四話 不穏な気配とある噂
その館は集落をまとめる人物が使っているものらしく、外からの来客には客もそこに泊めさせているらしい。
館の主人は外に出ていて不在だったが、残っていた人間にメジハからやってきたことを告げると、あっさりと部屋を貸してもらうことができた。
「やっぱり宿屋がないのか? ほんとに、変わったとこだな」
「防衛的に考えるなら、山の上のほうが適しているはずです。砦というのとも異なるようですわね」
「関所とかか? だが、こんなとこ人なんか通らないだろう」
「どうでしょう。見張りの雰囲気も少し違いましたし、警戒をしておいて損はありません。やっかいごとに巻き込まれるのはご主人様も不本意でしょう」
「違いない」
一晩を借りるだけなのだから、なにも起こってほしくない。
人数分の個室というわけにはいかなかったが、いくつか部屋を借りることができたから、俺たちは休憩のためにそれぞれの部屋に別れた。
俺は一人であてがわれた個室にいき、すぐに部屋をでた。
一日、馬車に揺られていて身体が痛い。本音は少しでもベッドに横になりたかったが、その前にやっておかないといけないことがある。
廊下に出て、目的の部屋へむかって扉をノックする。
「はいな」
「俺だ。入るぞ」
「どうぞっすー」
扉を開けると、二人いるはずのなかにはスケルの姿しかなかった。
「スラ子は?」
「このあたりの様子を探ってくると。なんだかおかしな気配がするみたいっすね」
おかしな気配?
村人たちの様子が変だったのはそのせいか?
スケルは親指をぐっと立てて、
「もしかすると、ご主人を避けるための口実ってだけかもしれませんがね!」
渋面になる俺に、からからと笑って手招きしてくる。
「まあ、どうぞお入りになってください。待ってるあいだに戻ってくるかもですぜ」
俺はため息をつくと、扉を閉めて近くのベッドに腰をおろした。
自分のベッドに横になってこちらを眺めるスケルは頬杖をついて、にやにやと笑っている。
人の悪い表情だった。
「あいつ、なにかいってなかったか?」
「いえ、特に」
「そうか」
「ええ、そうっす」
沈黙。
気まずい空気にいたたまれなくなった。
「帰る」
「まあまあまあ! ちょいとお待ちを、なにか悩みがあるなら相談に乗りますぜっ」
俺は嫌な顔をつくってスケルを見た。
「……お前、やけに楽しそうじゃないか?」
やぼったく白い髪を伸ばした白肌の少女が、おっとりした瞳を笑わせたまま口をとがらせた。
「心外っすねぇ。これでもあっしは心配してるんす」
「なんの心配だ」
「もちろん、ご主人が刺されたりなんかしないかどうかですよ」
「なんで刺されなきゃならないんだよ」
「なんで刺されないとお思いなんで?」
はっきりと言い返されて、絶句する。
「あのな。いっとくけど、ルヴェとは別になにかあったわけじゃないからな」
「別にルヴェさんのことだなんて一言もいっちゃあいませんが、まぁ聞いときましょう」
あ。こいつ、ひっかけやがった。
「アカデミーでは数少ないお知り合いだったんでしょう。初心なご主人がころっと、特別な好意を抱いちゃったとしても不思議じゃないんでは?」
「だから、そういうのじゃないんだって」
やっぱりそう思われてるのかと、頭を抱えた。
「ぼっちだったんだぞ。魔物連中のなかで生き延びるのに必死だったんだ。一方のルヴェは俺なんかとは大違いだ。見てのとおり、人間魔物関係なしに誰とだってすぐ仲良くなれるやつだからな。知り合いだってたくさんいた。そんな彼女が、俺なんか相手にするわけないだろう」
「あっしが聞いてるのはご主人の気持ちであって、ルヴェさんのお気持ちじゃあないっす」
正論に顔をしかめる。
「……お前、わかったようなこというじゃないか」
「自分も似たことを前にいわれちゃいまして」
苦笑いをしてから、スケルが肩をすくめた。
「ま、それは置いときまして。スラ姐の元になった相手があらわれたってのは、ちょいと迂闊でしたね」
「それだって、他に思い浮かぶ相手がいなかったからで――」
さすがに自分でも、少し苦しい言い訳に思えてしまった。
「なんだよ。それともイメージするのに、自分の母親の顔でも想像したほうが良かったってのか?」
