます」
一歩も引かない態度。
それを理解した俺も、だからって引いたりなんかできなかった。
「だったら、無理やりにでも止める。そんなふざけたこと、お前にさせるもんか。……カーラ、ルクレティア。スケル。スラ子を止めるぞ」
「マスター。でも」
「……よろしいのですわね」
少なからず困惑した様子の二人から、もう一人へと視線を向けて。
全身が真っ白い元スケルトンのスケルが渋い顔をしていた。
「――スケル?」
ちらりとそちらを見たスラ子が、
「スケルさん。お願いします」
「……ま、立場的にはこっちにつくしかないっすかねぇ」
といって、スケルはスラ子のほうに向かった。
てくてくと近づき。スラ子を取り押さえるのではなく、その前に立って向き直る。
俺たちに対して、立ちはだかるように。
「スケル。お前、」
唖然とする俺に、スケルは苦笑いを浮かべて、
「ご主人。一人対全員ってのもひどい話でしょうよ。ここはハンデってことで」
「なにがハンデだっ」
俺たちでスラ子を相手にするだなんて、洞窟にいるシィやエリアルたちを加勢にいれたってまだ足りない。
人数の問題じゃなく、能力の差だ。
スラ子の特性や能力はそれくらい、俺たちのなかで群をぬいている。
全員で一斉に掛かったって、赤ん坊を抱えたスラ子を抑えられる可能性なんてほとんど見えないっていうのに、スケルがスラ子側につくなんて。
「……マスター」
スケルに守られる格好のスラ子がいった。
「信用してください。私、マスターのためにならないことなんて、しません」
その悲しげな表情に、
「……お前のことは、信用してるさ」
「だったら!」
「けど、駄目だ。お前にその子は殺させない。赤ん坊を返せ、スラ子」
きっぱりと告げると、スラ子は泣き出しそうに顔を歪めた。
「――あのさ。そろそろ喋っていいかなぁ」
それまで黙っていたルヴェの声が、なにかをいいかけたスラ子をさえぎった。
見れば、にっこりと満面の笑みを浮かべている。
……やばい。
背筋に悪寒が走った。
昔の思い出が、立て続けにフラッシュバックする。
俺の知るルーヴェ・ラナセは決して乱暴な性格ではない。
決して短気でもなければ、どこかのヤクザな黄金竜のように横暴でもなかった。
だが、ただ人が好いというだけの性格で、大勢の魔物連中が巣食うアカデミーでやっていけるわけがないことも、また確かな事実であって。
「とりあえずさ。その子、返して? それから話そうよ。あたしも話さなきゃいけないこと、あるし。不手際があったことは、ごめん。謝るから」
微笑を浮かべたままのルヴェがいう。
「お断りします」
そう返すスラ子は、睨みつけるような表情で、
「そっか。なら仕方ないっか。――ごめん、マギ。ちょっと怪我させちゃうかもしんない」
「ま――」
て、の二文字すら口にする暇はなかった。
突然、大気が破裂した。
空気中に含まれたマナごと振動し、音を鳴らし、ほとんど物理的な衝撃が周囲に飛散。
それらを、スラ子は無言で展開した魔力障壁ではばむ。
俺にはもちろんそんなことできるはずもなく、不可視の力に吹き飛ばされる前に、背後からつくられた障壁がかろうじてそれを受け止めてくれた。
ルクレティアの張った障壁に護られながら、絶望的な気分で俺は目の前の光景をみた。
赤色の魔力光をたぎらせた、ルーヴェ・ラナセがそこにいた。
立ち昇るマナに髪を揺らしながら、その表情にはさっきまであった笑みのかけらもなく。
怒っていた。
ひたすらに怒っていた。
「最後に、もう一回いっとくけど」
「いりません。あなたの言うことを聞く必要はありません」
「――おっけ」
止める間なんぞあるわけもない。
紅蓮の魔力光が輝いた。
膨張する大気。
こんな密閉された室内で爆発魔法――赤ん坊のこととか考えてるのか、あいつは!
