二話 突然の再会
遠出をするのに一番のネックはもちろん、俺たちの上に住む黄金竜の存在だ。
黙っていくなんて恐ろしい真似はできない。
前に居留守を使おうとして、俺はその頃ただのスケルトンだったスケルと一緒に洞窟ごと閉じ込められたことがある。
一月以上も不在にして洞窟を焦土にされても困る。
前もって伝えておくべきだったが、そっちはそっちで問題があった。
今回の旅の目的はいうまでもなくアカデミーだ。
そして、ストロフライはアカデミーのことを良く思っていない。
というよりそこに所属する蛇人族のエキドナをだが、この場合、個人への嫌悪と組織への嫌悪はほとんど変わらない。
誰か一人を気に食わないなら、組織ごと叩き潰すのが竜だからだ。
俺がアカデミーに向かうことが、ストロフライになにかの行動を招いたりしないかどうか。それを懸念していたのだが、かといって隠しておけるものでもない。
竜は心だって読む。
なら、ストロフライがそうした破滅的な反応をみせたら、どうする?
なんとしても俺が止めないといけない――悲壮な決意を固めながら山頂にのぼって出発の挨拶をすると、
「しばらくお出かけするの? うん、わかったー」
ストロフライはなんということもない様子でいってきた。
俺の目線にあわせてとった、人に近い姿でひらひらと手を振ってきてくれる。
そんな反応はまるで予想していなかったので、俺はほとんど渋面になってしまった。
「なぁに? マギちゃん」
「いえ! なんでもない、です」
「スラ子ちゃんのことでしょ? いっといでよ」
俺たちがアカデミーに向かう目的は二つある。
スラ子の相談とエキドナの対処。
そのどちらもわかっているといった超然とした微笑で、可愛らしい黄金竜はいった。
「マギちゃんが頑張ろうってしてるのに、邪魔なんかしないってば。ちゃあんと待っといたげるっ」
あ、と思いついた表情で、
「あたしの鱗、持ってってね。暇で暇で暇すぎたら遊びにいくかも!」
やめてください。とはいえなかった。
「わかりました」
アカデミー? 潰そう! なんて反応にならなかっただけで良かった。
そう思うことにして、俺は竜の前から辞した。
俺たちが出発すると、洞窟に残るのは地下に住む蜥蜴人族と魚人族。そして管理者のノーミデスだ。
地上部分と地下を繋ぐ工事は今も続いていて、一月以上も掘削を続け、工事部分はほとんど地上に近い高さにまで上がってきている。
帰ってくるころには広場奥の縦穴以外の道が開通しているかもしれない。
もちろん、ただ繋いだというだけでは意味がないし、工事が上がってくることは周囲へバレてしまう恐れにも繋がる。
「人間がこのあたりにやってくることはないはずだが、気をつけてくれ。道具とか、食料は前もって運んでたもので間に合うと思う。一応、上に予備も置いてあるから、なにかあったら使ってくれ」
湿気の強い場所は保管に向かないが、俺たちの洞窟ではその一室をなんとか保管庫として使えるよう通気を整えてあった。
「わかった」
「了解、タ」
肩掛けを巻いた水色の美女がうなずき、若いリザードレディがたどたどしい精霊語でいう。
「スラ子とシィが、妖精族に挨拶しておく。なにかあったら連中と協力してくれ。そっちからなにかあるか?」
蜥蜴人族の若者たちをまとめるリーザが、小さく舌を伸ばしてこちらの注意をひいた。
「どうした」
「ゅ――キ、欲しい」
「キ? 木材か」
少し前から、地下の蜥蜴人族のあいだでは木材加工が流行っている。
長く地下生活を続けていた彼らにとって鉱石以外の資源はよほど珍しかったらしく、洞窟掘削の労働対価としてこちらから木材を搬入するという、賃金を介しない変わった労働関係になっていた。
「ああ、そっちの補充もないとか。けど――」
木材の予備もあるにはあるが、量は多くない。
元々、洞窟の地上部分はそう広くないし、保管に使える部屋は一室きり。どうしたってスペースに限りがあった。
新しい木材を仕入れるのには町とやりとりするしかないが、
「……やっぱり、ルクレティアがいないのはキツいな」
本来ならそうしたやり取りや不測の事態も任せられるはずだったのだ。
領主から呼ばれてしまったのなら仕方がないが、他に誰かを残せばいいという話でもない。
カーラやスケルにそうした仕事はできないし、町で主導権を握りつつあるルクレティアだが、信頼できる配下はいなかった。
俺たちのことを知っている人間も皆無だ。
今からでも木材入手の手はずだけでも教えてもらって、スケルに残ってもらうしかないか、と考えていると、
