十六話 暗殺者VSスライム(+1)
「危険です」
部屋に戻って仮眠をとって、目が覚めたら夜だった。
全員で夕食をとりながらの話し合いの場で自分の考えを告げると、即座に異議を唱えたのは町長宅から外れまで足を運んで参加していたルクレティア。
冷ややかな眼差しに俺は肩をすくめて、
「そりゃ俺は餌だしな。危険なのは当然だろ」
「そうではありません」
苛立たしそうに金髪が振られる。
「餌というのはあくまでおびき寄せることの喩えであって、実際に食われてしまうようになどと申し上げたつもりはありません。闇属を使い、専門的な訓練を受けた暗殺者が相手であれば、失礼ながらご主人様ごときひとたまりもないでしょう」
「本当に失礼だな、おい」
そして、悲しいことに実際にそのとおりだ。
「別に、俺一人で戦うなんていってない」
「まず矢面にたつ必要性が認められません。ご主人様は相手を誘引するだけで、実際の戦闘はスラ子さん達にまかせるべきです。どうして皆さんが、昼間、あれだけ対応について話し合われていたとお思いですか。貴方を護るためにでしょう。だというのに、護られるべき対象が自ら危ない真似をしては元も子もありませんわ」
それは上に立つ者の役目ではありません。きっぱりとそう断言してから口を閉じたルクレティアが、俺の隣に視線を転じる。
「……スラ子さん。危険だということは貴女にもおわかりのはずです」
「はい、そうですね」
矛先を向けられた不定形の生き物はにこりと微笑む。
「では、まず貴女が率先してご主人様をお止めになるべきではありませんかしら」
「マスターがそうしたいとおっしゃるのなら、それを止める理由なんてありません」
「だからご自分の主を危険な目にあわせると?」
「マスターは私がお守りします。問題ありません」
ルクレティアが小さく舌打ちした。
お嬢様育ちらしからぬ行為だった。よほど腹に据えかねているらしい。
「人を殺すことに特化しているような輩を相手に、しかもどんな切り札があるかもわからないというのに、万に一つも不覚がないというのは少しばかり傲慢が過ぎますわね」
「そうですか? ルクレティアさんこそ、強情ですよ」
「なんのことですか」
ルクレティアが顔をしかめる。
スラ子は邪気のない表情で笑って、
「マスターのことが心配ならそう素直にお伝えすればいいと思います。立場がどうとか、そういうおためごかしは不要です」
「なにを馬鹿な」
冷ややかな怒りをちらつかせたルクレティアが、気を鎮めるように深く息を吐く。
「……カーラ。貴女はどう思うのですか」
やりとりを心配そうに見ていたカーラが困ったように俺を見る。
「危ないことは、できるだけして欲しくないって思う。けど」
そこで言葉を区切ってからいいにくそうに、
「マスターがそうしたいのは、あの子のことがあるから?」
「……そうだ」
うなずく。
「あの子というのは?」
「暗殺者の子のこと。タイリンっていってた女の子」
「ご主人様の命を狙っている暗殺者。それがどうしたのです」
いぶかしげな眼差しがこっちへ。
――ああ、相手から怒涛の如くののしられる未来図が容易に想像できる。
かといって答えないわけにもいかないので意を決して口を開いて、
「説得したい」
予想していたような罵声はなかった。
そのかわり、美貌の令嬢はまじまじと俺を見つめ、
「……呆れ果てましたわ」
感情をどこかに置いてきた声がいった。
「常々、もしかすると馬鹿なのではないかと疑ってはおりましたけれど、まさかご自分の命を狙う相手にまでそのようなお花畑なことを。貴方の頭の中身がどうなっているのか、死んだあとに切って開いてみてもよろしいですか」
「なにさらっと怖いこといってんだ」
「ご自分の底なしの馬鹿さ加減を怖がるべきです。異常です。異常が控えめに思えるほどに馬鹿が天井知らずです。上にも下にも途方がありません。首を上下しないといけない身のことも少しはお考えください、いい迷惑です」
うわ。わかってたけど、容赦ねえ。
「それともあれですか。スラ子さんやシィさん、スケルさん、カーラに魚人族に蜥蜴人族まで抱え込んでまだ物足らず、新しく手籠めにされようというのですか。それもあんな年端もいかない少女を。魔物に道徳を説くのも馬鹿馬鹿しくありますが、人でなしにも程がありますわ。この畜生様」
