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八話 かろうじてゴブリンと五分

「――スラ子」


 山のなかの畑で働いている村人たちから距離をとってから、周囲に呼びかける。

 少しの間をおいて、目の前の地中から不定形の生き物が盛り上がり、人の形を成して、


「はい。マスター」


 なにかいいたそうな表情のスラ子が姿をあらわした。

 まだ機嫌がなおってはいないので、ちょっぴり頬をふくらませている。


「村まで先行しろ。ルヴェと赤ん坊の様子をみてきてくれ」


 スラ子は少し不満げな、けれど嬉しそうな顔でこちらをじっと見つめて、


「わかりましたっ」


 地中にもぐりそうな相手に、あわてて声をかける。


「――あ、待て。下は駄目だっ」

「了解ですっ」


 元気のいい返事をのこして、スラ子は腕の一部を伸ばして近くの木のてっぺんをつかむと、自身をひっぱりあげてざざざっと枝や幹伝いに移動していった。


 ……土に浸透しての移動よりえらく騒がしいが、こんな場所の地中を進ませるのよりはマシだ。


「いくぞ」


 その他のメンバーに声をかけ、走り出す。


「マスター、あれって」


 隣をいくカーラに訊ねられた。


「わからん。が、村人がおかしくなってる原因はわかった。ルクレティア、採ってきたな?」

「はい」


 ルクレティアの畑仕事なんてしたこともない手に、あそこで栽培されていたものがにぎられている。

 手のなかのそれを不快そうに見おろしながら、


「異変の原因はわかりましたが、その背景がわかりません。できればそちらも確認してから事にあたりたいと思いますが、いかがでしょう」

「まかせる。いったいどういうことか、説明してもらわないとな」


 獣道よりはいくらかまともな山中を下り、俺たちが麓に辿り着いたころにはそれでも日が落ちかけてしまっていた。

 暗くなるのが早いからか、集落にはもう働いている人の姿はない。


 俺たちが村の人間の姿を見かけたのは、コーズウェルの館の近くまで歩いてからだった。

 そこに、十人ほどの人数が集まっている。


 村人たちはそれぞれ松明の準備までしていて、人々に指示をだしているようにみえたコーズウェルが、俺たちの姿を見つけてほっとした様子で近づいてきた。


「ミス・イミテーゼル! お戻りになるのが遅かったので、心配していたところです」


 ルクレティアがちらりと俺に視線を送り、柔らかい表情で男に応える。


「申し訳ありません。ご心配をおかけしました」

「近くの川へ向かわれていたと聞きましたが。……その後、どちらかへ?」


 コーズウェルが怪訝そうな目になった。

 俺たちは山のなかを走ってきたばかりだ。靴に土をつけて、川辺から戻ってきたとはいえなかった。


「ええ。川で、少し変わった蝶を見かけてしまいまして……。追いかけさせているうちに、迷い込んでしまいました」


 いかにも物知らずの令嬢らしい態度をとりつくろうルクレティアの台詞に、違和感をおぼえたのは俺たちだけではなかったのだろう。


 眉をしかめたコーズウェルが、ひらきかけた口を閉じた。

 俺たち一人一人を探るように見たあと、長いため息をつき、


「……困りますな。山は危険ですと申し上げたはずですが」

「申し訳ありません。村の皆様にも、ご迷惑をおかけしてしまって」


 殊勝な態度で周囲に頭をさげるルクレティア。それを遠巻きにみる村の連中は一様に鈍い反応で、うろんな眼差しをむけるばかりだった。


 あんな顔して、さぞ内心では文句をいってるんだろう――さっきまでならそう思うところだが、今ではとてもおなじ印象は抱けなかった。

 少しばかり陰気な集団にみえるだけの村人たちの様子には、今ではありありとした異常さが隠れている。


「まあ、ご無事で何より。貴女様にもしものことがあれば、私の首が飛ぶところですので――しかし、二度とこのようなことはなさらないようにしていただきたい。手の届かないところでは、なにが起ころうと責任はとれません」

