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十七話 伝説の、武具じゃない、防具でもない。道具

「カーラ、平気か?」

「――浅い、です。大丈夫!」 


 目の前の暗殺者から注意をそらさないよう気をつけながら、起き上がろうとしているカーラに声をかける。


「無理するな。すぐにシィが来てくれる」

「っ……はい」


 一気に決着をつけようとしてくるかと思ったタイリンは、うかがうようにこちらを見据えて動かない。


「警戒してくれてるみたいですね」


 相手に聞こえないくらいの小声でスラ子がささやいた。

 タイリンも俺の手のひらに突き刺さる寸前で止まったナイフ。そしてスラ子の発言から、ある程度状況を推察しようとしているのだろう。


 スライムという、不定形の性質をもつスラ子を鎧にして全身にまとう。

 さすがに鼻や口までは覆えないが、ほとんどの相手からの物理攻撃は防げる。確かにスラ子のいうように、刃物から身を守ることだけを考えたらこれが一番有効ではあった。


 それにはもちろん、問題がないわけじゃない。


 いくら薄く形状変化したところでスラ子の重さがなくなるわけではなく、一人分の体重を追加で背負って戦うなんてどんな玄人にだって厳しい。


 それに、刃が届かなくたって人を殺す手段はある。

 いくら高い防御性能を得られるからといって、鈍重さというデメリットは無視できるものではなかった。


 その対抗策としてスラ子は今、自分自身に浮遊魔法をかけ続けている。

 これでひとまず、重量というネックはなくなったが――そうなると今度はまた別の問題が出てくる。


 一口に魔法といっても様々で、その高度さを測る指標も色々あるが、そのひとつに継続性というのがあった。


 元来、魔法という現象は持続させることが難しい代物だ。


 火の玉を生み出すのは俺にだってできるが、それを炎として垂れ流すとなると途端に難易度が跳ね上がる。

 純粋な威力や魔力を編みこんでいくことの繊細さ。そのイメージの正確さなどといった難しさと同等に、どれだけその状態を続けられるかというのには術者の相当な熟練が必要だった。


 俺たちのなかでそれにもっとも長けているのは、シィだ。

 そのシィだからこそ、あれだけ補助魔法を得意としている。


 補助魔法に見た目の派手さや即効性はない。しかし、大爆発や大破壊を巻き起こすのとはまったく異なる技術がそれには必要とされるのだった。


 スラ子も決して放出魔力の維持を苦手としているわけではない。


 だが、スラ子はただでさえ俺の全身を隙間無く覆おうという形態を維持している最中だ。

 スラ子が自身の変化を維持するのにも魔力は必要で、そこにさらにレビテイトの魔法なのだから、当然、スラ子の消費は半端ない。


 ようするに、この状態でまともに動ける時間は多くない。


「……気づかれないよう、力を抜いたりできそうか?」

「難しいですね。いくらはったりを利かせて牽制したところで、タイリンさんは私の感知もすり抜けてきちゃってます。サボってる部分をあっさり突かれてしまうかもしれません。暗殺補助の特化魔法なら、対象の状態を的確に見抜いてくる恐れはあります」


 下手なことをしたらやられてしまう。

 なら、やはりスラ子には頑張って今の状態を維持してもらうしかない。


 つまりしかけるなら短期決戦しかないわけだが、同時にスケルやシィといった援軍を待ちたいというのもある。

 矛盾した欲求を成立させるための策はないかと、俺は口を開いた。


「よ、タイリン」


 闇のなかの暗殺者は呼びかけに応えようとしない。


 暗殺対象にきく口なんてない、か?