「別に悪いなんていってませんって。その二人が顔を見合わせることになった事態が、ちょいとまずいでしょうねってだけです」
「そうだよなぁ」
俺はうなずいて、天井を見上げた。
「二人が会ったらどうなるかなんて、考えもしてなかったもんな」
それもこのタイミングに、だ。
このあいだから、明らかにスラ子はなにか思い悩んでいる。
決まった形を持たない不定という在り方のせいで、ただでさえスラ子は不安定だ。
スラ子の容姿の基本となっている姿は、俺が用意したもの。
スラ子は自分の姿を自在に変えられるのだから、外見だっていくらでも変えることはできる。
だが、自分以外の誰かから与えられた、という事実は、スラ子が自意識以外で自己を認識するためにも大事だったはずだ。
そこに、自分とおなじ外見の人間があらわれた。
動揺するなというほうが無理だろう。
「カーラさんやルクレティアさんも、ルヴェさん登場にはそれぞれ思うところはあるでしょうが。一番ショックを受けてるのはスラ姐でしょうねぇ」
「だから。きちんと話しておきたかったんだ」
「まあ、スラ姐も夕食には顔を見せるでしょう。そのあとにでも、ご主人からはっきりと説明しておけば問題ないんじゃないっすかね」
簡単にいってくれる。
俺は渋面でスラ子をみて、ふと思いついて訊ねた。
「――お前はどうなんだ?」
「なにがですかい?」
きょとんとまばたきするスケルに、
「スケル。お前は、ショックとかないのか?」
「そりゃあ、ご主人」
やれやれといいたげな目線で、白色の元スケルトンはいった。
「昔のご主人がどういう感情を抱いてたかはともかく。それでなにか出来るような性格じゃないってことくらい、わかりきってますし。恋人の一人だっていたこともなかったんでしょう」
まったくもってその通りだったが、なんだかカチンとくる言い方だった。
「そ、そんなことわかるか。俺にだってな、過去に恋人の一人や二人くらい、」
「そんな社交性がカケラでもあったら、あんな洞窟に引きこもってなんかいませんって」
あっさりと論破され、俺は完全に沈黙した。
物言わぬスケルトンだった頃から、さすがに一番つきあいが長いだけある。スケルには俺のことなんかお見通しらしかった。
「まあ、わかっちゃいても、言葉や態度で示してほしいってこともあります。スラ姐や他の皆さんには、ご主人からきちんとお話してくださいよ。皆さん、自分にとっても家族みたいなもんなんですから」
「俺もそう思ってるさ。もちろん。スケル、お前だって俺の大切な家族だ」
じっと、上目遣いの視線が俺をみた。
「なんだよ」
「いえね、今の台詞を喜ぶべきなのか、それとも残念がるべきか――とりあえず、いわれて嬉しく思っちゃってる時点でざまあないっすねぇ」
「……そうか。大変だな」
よくわかっていない俺の表情を笑って、スケルはベッドのうえをごろりと転がった。
「ええ。ほんと、大変ですよ。皆さん苦労されてますね。ほんとに刺されたりなんかしないよう、ご主人は注意するべきっす」
「とりあえず、気をつける」
スケルの顔が案外、真面目だったので、俺はこっくりとうなずいて部屋をでた。
自分の部屋に戻ると、廊下に黄金色の髪をゆるやかに伸ばしたルクレティアの姿があった。
「――刃物とか持ってないよな」
「……刺されたいのですか? ご命令とあらば、十本も二十本でも刺し貫いてさしあげますが、変わったご趣味ですわね」
「いや、なんでもない。気にするな」
スケルのせいで変なことを聞いてしまった俺に眉をひそめたルクレティアは、ただの戯言だと受け流すことにしたらしい。
「館の主人が戻ったそうです。挨拶にいくところですが、よろしければご同行いただけませんかしら」
「ああ、わかった。スラ子が、なんだか妙な気配を感じたらしい」
「妙な気配ですか。スラ子さんがおっしゃるなら間違いないでしょうね。……挨拶のついでに、少し探ってみることにいたしましょう」
「明日の出発まで何事も起きないんなら、俺としてはそれでいいけどな」
「ご冗談を。メジハにこんなにも近い距離で、おかしなことをされていてはたまりませんわ」
まあ、そうなるだろう。
俺はため息をついた。
ルクレティアの後ろを歩きながら、姿勢よく廊下を進む後ろ姿に声をかける。