「自分タチ、とる」
と、若いリザードレディがいった。
「お前たちが? 外に出るのか?」
「じゅ」
確かに、木なら外にいくらでもある。それをリーザたちが自分で採るというなら、町とのやりとりはいらない。
ちゃんとした木材にするためには伐採した木を乾燥させたりの加工が必要だが、別に蜥蜴人たちは家を建てるわけではないから歪んだところで気にはしないだろう。
だが、それにもやっぱり問題はある。
リーザたちが外にでれば、その姿を見られる恐れもでてくるからだ。
少し考え込んでから、俺は通訳のスラ子に特に念入りにこちらの台詞を訳させた。
「わかった。ただし、条件がある。決して町や、そこに住む人間に姿を見つからないこと。木を採り過ぎないこと。地下湖の恵みと同じで、どんな資源だって有限だ。伐採には森の妖精族から協力を得て、連中の同意無しにはしない。リーザ、お前の責任で約束できるか?」
長い翻訳を聞いたあと、若いリザードレディはすっと爬虫類の瞳を細めて、うなずいた。
「じゅ。約束、守ル」
「……エリアル、お前たちのほうはなにかないか?」
「そうだな。もしよかったら、彼らが外にでるとき、私達もついていっていいか。あまり遠くにいくようなら遠慮するが、近場だけでも」
「生地か? あれも加工品だから、森にあるわけじゃないぞ」
理知的な表情の長代理はゆっくりと首肯して、
「そうだろうな。だが、材料はあるかもしれない。色染めに使えるものとかな」
「なるほど」
「それに、これは偉そうに思われるかもしれないが、洞窟の外でなにかあったときには私達もそれに協力したい。洞窟の外を知らなければ対応も考えづらい」
相手の発言を聞きながら、俺はふと思いついていた。
蜥蜴人族が“外”へ関心を持てば、将来的に彼らが洞窟から移住する可能性もある。
リザードマンは元々、地下だけに限って生息する魔物じゃない。資源に乏しい地下より、地上への居住を求めるかもしれない。
そうすれば地下の食料問題は一気に解決だ。
それまでエリアルが考えたかどうかはわからないが、蜥蜴人族の目が外に向かうことは彼女たちにとっても悪いことではないのだ。
もちろん、蜥蜴人族が地上に移るようなことがあれば、それはそれで森への影響が生まれる。生態系も変化するだろうが、そのために今から妖精族と渡りをつけさせておくのも悪くない。
蜥蜴人族、魚人族、そして妖精族。
周囲の人間以外のそれぞれの種族とは、これからも大きく関わっていくことになる。
それは俺個人は当然として、俺が死んでしまったあとにも、だ。
「……わかった。エリアル、リーザと妖精族との話し合いには、お前も参加してくれ。あっちの女王には話を通しておくから、問題が起きないよう気をつけてほしい」
「了解した」
「――マスター」
ぽつりと小さく口をひらいたのは、妖精族の住処へ向かうのを待っていたシィだ。
「わたしも……残って。いい、ですか?」
「シィ?」
「リーザさん、と。エリアルさんのお話、手伝えるかもって……」
全員の注目を浴びて恥ずかしそうにしながら、告げる。
妖精族の女王はシィの友人だ。シィなら、女王とリーザのあいだを上手くとりもてるだろう。
シィには一緒についてきてもらうつもりだっだが、背中に羽のあるシィは人前では姿を消さないといけないから、アカデミーはともかくギーツでの行動は難しいところでもあった。
なにより、シィが自分からそういう意見をいうのは始めてだったから、
「いいのか?」
「……はい。お手伝い、させてください」
まっすぐにこちらを見つめて気弱な妖精がいってくるのに、それを否定する理由なんかもちろんなかった。
「よし。じゃあ、今の話も含めて、スラ子とシィは妖精族のとこに頼む」
森を歩けば連中の住処まで一日以上かかるが、この二人なら明日の出発までに戻ってこれるだろう。
それからも細々とした準備に追われた翌日。
予定より少し遅れてから、俺たちは洞窟を出発した。
ギーツは、このあたりを治める領主ゼベール・フォン・ノイテット二世の街だ。
領主とはつまり土地持ちのことで、彼らは自分たちの土地とそこに働く人々を支配して、より上位の支配者に従う。
一番の上位者がいわゆる王様だ。
その下に貴族や準貴族と呼ばれる地主がいて、さらに町や村といった集落単位に分かれる。
土地と税、人と金を媒介した段階的な支配制度。
それは百年以上昔に起こった魔王大災より前から続く風習で、それが変化してきているのもやはりその災害の影響だった。
