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十一話 不定形の存在理由

 ありえるのかもしらん。


 あの出来事から数日がたち、俺の思考はそんな結論へとかたむきつつある。

 仮にも魔法使い、研究者のはしくれとして適当すぎる態度だと自分でも思うが、その半ばさじを投げたような結論が、この数日スラ子を強制的に安静状態にさせて経過を観察した感想だった。


 スラ子に異常はみられなかった。

 異常といってもそれはネガティブな、という意味だ。変化そのものならあった。


 まず、スラ子が魔法をおぼえた。

 水氷系統の魔法なら一通り。攻撃魔法や回復魔法、支援魔法まで。


 新しい魔法を覚えるまでに、普通の魔法使いが徹夜で魔道書とにらめっこして儀式やら契約やら、果てにはひたすら踊り狂うような狂気じみたことまでして途方もなく努力をしないといけないのに、スラ子はたった一日でそこらの魔法使いより使える魔法の種類が増えてしまった。


 恵まれぬ才能を絞りつくし、日々努力と研鑽をつんで上を目指す。

 全ての魔道の途にある者たちの思いを代表して、俺は血の涙を流しながらあえていおう。チートであると。


 今のスラ子は、ほとんど一角の魔法使いといっていいレベルにある。

 研究畑でそっちの才能が絶望の俺なんか、もちろん一瞬で抜き去られることになった。ははっ。


 ……魔法の行使には当然、魔力を必要とする。

 もとがスライムであるスラ子にある魔力は多くない。むしろ少ない。

 だからこそ人型を維持、変化させるために消費魔力の供給というものが重要だったのだが、それにも変化があった。


 スラ子はこの数日、魔力の供給を受けていなかった。

 精霊の捕食後、スラ子の身体になにが起こるかわからないという俺の判断で、シィから魔力を吸収させていない。


 もともとスラ子の魔力消費は、激しい変化などで無理をしなければ、一日や二日で人型を維持できなくなるようなものではない。

 しかし、その後、状態が安定しているのを確認して、スラ子の様子をみながらいくつか魔法を使わせたりしたので、スラ子は多少なりとも魔力を消費しているはずだ。


 それなのに、今日の段階で「お腹はすいていますけれど、我慢できないほどではありません」というのが現状だった。 


 あきらかに、魔力の総量が増加している。

 その二つの大きな変化をもたらしたものがなにかははっきりしていた。


 数日前の食事。

 湖の精霊を取り込んだことでスラ子に変化が生まれた。


 水氷系の魔法を使えるようになったのは、どう考えたって水の精霊ウンディーネの力を取り込んだからだ。となれば、魔力の総量が増えたのもそれとは無関係ではないだろう。


「うまくいえないんですが、あの精霊の心が私のなかにあるような気がします。それが、魔法のこととか教えてくれるような感じで――」


 つまり――スラ子は、あのウンディーネを捕食して、その魔力だけでなく。能力や経験まで取り込んだ可能性がある。


 そんな馬鹿な、と笑ってしまうような話だった。だからこそ笑えなかった。


 魔力。生命。あるいは魂や存在。

 それらの確たる定義については研究者たちのあいだでも議論の残るところだ。


 はっきりと万人に示された答えはない。

 一応の定説や個人の価値観、信仰などによってそれらは様々に受け取られている。


 俺にはスラ子の身に起こった変化が、その哲学じみた問題にまで関わっているような気がしてならなかった。


 スラ子とウンディーネはどちらも魔力を素にしている生命体だ。

 魔力は存在となり、生命となる。

 両者ともに知性を持ち、魂がある。自己をもっている存在だ。


 スラ子はその精霊を食べた。それはいい。いかに相手が上級種であろうと、下のものが上のものを凌駕するということはある。


 戦闘なんていうものは結局、事前にされた準備とおかれた状況、さらには時の運だなんてものにまで左右される流動的なものだ。――ごく一部の馬鹿馬鹿しいくらい圧倒的な、たとえばあの空駆ける天然ヤクザを相手にするような絶望的な場合ならともかく。


 スラ子が精霊を捕食できたのは、両者の系統が似通っていたということと、なによりシィの存在が大きい。

 魔法に弱いスライムであるスラ子が相手を食べきるまで耐えられたのは、シィが後方から支援に必死だったおかげのはずだ。


 いろんな事情や条件が重なって、スラ子がウンディーネに勝った。それもいい。


 だが、その存在を取り込んでしまうというのはいったいどういう理屈だ。


 魔力を吸収するというのならわかる。

 しかし、それで相手の能力や魔法まで使えるようになるというのは、一般的な意味での吸精という範囲を超えている。


 魔力という力だけではなく、魂や存在ごと取り込んだ?