「はい。お言葉、深く留めておきますわ」


 ルクレティアはあくまで殊勝な態度なまま、やれやれと頭を振ったコーズウェルが、


「今日はもう遅い。出発は明日にされたほうがよろしいでしょう。すぐに湯の準備をさせます、どうぞ中へ」

「ありがとうございます。もう一晩、ご厄介になります」


 歩き出す二人の後ろを館にむかいながら、俺はちらりと背後を振り返ってみる。


 急速に明度を落としていく世界のなかで、村人たちがぼうっとした表情でこちらを見つめている。いや、眺めていた。

 それが昨夜の続きを見ているような錯覚を起こさせて、館への足を早めた。



 自分にあてがわれた部屋に戻るより先に、急いでルヴェの元へ。


「ルヴェっ」

「あ、おかえりー」


 扉をあけると、何事もなかった顔で赤ん坊をあやしている。


 俺はほっと息を吐いて、


「無事か。……スラ子は?」

「あ、うん。さっき部屋に顔みせてくれたよ。さんきゅ、心配してくれたんだ。――なにかヤバいことでもあった?」

「ああ。まあ、ちょっとな。赤ん坊は?」

「泣いて、泣き止んでを繰り返してるよー。どうしたんだろ」


 今はすやすやと腕のなかで眠っている相手をみて、ふと思った。


 ――この赤ん坊は、はじめからおかしいって気づいてたのだろうか?


 だから、村に来たときに泣き出したのかもしれない。

 けど、だとしたら。いったいこの子は――いや、今はそのことはいい。


「とりあえず、なにがあるかわからないから。いつでも外にでれる準備だけしておいてもらっていいか」

「おっけ。――あ、マギ。スラ子ちゃん、なんか気分が悪そうにしてただけど、だいじょぶ?」

「スラ子が? ……わかった。ごめん、また後で」


 すぐに隣の部屋にむかう。

 元の半透明の質感のまま、ぐったりとベッドに横になっているスラ子がいた。


 いっぺんに、全身から血の気がうせた。


「おい、スラ子……!」


 あわてて駆け寄ると、うつぶせのまま顔だけをこちらに向けて、


「あ……。おかえりなさい、マスター」

「大丈夫か。気分悪いのかっ?」

「ちょっとだけ。戻ってきたらほっとしたのかもしれません。頭が痛い感じと、お腹がむかむかして……」

「まさか――土のなか、通ってきてないよな」


 はい、とスラ子がうなずく。


「……やっぱり、土が。良くなかったんですね」

「ああ。お前のいってたとおりだ」


 スラ子は精霊ではないけれど、精霊の在り方に似ている部分がある。

 自分のなかにある精霊の力を使うということは、きっと自分を精霊に近づけるということなのだろう。


 精霊はマナと、それの満ちる大地の象徴だ。

 痛んだ環境が彼らに影響を与えるように、それはスラ子にだっておなじことをもたらす。


「……平気か?」

「はい。多分、少し休めば平気だと思います」


 ごめんなさい、としゅんとした顔でスラ子がいった。


「マスターのいうことを聞いてなかったら、危なかったかもしれません。すみません」

「なにいってんだ。お前が地面がおかしいっていわなかったら、気づかなかった。気づけたのはお前のおかげだろ」


 いいながら、もしスラ子のことを止めていなかったら、もっとひどい容態だってありえたことを考えて、ぞっとした。


「マスター。あの土は、つまり」

「ああ、――瘴気だ。お前が気分を悪くするのも当然だよ。この村のあちこちには、瘴気まじりが含まれてる」


 前に生きた屍と化そうとしていた竜が森一帯にまきちらしていたのとおなじ、害ある魔力。

 世界を循環するプロセスから外れたその代物が、このあたりの土には雑じっていた。


 瘴気はほとんどの生物に悪影響を及ぼす。

 その瘴気に汚れた大地には、精霊だって寄りつかないといわれているのだ。そんなの、スラ子が具合をおかしくしてしまっても不思議はない。


「どうして、そんなものが……?」

「さあな。だが、コーズウェルが知らないわけがないだろう。あんな畑までわざわざ山のなかに作ってたくらいだからな。これからそれを問い詰めるつもりだ。余所の村のことなんて知ったこっちゃないが、さすがにこんなのは放置しておけない」


