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十五話 やるべきこと、やりたいこと

 町長宅を出て、仮拠点の家に戻る前に町外れの道具屋へ寄ることにした。


「刃物を防ぐ防具かい」

「うん。なにか盾みたいなのお店にないかな、お婆ちゃん」


 タイリン相手には肉弾戦をという話にさっきなっていたが、物理耐性のあるスラ子やスケルと違って、カーラが素手のままというのはちょっと怖いところだ。


 いつも埃っぽい、客足のない寂れた道具屋の奥に鎮座ましました皺くちゃな婆さんは、訪ねられてまず嫌そうに顔をしかめ、


「そりゃあるにはあるけどね。カーラ、人前でお婆ちゃんってのはよしとくれないか」

「あ、ごめんっ」

「……ふん。ちょっと待っといで」


 そっぽを向いて店の奥に消える。柄にも可愛くもなく、どうやら照れているらしかった。


 すぐに戻ってきた店主は手に縦長の形状をした防具を持っている。

 細長い板の部分がゆるやかに反って、その一方の端に手袋のようなものがついている。表面はよく磨かれて装飾の類はほとんどない。よく使いこまれていると一目でわかる代物だった。


 テーブルにごとりと置かれたそれに触れながらカーラが訊く。


「これって、……手甲?」

「そうさ。あたしが昔に使ってたやつだよ。カーラ。あんたが使うんなら、盾なんかよりこういうのがいい」


 なるほど。

 拳で戦うカーラにとっては、なにより身軽さが身上だ。盾なんか構えたらその長所まで失われてしまう。


「布にはミスリル編みの繊維がはいってるから、対刃性は十分あるよ。正面から叩き潰されたりしたら終いだけど――どういう風に使うかは、いちいち教えなくてもわかるだろ」

「うん! ……けど、こんなのいいの?」


 ミスリルといえば稀少鉱物だ。値段だって安くない。

 恐る恐るといったカーラの表情に、リリアーヌは皺くちゃの顔をさらに皺いっぱいにした。


「カーラ。前からいおういおうと思ってたんだけどね、あんたは武器も持たないで冒険者家業をやってるようだけど、そんなちょっと布を巻いたくらいじゃあいつ拳を痛めるかわからないじゃないか。刃物を持つのが嫌なら、せめて拳くらいきちんと守っておやりよ」


