一話 アカデミー行き。途中経由あり
「マスター」
背中にかかった声に、頭上に振りあげた鍬をぴたりと止めた。
顔を向けると、もみあげのところだけ長く伸ばした活発な印象の少女が立っている。
俺は鍬を力いっぱい振り下ろし、目の前の地面に突き立ててから、
「お疲れ。ギルドの仕事は終わりか?」
冒険者兼魔物見習いのカーラがにこっと笑った。
「はい、簡単な見廻りだけだったんで。これ、お水です。どうぞ」
「おー。ありがと」
何度もマメが剥けて固くなってきている手のひらを苦労して引き剥がし、水入れを受け取る。
口をつけると、汲んだばかりのものでひやりと美味かった。
ほうっと息をつき、続いて身体を左右にひねってストレッチ。痛みにも似た気持ちよさを覚えた。
強張っていた体の筋肉が無理やりに引き伸ばされる感覚。
あるいは、過剰な運動への文句をいっているのかも。
長らく洞窟に引きこもってきた身に、連日の重労働はかなりの負担ではあった。
手、腕、足。なかでも特に腰がやばい。
それでも人間の身体というのは少しずつ適応してしまうもので、最近は以前よりしんどくなくなってきている。
おなじような生活を一年も続ければ、俺だって立派な農家になれるかもしれない。
そんなことを思い、目の前の光景に意識を戻して苦笑した。
俺が今いるメジハの町外れ。
そこでは、水場から遠いなどという不便さから今まで使われていなかった一帯を、新しく農耕地にしようという試みがなされている。
木々が深く生い茂る森を切り拓くほどの苦行ではないが、それでも邪魔になる木や岩はごろごろ転がっている。
俺やカーラ、その他にも大勢が農具を掴んでとりかかっている耕地は、作業開始から二週間近くかけて、まだほとんど荒れ地のままだった。
牛犂を使ったりもしているが、なんといっても今まで放置されていた場所だ。
ちょっと人間が手を加えてくれただけで、いいようにその姿を変えてくれたりはしない。
「……畑をつくるって、大変だな。冬までになんてとても無理だ」
「そうですね」
俺から水入れを受け取ったカーラがうなずいた。
「ルクレティアも、作物を育てる土にするのにも時間はかかるって」
「いきなり麦ってわけにはいかないらしいな。もっと手軽な一年草をどうとかいってたか」
作物を育てるのには日光や水は当然として、土の力が必要だ。
それは一朝一夕で手に入れられるものではなく、それに対してスラ子は自分に関与させて欲しがっていたが、俺はそれをさせるつもりはなかった。
俺のつくった人型スライムは、水精霊と土精霊をその身に取り込んでいる。
自然の体現者である精霊の力なら、もしかしたら土壌を都合よく作りかえることだって可能なのかもしれない。
だが、それは多分、するべきことじゃなかった。
精霊たちは強い力を持っているが、決してそれを無分別に用いることはしない。
我が家の洞窟で、地下の拡張作業を手伝ってくれているノーミデスの振る舞いを見ればそのことはわかる。
ノーミデスは地質を調べ、落盤の恐れがないかの確認やその注意をうながしてくれはしても、自ら土を掘って手伝おうとはしなかった。
そうした線引きがノーミデス個人の矜持なのか、もっとはっきりした制約の類なのかはわからない。
本人に聞いてみても、説明下手の精霊から明快な回答は得られなかった。
しかし、それが精霊としてのタブーである可能性を考えれば、精霊の力を扱うスラ子もその力の行使には慎重になるべきだった。
それに。スラ子には、色々と考えなければならないことが他にもある――物思いに落ちかけ、こちらをうかがっている視線に気づく。
「悪い。なにか話でもあったか?」
カーラは少し眉をひそめてから、
「ルクレティアから伝言を頼まれました。今夜、そちらに伺いますって」
メジハの長の孫娘であるルクレティアは町に寝泊りしている。用件があるときに洞窟にやってくるが、色々と忙しい立場になってきていてそうそう顔を見せることはなかった。
「なんの話だろうな」
「準備が整いました、と聞いてます」
その言葉を聞いた思いつくことはひとつだった。
ルクレティアには、しばらく前にアカデミーに出向きたいという意向を伝えておいた。
それからどたばたとしてしまっていたが、こんなふうに農作業をしてはいても、決してそのことを忘れてしまっていたわけじゃない。
むしろ俺としては一刻もはやくアカデミーに向かいたかった。
しかし、なんといってもアカデミーは遠い。
長旅になるし、そのあいだ洞窟を留守にするのだから色々と準備は必要だった。
そのために必要な手配をルクレティアには頼んでおいて、それに目処がついたということだろう。