大陸中に吹き荒れた黄金竜の災いに、大陸中は疲弊した。
人々は支配を受ける変わりに支配者に庇護を求める。
魔王竜がいなくなったあとも変わらず発生する魔物や賊からの被害を、しかし竜との戦いで疲れきった支配者層は満足に防ぐことが難しくなっていた。
大陸中原の小国レスルート、つまりこの国ではそうした事態から二つの出来事が生じた。
一つはギルドという連帯組織の誕生。
もう一つが、各地の地方有力者の台頭だ。
土地支配制度の最上位にいる王の影響力が落ちれば、違うなにかが影響力を増すことになる。
この国の場合、それは地方の貴族や準貴族と呼ばれる人々で、彼らは庇護を求める人々に積極的に応じることで、自分たちの影響力を増していった。
王の権威は依然として存在するが、実際に自分たちを護ってくれないなら意味がない。
少なくとも、地方や辺境では、王の肩書きも地方の有力者と同程度の重みしか存在しなかった。
「つまり、この地方一帯を治める領主様は、このあたりの王というわけです。それほどの影響力があります」
「なるほどっすねー」
幌から聞こえる会話を背中に聞きながら、俺は曳き馬につながる手綱をゆるめて握っていた。
今まで御者なんてやったことはないが、ルクレティアはきちんと経験のある馬を用意してくれたらしく、俺のいうことを聞いてくれている。
道という道でもない、川沿いの平野を北に向かいながら、見渡す視界に俺たち以外の姿はない。
元々、メジハは余所とのつきあいがなかった町だ。
行商人も月に一度来るくらいで、今後はバーデンゲンと積極的につきあっていこうということになったからそうした交流も増えてくるだろうが、今のところはまだ影響も見られない。
竜騒動のときにはギーツを経由してやってきただろう大勢の冒険者も、今はまったくいなかった。
「マスター、代わりますか?」
馬車の隣では、馬への負担を減らすためにカーラが歩いている。
返事をしようと顔をむけて、その隣から向けられている視線に俺は苦笑を浮かべた。
前髪をてっぺんで結んだ変な髪型で、タイリンがこちらを唸るようにして睨んでいる。
タイリンはルクレティアの家で世話を受けているが、俺たちの不在のあいだ町に置いておくのも不安が残る。
そう考えて同行させることにしたのだが、タイリンの俺に対する態度は変わっていない。
敵意にも似た眼差しをひたすら向けられるのはちょっと辛かった。
それはそれとして、出発してまだ数時間だが、ずっと座りっぱなしで揺られているのもけっこうしんどくはあった。
「ああ、交代ですかい? んじゃ、次はあっしが歩きますよ」
ひょいと顔をだしたスケルが、俺の顔を見て首をかしげた。
「どうかしましたか、ご主人。元から変な顔がますますおかしくなってますぜ」
「……なんでもない」
手綱をスケルに渡して後ろに向かう。
雨もしのげるよう油を塗った布で天蓋をつくった幌には、スラ子とルクレティアが休んでいる。
「お疲れ様です」
「お疲れ様ですわ」
「ん。お疲れ」
手渡されたクッションを敷いて、保存食を積み込んだ荷台に座った。
決して手狭ではないが、なにもない車内で視線が行き着く先なんて限られている。
目線がぶつかって、外された。
――外したのはスラ子だ。
昨日もあったし、それ以外にも似たようなことが続いていたので、俺は顔をしかめる。
このあいだの、俺のなかにいた竜が帰る前に起こしていった一件以来、スラ子の様子がどうもおかしかった。
率直にいえば、なにか思い悩んでいるように見える。
けれど、俺から聞いても「なんでもない」と答えるばかりで、そう答えられてしまった以上、何度も繰り返して聞くわけにもいかなかった。
気まずい雰囲気。
……タイリンからずっと睨まれるのも気が休まらないが、これはこれで辛い。
俺たちのおかしな気配に気づいたのか、優美な眉を少し持ち上げたルクレティアが、俺とスラ子を等分に見るようにした。
「ルクレティア。イラドの村っていうのは、明日の何時くらいに着きそうだ」
なにか聞かれる前にこちらから口を開くと、くすりと冷ややかに笑った令嬢が話にのってきてくれた。
「どうでしょう。私も初めてです。バーデンゲン商会の用意してくださった地図を見る限り、明日の夜までには到着できると思いますけれど」
ギーツまでは約一週間程度だが、そこに真っ直ぐ向かうのは途中でなにかあったときに危ない。
そこで俺たちはまず、メジハとギーツのあいだにある、小さな村へと進路をとっていた。