 そこで口をつぐみ、じろりとした視線がこちらを向いた。


「……なんだい、その顔は」


 俺はにっこりと微笑んだ。


「べつにーなにもー」

「腹立つ顔だね。元からひどい顔なんだから、せめてそれ以下にならないように気を張っておきなってんだ」

「へいへい。努力します」


 この偏屈な婆さんが孫を心配する祖母をやっているのを見たら、誰だってニヤニヤしてしまうだろう。

 舌打ちした店主が、つっけんどんに俺の目の前に両手を突き出した。


「……なんだよ、この手は」

「決まってるじゃないか。ほら、手甲の代金」

「タダじゃねえのかよっ!?」

「あんたが店に来てるのにタダのはずがないだろ」

「まさかの財布扱い!」

「マスター。ボクのものなんだから、ボクが」

「いいんだよ、カーラ」


 あわててカーラがいってくるが、婆さんが容赦なく言葉を重ねた。


「どうせカーラに守ってもらおうってんだろ。護衛の装備を整えるのも仕事のうちさ」


 すげえ。バレてる。

 まあ、実際タイリンが狙ってくるのは俺なのだろうし、婆さんの言うことは間違ってない。


 腰から財布を取り出す前に、俺はじっと相手を見つめた。


「なんだよ」


 気味悪そうな道具屋の店主の眼前で両手を組み、目を精一杯うるわせる。


「ねえ、お婆ちゃん。僕にもなにかいい装備なぁい? 軽くて硬くて物持ちして、できれば魔法強化も万全で伝説級のそんなスペシャル防具!」

「死ね」


 ほんの冗談だというのに、真顔でナイフを飛ばされた。


「ひいっ」

「ひえっ」


 交わす間もなく耳元を過ぎて、二重の悲鳴。

 俺の背後で姿を消しているスラ子まであげてしまった声に、リリアーヌはちらりと目線をくれてから、なにもいわずに鼻を鳴らす。


「ほら。さっさと財布をよこしな」


 あ、これバレてる。スラ子のことバレてる。


「……ハイ」


 俺が差し出した皮袋から、店主は金貨を一枚――俺の小遣いのほぼ全財産――を摘み取ると、残りを放り投げて吐き捨てた。


「相変わらずしけてるね」


 もちろんミスリルなんて使ってる防具の本来の代金が、金貨一枚ですむはずがない。

 まったく、とんだツンデレ婆さんである。


「カーラ。ちょっと着けてみな。そうサイズが合わないってことはないだろうが、さすがに少しは仕立て直さないと」

「うん。あ、でも――」

「なんだい。なにかあるのかい」

「……できればすぐに使いたいんだ。ちょっと大きいくらいだし、このままで使わせてもらっちゃダメ?」


 両腕にはめてみたそれを軽く開いてみせる。少し大きめだが、ぶかぶかという程ではなかった。

 じろりとまた俺を見たリリアーヌが、ため息をついて耳の上をかく。


「仕方ないね。じゃあ、とりあえずすっぽ抜けたりしないようにだけでもしておくから、後で取りにおいで。しばらく箪笥に眠ってたから、どこかの生地が傷んでるかもしれない」

「ありがとう!」


 手甲がカーラからリリアーヌへ手渡される。


「応急処置みたいなもんにしかならないんだから、ちゃんとまた直しにくるんだよ」

「うんっ」


 嬉しそうにうなずいたカーラが、ふとなにかを思いついた表情で俺を見た。


「マスター。ボク、そのあいだにちょっと外にいってきていいですか?」

「いくって、どこにだ?」

「昨日のこと、もう一度他の町の人たちに謝っておきたくて」


 俺は顔をしかめた。


「……畑のことか」

「はい。ギルドと、夜警をしてた人たちにも」


 わかった、と即答するのはためらわれた。


 昨日の失態については、ルクレティアがどうにかするといっていたのだから、そちらに任せてしまったほうがいい気がする。

 町の人間から疎まれているカーラがいったところで、散々に非難されて終わるだけだろう。


 そもそも昨日のあれはまったくカーラに責任はない。

 その場に居合わせたというだけでカーラまで同じように見られてしまうのは申し訳なくあっても、そのカーラが率先して謝りにいかないといけない理由などないはずだったが、


「でも、――自分のできることはやっておきたいから」


 カーラはいった。

 こちらが考えてることくらい承知している表情だった。


 一人でいかせていいものだろうか。俺も同行するべきか、でも俺なんかがついていったらかえって迷惑になるだけかもしれない。


 俺が答えに迷っていると、


「いっといで、カーラ」


 引き出しの奥から針と糸を取り出しながら、リリアーヌが顔をあげずにいった。


「あんたが戻ってくるまでにはこっちもすませとくさ」

「……マスター?」

「……わかった。気をつけてな」


 はいっ、と元気よく返事を残して魔物の血をひく少女が店を出ていく。


 それを渋面で見送っていると、


「――勘違いするんじゃないよ」


 冷ややかな声がかかった。

 振り返れば、そ知らぬ顔でさっそく裁縫にとりかかっている婆さんはやはり顔もあげはしない。


「あの子はあの子。あんたはあんただよ」

「なんだよ、それ」


 ふん、と鼻で笑われた。


「あの子はあの子なりに、自分の問題に立ち向かおうとしてるんだ。邪魔をするなっていってんのさ」

「俺はカーラの邪魔者扱いかよ」


 ついふてくされた声になってしまう。

 ちらりと見た婆さんが意地悪く口元を吊り上げて、


「あんたにはあんたの問題があるだろう。相手のためだなんて甘えたこと考えてないで、そっちをやれってんだよ。あんた、昔っから町の連中と関わるのを避けてたじゃないか。町のことなんて関係ないだろ?」


 カーラがいなくなった途端にこれだ。

 嫌味ったらしい台詞に俺はため息をついて、


「なあ。ギルドってのは……」


 いいかけた言葉を途中で飲み下す。


 ――ギルドというのは、基本的に余所者や外れ者の集まりだ。

 冒険者なんてやってるのは、そりゃ一部には有名な冒険者に憧れたりってのもあるだろうが、大半が手に職のない者や耕す土地のない連中。


 野盗やごろつきとたいして変わらないそんなギルドという存在は、魔物が渦巻くこの世の中では村や町にとって必要で、しかしこのふたつは決して親密な間柄ではない。


 いや、そうあって欲しいというのは、実際には村や町を治める領主の立場からの願いでもあるはずだ。

 領地から離れた集団がその自衛のための戦力と連携を密にする。反乱、あるいは自主独立の気運が高まって当然だからだ。


 そんな風にとられてしまうのは領主側だけではなく、村町にとってもリスクになる。


 つまり、村町を治める人間は、まずその必要だが自分を噛むこともあれば、上から目をつけられてしまう恐れもあるやっかいな連中との付き合い方に気をつける必要がある。


 そして、ルクレティア。

 目に見えない悪意の固まり。その顕在化。そういう考えをあの令嬢が持っているのは自分自身の口にした。


 現在、町長から継いでギルドを管理しているルクレティアにとって、ギルドは自らの立場を主張するのに必要不可欠だ。


 町への影響力、そして将来への布石。

 ギルドを支配したうえで、そこに向けられる悪感情までをコントロールしてみせる必要がルクレティアにはあるのだった。


 そのルクレティアがギルドをまとめあげるのに、カーラという存在はどう関わる?