 ルクレティアだって、メジハのこんな近くで瘴気なんて垂れ流してもらっていたら迷惑だろう。


 別にメジハだけのことじゃない。

 人間魔物関わらず、この近隣に住む全員の問題だ、これは。


「わかりました。じゃあ、私も――」 

「いいから。お前は休んでろ」


 起き上がろうとするスラ子の身体を抑えるようにして、俺はスラ子をベッドのうえに戻した。


「俺とルクレティアが、コーズウェルと話す。どんな事情があるのかしらんが、会話で収められるならそれに越したことはない。……まあ、そんな穏便に終わってくれるとは思わんが。お前の力を借りるのは、それからだ」


 眉をしかめたスラ子が、


「……私、いなくても大丈夫です?」

「今はな。村から逃げ出すようなことになったら、そのときはお前がいてくれないと困る。だから、休んでおけ」


 決してスラ子自身がいらないということを理解させるために、俺はわざとおどけた様子で肩をすくめて、


「たまには俺にだってなにかさせろよ。どうせ戦闘になったら、足しか引っ張れないんだ」

「……ゴブリンにも負けちゃいますもんね、マスター」

「かろうじて五分だな」


 くすりと笑ったスラ子が、ごろりと仰向けに転がって、ん、と両腕をつきだした。


「? なんだよ」

「マスターのいうことを聞くかわり、ぎゅっとしてください」

「駄々っ子かよ」

「んっ」


 俺はため息をついて、ひんやりと濡れた心地のする身体を抱きしめた。


「ふふー」


 耳元でご満悦そうな声。

 もしこんなところをスケルにでも見られていたらと扉のほうを振り向きかけた、俺の身体にぎゅっとスラ子がしがみついた。


「……スラ子?」

「ごめんなさい――」


 か細い声が、謝った。


「でも、私。それでも、マスターに頼ってほしくて。――なんでもやりたくて。そうでないと不安で。私、もしかしたら。本当に、このあいだの竜さんがいったみたいに――」


 ……いったみたいに、なんだろう。


 俺を殺すかもしれない?

 精霊たちをそうしたように、俺を取り込もうとしてしまうかも?


 その先を口にするのを恐れるように黙り込んでしまうスラ子に、俺はスライム質の身体をぎゅっとしがみ返してから、


「大丈夫だ」


 いった。


「大丈夫だ。不安でも、大丈夫だ。ちゃんといるから。お前のなかなんかじゃなくて、俺はお前の、傍にいるぞ」

「……マスターが私のなかにいちゃったら、こんなことできませんね」

「そうだ。エロイことだって出来ないんだぞ」


 スラ子は小さく笑ってから、ゆっくりと俺から離れていった。


「ありがとうございました。補充、できましたっ」

「もういいのか?」

「はい。とりあえず」


 とりあえずなのか。


「じゃあ、いってくる。休んでろよ」

「わかりましたっ」


 にっこりと笑う、その表情がいつものスラ子に見えたことにほっとして、外にでた。


 すぐそこにスケルが立っている。

 耳を壁にひっつけて、はっとした顔でこちらを見ている相手に、ジト目を送る。


「……おい」

「いやぁ、あっちの声が聞こえてきたらどうしようかと思いまして」

「なんで元気なくしてる相手に襲い掛からんといかんのだ」

「普段と違う姿にこそ、ギャップってものがあるんじゃありませんかい」

「知らん」


 歩き出す。

 とことこと後からついてくる相手が、からかうような声でいってくる。


「今のはなかなか良かったんじゃないですかね。ご主人もやればできるじゃないっすか。グッジョブっす」

「ありがとうよ」


 しばらく、スケルにはからかわれるかもしれない。

 なんとかこの真っ白い少女を黙らせる手立てはないものかと思いながら、カーラたちの待っている部屋の扉をあけた。



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