非難するより、鼓膜をやられまいと耳をふさぎ、
「スケル、ふせろ!」
怒鳴ったつもりの言葉が、声になったかどうかもわからない。
大音声の爆音が鳴り響いた。
一瞬で視界が閉ざされ、誰かに押し倒され、それがカーラだとわかって小さな身体を抱きしめる。
腕をまわして三人分の質感を感じて、ルクレティアとタイリンも一緒だということにとりあえずほっとする。
――これで生き埋めにでもなったら、本気で恨む。
阿呆スラ子と馬鹿ルヴェのことを恨んで、呪って、呪いたおしてやる。
頭のなかで呪詛の言葉を吐きながら、とにかく振動がおさまるのを待って。
目をあける。
爆煙の隙間から、星空が見えた。
天井にぽっかりと大きな穴があいて、そこからぱらぱらと瓦礫が落ちてきている。
……この家が平屋でよかった。
こんなの、絶対に死人がでてるところだ。
「あいつら――」
腕のなかのカーラとルクレティア、それにタイリンの無事を確認し、起き上がる。
爆発を起こした人物と、それが狙った相手は、どちらの姿も部屋にはなかった。
やられたわけじゃない。――外だ。
その証拠とばかりに、今度は少し遠くから爆発音。
ちょっとしてから、三度。
爆発は、少しずつここから遠ざかっている印象だった。
……こんな集落のなかでなにやってんだ。
相変わらず、ルヴェはキレたらなにをしでかすかわからない。
俺は、すぐ近くに、ひっくりかえるように倒れているスケルを発見して、
「カーラ、ルクレティア。タイリン。悪い、あいつらを追いかけてくれ。派手にやりあってるからすぐにわかると思う。追いついたら、できるだけ足止め頼む」
「でも――」
カーラの視線の先で、むくりとスケルが身を起こす。
頭が爆発のせいでぼさぼさになっている相手は、こちらからの視線に気づいて、ぱたぱたと手を振ってきた。
「あ、どうぞどうぞ、いっちゃってください。スラ姐が来てほしくないって思ってるのはご主人だけでしょうから、他の皆さんはオッケーっす」
「……ってわけだ。頼む。スラ子もヤバいが、あの状態のルヴェも相当ヤバい。大変だろうけど、すぐに追いかけるから」
三人が顔をみあわせて、ルクレティアがうなずく。
「わかりました。しかしながら、あのお二人の足止めとなると生屍竜を止めることより難しくなりそうです。ご主人様も、お早めにお願いします」
「了解」
カーラたちが半壊した扉から出ていくのを、スケルは宣言したとおり止めようともしなかった。
三人を見送ってから、
「で? 俺が外にいくのは、止めるんだよな」
「ま、そういうことになりますねぇ」
やる気のない表情でいうスケルに、ため息をついた。
「意味わからん。お前と取っ組み合いのケンカでもしろってのか?」
「なんなら、じゃんけん十本勝負にでもしますかい。あっしが負けたら、ご主人の邪魔はしませんっ」
「なんだそりゃ」
スケルはからからと笑う。
「んじゃあ、ご主人。こうしましょう。あっしの質問に答えてくれたら、でていってもらってかまいません」
「質問?」
「そうっす。別に小難しいことを聞こうってんでもないですし、簡単でしょう?」
スケルが素直なことを聞いてくるとは思えなかったが、力ずくで云々するよりはマシだ。
だいたい、力勝負で俺がスケルに勝てるかどうかだって大いに怪しい。
「……わかった。なんだよ。聞けよ」
「では――ご主人がスラ姐のことを信用してるってんなら、どうしてスラ姐のやりたいようにやらせようとしないんですかい?」
弛緩した表情のまま、視線の奥だけが笑っていない表情で、スケルが俺をみた。
「それが、質問か」
「そうっす。だって、信用してるんでしょう? でも、スラ姐がやろうとしてることをさせないってことは、信用してないってことなんでは?」
質問というよりは、むしろこちらの矛盾を咎めるような台詞に、俺は渋面になって。