 町から疎まれている少女は、それだけで町の連中から警戒と疑念の対象だ。

 ただでさえ微妙な関係にあるギルドにその相手を所属させることになにかメリットはあるのかと考えれば、さっきのルクレティアの言葉が頭に浮かんでしまう。


 “感情のぶつけ先”。


 もしカーラをスケープゴートにしようというのなら、それは気に入らない話だった。


 今回の夜警だって、カーラを同行させることはルクレティアに前もって確認しておいたことだ。

 昨日の一件まで予想してはいなくても、カーラが見回り組に加わることで町の住民の心象にどういう影響を与えるかくらい考えないわけがない。


「ギルド? ルクレティアかい。あの子も頑張ってるみたいじゃないか」

「いや。ルクレティアと、カーラが」


 リリアーヌ婆さんは露骨に顔をしかめた。


「女の問題に男が首をつっこむもんじゃないね」

「いや、そういう話じゃなくて……」

「それじゃあ、どういう話なんだい」


 ……どういう話だっけ?

 頭をひねる。言い回しを考えているうちに、なんだか説明するのがめんどくさくなってきた。


「もういい。帰るわ。……ああ、婆さん。前に暗殺者が云々っていってたよな。昔ちょっとなんたらかんたら」

「いったけど、それが?」

「なにか知ってることあったら教えてくれ。昨日、あやうく殺されかかったんだ」

「……別にたいしたことは知らないよ」


 婆さんが答えた。表情が不快そうになっている。


「そういう連中を知ってたってだけさ。寝首をかくことばっかり毎日訓練して、実際に依頼があったら殺して。世の中にはそういうのを必要とする輩もいて、だからそれを目的にしたギルドまでつくられちまった」

「ギルドまであるのかよ」

「そうさ。暗殺者ギルドとかいってね。まあ、けったくそ悪いから旦那と二人でぶっ潰してやったんだけど」


 この婆さんはいったい何者なんだ。割と本気でそう思ってしまった。 


「そういうのは、叩いても叩いても違う場所から湧いてくるもんだ。今ごろ、どこか別のところで似たようなことがされてても驚かないね」

「それって普通の女の子が訓練されたりもあるのか? その、暗殺者にさ」

「このご時世、身寄りのない孤児ならいくらでもいるさ。そのあたりのを拾って仕立て上げるのがてっとりばやいんだろ」


 胸糞悪い台詞を、胸糞悪そうに婆さんはいった。


「訓練すれば誰でも人を殺せるようになるもんなのかな」

「そりゃ慣れればね。命の危険。憎しみや大金。そんなのがなくったって人は人を殺すさね。きっかけさえあれば」

「それが依頼?」

「ようするにスイッチみたいなもんだよ」


 つまらなそうに肩をすくめる。


「指示、命令。合図だったりね。目の前の人間を、わかりあえる隣人じゃなくて抹殺するべき対象って切り換えさせるのさ。目につく相手を片っ端から殺しちまうようなのは、暗殺者じゃなくて虐殺者だろ? そんなのじゃ、“仕事”には使えない」


 淡々と語る皺の奥の瞳が一瞬、ぞっとするような暗い色に沈んで、俺は寒気を覚えた。

 そこから昨夜のタイリンの様子を思い出して苦い気分になる。


 あれが暗殺者としてのスイッチに切り替わった瞬間だったとして、それじゃいったいなにがそのきっかけになったのだろうという疑問が残る。


 依頼というわけではないはずだ。

 その直前までタイリンは普通に俺と話をしていたのだから。


 ちょっと馬鹿っぽい話し方でにこにこと、友達になろうといったらとても喜んでいた。

 いずれ殺すつもりの相手なら友達になんかなる必要がないはずだ。


「……わかった。さんきゅ、婆さん」

「また甘えたことでも考えてるんじゃないだろうね。暗殺者に狙われて、守れるのは自分の命くらいのもんさ。ふざけたプライドとか、役にもたたない同情なんざ犬に食わせな」


 多分、親切心なのだろう。

 背中からの声に手を振りながら外に出る。


 仮眠もあったとはいえ一晩中起きていてそのままだから、ちょっと頭がぼんやりしていた。今夜も夜警にはでるのだし、その前に一眠りしておかないとまずい。


 仮拠点の家に帰る道を歩きながら、


「友達、な」


 なんとなく、タイリンのひどく嬉しそうな顔を思い出していた。



「ちょっと考えてみたんです」

“ちょっと考えてみたんですがね”