「なんでそうなるんだよ! てか、後半おかしかったろ!」
「では説明を」
恐ろしげな視線が俺を貫く。
怖すぎる迫力に助けを求めて左右を見る。
笑顔に、困り顔。
どうやら援軍はなさそうだった。
「……タイリンとは、普通に話せてたんだ。いきなり様子が変わったのは、“スイッチ”がはいったからだろうって。暗殺者にはそういう訓練がされるらしい」
「それで?」
「なんかすっごく腹立つじゃないか」
「子どもですか」
ため息をついたルクレティアが、
「それで、そういった思想教育、あるいは洗脳がなされている相手に、“説得”などが通じるとお考えなのですか。――それとも」
そこで皮肉げに唇の端を吊り上げて、
「スラ子さんにお願いして、再教育していただくと?」
毒のこもった台詞に思わず渋面になってしまう。
「仮に暗殺者とやらが幼少時からそうした刷り込みを受けているなら、その影響は強烈です。人格形成にまで多大な影響がある事柄を、いったいどのように上書きするのです。それで本当にその相手は、人を殺すことをやめられるのですか」
「そんなことは、」
「やってみなければわからない。なんの確信もなくあてもない未来に結果を丸投げするだけというのなら、それは無責任というのですわ。ただの自己満足です」
相変わらず、ルクレティアの批判は厳しくて、正しい。
「そうだな」
「開き直りますか?」
「違う。いや、そうなのかもな」
けど、それは必要なことなのだ。
「なんの為にです」
「俺が、どうあるべきかを知るためにだ」
ルクレティアの顔が歪む。
なにごとか口をひらきかけ、つぐみ。視線がちらりと俺の隣に揺れた。
「……やはり、危険ですわ」
その台詞は、いったいなにを指しての発言だろうか。
「わかってるさ。お前のやろうとしてることは邪魔しない。こっちで勝手にやるだけだ」
「そういうことをいっているのではありません!」
わざと勘違いしたようにいってみせると、ぴしゃりとたしなめられる。
鋭い眼差しが俺を射抜いたまま、
「わかりました。しっかりとお覚悟があってそうなさるというのなら、もうお止めしません。その必要もない、という認識を持ってよろしいのですわね?」
呪印を持つルクレティアは、好むと好まざると俺の命を護ろうと強制されてしまう。
命を護ろうと諫言して、それを却下されたうえでさらにこっちの都合にあわせろなんていうのはさすがに無茶苦茶すぎる。
「ああ、そうだ。タイリンについては完全に俺のわがままだ。ルクレティア、そのことでお前が俺のためになにか心を砕いたりする必要はない」
はっきりと宣言すると、
「かしこまりました」
言質をとったルクレティアが、感情を凍らせた瞳でうなずいた。
「それでしたら、私は戻らせていただきます。バーデンゲン商会から件の情報が届いたなら、すぐにご連絡させていただくということでよろしいですか?」
「頼む」
不機嫌なオーラをただよわせたルクレティアが部屋をでていったあと、
「ルクレティアさん、怒ってましたねー」
「……うん。怒ってたね」
「氷の激怒! って感じでしたねぇ」
三人の言葉に、こくこくとシィがうなずく。少し遅れて頭のうえのドラ子がそれを真似た。
女性陣から非難じみた視線に、俺は苦々しく頭を振る。
「しょうがないだろ。ほんとにただのわがままなんだから」
「つまり、黙って俺の理不尽を聞けということですねっ」
「さすがご主人、サイアクっす!」
「なんでだよ! お前ら反対しなかっただろ!」
思わずわめき声をあげる俺に涼しい顔でスラ子がいう。
「反対なんてしません。マスターがお望みなんですから」
「あっしも別にかまいませんが」
「ボクも。手伝います」
俺が変なことをいいだしたせいで危険な目にあうのは彼女たちだ。
そういってくれるのは嬉しかったが、申し訳ない気持ちもあった。
「ただ、マスターがルクレティアさんに許可をあたえたので、呪印の縛りなしに行動できてしまう余地があります。そちらについては注意が必要かもしれません」
こと今回に関する限り、ルクレティアは俺を手助け“しなければならない”呪いから解放された。