「開拓村か。どういう経緯でつくられたんだろうな」
メジハの近くにある集落といえば、妖精騒動のときに寄ったバサがあるが。
「領主様の声がかりとか。ギーツの周辺には農村集落を増やしているそうですから、その一環ということでしょう」
人が生きるためには食料がいる。
ギーツのような規模の街になると、そこに住む人々が必要とするだけでも物凄い量になるし、余剰食糧がなければそれ以上の発展だってしようがない。
だから、街の周辺にはそこに食料をまかなうための農村がつくられるようになる。イラドの村というのも、そうした意味合いだろうというのだが、
「けど、それにしちゃあギーツと距離が開いてないか? メジハにだって近すぎる。もうちょっと遠めにあれば、俺たちだってそっちに向かっただろ」
ルクレティアがうなずいた。
「そうですわね。そういう意味では、普通の食料生産村とは少し意味合いが違うのでしょう。文字通りの意味で開拓、ということかと思います。大元との距離がひらけばひらくほど、魔物などに襲われるなどして村が成り立たない危険も高くなりますから」
「危険だってわかって、飛び地に村をつくったってのか?」
「防衛的な、砦のような意味合いの集落かもしれません。そこで被害を食い止めることができれば、そこ以内の場所では必然的に危険が少なくなる道理ですわ」
それに、と金髪の令嬢は唇を歪める。
「牽制というのもあるのでしょう」
牽制?
「ここは自分の縄張りだ、と他に示すのです。魔物や、余所の領主。あるいはメジハへ」
最後の台詞を聞いて、俺は顔をしかめた。
「なんでメジハもなんだよ」
「メジハは独立色の強い町です。ギーツから距離がありますからね。もちろん税は毎年しっかりと収めていますし、祖父も刃向かおうなどと考えたこともないでしょう。しかし、」
「しかし?」
「支配者とは搾取して、さらに疑うものですわ。メジハが十実ったなかから四を差し出せば、本当は十四も十五も実っているのではないかと考え、八も九も収めさせようとするものです」
「ひどい話だな」
「ただの仮定です。しかし、領主様がさらにこの地で権力を高めようとするなら、メジハへの対処は必ずやってくるでしょう。バサなど、メジハと懇意にある集落もいくつか存在します。自分の意にならない有力集団など邪魔なだけです」
話を聞くうちに嫌な想像が頭に浮かんできてしまう。
俺は嫌そうな顔をつくって、いった。
「戦争でも起こりそうに聞こえるな」
「それが一番てっとりばやい方法ですわ」
「おいおい……」
「先日の竜騒動もあって、メジハへの興味も強まったはずです。ですから、こうして私が呼ばれているのですから」
そこでルクレティアはこちらへ向かって挑むような笑みを浮かべて、
「前に申し上げた通り、竜の一件が契機となって多くのものがメジハに目を向けているのですわ。貴方はその狙われた小さな町の支配者です。今さら、面倒は嫌だとおっしゃいませんわね?」
「……わかってるさ」
挑発じみた台詞に、俺は渋面になって答えた。
「人間がやってくるのも、森を荒らされるのもごめんだ。ストロフライを怒らせて、そのとばっちりを食らうのもな。だからアカデミーにいくんだ。お前も、必要なことをやれ」
「覚悟がおありならけっこう。おっしゃるとおりにいたしますわ」
小馬鹿にしたような丁寧さでルクレティア。
このあいだの一件でさんざん尻を叩かれた俺だ。相手のいうとおりに答えてやるのは歯がゆくもあったが、ふんと鼻を鳴らして、
「……アカデミー」
それまで沈黙していたスラ子がぽつりとつぶやいた。
水の精霊に似た半透明な横顔が物憂げに、こちらを見ないまま口を開いて、
「マスター。私たち、アカデミーに向かうんですよね」
いつもの明るさを忘れたような口調。
俺はちらりとルクレティアと視線を交わしてから、答えた。
「ああ、ギーツに寄ってからな」
「アカデミーって、マスターがずっと勉強してたんですよね」
「ああ。そうだ」
答えながら、俺は戸惑っていた。
発言の意図がわからない。
主旨の読めない、まわりくどい言い方もひどくらしくなかった。
「マスターがお世話になった人とか、……知り合いの人も、いるんですよね。ぼっちだったマスターの、お友達の」
困惑している俺に気づかない様子で続ける。
「ぼっちで悪かったな。まあ、いるな」
「じゃあ――」
なにかひどく真剣な、真剣すぎる眼差しでこちらを見たスラ子が口を開きかけて、
――――!