 唐突に響いた二重の声に思わず顔をしかめてしまう。

 俺の側に姿を隠して護衛についているスラ子はともかく、もう一方はここしばらく黙っていたのですっかり忘れてた。


「あー。ええと、ちょっと待ってくれ。スラ子。なんだって?」

「はい、考えてみたんですが――」

「ああ、違う。ちょっと待て。しばらく変な独り言を呟く変なヤツになるけど気にするな。決して哀れむな」

「はい?」

“ああ、すみません。どうして人間が闇の属性というものを解しないのか、自分なりに仮説をたててみたんですが”


 そりゃまた物好きな。暇なんだな。

 ただし、興味のある話ではあった。相手への対応策を考えるうえで、それに関わる知識や仮説は知っておいて損はない。


「その仮説ってのは」

“そんなに難しい話じゃありませんがね。ようするに、理解できないんでしょうね”


 そりゃまあ、そうだろう。

 あまりにも当たり前すぎることに拍子抜けしてしまう。声が続く。


“火や水といったものならわかりやすい。だから人間にも問題なく行使できる。しかし、光や闇はそうではない。つまり、貴方がたには体感としてそれが理解できていないのだろうということです”

「……光や闇だって身近だろ。いつも毎日、昼と夜は来る」

“もちろん、身近にありふれていますよ。しかし、それを意識できるかどうかは違うでしょう。認識の問題もある。少なくとも昼と夜、光と闇の関係は、近しいが同質を意味しません”


 ……なんだろう。

 人間と竜だ。もともとの頭の出来や蓄えている知識量が違うのはわかるが、もう少しこちらにもわかりやすく話してくれないものだろうか。


“闇とは覆うものですよ。夜が闇ではない。見えないことが闇ではない。それは本質から外れてしまっている。……まあ、説明したところで体感できるものではないなら、結局はそれに尽きるんでしょうがね”


 俺には意味のわからないことをつぶやいて、声はそれきりぴたりと止まってしまう。


 おい、まさかそれで終わりか?

 自分が納得したことを相手に伝えられたらそれで満足なのか?


「……もうちょっとこっちの手助けになるようなことはないのかよ」

“おや。自分が手助けしなければならない理由が?”


 悪意でもなんでもない、純然と不思議そうな声がかえってきた。


 ――これだから。勝手に頭だか目の中だかに住み込んでるんだから、ちょっとくらい家賃を払おうって気にはならないのか。

 ならないんだろうな。だって竜だもの。


 なんとなく隣から心配そうな気配を向けられているのを感じとって、頭を振る。


「ああ、悪い。独り言はすんだ。なんだって?」

「……マスター、大丈夫です?」


 スラ子の声は心配そうだった。

 竜の里から変なのが一匹くっついてきたことを知らないから無理もない。だが、ここで説明なんてしだしたらもっと心配させることになりそうだった。


「多分な。それで、なにを考えたって?」

「いえ。マスターの護衛手段なんですが、よい方法を思いつきましたっ」 

「ほう、聞かせてもらおう」

「はい。――まず私が身体を変化させて、マスターの身体をぴったりと覆いつくします。以上、おわりです! これで死角なし、どこからタイリンさんがやってきてもノープロブレムですっ」


 おー、と俺は大きくうなずいた。


「却下だなっ」

「なんでですかーっ」

「なんでもだ。強いていうならなんとなくだ」


 というより色々と吸い取られそうな気がするからだ。


「マスターのいけず!」

「お前を背負ったりなんかしたら、動きが鈍くなるだろ。俺の貧弱度合いを舐めるなよ?」


 女子どもを抱いて機敏に動けるような体力なんざ持ち合わせちゃいない。ドラ子あたりならともかく。


「自慢できることですか。それでも最近は毎朝走りこんだりされてるじゃないですか」

「……まあ、まともに戦えないならせめて逃げるなり出来ないとな。こないだのドラゴンゾンビで痛感した。けど、今までさんざひきこもって怠けてたんだから、そうそう簡単に体力なんかついてたまるか」


