十四話 対策と目論見と囮
町長宅の自室で大机についたルクレティアは、思案げな表情でしばらく黙ったままだった。
「……すまん」
沈黙に耐えられなかった俺を見上げる眼差しは特に感情を害した様子ではなかったが、静かな湖面のような落ち着きがかえって不気味さがある。
「ごめん。ルクレティア」
俺の隣に立つカーラへ目線を移して、わずかに眉を寄せる。
時刻は昼前になっていた。
昨夜の巡回中に出会い、いきなり態度を豹変させて襲ってきたタイリンを退かせることに成功した俺たちは、集まってきた町の住民から説明を求められた。
まだ夜明けの気配すらない時分にいきなりの爆発音で、あわてて駆けつけてみれば自警団の若い衆がそこらへんにバタバタと倒れている。
町の人間にしてみれば、そりゃ驚きもするだろう。
こっちだってありのまま起こったことを説明する以外になかったが、話を聞いた相手はすぐに納得してくれたわけではなかった。
理由はいくつかあるが、まず悪かったのは意識を取り戻した自警団の男たちから、俺とその襲撃者が知った仲のように言葉を交わしていたという証言があったことだ。
先日の洞窟で襲ってきた相手だったからだと俺は弁明したが、その襲撃者とどうして話をする必要があるのかといわれたら確かにその通り。相手が変なやつなせいだとしか答えようがない。
戦闘があった近くは町外れの麦畑が、運悪くまだ刈り取られる前だったのもまずかった。スラ子が使った範囲魔法の氷と風は少なからずその麦穂に影響を与えてしまっていたからだ。
なぎ倒されたり、実が落ちてしまったり。被害がどのくらいにのぼるかは詳しくない俺にはよくわからない。だがもちろん、それは被害の大小に関わらず、町の人間たちの感情を悪いほうに傾けるのには決定的だった。
そして、一番の問題は――それらをやったのが俺とカーラだったということ。
町の人々から良く思われていない二人がなにかしでかしたのだから、最初から良い解釈をしてくれる理由がなかった。
そうなると、俺が自警団の安全のためにひいてくれといったことも、なにか後ろめたいことがあるからではないかということになり、彼らが気絶させられたのだって、俺たちの仕業ではないかということになってしまう。
いくら俺とカーラが違うといいはっても、町の連中の疑わしそうな目つきは変わらなかった。
俺たちの失敗はそのままルクレティアの失態でもある。
町の連中の非難は、俺たちの上役であるルクレティアにまで向けられてしまっていた。
「ルクレティア、どうしてこんな連中に夜警なんてさせたんだい」
「麦が駄目になったらどうする。都会育ちのお嬢様には、俺達の苦労なんてわからねえかもしれねえが」
皮肉や、暗に非難まで含んだ台詞を浴びた令嬢は抗弁しなかった。
ルクレティアは麦を傷めてしまったことを住民に謝罪し、被害の確認とそれらについての保証と、逃げられてしまった襲撃者を捕まえることに全力を挙げることを約束したが。
しかし、たとえ売り物にならなくなってしまった麦代を満額で支払ってもらったとしても、自分たちの大事なものを駄目にされたという事実とそれで彼らが抱いた印象は拭えない。去っていく連中の顔には、はっきりとした反感が残ったままだった。
「――疫病神が」
去り際、彼らの一人がカーラに向けて唾を吐くように残していった。
ぎゅっと拳をにぎりこむ短髪の少女の様子を見守りながら、俺は痛恨の思いだった。
相手の攻撃手段が不明だった以上、遠距離から一気に片をつけようとしたスラ子の判断が間違っていたとは思わないし、急に態度をかえたタイリンの異常さを思い返せば言い訳だって思いつく。
だが、言い訳は言い訳だ。
結果的に、ルクレティアは町の人間たちからの反感を買い、カーラへの悪感情まで強めてしまった。
「起きてしまったことをいっても仕方ありません」
気分を変えるように息を吐き、ルクレティアが口を開いた。
「農作物のことはこちらでなんとかします。問題は、」
俺はこくりとうなずいて、
「タイリンだな」