――ようやくアカデミーにいける。
この近くをうろちょろして、どうやらストロフライの怒りを買いそうなことを企んでいると思われるエキドナや、スラ子のことの相談。
自分ひとりでは解決できない、それらの問題解決の糸口になってくれればと、期待を込めてこれからのことを思い浮かべ、ふとカーラに訊いてみた。
「なあ、カーラ。前に話した、アカデミーにいくって話なんだけど。カーラも一緒についてきてもらっていいか?」
魔物の血をひく人間の少女は大きな瞳をぱちくりとして、
「ボクは、マスターがいくところならどこだってついていきます」
迷う素振りもなくいってくれた。
「そか。うん、ありがとう」
カーラの態度はいつもストレートだから、なんとなくこちらが照れてしまう。
ふふ、と笑ったカーラが、
「ちょっと楽しみです。マスター、覚えてますか? 前に、ボクにアカデミーに推薦状を書いてくれたこと」
「そんなこともあったなぁ」
あれはカーラと出会ったばかりだから、もう二ヶ月も前になる。
スラ子が生まれてからこっち、怒涛のようにいろんなことが起きた思い出を振り返っていると、
「アカデミーにいかなかったこと、後悔はしてませんけど。気になってたんです。人間と魔物が共存してるなんて、どんなところだろうって」
「あー。まあ、人間もいるけどな。多くはない。アカデミーは人間、魔物関係なしにウェルカムだけど、普通の人間は寄りつかないしな。なにせ魔物の巣窟だ。文字通りとって食われることだってある」
そんなところを紹介したのは誰だという話だが、間口が広いというのは嘘じゃない。
生まれに関わらず、実力さえあれば認められる場所だし、実力がないならないでやりようもある。
まったく弱っちい俺がこうして生きているのがその証拠だろう。
もっとも、俺があのなかで生きていられたのは、決して自分の力ではなかったが。
「まあ、面白いところではあったよ」
「思い出とかありますか?」
「どっちかといえば嫌なものが――いや、ほとんど? ……思い出? いい思い出ってなんだろう」
思わず考え込んでしまった。
「マスター?」
心配そうな表情に気づいて、
「うん、あんまりないな!」
「はっきりいっちゃうんですね」
カーラが苦笑する。
「ぼっちだったんだよ。いつ殺されるかってビクビクしてたし」
「でも、友達はいたんですよね? 前、聞きました」
「ああ。まあ、ほんとに友達だったかどうか……こっちが勝手にそう思ってただけかも」
「そう、なんですか」
少し考えて、俺は頭を振った。
「いや。多分、向こうもそう思ってくれてると思う。なんていうか――変なヤツだったんだ。すごく」
カーラがじっとこちらを見つめてきた。
「どうした?」
「いえ。……その人、なんていう人なのかなって」
「ん? ルーヴェ・ラナセ。ルヴェっていってた。人間でさ、冒険家になりたくてアカデミーに入ったらしい」
「冒険家、ですか? 冒険者じゃなくて」
冒険者という呼び方はまあよく知られているが、冒険“家”となるとニュアンスが違う。
「そう。冒険家。今ごろどこかの遺跡でも探してるんじゃないか。このご時世だ、また会えるかなんてわからないけど、いつか再会できたらいいな」
危険ばっかりの世界で、自分も相手もいつまでも生きていられるわけじゃない。
一度の別れはほとんど今生の別れっていってもいい。
けれど、そう願う気持ちは誰にだってあるはずで、もちろん俺だってそうだった。
「本当に、変なヤツだったんだよ」
記憶にある懐かしい表情や仕草を思い出しながら、俺はぽつりとつぶやいた。
夜、洞窟に集合する。
人間に妖精、スラ子、スケルのよくわからない生き物姉妹。蜥蜴人族からリーザと、魚人族のエリアルも含めた話し合いの場で、町からやってきたルクレティアに訊ねる。
「ルクレティア。用件ってのはアカデミー行きの件か?」
「一つは、それです。馬車や食料は既に準備が整っています。ご主人様がしばらく洞窟を留守にしているあいだの手配についても同様ですわ。出発は、明日にでも可能です」
おお、とスケルが真っ白い両腕を振り上げて拳をにぎった。
「ついにいっちゃいますか。アカデミーに乗り込んでシバいちゃうわけっすね、ご主人!」
「誰がなにをシバくんだ。……一つってことは、他になにがあるんだ?」
「はい。その道中に私も同行させていただけますかしら」
「お前が?」
俺は顔をしかめた。
アカデミーまでの旅は長くかかる。
往復で一月は余裕でかかってしまうから、そのあいだ、ずっと家を留守にしておくのは不安だった。