 せめて自分に出来ることをというわけだが、毎朝の走りこみも暗殺者に狙われている以上しばらくは休む必要がある。


「いいアイディアだと思ったんだけどなあ。結局、不意をつかれることが一番怖いわけですし。ついでに私もずっとマスターと一緒でベタベタできて一石二鳥ですっ」


 どっちかというと、ついでが本音じゃないか。それ。


「悪くないとは思うが、やっぱり重さがなあ。……待てよ、スラ子の形態変化って、重量はどうなるんだ。質量に対する総量は一定なのか? いや、でもそれじゃあ変化にだって限りがあるはずだし、もし――」


 それはまったく突然の思いつきだったが、とても重大なことのような気がする。

 考え込みかける俺の頭上からそっと静かな声が降り注いだ。


「……マスター」

「シィ?」


 見上げると、昼間の空に少しだけきらきらと七色の輝くものが見えた。

 羽からこぼれた鱗粉がかすかに軌跡を残していて、そこに飛んでいる相手から細い声がかかる。


「ルクレティアさんが呼んでます。商人の人が来るって。希望されるなら同席されますか、と」

「わかった。悪い、シィ。お前は少しのあいだカーラについてやってくれないか。今、町中にいるはずなんだ。大丈夫だとは思うが、なにかあったら助けてやってくれ」

「わかり、ました」


 答えた気配が遠のいていく。


「いかれるのです?」

「わざわざ呼ぶんだから、意味があるんだろうしな。……後ろめたいことはしてないと証明したいのか、俺を同席させて言質をとりたいだけかもしらんが」


 くすりとスラ子の気配が笑った。


「探り合いですね。でも、それをお望みになったのはマスターですよね?」

「わかってるさ」


 息を吐く。


 もしルクレティアの本音が知りたければ、胸にある呪印に命じてしまえば片がつく。片がついてしまう。

 それをしないのは俺の都合なのだから、その結果についてくる諸々は享受しなければならない。


 ふふー、ともう一度笑ったスラ子が抱きついてきた。


「ルクレティアさんにはルクレティアさんのお考えがありますし、カーラさんはカーラさんで頑張っていらっしゃいます。そういうことですねっ」

「そういうことだな」


 ルクレティアにはルクレティアの思惑がある。カーラにはカーラのやるべきことがある。


 なら、俺がしなくちゃいけないことは?

 そういうことだった。


「なあ、スラ子。お前は」

「私です?」


 耳元で答える声はいつものように確信に満ちていた。


「私の存在はマスターのためにあります。マスターが望まれることならなんでも。それだけが私の望みですっ」


 従順な台詞に、嬉しさを覚えないといったら嘘になる。

 面映くもあるし、こんなにも自分を慕ってくれる相手がいることに増長しかけてしまうくらい、俺という人間は安っぽくできている。


 だけど、それがひどく歪なものだという自覚があったから、内心で考えてしまう。


 ――俺はスラ子にどうあって欲しいのか。


 ◇


 ルクレティアの部屋を訪れると、そこにはすでに若い商人の姿があった。

 ちらりと目線をくれた二人はすぐに互いへと顔を戻して、


「それは、大変なことでしたね。先日の雨といい、不幸が続いてしまいますね」

「そうですね。しかし天候の気まぐれとちがって昨日のことは天災というのとは少し違いますけれど」


 どうやら話題にあがっているのは昨夜の一件についてらしい。

 本題を切り出す前の世間話といったところだろう。しかし、ただの世間話にもルクレティアは辛辣だった。


「最近は町に胡散臭い連中がはいりこんできて困ります」


 暗に相手のことを指した物言いに、バーデンゲンの商人はまるで気にした様子もなく笑顔を崩さない。


「お察しします。しかし、それも仕方のないところではありますよ。なにしろ竜殺しの町ですからね。メジハの名はいずれ国中に響き渡るでしょう。当然、それに興味を抱く人も出てくるはずです」

「こんな辺境の田舎町に興味をもってくださる方がいらっしゃることは喜ばしいですわ。しかし、害をなす相手がまぎれこんでしまえば、それを叩きだすのが私の役目です」

「だからこそ、ミス・イミテーゼルにお会いした甲斐があるというものです。正直に申し上げまして、町にはあまり外とのことに不慣れではない方々も多くいらっしゃるようですから」

「よくお知りなのですね」

「いえいえ。この町にやってきてそういう印象を持ったというだけです。それもあまり大勢の方とはお話できておりませんし――そのことは、ミス・イミテーゼルにはわかっていただけるでしょう?」

「さあ、どうでしょう。町を歩きたいのでしたらどうぞご自由に。もっとも、小さな町ですから色々と見聞きした話はすぐに入ってくるかもしれませんが」


 ……こういうネチネチした会話はどうも苦手だ。

 商人なんてやってる連中が裏表無く話をしてくれるはずがなかったが、こういうやりとりをひたすら聞かされるのかと思うと気が滅入る。


 だが、ルクレティアが世間話に興じていたのはどうやら俺がやってくるのを待っていたらしく、口調はそのままで瞳がすっと細まった。


「それで、ディルクさん。本日はいったいどのようなご用件でしょうか。これでもあまり暇にはしておりませんので、すぐにお話にはいっていただけるとありがたいのですけれど」