 そんなこと、ただのスライムにできるようなことなのだろうか。


 ここで問題はもっとも根本的な問いへと立ち返る。


 スラ子とはいったいなにか。

 ――スラ子は俺がつくりだしたスライムだ。人の形をして、知性をもった。


 それだけのはずだ。

 だが、吸精能力や催淫能力。果てには相手の存在ごと自分のものにしてしまうなんていう現状は、俺が想定していたスペックとはまったく違ってきている。


 今の俺には、スラ子という生き物の底が見えない。

 底がない。果てがない。それはまるで、どこまでも自己を増殖していくようなありさま、そんな恐ろしい錯覚を俺におぼえさせた。


 ただ、唯一の救いが、スラ子の様子がまったく普通であること。

 自分がとんでもないことをしたという自覚もないのか、相変わらずスラ子は無邪気に、それでいて妖艶に微笑んでいる。


 だからこそ、――ありえるのかも。などという中途半端であいまいな考えに俺は至りかけていた。


 もちろん気は抜けない。

 スラ子になにが起こったのか、これからなにが起ころうとしているのか。それは今後も慎重に見定めていく必要がある。スラ子をつくりだした責任が俺にはあった。


 ただ、ふと思う。


 もしも、これからもスラ子が他者を吸収し、取り込み続けていくようなことがあった場合。

 それはもう、スラ子といえるモノなのだろうか。


  ◇


「――つまり、あれですね」


 ひとまずの強制安静の解除を申しつけられたスラ子は、それまでの俺の考察や抱いている懸念を伝えられ、行動に注意するようにいわれて、真面目な表情で考えるようにしたあと、大きくうなずいてみせた。


「マスターからの愛を受け、強敵との死闘を制した私は、覚醒してニュー・スラ子になったと。そういうわけですねっ」

「ひどいネーミングセンスだな」

「その台詞をマスターからいわれるとは……。じゃあ、マスターはなんてつけてくれますか?」 


 俺はちょっと考え込んで、


「……スラ子・スラッシュ! 響きが格好イイっ」

「なんというか、微妙です。マスター」


 首をひねったスラ子だが、ようやく行動の自由を許されたからか、すぐに機嫌がよさそうな素振りで、


「マスター。今日は、運動、しても大丈夫ですか?」


 運動。俺は少し考えて、


「まあ、数日たってるしな。そろそろ補給しておかないとか。……シィ、あとで相手してやってくれるか」


 静かに控える妖精に確認すると、シィは頬をそめて小さくうなずいた。


「じゃあ、いいぞ。ただしくれぐれも無茶はするなよ。お前も、シィにもだ。セーブするのを心がけろ、俺が様子を見ておくから、ちょっとでもおかしな気配になったらすぐ中断させるからな」

「マスターのえっち」

「あほかっ」

「冗談です。わかりました、気をつけます。……あの、それで、そのあとなんですけれど」 


 その濡れた視線だけで、スラ子がなにをいいたいかはわかる。


「……二人もミイラにしなきゃ収まらないっていうのか?」

「違います! そうじゃなくて――」


 憤慨して怒るスラ子をはいはいとなだめながら、うなずく。


「わかった。わかったよ。……いっとくが、普通に、だからな」

「もちろんですっ」

「こないだみたいな倒錯的なのはまっぴらだ。俺はまだ暗黒面に堕ちたくない。普通がいい」

「わかってます。ちゃんと、普通にマスターに可愛がってもらえたらそれだけで満足ですっ」


 嬉しそうにいって、スラ子がシィを手招きする。


「シィ、いらっしゃい。一緒にマスターにみてもらいましょう?」


 恥ずかしそうに顔を伏せたシィが、ふらふらと光に誘われる蝶のように、スラ子のもとへと寄っていく。


  ◇


 スラ子が笑っている。


 その定まらない性状をあらわすように、ゆらゆらと揺れながら微笑んでいる。

 子どもみたいに。娼婦のように。


 幅のない、輪郭のないあいまいな印象を揺らす相手に、


「――怖くないか」


 訊いた。


 それを聞いたスラ子はまた笑って、


「怖くなんかありません。……マスターは私のこと、怖いですか?」


 俺は答えられなかった。


「大丈夫です」


 スラ子が近づく。口をふさがれた。

 流し込まれた唾液に催淫作用がないことに気づいて、視線で問いかけると、


「ちゃんと練習したんです」


 得意そうにスラ子はいった。


「マスターがいうことなら、なんでもします。どんなことだって」


 男の征服欲を刺激する声を聞きながら、その台詞がはたしてどんな意味をもっているものなのか、考える。


 それはただ自分の創造主に対する忠誠か?

 それとも、もっと別の――


「私はあなたです。マスター」


 スラ子がささやく。


「あなたが、私なんです。だからなんでもします。なんにでもなります」


 ですから。と、憂うように媚びる瞳で、その不定形性状の生き物は請いねだった。


「――もっと、もっと可愛がってください」



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