「なあ、ルクレティア」
「言い訳の類でしたら必要ありません」
こちらを振り返ろうともしないまま、冷ややかな声がいった。
「言い訳って。そういうんじゃなくてな」
「ご主人様とあの方がどのようなご関係でも、私には関心はありません。私と貴方様は恋仲などではないのですから。結婚を約束しているような間柄であれば、話は違うでしょうが――」
「結婚? 俺とルヴェが? それとも、お前とか?」
突然そんな単語が出てきたから、俺は驚いて訊ね返していた。
ルクレティアの足が止まる。
勢いよく振り返った顔が、少し赤みがかっていた。
「貴方とルーヴェさんが、です。当たり前でしょう」
「ああ。そっちか。んなわけないだろ。俺とルヴェは友達だよ。いや、友達未満だな」
ルクレティアが顔をしかめた。
「卑屈ですこと」
「事実だからな。今の俺だって大したやつじゃないが、昔はもっとひどかったんだ。そんな俺からしたら、彼女は輝いて見えた。……憧れてたんだ」
ルクレティアの鋭い視線が俺を貫いて、それに負けないくらい鋭い台詞が舌先から漏れた。
「自虐を自慢されても、聞かされるほうは不愉快なだけですわ。ご主人様」
ごもっともだ。
「そうだな。まあ、だから少しでもいい顔したいってのはあるかもな。昔の自分じゃない自分をみせたがってるのかも。そういうことだ」
「……そうですか」
しばらく俺を見つめ続けたあと。
表情から少しだけ険しさをやわらげて、ルクレティアは豪奢な髪を振った。
「別に関心はありませんけれど。今、聞いたお話は、私のなかに留めておきますわ」
「そうしてくれ」
前を振り向いた歩みを再開しかけたルクレティアが、途中で動きを止めて、
「――今のお話、他の方々にはもうお話したのですか」
「まだスケルにだけだ。けど、全員に話しておこうって思ってるよ。ルヴェの同行だって、確認もとらずに俺が決めちゃったからな」
「そうですか。そうですわね、そのほうがよろしいでしょう」
それから、少し考えるような表情で続けた。
「カーラは、あまり気にしている様子ではありませんでしたけれど。スラ子さんは少し……おかしな様子にみえましたわ。自分と似ている人間があらわれれば、普通はもっと驚くものでしょう。動揺を無理やり抑えているような、そんな印象です」
スラ子の態度がおかしいことに、ルクレティアもやっぱり気づいていたらしい。
「お気をつけください。精霊云々の話をぬいても、あの方はひどく繊細です。スラ子さんの在り方はご主人様次第なのですから」
「わかってる」
うなずきながら、少し意外に思えたので俺は訊ねた。
「スラ子のことも気にしたりするんだな」
ルクレティアが隷属の証を受けることになった経緯といい、スラ子にいい感情を抱いているとは思えなかったが。
俺の質問を受けた令嬢は小馬鹿にした笑みをひらめかせると、
「私個人の好き嫌いは関係ありません。貴方様が貴方様でいるために、あの方は必要でしょう。ならば貴方に仕える身としてはあの方にどうにかなってしまわれては困るのです。それはカーラだろうと、スラ子さんだろうと同じです」
傲然とした態度でいった。
ルクレティアと訪れた部屋で、俺たちを出迎えたのはそろそろ壮年にかかりそうな年齢の男だった。
彫りの深い容姿。白髪交じりの頭髪は短く刈り上げられ、畑仕事で年を重ねてきたわけではないことが眼光の鋭さからうかがえる。
どことなく、竜騒ぎのときにメジハにやってきた一団の一人、護衛役のリーダーをしていたジクバールを思い出していると、
「はじめまして、ミス・イミテーゼル。貴女のことはジクバールから聞いていました」
どうやら顔見知りらしい。
「ジクバール様とご面識がおありなのですね」
「古い傭兵仲間です。挨拶が遅れましたな。私はコーズウェルと申します。この集落で、まあ長のような役目をしております」
「ルクレティア・イミテーゼルです。メジハで祖父の手伝いをしています」
父と娘ほど年の離れた両者が互いに挨拶をかわす。
どちらの顔にも社交的な笑みが浮かんでいた。
「遠く王都からメジハにやってきたご令嬢がたいへん美しく、また聡明であるという噂は耳にしておりました。そういった噂は大抵の場合、尾ひれがついているものですが――今回はどうやら逆にいささか足らなかったようですな」