タイリンには十分に策を練ってかかるつもりだが、俺があの暗殺者の手にかかってしまうことだってないわけじゃない。
ルクレティアはそれを我関せずと受容するばかりか、もっと積極的にそういう状況に持っていこうとする可能性だってあったが、
「あー。……まあ、そうなってもしょうがないよな」
それこそ自分のまいた種だ。
それに、
「なんとなく、そんなことにはならないような気がする――とかいったら甘いか?」
「あまあまです」
にっこりとスラ子がいった。
「けれど、問題はありません。私がさせませんから」
いつものように確信的な台詞。
複雑そうな表情のカーラが、なにかをいいたそうにこちらを見つめていた。
タイリンの処遇云々についても色々あるが、まずは相手を捕まえなければ始まらない。
あの様子なら一回の失敗で諦めるなんてことはないだろう。相手からの襲撃を待って、俺たちはその日も夜警に向かった。
しんと静まりかえった町を歩く。
俺の隣にはカーラがいる。その顔が浮かなく見えるのは暗闇のせいだけではなかった。
俺たちが町の夜警組とすれ違ったのはついさっきのことだ。
そこでなにかいわれたわけじゃなかったが、連中の態度はある意味でそれ以上に露骨だった。
挨拶はもちろん、声も文句もかかってこない。
ただ通り過ぎさま、憎々しげな一瞥だけが突き刺さる。
カーラは唇を噛んで、けれど顔は伏せないままそれに耐えていた。
「ごめんな、カーラ」
俺がいうと、ふと我に返ったようにこちらを見上げて、
「え、はいっ。なにがですか?」
「いや、昨日のこと。カーラまで町の連中からあんなふうにさ」
あ、とうなずいたカーラが小さく笑った。
「へっちゃらです。全然ってわけじゃ、ないですけど。……今まで、ボクが逃げてただけだから」
逃げてた?
それは違うだろう。
町のことについて、逃げているっていうのは俺みたいなやつのことをいうのだ。
リリアーヌ婆さんがいってたように、むしろカーラは頑張ってたじゃないか。
「違うんです」
首を振って、
「嫌われても仕方ないって。そんなふうに思って、諦めてて。だけど、それも逃げだよなあって」
小さく息を吐く。
「お婆ちゃ――リリアーヌや、マスターみたいに。他にも、ボクのこと嫌わないでいてくれる人もいて、それってすっごく幸せで。それだけでいいやって思ったりもするけど、でも」
「……駄目なのか?」
そういう小さな幸せにひたるのだって悪いことじゃない。
たとえば、大好きなスライムたちに囲まれて洞窟にひきこもった平和な生活。
それだって決して否定されるべきじゃないはずだ。
むしろ素晴らしいじゃないか。
――でも。
「もしかしたら、町を出て、マスターのとこにいったのだって。逃げただけなんじゃないかって。でも、そんなことには絶対したくないから――だから、逃げない。そう決めたんです」
大きな瞳が俺を見た。
「マスターも、そうじゃないんですか?」
俺がなぜこんなことをしているのか。
どうして洞窟に戻らず、スライムたちとひきこもっていないのか。
……別にこの状況は俺が望んだわけじゃない。
けど、全部が全部、受動的な結果というわけでもない。
すくなくとも今この場にいることは。能動的な、俺の選択の結果だ。
「どうだろうな。俺は逃げるのだって全然ありだと思ってるよ。実際、逃げ足だけは鍛えてる」
「マスター、そんなこといっていつも逃げないんだもん」
くすくすと笑ってから、ふと眉をひそめてさっきの表情になる。
「でも、だから。心配です。ボクも……ルクレティアも、きっと」
カーラの浮かない表情の理由はそれだったらしい。
「……マスター、ルクレティアがなにかやってくると思いますか? 呪印の強制がないから、マスターが危険な目にあうかもしれないようなこと」
――どうだろう。
俺なんかと違ってルクレティアは甘くない。
こんなちんけな魔物に隷属してる今の立場を好ましく思っているはずがないし、それから逃れられる機会が巡ってきたなら、それを活用しない理由がない。
だというのに、俺があんまり不安に思ったり焦ったりしないのは、自分でもちょっと不思議だった。
スラ子がいてくれるからか?