 にっこりと商人ディルクが微笑んだ。


「なにかお困りごとがあるのではないかと思いまして」

「麦のことでしたら、むしろ商談にはいるまえでほっとしています。駄目になったものをお渡しするわけには参りませんし」

「いえいえ。ミス・イミテーゼルさえよろしければ、まだこちらで買い取らせていただければと思っておりますよ。もちろん、まったくの同額でというわけには参りませんが」


 相手の発言に俺は自分の耳を疑いかけた。


 スラ子のブリザードでやられてしまった麦をまだ買い取りたいって? 安く買い叩くつもりでもいるのか。


 こちらの表情を察したのか、営業的な笑みの男がやんわりと続ける。


「失礼ながら、メジハで作られている麦は、そもそもが品質の高さを売りにしているわけではありませんでしょう」

「かといって土に落ちて水にまみれた麦穂を買う酔狂もないでしょう。飼料にでも使うおつもりですか」

「もちろん、そうした利用方法もあるにはあります。しかし我々にとっては、メジハとの繋がりを持ちたいというのが本音です。その先行投資と考えてもらえたらと」

「率直なお言葉ですこと」 


 つまり、メジハとの商取引にはそれだけの価値があるということか。

 いや――メジハというよりは、竜だ。


 ようするにこの商人がいっているのはそれに尽きた。今後の商売での優先権、口利き。そのためにルクレティアとのコネをつくろうとしている。


 しかし、そのために痛んだ麦穂を買い取ろうというのはあまりに底が見え透いている提案だった。

 実際に価格がどうかという話にはまだなっていないのだから、破格とかそういうことじゃない。

 おかしいのはあまりにも自分が欲しいものを素直に曝けだしすぎていること。


 商人っていうのはもっとこうネチっこく、自分の本音を隠して相手の譲歩を引き出すためにあれやこれやと持ち出すものだとばかり思っていたのだが……。


 だが、そんな風に思ったのは、まさしく俺が素人にすぎないからだった。


「お言葉はありがたいですけれど、やはり品の悪いものを引き取っていただくようなことは承知しかねますわ。なんとか卸すのに堪えられそうな分についても、前から懇意にしていただいている取引先がすでにありますし」


 そうルクレティアがいったのは、相手への牽制と駆け引きだろう。


 つきあいの商会があるからといって、新しい取引先を選べないわけじゃない。自分のところの麦をもっと高くで買い取ってくれる相手がいるのなら、そちらに売ることだってある。

 雨と氷で駄目になりかけた大麦を高く買い取ってみせろといっているのだから、ルクレティアの図々しさも大概だった。


「そうですか。それは残念です。以前からのお付き合いを反故にしろとまで、さすがに私どもも礼儀知らずではありませんので」


 あれ、そこでひくのか。それともひいてみせるというだけか?


 意外に思った俺が見守るなかで、男は変わらない表情で続けた。


「それでは他になにか、お役に立てることはありませんか」

「――率直に、とお願いしたつもりですけれど」


 ルクレティアの声に険がこもった。

 それでも相手は平然とした笑みのまま、


「私どもの商会はギーツで商いをさせていただいておりますが、商会主はもともとこちらの出身ではありません。若い頃には王都で弟子働きをしておりまして、そのあと一人立ちしてメジハにやってきたのです。ですから、今でも王都との付き合いは残っていまして」


 ぴくりとルクレティアの眉が揺れる。


「……そうなのですか」

「はい。ですので、ギーツでの商いは決して年が深いわけではありませんが、他の商会の方々とは違う繋がりを持っているのですよ。――そういえば、ミス・イミテーゼルも王都のご出身とお聞きしております」


 一瞬、室内に不穏な気配が生まれた。


 なんだ? ルクレティアが貴族の血をひいているとかいう話なら聞いたことがあるが、それがなにか関係あるのか?


 表情を動かさないままルクレティアが口をひらく。

 気のせいか、眼差しに少しだけ力がこもっているような気がした。


「王都とギーツ。どちらの事情にも通じているというわけですね」


 我が意を得たりと商人はうなずいた。


「はい。お力になれることもあるかと」

「それは例えばどのようなことでしょう」

「そうですね。暗殺を生業とする輩の話、などはいかがでしょう」


 今度こそ、はっきりと部屋の空気が凍りついた。


 俺も自分の表情が強張るのを懸命に抑えながら、果たしてそれができているか自信はなかった。


 ――こいつ。タイリンのことをどうして知ってる?