 だがそっちの事情なんて知ったことかと、さらに続ける。


「無視はひどくないか。友達だろ」


 ぴくりと。

 タイリンの感情のない瞳が揺れた。


「……トモダチ」


 麗しい友情の奇跡によって、錯乱した相手が正気に戻る。

 そういう展開で終わってくれるなら諸手をあげて万々歳だったが、


「――違う」


 もちろんそんなはずがなかった。


「お前、悪いヒト。トモダチじゃない」


 ふとその抑揚になにか奇妙な違和感をおぼえて、それから唐突に思い出す。


 ――いい人。

 ――悪いヒト。


 口のなかに朝起きてすぐみたいな粘りついた嫌な味が浮かんで、おもいっきり唾を吐きたくなる。


「……なるほど。それがお前の切り替えか、タイリン」


 まだ、“人”を殺したことはない。


 タイリンはそんなことをいっていた。

 それは暗殺に手を染めたことがない、ということではなく――タイリンが殺すとき、その相手はすでに人ではなくなっているのだ。


 人をヒトと認識させる。

 良いと悪いだなんていう。そんなくだらない二面性で相手を無理やり区切らせて、殺させる。


 どこの誰がやったことかは知らないが、虫唾が走る。


 別に偽善じゃない。

 魔物が善を気取っても笑い話にしかならない。


 義憤ってわけでもない。

 力がないやつが怒り狂って吠えたところで見苦しいだけだ。


 誰かに伝える必要もない。

 俺の内心に燃えるこれは、最初から俺のなかだけで完結して、そうあるべき感情の結晶。


 ――俺の友達に、なんてことさせてるんだ?


「ああ、そうだな。俺は悪いヤツだよ。魔物だからな。こいよ、タイリン。悪いが俺も元引きこもりで、友達なんてろくにできたこともなかったから――せっかくまんまと手に入れた友達は、なにがなんでも友達でいつづけてもらう。恨むなら友達なんかになった自分の浅はかさを恨むんだな!」

「さすがマスター、粘着ですねっ」


 スライムのお前がいうのかよと、ボケに対してツッコミをいれる前にタイリンが動いた。

 ナイフを手に疾走してくる。


「ガード、頼むぞっ」

「了解です!」


 俺の肩からにょっきりと別の腕が生えるように、視界の両側からスラ子の両腕が伸びる。


「――!」


 暗殺者の右手のナイフをスラ子の左腕が、自由な左腕を右手がブロックする。そうして身動きがとれなくなったところに、両手がフリーの俺がつかみかかり――


「どうりゃあ!」


 スラ子の支援を受けてぶんまわし、相手を思いっきり投げ飛ばした。


「見たかコラ、大人なめんな!」

「女子どもを放り投げて勝ち誇るのはさすがにドン引きです、マスター!」


 思った以上に宙を飛んでいったタイリンは、しかし空中で器用に身体をひねって着地する。

 ダメージはほとんどないだろう。


 だが今のはこっちも様子見だ。

 いくら短期決戦が必要とはいっても、タイリンがどんな手を隠しているかわからないうちはそうそう危ない橋は渡れない。


「スラ子、問題は?」

「やはり気が抜けませんね。さっきの一撃は魔力込みでした」


 ナイフに? ――やはり魔法の発動がわかりづらいというのは厳しい。

 夜というアドバンテージは、さすがにタイリンがそこだけは外して襲ってこなかったように、かなりの有利を相手に与えていた。


「防ぐのは厳しいか」

「ナイフですので、殺傷能力は特に。問題は……、あのナイフで切られてしまうと、その部分の感覚が失われてしまうようです」


 俺は顔をしかめて、


「――麻痺か」


 スラ子からとまどうような感覚が伝わってきた。


「どうでしょう。感覚がない、という意味では同じでしょうか」

「まったく、よくわからん魔法だらけだな。やっかいすぎる。……対処は」

「切られた部分は移します。なので、大丈夫です。全身をなますにされてしまってはちょっとマズイかもですが」


 ……なら、やっぱり計画通りにしておくべきだ。

 俺はちらりと視線を移して、少し離れた場所に立ち上がりかけている相手に向けて、


「カーラ」

「はい。いけます。やれますっ」


 ぐっと拳を握ってみせる相手に首を振る。


「いや。カーラはあっちで、準備を頼む。こっちも、なんとか合流してから向かう」


 なにかいいたそうに口を開きかけたカーラが、しかし自分の状態が万全ではないということをわかっているのだろう。悔しそうにうなずいた。


「わかりました。――マスター、無事でっ」

「ああ。カーラも気をつけてな」


 名残惜しそうな表情のカーラが傷口を押さえながら駆け出していく。


 予想通り、タイリンはそちらにまったく注意を向けない。

 彼女の目標はあくまで俺なのだから、相手が一人になったほうがむしろ都合がいいはず。


 だがもちろん、相手の事情にあわせてやるつもりなんて毛頭なかった。

 俺は腰から小包を取り出し、結んだ紐を切り飛ばして宙に飛ばす。


「スラ子!」

「はいっ」


 スラ子が生み出した微風に乗って、四方八方に撒き散らされる中身はいつもの妖精の鱗粉に加えて、それ以外に砂やら粉やらあと適当!