それともタイリンのことで頭も危機感も精一杯なのか、なんだかんだでルクレティアが容赦してくれるだろうってそんな甘えたことを考えてるのだろうか。
「よくわかんないな。まあ、その時はその時かな」
誤魔化すつもりではなくて、本当のことをいうと、カーラはこちらをじっと見つめたあと、また小さく微笑んで、
「わかりました」
わかってくれたらしかった。
なんとなく見透かされたような気分になって、ついと目をそらす。ふふ、と安堵したような笑みが聞こえた。
――実をいえば、もしかしたらだなんて頭に浮かばないわけでもない。
けど、それは口にはできない。
だってそうじゃないか。
信用だなんて、そんな都合のよい台詞。
呪いで無理やり縛っている相手に向けてそんなものを臆面もなく使ってしまえるほど、さすがに俺も恥知らずではないつもりだった。
◇
職業的殺人者。
つまり暗殺者が何者かの殺害をもくろんだ場合、費用も労力ももっとも少ないのが望ましいのは間違いないだろう。
人を殺す方法は色々だ。
刃物や魔法。呼吸をとめて血の巡りを防ぐだけでも人は死ぬ。
だが、暗殺者は仕事として殺人をやるのだから、なんでもいいというわけではない。
確実に行ったという証。さらに依頼人へ報告する証拠のためにも、遺体は残ったほうがいいはずだ。
だから大規模な破壊魔法というものは、少なくとも暗殺には適しているとはいいがたい。
魔法には防御魔法というものがあるのだから、殺害を直接確認できないと確実とはいえない。
その“直接”のため、タイリンは刃物を使う。闇属という変わった魔法は、自身が対象に刃をつきたてる補助に用いられる。
それはとてもシンプルな殺人技術で、だからこそやっかいだった。
そうした状況に向けて、きっと彼女はそれこそずっと長いあいだ訓練してきているのだろう。
だが、俺たちは昨夜の襲撃で彼女の手法を知っている。
全てじゃないにせよ、そうした情報があることは対策に繋がる。勝機はある。
不安要素は時間だった。
闇に乗じた奇襲が得意であろうタイリンに、しかし万全の警戒だなんてそう何日も続けられるもんじゃない。
一週間。あるいは一ヶ月。
ふと気を緩めた瞬間を狙われてしまえば、どれだけ準備をしていても無駄だ。
今回の暗殺に時間的制限があるのならまた話は別だが、そうではない場合、もしもタイリンが本当に慎重な仕事を心がけるなら、ただひたすら俺たちが警戒体勢を取り続けるのに疲れるのを待ち続けてくるのが一番怖かった。
そうなったら、こちらもまた対策を考える必要がある。
俺が洞窟にこもらず夜警に参加するのもタイリンをおびき寄せるためで、それすらも罠と見破られてしまっては意味がない。
だが、もっとも恐れていたその事態はただの杞憂に終わった。
町を一回りして、さあ二周目にはいろうかというところで、ぴくりとカーラの肩が震えた。
「マスター」
視線の先を追う。
暗い闇に溶けこんで一人の少女が立っていた。
低い背。頭のてっぺんで結んだ変な髪形。
生気が抜け落ちた表情にはなにもない。ただ、その虚無の双眸が見ているものははっきりとわかった。
殺すべき対象として、俺が見られている。
――やっぱりスラ子の探知にひっかからないか。
「シィ」
呼びかけると、すぐに空からか細い返事がかえってくる。
「……はい」
「疲れてるとこ、ほんと悪い。家までいってきてくれるか?」
「はい」
さっきとある頼みごとをしてしまったばかりのシィの声には疲労の色があった。
それでも、いつも従順で無口な妖精は俺たちにアンチマジックをかけてから七色の鱗粉を残して去っていく。その方角の空へちらりと視線を動かして、
「マスター!」
わずかな一瞬に、タイリンが駆けだしていた。
「いきなりかよっ」
あわてて俺も身構える。
いつものように腰から小さな袋を取り出すのではなく、拳を構える。
殴り合いの経験なんてほとんどない。
いったいどうすればいいのか、見よう見まねで体勢を整える俺の格好は、恐らくタイリンから見れば隙だらけでしかなかったはずで、
「――っ!」
かばうようにカーラが動いた。
その両腕にあるのは、日があるうちにリリアーヌに仮処置をほどこしてもらった手甲。
ミスリル銀の繊維で耐刃性に優れたそれを握りしめて、
「やあ!」
「――」
カーラの右拳をひらりと体をかわしたタイリンが一突きを返す。
最短距離で急所に差し込まれた一撃。
キィンっという甲高い音が響いた。左の手甲でそれを防いだカーラが、そのままタイリンの手首をつかもうと腕を伸ばす。
そこにすかさずタイリンが腕を振り上げた。
ざり、という嫌な音。
「カーラ!」
「平気ですっ」
タイリンのナイフは耐刃繊維を切り裂けず、再びカーラの右拳が振るわれる。
小さな暗殺者はまったく動揺の色もなく、とんと後ろに飛びのいて。ひとつ呼吸も置かずにまた突進した。
その身体に、周囲の暗闇と似てしかし決定的に異なるなにかの気配が集まり、
「魔法が来るぞ!」
それがどんなものかはやっぱり読み取れない。見えづらい。馬鹿っぽい警告の台詞しか口にできないことに歯噛みした。
身構えたカーラへとタイリンが接近して、
「――!?」
カーラの拳が空を切った。
外すはずのない至近距離で、しかし驚いたのは俺もおなじだった。
なぜなら、カーラの拳ははじめから、まるで見当違いの方向に放たれていたからだ。
なんだ? ……幻覚か?