 襲撃があったことなら町中で噂になっているから、知っていてもおかしくはない。

 暗殺者ってことは? それもタイリンが大声で自己紹介していたから、噂にくらいなってるかもしれない。


 だが、このタイミングで目の前の男がそれを持ち出してくるのがただの偶然なのか――?

 あるいは、この商会こそがタイリンの依頼主か。いや、そうと断定もできない。かまをかけているだけってこともある。


 男の面でつくったような微笑に、俺は今更ながらに気づいていた。


 これこそが、最初からこの商人の手札だったのだ。

 駄目になりかけた麦の売買などどうでもいい。だからあんなにあっさりと持ち出して、駆け引きもなしにすんなりと引いた。


 本当に相手がちらつかせてみせたのは、暗殺者についての情報。

 もしかしたら、その依頼主に対するものまで含まれるのかもしれない。


 確かにそれは俺やルクレティアにとって価値のあるネタだった。しかもルクレティアの利益代表としてのルクレティアではなく、個人としてのルクレティアが欲するものでもある。


 事は内密に、相手との関わりを持つことを可能とする取引。

 同時に王都とギーツに独自の情報源を持つという自分達の有用性を示してもいる。昨日、タイリンが襲ってきたあとというタイミングも含めて、男の手管は優秀だった。


 もしかしたらそれも狙っていたのか?

 ……いや、タイリンが俺を殺そうとしたのはどう考えても突発的な流れだったとしか思えない。


 ただし、狙ったにしても偶然にしても変わらない。

 男は、これ以上ないというタイミングで手札を切ってみせたのだ。


「――商人の方は耳が早く、しかも高くも低くも聞き分けるというのは本当ですね」


 ルクレティアがため息をついた。


「機を見るに敏でなければ、それだけ儲けは遠のいてしまいますので」


 対する商人はあくまで柔らかい微笑を崩さない。

 それを見上げるようにしたルクレティアが、そっと目を伏せた。


「……よろしいでしょう。もし、そちらからの情報が役立つというのでしたなら、貴方がたとのお付き合いを考えさせていただきます。町の者も色々と不安に思っています。人心を安定させるために、わかりやすい結果が必要です」

「ぜひ、お力にならせていただきます」


 抽象的な言葉の意味を正確に察したらしい男の表情が、その時になってはじめて動いたが、それもほんの少しだけ口角があがっただけだった。


 笑みを強めたディルクがいう。


「では、すぐに情報を集めさせましょう。実をいうとすでに早馬を飛ばしていますので、そうお待たせせずに詳細をお届けすることができるかと」

「けっこう。よろしくお願いします」


 商人の男が去ったあと、ルクレティアが身体ごと姿勢を向けて俺を見た。


「なにかおっしゃりたいことはございますか。ご主人様」

「そんな顔に見えるか?」

「見えるから聞いているのですわ」


 俺は渋面になって、


「……わかりやすい結果ってのは、つまり。町の連中の感情を向けさせる相手ってことだよな」

「そうです。竜騒動の件、それに薬草の売り上げを考えれば、今年の麦が売り物にならなくなったとしても町の財政状況は破綻しません。しかし、だからといって、それと町人たちの感情はまったくの別問題です」


 ルクレティアが答える。


「自分たちの農作物を駄目にされて、憤慨しない人間はおりません。どう言葉で取り繕ったところで、町の人々は決して昨夜の犯人を許さないでしょう。なら、誰かその役目を用意しなければなりません。それは誰ですか? スラ子さんですか、それともカーラでしょうか」


 むっとして睨みつける。

 それを冷ややかに金髪の令嬢が見返してくる。


「ごく自然に考えれば、あのタイリンという暗殺者以外にその役目はおりませんわ。実際に魔法を使ったのはスラ子さんでしょうが、それもあの相手がご主人様の命を狙ったからこそ。責任の一端は相手にあります。それとも、なにか異なるお考えがございますか?」


 ……そんなものはなかったから、俺は黙っていた。


「では、このまま進めてよろしいですね」

「ああ」

「――本当に、よろしいのですね?」


 ひときわ眼差しが厳しくなる。

 俺はほとんど烈しくまであるそれを受けて、憮然としてうなずいた。


「……好きにしろ」

「けっこう。では、そのように進めさせていただきます」


 ルクレティアの口振りは、ほとんど怒っているような口調だった。



「マスター。よろしいのです?」


 帰る途中でスラ子にそう聞かれても、俺は答えようがなかった。


「しょうがない。今回の件の落とし前は必要だ。カーラやお前を犯人としてつきだすわけにはいかない。もちろん俺だって。それとも、お前はルクレティアの策がまずいと思うか?」