「ファイア!」


 それに着火の初級魔法をぶつければ、爆発ともいえない連鎖反応が無尽に重なって、あたりに煙幕がたちこめた。


「撤収!」

「らじゃー!」


 相手との視界が途絶えた瞬間、すかさず全速全力。


「後ろの警戒、頼むぞ!」

「はいっ。……マスター! 魔法、来ます!」


 スラ子の声を聞く頃には俺も背中いっぱいにぞっとする充満した気配を感じ取っていて、振り返る。

 まだ晴れない煙幕の向こうに、凝縮した魔力が集中する。


 やばい。――攻撃?

 そんな感じじゃない。だがなにか、やばい!


 闇が膨張する。


 全周囲に放たれた波動が、瞬時に俺の身体に追いつき、追い越していく。

 質量のない違和感がぞくりと背筋を震え上がらせた。


 反射的に息を止めて。次の瞬間、すかさず自分の感覚を確かめる。

 手、足。視界。

 どこかに身体の不調は――ない。


「スラ子、無事かっ」

「はいっ! いえ……これは、」


 スラ子が息をのむ音が届いた。


「感覚が――」

「どれがやられた!」

「いいえ。違うのは、――地面です!」


 地面?


「あたり一帯の探知が効きませんっ。範囲型の魔法です。効果は不明!」

「妨害系か!」


 スラ子は水精霊と土精霊を自身に取り込んでいる。

 恐らくはその精霊としての能力の一端――地面を通じてその上にいる存在を探知する、それができなくなったというのはタイリンの魔法の影響があるのだ。


 だが、今はその魔法の詳細について考察するよりも、まずはシィやスケルと合流すること!


「とにかく、いくぞ!」

「はいっ」


 ――おかしい、とすぐに思った。


 夜の町をひた走る。

 周囲はすでに暗く、家々には明かりがついていない。


 それはいい。

 夜になったらさっさと寝るもんだ。騒ぎたいやつは酒場にいく。

 広場の一角から外れたこのあたりは、だから灯りもなくひたすら暗い道が続いているのがむしろ当然だ。


 そのはずだったのに。

 おかしい。


 ――静かすぎる。


 秋口のこの季節、夜には虫だって鳴くはずだし、町のあちこちには飼っている家畜だっている。風が吹けば木や草だってざわめきだす。


 だというのに、今この場にはそのどれも聞こえてきやしない。

 それどころか――なにかが生きている気配がない!


「スラ子、なんか、なんでもいいからランスを空に向けて撃てっ」

「了解ですっ」


 すぐに生み出された炎の槍が適当な方角に空を貫き、ふっと、そこでかききえるように消えた。

 足を前に投げ出し続けながらそれを見ていた俺は、走るのをやめた。


「これは、いったい――」

「……スラ子。探知が効かない範囲は、どこまでだ?」


 肩で息をして、呼吸を整えながら聞く。

 少し沈黙したスラ子が、


「全部です。少なくとも私の能力が届く限り、果てがありません」


 ……なるほど。


 無言の世界に踏みしめる足音に振り返る。

 そこにはゆっくりとこちらに近づいてくる暗殺者の姿があった。


 暗殺者は走らない。

 それは、焦らなくとも目標をロストすることがないとわかっているから。


 スラ子の探知が効かない。

 その範囲に限りがないということは、タイリンの魔法がスラ子の感知範囲以上の規模で効果を及ぼしているか、それとも。俺とスラ子が、すっぽりと相手の術中にはまってしまっているか、だ。