「話に聞いた限りではやっかいな方のようですわね」
「そうだな。対策を考えないとまずい」
昨日の戦闘を思い出しながら、
「なあ。ルクレティア、学士院では闇属のことも詳しく教えてるのか?」
訊ねると、相手はゆっくりと頭を振った。
「いいえ。学士院で魔道の教えをもつ講師はほとんどが高名な人間の魔法使いで、エルフの方も数人いらっしゃいましたが、いずれも闇属性についてはほとんど触れられていません」
「どうしてなんですかい?」
スケルが訊ねる。
「簡単です。教えられる人物がいないからですわ。これは少ないながらも使い手のいる光属についても同じく、天の三精霊についてはほとんど天性のものだと学士院では教えられています」
むしろ、とルクレティアは俺のほうを見て、
「そちらについてはご主人様のほうがお詳しいのでは? アカデミーには、闇属を扱う種族の方々もいらっしゃったはずでしょう」
「まあ、そうなんだけどな」
俺は頭をかく。
多種多様な魔物の集まるアカデミーには確かにそうした使い手もいた。しかし、話はちょっとややこしい。
魔法というのは魔を扱う技術だ。
それはあくまで人間の定義だが、人間が魔物と呼ぶ多くの生き物たちにとってもそれは決して間違った解釈ではない。
ただし、彼らにとっては魔法的な行いは技術よりむしろ生態に近い部分があった。それはそれで整理され、体系化されてもいるのだが、魔物の場合はまずそれぞれの種族で肉体的、精神的な在り方がぜんぜん違ってくる。
その全体を統括的に体系化するためにはどうしても枠そのものを広げる必要があり、一方で枝葉を細かく分化させていくしかない。
ようするに、人間用に限定されたシンプルな“魔法”とは捉え方とその幅がまったく違う。
闇属についても同じこと。
彼らにしてみれば人間種族がなぜ自分たちと違って闇属性を扱えないかはわからず、扱えない以上は話の広がりようがない。
使えないならそれでいいじゃないか、死ぬわけじゃなし。というわけだ。
その種族的特性について研究している存在もいるだろうが、あまり話は聞かない。そのあたりについては人間専門の教育・研修機関である学士院のほうがよほど専門性は高いだろう。
「アカデミーに所属する多種多様な種族のなかで、たかだか一種族が一つの属性を使えない理由など知ったことではない、というわけですか」
「人間そのものについてはむしろ研究されてたりするはずだが、人間を敵性種族としてみた場合、その研究成果をほいほいと公にする理由もないからな」
ルクレティアがくすと微笑んだ。
「牽制や探りあいに、派閥のあれこれ。人間も魔物もやっていることは同じですわね」
「アカデミーなんてのがまず人間に倣った組織なんだ。いいとこだけじゃなく、悪いところまで似るに決まってる」
俺は肩をすくめて、
「だから、悪いが俺が知ってることもほとんどない。実際、昨日のタイリンがどんな魔法を使ったのかもさっぱりだったしな。――スラ子、いるか?」
声をかけると室内の一角が揺れて、スラ子とシィ、頭のうえのドラ子が姿をあらわす。
「魔法が効くどころか、当たった様子すらなかったのがびっくりでした」
「レジストではありませんの?」
「そういう感じではなかったですねえ。はっきりとした魔力余波も感じられませんでしたし」
「余光が見えなかったのは、夜にまぎれてたせいかもな。だが、発声もなく、発動も早い。絶好の使用条件に時間的制約があるとしたって、やっかいだ」
「確認できた種類は、魔法を消失させるものと、相手を気絶させるもの。ですか」
あごに手をあてたルクレティアが、吐息を漏らした。
「……どうやら、自称というだけではすまないようですね」
眉を寄せる俺に、説明を始める。
「ご存知のように、私達のような魔法使いは魔法の発動にあたってなにかしらの所作を用います。それは、豊富にある魔法の種類に自分自身が過たず成功するために必要な儀式。呪文の言葉そのものにイメージを結びつけて、発動のミスをなくす目的です」
「そうだな」