突然、空気を震わせる爆音が馬車を揺さぶった。
「な、なんだッ? ――荷物に気をつけろ! 潰れるなよ!」
あわてて外の様子をうかがおうとするより先に、外にいるカーラから声が届いた。
「マスター! 爆発です! 誰か戦ってる!」
「戦うって、こんなところで誰が――」
台詞に被さるように、再びの爆音。
俺はスラ子とルクレティアの無事を確認してから幌を飛び出した。
四つんばいに御者台に出て、カーラが指差している方角を見る。
遠く離れた場所でもうもうと黒煙が立ち昇っていた。
あたりには濃い魔力余波が渦を巻いている。
間違いなく、魔法を使った戦闘だった。
「どうしますか、ご主人っ」
「どうしますってもなぁ……」
どこの誰が戦闘してるのか知らないが、巻き込まれるのはごめんだ。
馬車は足が遅い。せいぜい距離をとって遠巻きに通り過ぎよう――無難な答えをだしかけたところに、風に乗ってなにかが届いた。
「……っ……もう! ……!」
ほとんど風に千切れた、声。
それを聞いた瞬間、俺はそれまで固まりつつあった考えをいっぺんにひっくり返した。
「カーラ、馬車を向けろ!」
「は、はいっ!」
「スラ子、ルクレティア! 一緒にこい! スケルはタイリンと待機! 馬車で後からついてこい、巻き込まれる位置には近づくなよ!」
指示をだし、その返事を待たずに馬車から飛び降りる。
段差にこけそうになってなんとか姿勢を立て直し、全力で走った。
――今の声。
ほとんど聞き取れなかったけど、間違いない。
間違えるはずがない。
あの声の主を俺は知っている。
そんなまさかと思いながら、思い切り手足を前後に振った。
最近は少しばかり走りこんだりしているが、全力疾走なんてそうそう続くもんじゃない。
すぐに息が切れて、速度が落ちる。
戦闘が起こっている場所までもう少しだ。
断続的な爆発で、あたりには土砂が舞い、風がないから煙が立ち込めたままだった。
それにまじって聞こえる声も徐々に大きくなっている。
そして、
「いい加減に、しろー!」
はっきりとした怒声とともに、魔力が弾けた。
膨張したマナが使用者の意図をかたどり、急激な燃焼反応を起こす。
それは今まであった他の気体とも即座に反応を起こし、連鎖して、
――――――!
今までで一番の爆発が起きた。
破裂した爆風をまともにくらって、俺は吹き飛ばされてしまう。
「マスター!」
それを後ろからスラ子に柔らかく抱きとめられた。
爆発した炎が空へ昇る。
俺は熱に肺をやられないよう息を止め、手で顔を守って。
ほとんど炎の柱のような惨状の目の前で、立ち昇る炎のなかでうごめく影を見つけた。
渦巻く炎が晴れ、そこから一人の人間が姿をあらわれる。
「ったく、ちょっとは休ませてくんないかなぁ。昼寝だってできやしない」
年のころは二十代にも届いてないように見える。
旅慣れた軽装に、背負い袋ひとつ。右手になにかを包んで抱えていて、長い髪を後ろで簡単にまとめている。
冒険者然としたその姿に、俺は見覚えがあった。
いいや。見覚えどころじゃなくて、毎日だ。
俺はこの相手の姿を毎日見ている。
なぜなら――今も、俺の後ろで、その姿は俺のことを抱きしめてくれているのだから。
爆発の近くに倒れるこちらに気づいた相手が、きょとんとこちらを見おろして、それから大きく目を見開いた。
「あれ? ――マギ!? マギじゃん! こんなとこでなにやってるの!?」
「……久しぶり、ルヴェ」
目の前にいるのは、俺のアカデミー時代のほとんど唯一といってよい知人。
人間でありながらアカデミーに所属し、冒険者ではなく冒険家を志していた――ルーヴェ・ラナセその人だった。