 暗殺者にとって、殺すべき相手に逃げられてしまうのは困る。

 なら、そうさせなければいい。


 相手を逃がさない。閉じ込める。そういう魔法。

 たとえば――空間ごと柵を張って、相手を囲うような。


「結界……? すごいな、そんな持続魔法、マジで最上級だろ、おい」


 本当に、暗殺のためだけに魔法が特化されている。


 全身から濃い闇の気配をたちのぼらせたタイリンが、右手にナイフを握ってゆっくりと近づいて来る。

 それに向かって身構えながら、


「スラ子。結界だ。さっきのでもう、俺らはハマってる。空間ごとおかしな状況にすっ飛ばされてる。……破れるか?」

「……難しいかもしれません。なにかきっかけや、目標があればそれを壊せば成せるかもしれませんが、現状、なにをどうすればよいか――」


 結界という以上、幅もあれば強度もあるはずだ。

 だが、結界の外と内の境目すら認識できないのでは、なにをどう壊しようもない。


「くそ!」


 とにかくその結界の際までいってみないと。

 後ろに迫るタイリンに牽制の魔法を撃ってから、再び走り出した。


 走る。

 走る。

 走る走る走ったもう無理。


 体力の限界がきてへろへろと立ち止まりながら、


「……なんかおかしくないか!」

「なんだかおかしいですっ!」


 どれだけ走っても、周囲の景色が変わらない。


 いや、厳密には変わっていないわけじゃない。

 ボロ小屋の脇を駆け抜け、牧草柵を越え、農水用の小川を横切って――


 遠くの山や月はともかく、近くの光景はめまぐるしく変わっているというのに、向かっているはずの町外れの小屋がまるでその姿をあらわさない。

 それに近づいているという実感さえ、


「おいおい、どういうことだよ。幻覚かっ?」

「似たようなものかもしれません。走っても、そうそう境界にたどり着けそうにないですね……」


 いったいなにが起こっているのか。

 迷わされているのか、本当は俺たちがきちんと走れていないだけなのか。

 なにをされているのかすらわからない。


 目も足も、五感にはまったく異常なんてないはずなのに、あるべき結果がやってこない。

 まるで自分という存在そのものが、なにかの大きな違和感に包まれてしまっているように――



 ――闇とは、覆うもの。



 脳裏に竜の台詞が浮かんだ。


「くそっ。……おい、聞こえてるかっ」


 返事はない。


「マスター?」

「いるんだろ! 寝てるのか、おい!」

“聞こえてますよ”

「教えてくれっ。今、俺たちはどうなってるんだ? この魔法はどうやったら破れる!」


 答えは返ってこない。


「おいっ」

“……なにか勘違いされてるようですが、マギさん”


 突き放した声が響いた。


“どうして自分があなたに協力しなければならないんで?”

「そりゃ、だって。別に」

“――人間ごときが竜に要求を? 自分は別にかまいませんが、よろしいんですか?”


 ぐ、と言葉につまる。


 人間と竜は、要求なんかができる立場じゃない。


“自分は、あなたという人となりを見るためにここにいます。その相手に助力を求めて、よろしいんですね”


 ――これだから。


 わざわざ竜の里からくっついてきたこの竜が、いったいなにを目的にしているのか。

 そんなの、目付け役に決まってた。


 俺が、ストロフライにどういった影響を与えるか。

 竜という偉大な存在とどう関わろうとするか。驕るか、甘えるか、へりくだるか。


「いるか、馬鹿! お前らなんか大っ嫌いだ!」

“はっは。竜相手にそう啖呵を切れるだけでも大したもんだと思いますよ。ほら、頑張ってください。きましたよ――”

「マスター!」


 スラ子の声。

 すぐ目の前にタイリンが迫っていた。


「くっ……!」


 頭のうえに振りかぶったナイフが真っ直ぐに下ろされる。

 それに対してスラ子が腕を伸ばす。ガード。背中にまわっていたタイリンの左腕が伸びる。


「っ!」


 いつのまにかタイリンの左手には別のナイフ。

 二刀目の刃が、一撃目を防いだばかりのスラ子の腕を縦に薙ぐ。


「こんのお!」


 スラ子が掴みかかる。


 しかしタイリンはすぐに後ろに飛び、追い打ちしてこない。

 逆撃の気配を感じて俺たちもそれを追えず、


「ヒットアンドアウェイかよ……」

「やらしい感じですねえ」


 タイリンは魔力が込められたナイフで、まずスラ子から削ろうとしてきていた。


 刃物そのもののダメージはないらしいが、感覚がなくなった部分が増えていくのはどう考えたってよろしくない。

 それに、そういうふうに長期戦になれば、まずスラ子の形態維持がおぼつかなくなって、負けるのはこちらだ。


 今の状況ではカーラが準備してくれている場所へ向かうどころか、スケルやシィとの合流もままならない。


 事態が好転する見込みがないなら、決断するしなかった。


「――スラ子。ここで、二人で。やるぞ」

「了解ですっ」


 ジリ貧になる前に、けりをつける。

 スラ子がまともに動けるうちなら勝機はある。あっちは一人、こっちは二人。腕だってあっちは二本、こっちは四本だ!