「いえ。よいやり方だと思います。あのバーデンゲン商会という人のことが気にはなりますが、有用であれば使ってあげればよいだけのことですし、その器量はルクレティアさんにはあるでしょう」

「町の連中については」

「……わかりやすい悪役が必要というのは、同意します。昨夜の件は、私の魔法がやったことなのでどちらがいいともいいかねますけれど」

「そうだろ。ルクレティアのやり方は間違っちゃいない。いや、良い悪いなんざどうでもいい。俺にはあれよりうまい解決策が思いつかない。だったら、文句なんかいえる立場じゃない」

「はい」

「町の件はルクレティアに任せるっていってあるんだ。感情的に納得できないからってケチをつけるのは子どものすることだ。そうだろう」

「はい」


 スラ子は穏やかに続けた。


「でも。マスターは納得されていらっしゃいません」


 足が止まる。


 空を仰いだ。

 睡眠の足りてない視界に昼間の日差しがひどく染みた。


「……スラ子」

「はい」

「俺、友達になろうっていったんだよ。タイリンに」

「はい」


 それははっきりいってしまえば、深く考えることもしなかった一言ではあったけれど。


 でも、あの頃の自分がなにより欲しかった台詞であって、それを成そうとずっと思ってきた台詞でもあった。

 それをひるがえすのか?


 ――いやいや、相手は暗殺者だぞ。

 なんだかしらんが自分の命を狙うと宣言してきた相手を友達扱いとか能天気にも程がある。リリアーヌもいっていたじゃないか。同情心なんて持たないで、自分の命だけ守ってろって。


 ……じゃあ、これは同情心なのか?

 子どもみたいな女の子の嬉しそうな表情がちらつくのは俺の哀れみか。

 町の連中の怒りを向けられるだろう相手にカーラの姿が重なって見えるのは、考えすぎなのか。


 そうなのかもしれない。

 だったとして――じゃあ、俺になにができる?


 洞窟にひきこもって、スライムたちだけいれば満足だなんて器の小さい男に、いったいなにができるというのだろう。


 俺に町の状況を変えられるか?

 暗殺者としておかしな訓練をつまされてきたらしいタイリンを、魔物の血をひいて疎まれてきたカーラを救うことができるのか?


 ――できるわけがない。そう諦めるのは簡単だった。


「できますよ」


 スラ子がいった。


「マスターなら、なんでもできます。私が必ずそうします」


 スラ子は否定しない。

 それはとても怖いことだ。とてもとても怖いことだった。


 だけどやっぱり、それは嬉しいことでもあるのだった。泣きたくなるくらいに。


「……悪いが、俺はなんにもできない。一人じゃあ」


 だから、


「――スラ子。手伝ってくれ」


 結局、スラ子に頼るしかない自分を情けなく思いはするけれど。


「はいっ。マスターのお心のままに」


 スラ子は嬉しそうだった。

 だからこそいっそう、俺は申し訳ない気分になった。


 ……そんなのを考えるのはあとだ。

 今は、やるべきことをやる。やろうと思ったことをやってから考えろ。


 脳裏に思い出したのは、そう昔のことでもない手痛い失敗。

 洞窟の地下で問題を起こしていた二種族の争いを収めようとして、見事になにもできなかった経験。


 今度も同じ事を繰り返してしまうかもしれないと思えば、すくむ心は人一倍あって、


「マスター。では、どうしましょう」


 そんな時、後ろから押すように声をかけてくれるのはいつもスラ子の声だった。


「考えよう」


 自分に言い聞かせるように俺はいった。


「なにかいいアイディアがないか。考える。ルクレティアの策じゃ、捕まったタイリンがどうなるかわかったもんじゃない」


 今年の麦を駄目にした張本人。

 そんな風に町の連中の前に引きずり出されてしまえば、無事にすむわけがなかった。


 そんなのは嫌だった。


 甘いとか馬鹿げてるとかいわれたっていい。

 どうしたって嫌だ。――俺はあのおかしな相手に、友達になるといったのだから。


 なら、どうする。

 気に入らないで終わらせないためにどうすればいい。


 焦った頭に名案なんてすぐに思いつくはずもなかったが、絶対にやりようはあるはずだ。


 その前に、ひとつだけはっきりとしていることもあった。


 今回の騒動をどう落着させるかはともかくとして、まず絶対に必要なこと。

 それは、俺がやらなければいけないことだ。


「俺とお前で、あいつを。タイリンを捕まえるんだ」



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