と男がいえば、ルクレティアも余裕をもって返す。
「ありがとうございます。ということは、ジクバール様も尾ひれつきで私のことをお話してくださったのでしょうか」
男は楽しげに笑った。
「あの男は堅物な性格で、世辞など口にする人間ではありません。しかし、ミス・イミテーゼルのことは珍しく褒めておりました。それを聞いて、私もぜひお会いしたいと思っていたのです」
「そのジクバール様は、竜騒ぎのあとギーツに戻られる際にこちらにお寄りに?」
「左様。なにせ伝説に残るような竜殺しを成したあとですからな、ご子息のノイエン様もご機嫌がよかった。少々、迷惑なほどに――失礼。今のは聞かなかったことに」
竜の捜索隊を率いた、とされているボンクラ息子のことを話題に持ち出すと、くすりとルクレティアも微笑んだ。
「ご安心ください。ノイエン様の歌好きは、メジハでも有名になりました。ノイエン様が帰られたあと、しばらく町の人間は耳からあの調子はずれの歌声が離れず、夜、眠るのに困ってしまったほどです」
「それはそれは。さぞご迷惑であったことでしょうな」
仮にも領主の子息にそんなことをいっていいのかと俺は思ったが、この程度のやり取りは珍しいものでもないらしい。
両者はなんということもない態度で、さて、とコーズウェルが本題にはいった。
「話は家の者から聞いております。ギーツにのぼられる途中ということでしたな。旅に慣れていなくては、馬車に揺られるだけでもお辛いでしょう。なにもないところですが、一晩だけでも身体を休めていってください」
「ありがとうございます。ご厚意に感謝いたします」
「なにか入用のものはございますかな。村というのもはばかられるような集落でして、あまり物資に余裕があるわけではないのですが、必要なものがありましたらお伝えください。準備できるかどうかは、確約いたしかねますが」
「重ね重ね、ありがとうございます。しかしまだメジハを出たばかりですし、荷も余裕をもって準備してきておりますので、お気持ちだけありがたく頂戴いたしますわ」
深窓の令嬢そのものといった完璧な表情で、ルクレティアは続けた。
「それよりも、もしこちらの村でなにかお困りのことがありましたら、私のほうこそ是非お力添えさせていただければと思います。メジハとは二日ほどの近所です。これから私どもからお頼りすることもあるかもしれませんので」
コーズウェルの表情にやや警戒の色が浮かんだ、ような気がした。
「……そうですな。確かに、近くに住む者同士、互いに協力しあっていかなければならないことはあるかもしれません」
「なにかございますか?」
男は思案するような沈黙をおいた後、
「――いえ。今のところ、特にありませんな。なにか難しいことがあった場合には、お願いすることがあるかもしれませんが」
「……そうですか。そのときは、どうぞご遠慮なくお声がけください。私も祖父も、そしてメジハも領主様のおかげで平和に過ごせておりますから、恩返しをさせていただきたいと思っております」
「そのお言葉だけで、領主様も喜ばれるでしょう。今後ともよい関係をお願いいたします」
「こちらこそ」
話はそのまま終わりそうな按配だった。
どうもコーズウェルの態度にはなにかありそうだったが、これ以上はルクレティアも探りようがなさそうだ。
スラ子が感じた気配とかいうのが気になるが、山や森の近くならどんな魔物がいたっておかしくはない。
さっさと休んで、朝になったら村を出てしまおう。
そう考えた俺とルクレティアが部屋をでようとしたところで、背後から声がかかった。
「ミス・イミテーゼル。夜になって出歩くような真似はなさらないでしょうが、一応お伝えしておきます。どうぞ外には出られませんよう。近頃、この村ではおかしなことが起こっています」
ルクレティアはゆっくりと館の主人を振り返り、訊ねた。
「おかしなこと、とは?」
「……人が狂を発し、殺人まで。それが、ちょうど一月ほど前からになります」
「一月前。それはまさか、」
ルクレティアが眉をひそめる。
コーズウェルは重々しい態度でうなずいた。
「はい。村には、竜の呪いではないかと。そういいだす者まで出てきているのです」