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十三話 闇属の暗殺者

「――――」


 声もなく、小柄な少女が駆けた。


 低く身を抑えた疾走に、対するスラ子の全身から淡い輝きが立ち昇る。

 魔道の素養がある者にははっきりとその目に映る、周囲に圧倒的な気配を放つ予兆は前にも感じたものだ。


「ブリザード!」


 荒れ狂う極寒の吹雪が現出する。


 水属、大規模殲滅魔法。

 限定された範囲にとはいえ、周囲の気象まで変化させるその大魔法は、普通なら一人の相手に向けて使われるようなものではない。


 しょっぱなから最大火力を選択する、つまりスラ子の狙いは短期決戦。

 そして恐らくもうひとつ――できれば近づかれる前に倒してしまいたい、だ。


 縦横無尽に叩きつける氷雪は少し離れた俺とカーラの視界も半ば閉ざしてしまい、身を切るような体感に全身を強張らせながら目を細める。

 暗闇と吹雪で、スラ子の向こうにいる相手の姿はほとんど目視できない。


 だが、一瞬で温度を奪う氷の暴風をその身に浴びれば人間なんてひとたまりもないはずだ。

 立っていられない強風に足を止められ、そのまま徐々に体温を奪われた挙句、肉体が活動するための条件を失ってしまう。


 ――凍てつく冷気の合間を縫って、闇から小さな身体が躍り出た。


「……くっ!」


 スラ子が後ろ飛びに距離をあける。

 意識の集中が切れてしまい、周囲を襲っていた吹雪が消えた。


 一瞬前まで猛烈な風と氷に襲われたはずのタイリンは、その表情も外見も、まったく攻撃を受けた様子さえなかった。

 てっぺんでまとめた髪が乱れていないのはわかるとして。きっといくら間近で見ても、霜ひとつ衣服にまとわりついていないだろう。

 遠目からだけでそんなことを確信させる異様な違和感。


 点でも線でも面でもない、範囲型の攻撃魔法のなかでそれをすべて避けるなんて不可能だ。ということは、――なにかの魔法で耐えた?

 ……いや、それでもおかしい。今のはそんな“素振りさえ”なかった。


 呪文を唱える声が聞こえなかったとかそういうことじゃない。


 魔法というのは人間が「魔」という神秘を扱うための技術のことをいう。そしてそれは、人間が魔力と呼ぶ世界中にあふれたマナを利用して発現する。


 魔法を使うために必要なことは魔力を練り、自分の心象にかたどって放出すること。

 声にだすというのは、その手段のひとつに過ぎない。


 イメージの強化や固定。身体に覚えこませて即座に発動できるようにするための条件付け。

 だから、動作や紋、道具を用いたりと魔法を使う手段は他にも色々ある。


 その全てに共通していることが、魔法が発動する際、必ず魔力の余波ともいうべきものが周囲には確認できるということだ。

 魔法使い同士の戦いで、放たれた魔法の判断と対応はその時点でおこなわれる。


 一般的な魔法使いが呪文を唱えることが多いのも、魔道の素養がなく、発動の余波を感じ取れない味方にわかりやすく魔法の種類を伝えて巻き込まれないようにするための注意喚起という面がある。


 逆にいえば、敵の唱えた呪文がその魔法効果をあらわすとは必ずしも限らない。まあ、そんなものは魔力余波を感じられればひっかけにもならないが。

 だが、今はそんな動作や所作だけでなく、魔力の余波そのものが見えなかった。


 夜の闇と、スラ子の攻撃魔法にまぎれてしまっただけか? だが、それでも微塵も気配を感じられないなんて。


「スラ子、どんな攻撃が来るかわからないぞ!」


 相手は闇属の使い手だ。

 湖を管理していたウンディーネや洞窟のノーミデスという身近でポピュラーな地の六精に比べて、光や闇や月の三つ、天の精霊は存在そのものがレアだ。


 いくら魔力の余波を感じ取れたって、それがなにを意味しているかわからなければ意味がない。

 側に近づけたくないというスラ子の判断にはそうした理由もあるだろう。


 俺の呼びかけにスラ子は答えない。

 聞こえていないのではなく、その余裕がないのだ。


 宵闇に浮かびあがるタイリンには気負った様子もなく、不自然なほど力の抜けた眼差しは焦点さえさだまっていないように思えた。


 さっきまでの会話をしていたときにあった無邪気さが、今は影も形もない。

 その豹変振りにぞっとして、その幽鬼みたいな表情がスラ子ではなく俺を捉えていることに気づいて背筋が震えた。


 いったいなんだ。

 なんで、いきなりあんなふうになってるんだ。


 わけがわからず、ただ間違いないことは今のタイリンは危険だということだけだ。それはもう理屈じゃない。一目見ればわかる。


「――――」


 再び駆け出したタイリンが、音もなく滑るようにしてスラ子に迫った。


「――アースシェイクっ」


 指定された小範囲の地面が攪拌される。地を蹴り駆けるタイリンは激しく上下に揺さぶられ、大地の変動にあわせて大きく跳んだ。


「アイス、……ランス!」


 暗殺者が地面に着地する前にスラ子の攻撃魔法が追撃する。

 狙い済まされた一撃は目的を外さず相手の身体に吸い込まれていき、


「なっ」


 あっさりと宙に溶けて消えた。


 それは、文字通りの消失だった。

 迎撃でも抵抗でもない。

 まるで砂地に描いた落書きが波にさらわれたように、タイリンの手前で霧散する。


 前にはなにがある? そんなの、闇しかない!