「しかし、昨夜の相手は声もなく、動作もなかった。道具を使った形跡も。ということは、その必要もないほど強固にイメージが固定化されているか、あるいははじめから混乱するほど多彩な種類をもちあわせていないか。どちらにせよ狙いは限定的です。目標に近づくための特化。――相手を間違いなく暗殺するために」
淡々とした声がいった。
「もし魔法が妨害を排して相手に近づくための手段であり、攻撃手段を手に持った得物であるとするなら、対象はさらに限定されます。人間、あるいはそれに近しい生物的特徴を持った相手を殺すために調整して、あらかじめ訓練されているといえるでしょう」
人間を殺すのに、派手な魔法は必要ない。喉を切り裂いてしまえば事足りる。
そのために、相手に近づくためだけに魔法使用を特化させた――正真正銘の、暗殺者。
薄ら寒いものを覚えて、俺は自分の腕をさすった。鳥肌がたっている。
「けど、そんな暗殺者なんて。そりゃ便利そうだが、そんなのいるのか?」
「どうでしょう。闇属はともかく、大金を積まれて人を殺めることを生業とする人々がいるという話でしたら聞いたことがあります。私としては、人間のいう“魔法”ではなく、魔物と呼ばれる方々の扱うような技能に似ている印象を受けます」
魔物の扱う“魔法”は、ひどく特化していたり、それぞれの生態と密接に関わって限定的だったりすることが多い。
そういった連中は魔法を使うのにわざわざ声をだしたりしない。スラ子が肉体を変化させるのや、近いのでいえばカーラが拳にまとう魔力とかいった具合にだ。
ルクレティアの台詞がなにをいいたのかわかって、俺は顔をしかめた。
「タイリンが、アカデミーの関係だっていいたいのか?」
ルクレティアは否定か肯定かあいまいな仕草で頭を振って、
「ご主人様のように人間の在籍者もいらっしゃるのでしょう。様々な人々が理由もあって集まるなかに、そうした特殊能力をお持ちの方がいらっしゃっても不思議ではありませんが」
「なら、手配したのはエキドナか」
「そこまではわかりません。不可解なこともあります。暗殺者は、はじめからご主人様を狙っていたわけではないのでしょう?」
「……ああ。殺しに来たわけじゃないってな。そのあと、少し話をしたあとで、急に様子が変わった」
「なにかまた、ご主人様が不用意なことをおっしゃったのではないのですか。相手の逆鱗に触れるようなことを」
またってなんだ。
「いってない。と思うんだが。カーラ、俺なにか変なこといったかな」
カーラが首を振った。
「あの子、友達がいないって。マスターが友達になるっていったらすごく喜んでました。全然、襲うような雰囲気じゃなかったのに」
「相手が襲いかかってくる直前の言葉はおぼえていますか?」
「確か――悪い人は殺す、って」
ああ、確かにそんなことをいってた気がする。
「そりゃご主人の場合、殺されたってしょうがないっすねえ」
「なんでだよ」
「そうです! マスターは悪者ではなくて、小物ですっ」
それはフォローになってるのか、スラ子。
つまらなそうにルクレティアが髪をかきあげた。
「小物すぎるご主人様が生きるに値するかはともかく」
「おい、こら」
「たとえそれが始めから意図していたものではなかったとしても、現時点でははその暗殺者にご主人様の命が狙われているのは確かでしょう」
「昨日のはちょっとした冗談でした。とかないかな」
「あると思いますか」
「すいませんでした」
ちょっと冗談いってみただけなのに、真顔で否定しないでくれ。
「冗談をいっている余裕がありますか? 近くに忍び寄る手段に長けているというのなら、それについての対応をしておく必要があります」
「まあ、この年で首をかっきられて死亡なんて嫌すぎるからな」
頭をかく俺にスラ子が勢いよく抱きついてきて、
「大丈夫ですっ。私がつきっきりでガードしますから! 昨日は町全体を見ていたせいで遅れちゃいましたから、そっちのほうが守りやすいですし」
