六話 さまよう村人の夜
人間と魔物という、両者の属性を兼ねるものが世の中にはいくつか存在する。
それは俺みたいな人間で魔物な魔法使いのことだけではなくて、
「グール。いや、ゾンビか……?」
動く屍。あるいはそれに魔力的な強さの加わった屍食鬼には、人間が素体になっていることも多い。
まるで自分の頭の重さに耐えられないように、ぐらりと揺れながらこちらに寄りかかってくる相手に対して、即座にカーラとタイリンが動いた。
「マスター、さがって!」
ミスリル銀の手甲を握りこんだカーラが、相手の前に立ちはだかるように進み出る。
低級の不死者にまともな知性は残っていない。
攻撃は単純な殴打や噛み付き。肉体は傷み、筋組織も当然のように損耗しているが、生前のようなリミッターがはずれているために掴まれるとやっかいだ。
カーラは相手の攻撃を受けようとせず、緩慢な動きを回避しざま、足を払って態勢を崩す。
足がもつれた村人は、受け身も取れずに前のめりに倒れこんだ。
すかさず、タイリンのかまえたナイフが振り下ろされる――
「殺すな!」
後ろ首の寸前でぴたりと刃先が止まり、タイリンの沈んだ眼差しがこちらを見る。
暗殺者に戻りかけている相手に、ゆっくりと、噛んで含むように告げた。
「……そいつは、悪いヒトなんかじゃない。タイリン」
感情の抜け落ちた目。
近づいたカーラがそっと手を添えると、いつもの年相応の、不満そうな幼い表情へと徐々に戻っていく。
しぶしぶといった感じで、タイリンは手に持ったナイフをしまった。
自制が効いてくれたことにほっと息を吐きながら、俺はうつぶせに倒れこんだ村人へと目をむけた。
タイリンを止めたのには理由がある。
動く死体に良いも悪いもあるかどうかはまた別の問題だが、この場合はさらに話がちがう。
俺の見おろすその村人の服は、あまりに小奇麗すぎた。
動く屍にはまともな理性はない。あちこちを徘徊して、服装が綺麗なままなんてありえない。
生まれたてなら服を汚す暇はないかもしれないが、それならどうして生まれたばかりの動く屍が普段着なんか着てるんだってことになる。
カーラに村人が暴れないよう抑えてもらって、男の手首をとった。軽く押し込んで反応をたしかめ、念のために首筋でも同じ動作を繰り返す。
「――やっぱり死んでなんかないな。生きてるぞ」
村人からは、しっかりとした脈動がかえってきた。
「ここの村の人、ですよね」
「多分な。魔法かなんかで操られてる感じでもなかったが……これが呪いなのか?」
人が狂する、とコーズウェルはいっていた。
なるほど。たしかに普通の様子じゃなかった。
正常な判断とか以前に、意識があったかさえ定かではなかったが、
「とりあえず、ちょっと調べてみよう。カーラ、手を貸してくれ。館まで運ぶぞ」
はい、とうなずきかけたカーラの眼差しが、緊張に強張る。
「ちょっとそれ、厳しいかもです」
「新手か?」
振り向いて、絶句した。
濃淡のある暗がりに、松明も持たないなにかが蠢いていた。
闇夜に光らない。唸り声もあげない。
――獣じゃない。
小さくもない、ちょうど人型くらいの大きさの闇が濃厚な気配をともなって近づいてくる。
ずるりずるりと引きずるような音。
それが聞こえてくるのは、一方向でもなかった。
右、左。それどころか、
「おいおい。なんだそりゃ。どんだけ呪われてんだ、この村――ああ、村中かっ?」
「マスターっ! 囲まれたらどうしようも……!」
「わかってる! 逃げるぞ!」
倒れている村人の運搬は即、あきらめた。
自分たちが危ないのに、人一人かかえてる余裕なんかあるわけない。
切迫した声で撤退をうながすカーラに答えながら、俺は手早く練りこんだ魔力を上空に撃ちはなつ。
ライトの魔法が球となって浮かび上がり、白光があたりを照らした。
俺程度の魔力でしかも急ごしらえのせいで、決して強くない灯り。
それでも近場に白と黒の区別をつける、その光景のなかで俺がみたのは、数え切れないほどの村人たちの群れだった。
ぞっとする。
さっきの村人とおなじなら、蠢くそれらは全て生きている連中なのだろう。
だが、人間は灯りもなしに暗闇を歩くなんて習性をもたない。そうした機能は備わっていない。
「マスター……」
異様な光景にカーラが怯えた声をだす。
俺も、まったくカーラと同じ心境だった。
このあいだ、タイリンと相対したあとでメジハの町の連中に囲まれたときにも感じた恐怖。
人間の集団ってのは――本当に、たまらなく恐ろしい。
まったく動じていないのは変な髪形のちんちくりんな暗殺者だけで、
「なんだ、こいつら悪いヤツらか?」
「違う! タイリン、逃げるぞ! サポートしてくれ!」