頭をかいた。
「――なあ、スケル」
「はいな」
「信用するってのは、相手を全肯定することか?」
ん、と眉をひそめる相手に、続ける。
「俺が信用すれば、スラ子は間違わないのか? 間違わない相手だから信用するのか? 信用ってのは責任やら行動を全部、相手任せにすることか? それで、もし結果が得られなかったら、裏切られただなんて独りよがりに思うことが、信用するってことなのか」
それとも、と自嘲じみた気分を抱いて、
「相手が怖いって気分を、無理やり否定して押し殺すための方便に使う。そういう都合のいい台詞が、信用って言葉か?」
スケルは黙ったまま俺の話を聞いている。
「違うだろ。そんなのは、ただの妄信だ。自分の責任を放棄してるだけだ。不安を誤魔化してるだけだ。信じてようが負けるときは負けるし、間違うときは間違う。信用ってのは結果とイコールなんかじゃないし、相手への丸投げとも違うんじゃあないのか」
「……では、ご主人にとって信用するってのはなんです?」
「決まってる」
真っ白い少女をまっすぐに、
「たとえ負けても、間違っても。そこからでも、その相手とならやっていけるって思えることだ。――だから、俺はスラ子を信用してる。信じてるさ」
いいきった。
「スラ子が間違うことだってあるだろう。そんときは、俺があいつに間違いだって指摘するんだよ。一方方向の関係なんてごめんだ。互いの意見が違って、言い合ってでも、やっていける。やっていきたいと思って、努力やら話し合いやらを続けていくこと。それが、俺にとっての信用してるってことだ」
そこまで口にしてから、なにを恥ずかしいことをいってるんだと赤面しかけてしまう。
だが、それを聞いたスケルは指をさして笑ったりしなかった。
じっとこちらを見て、
「スラ姐が生まれてからこっち、ご主人が変わっていってるのはまあ、わかってるつもりでしたが。なんだか妙な気分っすね。最近、なにかありましたか?」
「……色々とな。男子三日会わなけりゃ目をかっぽじって見やがれっていうだろ」
「三日どころか、顔なら毎日あわせてるじゃないっすか」
苦笑したスケルが、やれやれと肩をすくめた。
「まあ、了解っす。質問には答えてもらったんで、約束どおり邪魔はしません。どうぞいっちゃってください」
「……いいのか?」
やっぱり通しませんなんていわれたら怒るが、あっさり引かれてもなんだか悪い気がしてきてしまう。
「はいな。それにっすね」
おっとりとした目がいたずらっぽく笑って、
「ご主人の足止めなら、もう済ませてますし。スラ姐には、一瞬でもご主人の視界から逃れられればそれで十分でしょう。ご主人の足で追いつけるかどうかもわかりませんし」
「あ、汚ねえ!」
「文句いってる暇があれば、急いで追っかけたほうがいいんじゃないっすかねー」
「いわれなくったってそうするわ!」
あわてて部屋からでていこうとした後ろから、
「ああ、ご主人」
「なんだよ、まだ足止めかよ!」
「いやいや。あっしがスラ姐の味方した理由、お聞きにならないのかなあと」
俺はぼさぼさの髪をしたスケルを見て、
「――いらん」
「おや。いいんですかい」
「俺とお前がどのくらいのつきあいだと思ってんだ」
吐き捨てた。
「なんか理由があるんだろ。言いたいならそのうちお前から言うだろうし、言いづらいんなら黙っとけ」
「……そんなんでよろしいんで?」
「俺は、お前のことだって信用してるからな」
スケルは、ぱちくりと大きな目をまばたかせてから、照れたように笑った。
「これは――こそばゆいし、耳に痛いっすね。それにやっぱり、都合のいい台詞にしか聞こえませんぜ」
「今のは狙って言ったからな」
せめてもの仕返しにと真っ白い少女に舌をだして、部屋から飛び出した。