「そのほうがよろしいでしょう。あとは、不意打ちが怖いですわね。相手を気絶させる魔法というのがカーラに効かなかったところを見ると、それなりの魔法抵抗があれば耐えられないものではないようですが。シィさんにも側に控えていただくべきかと思います」
ドラ子を両腕に抱えたシィがこくりとうなずく。
「じゃあ、俺は外に出ないで家にこもってたほうがいいか」
「その必要はありません」
ルクレティアが冷笑した。
「むしろ、おおいに出歩いていただきましょう。ご主人様には、その相手を釣るための餌になっていただきます」
あ、ついに堂々と餌っていいやがった。
「そのくらいしか果たせる役割がないのですから、せいぜい命がけで食いつかれてくださいませんか」
「聞いたか! すごいこといわれたぞ、今! ちょっとなんかいってやってくださいよ皆さん!」
周囲の反応をうかがうが、俺の抗議はまったく聞き入れられず、
「相手の魔法にはシィのアシストで耐えて、こちらの攻撃も魔法が効かないのですから、肉弾戦になりますね。数で攻めちゃえば優勢にはなれそうです。結局、暗殺というのは不意をつけるかどうかだと思いますし……もちろん、切り札が隠されている可能性もありますので注意は必要ですが」
「相手の攻撃が刃物ってだけなら、あっしがいくらでも壁になれますしね。カーラさんは、なにか刃物を防げるようなものをお持ちになったほうがいいんじゃないですかい?」
「うん。動きが鈍っちゃうけど、盾みたいなのがいいかな」
「基本は私とスケルさんが前衛で、カーラさんはその隙をついた遊撃って形のほうがいいかもですね。スケルさんって魔法抵抗はお得意です?」
「スリープをかけられたら三秒で寝る自信がありますぜっ」
「無視とかよくないと思うな僕ぁ!」
ひどすぎる。スラ子やスケルどころか、シィやカーラまで。
真剣な表情で暗殺者対策を話し始める一同の輪にはいれず、俺が少し離れた場所で疎外感をおぼえながら突っ立っていると、
「なにをいじけているのです」
話し合いを他の面子にまかせたルクレティアがやってくる。
「なんでもねーよ、あほーあほー」
「貴方のことを全力で護ろうと皆さんが懸命に対策を考えていらっしゃるというのに、そのような顔をされる理由がありますかしら」
からかうようにいわれて、渋面になる。
「……わかってるよ」
守られるばかりで、一緒に戦えないのが歯がゆいだけだ。
「命をかけられるのですからそれで上等でしょう。それに、ご主人様の役目はそんなことではありませんわ」
「だから、わかってるっていってるだろ。せいぜい活きのいい囮をやるさ」
「わかってらっしゃらないではないですか」
呆れたようにため息をつき、
「まあ、よろしいでしょう。いずれにせよ昨夜の騒動はちょうどよい事態といえます」
「どういう意味だ」
「見えない敵というものはやっかいなものです」
ルクレティアはいった。
「人の心は清浄ではなく、いくら濾しても澱は次第に降り積もっていきます。内面に溜め込んだ不平や不満は適度に外にださなければ破裂してしまう――感情のぶつけ先が現れたというなら、むしろ喜ばしいことですわ」
メジハに大勢いる、ルクレティアへよろしくない感情を抱いた「消極的な不服従者」たち。
はっきりとした敵という自覚もない彼らのような存在に、あえて刺激を与えてそのリアクションを待つ。
餌を用いて釣り上げる。
――いいや、それだけじゃないのだろう。
俺は明晰な頭脳を持つ令嬢を睨みつけるように見て、
「それは昨日のことだけか。ルクレティア」
「なんのお話ですかしら」
ルクレティアはにこりともしない。
ふと、視界のすみでカーラが不安そうにこちらを見つめているのに気づいて、俺はそれ以上の言葉をきった。
無言の眼差しに、ルクレティアは冷ややかに微笑んで、
「なにかおっしゃりたいことがあるのでしたらはっきりとどうぞ」
俺がなにもいえないのをわかりきったような仕草でいった。
「私にやれというのも、やめろというのも。決めるのは他の誰でもないご主人様。貴方ですわ」