タイリンの得意とする闇属性の魔法なら、うまいこと撤退路をつくることもできるはずだったが、
「ヤダ」
俺のほうをちらりとみて、いーっと歯をむいた。
「カーラは、イイ。でも、マギを助けるのはイヤだ」
「いってる場合かあああああああ!」
絶叫しつつ、それからなんとか館まで逃げ帰った。
「……お疲れのご様子ですわね」
窓枠をのぼって部屋に駆け込んだ俺たちを、ルクレティアの冷ややかな視線が出迎えてくれる。
皮肉っぽいいつもの口調に反応するより先に、いそいで木窓をおろしてから、そっと外の様子をうかがう。
ベッドに転がったスケルが不思議そうに首をかしげた。
「ご主人、どうかしたんっすか。スラ姐は捕まえられずですかい?」
「おかしな連中に襲われた! それも大勢!」
「おかしな連中? ……スラ子さんを怒らせでもしましたか」
「なんでだよっ。外に――ええい、いいからライト撃て、ライト!」
暗闇を指差す俺の様子に眉をひそめながら、
「なんですか、騒々しい……」
ルクレティアが人差し指で灯りをつくり、窓の外にそっと放り飛ばす。
俺がさっきつくったのよりはるかに光量の高い、魔法の輝きが外の暗闇をはらって――柵に囲まれた館の敷地の向こう側にうごめく、人影のいくつかを浮かび上がらせた。
顔をしかめたルクレティアが、
「なんですの、あれは」
「知らん。知るか。ゾンビみたいな、生きた人間だ。あんなのが大勢、外を徘徊してる。竜の呪いってのが多分あれなんだろう」
起き上がってこちらにやってきたスケルも、窓の外をのぞきこんだ。
「こりゃまた――いかにもあのまま、夜の怪しい集会でも始まっちゃいそうな感じっすね」
「幻惑か、催眠? そういったものに集団でかかっているような様子ですね。それが呪いと?」
「さあな。とりあえず、幻惑とかの魔法を使われてる気配はなかった」
「ご主人様の感知能力ではいま三つほど、信用がおけませんが。スラ子さんは、お戻りになられないのですか」
問いただすような目線に、うっと答えに詰まる。
スケルとルクレティアが同時にため息をついた。
「ご主人は本当に、ダメなご主人っすねぇ」
「悪かったな」
「ご安心ください。元からたいして期待もしておりませんでした」
ルクレティアが笑う。極寒の微笑だった。
「スラ子さんであれば、あの程度の連中に遅れをとるようなことはないでしょう。……柵を越えてやってくる様子はありませんが、念のために交代で見張りをたてておきましょうか。村中の人間に囲まれるというのは、少しばかりぞっとしませんし」
「そうだな。……ルヴェは隣か? 一応、おなじ部屋に集まっておいたほうがいいだろう」
「赤ん坊が何度も泣いちゃって、そちらにかかりっきりでしたね。あっしが呼んできますんで、ご主人がたはゆっくりなさっててください」
「ああ、頼む」
部屋からでていくスケルを見送って、俺はタイリンを振り返る。
「タイリン――」
「ね、タイリン。外の様子、ちょっと探ってみてもらえない?」
カーラがこちらにアイコンタクトで合図をして、続きの台詞をひきとった。
俺からより、カーラからのほうがタイリンも協力しやすいはずだ。
そちらは任せることにして、俺は窓際で外の様子をうかがっているルクレティアに近づいた。
「どうだ」
「……こちらに迫ってくる様子はありません。意識も目的もないように右往左往と……ゾンビというのはなるほど、いい得て妙です」
「生きてたぞ。脈は確認した。間近でも、こっちのことなんか見えてないみたいだったが――こんなのが呪いってんなら、意味がわからんが。……わからんからこそか」
「竜の呪いと決まったわけではありませんが。こんなことが毎晩続くというのでは、たしかにそんな噂もたってしまいそうですわね」
それから俺たちは、万が一の襲撃に備えて一部屋に集まり、交代で休みながら一夜を過ごした。
野営とほとんど変わらないが、それでも身体を休めるベッドがあっただけマシだろう。
それでも一部屋に二つだけのベッドを全員が使えるわけではなかったから、俺は他の部屋から持ってきた毛布に身を包んで壁際にまるまりながら、この場にいない相手のことを考えていた。
スラ子は強い。
ゾンビやグールなんかが束になったって敵いやしないだろうが、こんなおかしな状態のなかで、一人っきりのスラ子は今ごろどんな気持ちだろう。
――こんなことになるなら、あの時、無理にでも追いかけておけばよかった。
……そんなこと、あとから後悔したってなんの意味もない。
今はただ休めるときに休んで、明日スラ子を迎えにいけるようにしよう。――いや、しろ。
身体の内側から湧き起こる不安や焦りをおさえこんで、俺はこんなときに限ってどこかへいってしまっている眠気を引き寄せようと、強引に目を閉じた。
スラ子は、無事か――?