「ブロック頼む。そのあいだに俺があいつを気絶させるっ」

「はい!」


 はじめてこちらから仕掛けた。


 スラ子のレビテイトはまだかかっている。重さはない。

 それでも決して鋭い踏み込みではない俺の仕掛けに、タイリンが両手にもったナイフをかざす。


 俺は腰から取り出した小包を投てき。

 タイリンのナイフがそれを両断する。


「ファイア!」


 爆発。


 至近距離の目くらましは、しかし恐らく効果は期待できない。

 果たして、煙の向こうから小さな身体が躍り出る。


 突きの一撃。


 俺の顔面めがけて繰り出された刃を、スラ子が左腕に受ける。

 さらにスラ子は右腕でナイフをつかみ、タイリンがそこから離脱できないようにしておいて、


「――!」


 タイリンの左手が突き出される。

 それを、三本目のスラ子の腕が止めた。


 元が不定形のスラ子に、腕が二本までなんて決まりごとあるわけがない!


「マスター!」

「おうっ!」


 スラ子ががっしりと相手の動きを止めているあいだに、俺は小柄な相手へと両手を伸ばす。

 少々、手荒な真似になってしまうが、無理やりにでもタイリンを無力化させるしかない。


 人間を気絶させる技術なんて俺にはないから、相手の呼吸を止めるくらいしか思いつかなかった。

 腰袋から取り出した手ぬぐいをタイリンの顔面におしつけて、鼻と口をふさぐ。


 気を失うまで何秒だ? 首でも絞めたほうがいいのだろうか。だけど加減がわからない。怖いことになってしまいそうだ。

 せめて身体の自由を奪っておこうと手をかけたところで、


「あああああああああああああ!」


 スラ子の悲鳴。


 どん、っとなにかの衝撃を受けて弾き飛ばされる。

 攻撃ではない。


 俺の身体を弾き飛ばしたのは、俺の身体にまとわれたスラ子だった。


「スラ子……? おいっ」

「あっ、くう……!」


 スラ子は俺の呼びかけに返事もしないで、悶えている。

 ざわざわとその全身がうごめいていた。


「スラ子!」


 明らかに苦しんでいる様子のスラ子に声をかけて。


 ――目の前に立つ、暗殺者に気づいた。


「くそっ」


 あわてて距離をとろうとするが――立ち上がりかけてがくんと膝から落ちる。

 予想していなかった重さにバランスを崩し、転びかけた。


 スラ子のレビテイトがとけてしまっていた。

 それだけではなく、スラ子の身体は重石となって俺の全身に絡み付いている。スラ子はそれに気づいていない。そんな様子ではない。


 やばい――


 足を失った獲物を前に、舌なめずりをすることなくタイリンはナイフを振り上げて。


「――、ゃあこらー!」


 いきなり声が響き渡る。


 ぶおん、となにかを振り回す音が宙を裂いた。


「――?」


 不意をつかれたタイリンが大きく飛び退いた。

 あわやのところで命拾いして、俺はあわてて声のしたすぐ近くを仰ぎ見る。


 いったいいつの間にそこにいたのか、いや間違いなく誰もいなかったはずの空間に姿をあらわしているのは、


「おっ。ご主人、ご無事ですかっ」

「スケル、お前……」


 闇のなかにでもぼんやりと浮かび上がる、全身まっ白な元スケルトンがそこにいた。その後ろには妖精の羽を輝かせたシィの姿もある。


「どうして。ここに――」

「そりゃ、シィさんからお呼ばれしましたから」


 けろりという相手に、


「いや、そうじゃなくて。どうやって」


 外からなら簡単に壊せる結界だったのか? と、疑問を口にしかけてから。気づいた。

 スケルが両手に抱えているモノに。


「……あー、そっか。それか」

「ご主人たちの姿もありませんし、なんだか変な魔力がこもってるとシィさんがおっしゃったんで。そういうのにはやっぱり、問答無用でこいつでしょう」


 間違いない。


 スケルが手渡してくるそれを受け取る。

 ずしりとした重さを感じながら、ふと気になって頭のなかに問いかけた。


「これは、助力ってわけじゃあないよな。なにしろ、おたくの身内がほんの気まぐれに残してったってだけの置き土産だ」

“……まあ、仕方ありませんかね”


 脳裏の声が、少しだけ渋々といったように聞こえて、ちょっと笑える。


 それは黄金竜が乗っても壊れない、ただの椅子。

 どれだけ強固な結界だろうが、難解な属性魔法だろうが。そんなものただの一振りで打ち砕いてしまう、でたらめで最強な“家具”だった。



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