でも、俺には相手がきちんと見えている。なんでカーラだけ――そんなことを考えているあいだに、拳を振るった直後のカーラへ、その横合いからタイリンのナイフが鋭く迫っていた。
「左わき腹だ!」
俺の声を聞いたカーラが肘を落とす。
間一髪、暗殺者の手首を弾いて軌道がそれ、ナイフはカーラの身体の横を過ぎていったように見えたが、
「あうっ」
苦悶の声があがり、カーラが崩れ落ちた。
――かすりでもしたか!
それ以上、カーラの様子に注意を向けている余裕はなかった。
カーラをかいくぐった暗殺者はすでに目標へと姿勢を向けている。
走る。
低すぎる姿勢。
まっすぐ縫うような一直線。
こんなのどうやって対処すればいいんだよ!?
見事に経験のなさを露呈して反応に遅れる俺に、そんな間抜けを見逃すはずもなくタイリンのナイフが伸びて、
「させまっせーん!」
猛々しい声は、俺の耳元でがなりたてられた。
右腕が持ち上がる。
もちろんその手にはなにも持ったつもりはなかったし、実際なにもない。
それなのに、俺の右手は俺の意志と関わりなく、まるで手のひらで相手のナイフを受け止めようとするかのように突き出されて、
「ひい!」
ざくりと刃物が突き立てられる感触はやってこなかった。
タイリンのナイフは、俺の手のひらの直前でなにかに阻まれて止まっている。
すぐそこにある暗殺者の顔が、感情のないままわずかにいぶかしむように歪んだ。
そこに左手がくる。
やっぱり俺の意志とは無関係に、小柄な暗殺者につかみかかろうとするのに、タイリンがなにもせずに大きく後ろにさがる。
カーラのときのようにナイフで切りつけることもなかったのは、恐らく違和感があったからだろう。
警戒するようにナイフを構えなおす相手に、びしりと指をつきつける。
何度もいうが、俺の意志ではない。
「ふふー。残念ですが、タイリンさん。あなたに勝利は訪れませんっ」
びしりびしりとポージング。
しつこいようだが、俺の意志では――
「そう! これこそまさに攻守一体! 絶対無敵! 私とマスターが一緒になれば、この世界に敵なんていませんよー!」
「うるっさいわああああああ!」
相手に全身を任せていたのをとりやめて、思いっきり両腕を振り上げた。
「マスター、どうしたんですかっ。ここは威嚇も含めて、さらに格好いいポージングで続けざまに――」
「いらんわ誰が見てるんだそんなもん! 俺の身にもなれ!」
むう、と不満そうな声はやはり耳元に。
俺の全身に薄く形状変化してとりついたスラ子は、そのどこから発しているかもよくわからん状態で、
「ノリが悪いですねえ……。まあ、年甲斐もないシャイボーイということで手を打ちます。さあ、いきますよマスター! 二人の力で難敵を討ち果たすのです! うなれ合体力!」
「……なんていうか、ノリノリだな。お前」
戦う前からげっそりと、違う意味で疲労をおぼえていた。