だから、ルクレティアには町に残って留守番を頼むつもりだったのだ。
メジハはメジハで、このあいだの一件でルクレティアが主導権をにぎったとはいえ、まだまだ予断の許せない状況だ。
ルクレティアまで町を離れるのはあまりいい考えとは思えなかったが、
「実は、町を代表してギーツに向かわなければなりません。領主様からのお呼び出しがありました」
「それはつまり、このあいだの竜のことだよな」
「はい。負傷者の世話や、探索隊一同を歓待した礼をしたいということです。祖父は長旅に耐えられる体力ではありませんので、私が代わりを務めることになりました」
「なるほど」
このあたりを治める領主の街、ギーツはアカデミーよりも近く、その方角もおなじだ。
ギーツを越え、さらに北上した先にアカデミーはある。
「同じ方角なら、別に同行したって問題はないだろうが……」
問題ない、くらいの話ならルクレティアがわざわざ話題に持ち出したりするだろうか。
俺は冷ややかな美貌の令嬢を見やって、
「俺たちがギーツにいかなきゃいけない理由は、あるのか? それとも、お前を途中で降ろしてそのままアカデミーに向かっていいわけか」
「前者です。理由は二つ」
「なんだ」
「一つ、領主様からの招待で、恐らく竜に関わるお話があるのではないかと思います。礼というのは口実でしょう。王都も含め、竜に関わる動きはご主人様もお知りになっておくべきかと」
「もう一つは?」
「暗殺者を使うギルドについてですわ」
淡々とした声音でルクレティアはいった。
「タイリンの所属していた暗殺者ギルドとやらは、ギーツ所在とのことでした。本人がああですから詳細は聞けませんでしたし、バーデンゲン商会を通じた情報収集も不足しています。しかし、現時点でわかっている情報でもはっきりしていることはあります」
ギルドというのはつまり、組織だ。
組織的な活動をするためには資金がいる。資源がいる。
暗殺者なんかを使う依頼があるということは、依頼する人間もいるということだ。
そのギルドに所属していたタイリンは、人間にはほとんど扱えないといわれる闇属性の魔法を使った。
そして、闇属といえば魔物の十八番だ。
魔物による共同体組織であるアカデミーは、傭兵業なんかにも携わっている。
まったくの偏見だが、“闇属性の暗殺者”だなんて、いかにもアカデミーが関わっていそうなことだった。
もちろんそれにはなにかの証拠があるわけではなかったが、
「その暗殺者をメジハに送り込んできた何者かの存在も見逃せません。ギーツにいけばそれがわかるというわけではありませんが、バーデンゲンの調査が追いつく可能性もあります」
「お前が町を留守にすることは大丈夫か? 顔役連中がなにか企んだりとか」
「祖父が健在のうちは問題ないでしょう。むしろ、今だからこそという機会でもあります。祖父も高齢ですから、いつなにがあるかわかりません」
ルクレティアが自由に動けるうちに、顔を繋いでおきたいということだった。
領主ともなれば、話をつけておくべき最たる相手だろう。
「アカデミーまで同行しようというわけでもありません。それならば一月もしないで戻ってこられますし、そのあいだなら蜥蜴人族と魚人族の方々に任せて不安はありません。竜騒動の後始末で、森に住む妖精族との連携も勝手がわかっていますし」
話を聞く二種族の代表に視線を向けると、水色の艶やかなマーメイドがすぐにうなずいて、通訳を解して少し遅れてからリーザが続いた。
「問題ない。お前達が戻ってくるまで、この洞窟はしっかりと我々が護ろう」
「じゅや。しゅららら、じゅ」
異口同音の返事。
俺は他のメンバーに目を向ける。
カーラ、シィ、スケル。アカデミー行きに同行してもらう予定の顔ぶれを順に追ってから、最後にスラ子を見て。
すっとスラ子が視線をそらした。
思わず顔をしかめかけ、それを咳で誤魔化してから、告げる。
「――わかった。なら、ギーツに寄ってからアカデミーへ向かおう。ルクレティア、お前もすぐに出発できるか?」
「明日にでも。カーラやスケルさんのギルド業務についても、すでに手配しておきました。ブラクトさんが上手くやってくれるでしょう」
先日から、バーデンゲン商会との仲立ち役としてメジハ所属のギルド員になっている男の名前を口にして、ルクレティアがいった。
相変わらずの仕事の早さだが、それを褒めたところで「当然です」などと冷笑されるのがオチだ。
俺はこくりとうなずいて、
「じゃあ、明日の朝のうちに出よう。一月以上かかる長旅だ。大変だろうけど、よろしく頼む」
その場にいる全員に宣言した。