「離れろ、スラ子!」


 予想もしなかった形で攻撃を防がれたスラ子にタイリンが接近する。


 手には大振りのナイフ。

 スライム質の肉体を持つスラ子に物理的な攻撃は効果がない。だが、スラ子の眼前にもぐりこんだ小柄な相手の姿を見て、俺は嫌な予感をおぼえていた。


「駄目だ! 食らうな!」


 今度こそ。はっきりと見た。


 夜に包まれた世界で、なおはっきりと濃い気配をまとった闇が膨張する。

 一瞬で膨れ上がる魔力の波動は、さっき、俺やカーラ、そして直後に昏倒した町人たちが受けたそれだった。


 まずい!

 シィの補助を受けていないスラ子の耐魔力は並のスライム程度。はっきりいってよわよわだ!


 だが、町の人間の意識を刈り取った闇色のなにかを受けたスラ子は倒れなかった。


「この――」


 沈み込んだ相手を捕まえようと伸ばしたスラ子の腕、そして全身が薄く輝いている。


 マジックレジスト。

 魔力に対してほぼ完璧な耐性を身にまとったスラ子は、しかし致命的な瞬間をほんの少しだけ先伸ばししたにすぎなかった。


 レジストは使用者に魔力の防護膜を与える。

 それを受けた相手は、外からの魔法攻撃に対する保護を得るのとひきかえに外への魔力の行使を封じられる。

 さらにスラ子に限っていえば、魔法的な道理でおこなう自身の身体変化、それも不可能になるということであって。


 ――伸び上がったナイフが、スラ子の腕を半ばから砕いた。

 返す刃が斜めから、スライムとしての特性を失った身体を切り伏せる。


「……っぁ!!」


 スラ子が声にならない悲鳴をあげた。


「スラ子!」

「マスター……っ。逃げて、ください!」


 言葉の意味を理解するまでもなかった。

 スラ子に痛撃を与えたタイリンは崩れ落ちる相手に目をくれず、一気にこちらに向かって駆け出してきた。


 あくまで目標は俺ですかそうですか!


「カーラ!」

「さがって!」


 俺の前にカーラが進み出る。

 カーラは丸腰だ。刃物を持った敵を相手にするのは分が悪い。


 俺は腰の袋に手をかけながら、


「少しだけ耐えてくれ!」

「はいっ」


 カーラが駆け出した。


 俺が取り出したのはいつものやつ。

 シィたちから分けてもらっている妖精の鱗粉をまとめた小さな包みを、迫る暗殺者の上空に放り投げる。


 タイリンは不気味な眼差しのまま、直撃のコースにないそれには注意すら向けない。

 俺は闇に溶けてしまいそうなその包みにむかって必死に目をこらして、


「ファイア!」


 爆発が起きた。

 闇夜に生まれた大輪の炎が衝撃と閃光を撒き散らす。


 これで少しは気がひければと思ったが、表情をこそぎ落とした暗殺者はそれでもまばたきひとつせず、


「……マスターは、やらせない!」


 その前に拳をかまえたカーラが躍り出た。


「――――」


 三度、タイリンの全身から闇が放射される。

 波動がカーラの全身を貫いた。


「――そんなの!」


 横を通り抜けようとした側頭に拳が振るわれる。

 受けた魔法になんとか抵抗しての反撃に、タイリンは慌てることなく手に持ったナイフをあわせようとして、しかしカーラの一撃は元からそれをひきだすためのフェイントだった。


 拳をひき、大きく空振ったタイリンの足元を低く放たれた右足が刈る。

 体勢が悪い状況で、カーラよりも小柄な体格しかない少女は無理せず、それまでの突進の勢いを殺して素直に後ろにさがった。


「カーラ、時間をかせぐぞ!」

「はい!」


 懐から次の包みを取り出し、カーラと二人で目の前の相手に対峙する。

 感情のない動作で一歩を踏み出しかけたタイリンが、なにかに気づいてその動きを止めた。


 周囲の暗闇にぽつりぽつりと明かりが灯っていく。

 俺が妖精の鱗粉に着火して起こした爆発音に、町の住民たちが起きはじめているのだった。

 おっつけここにもたくさんの人がやって来るだろう。


 さあ、どうする。

 タイリンがいっていたのが自称ではなく、本当に暗殺者なら――


 状況の推移をはかるようにしていたタイリンが、すっとナイフをおろした。


 小柄な全身が闇に包まれる。

 そして、消えた。


「……いっちゃった?」

「多分、な。人前に出る気はないらしい」


 とはいっても、姿を消してそのまま切りかかってくることだってありえる。

 急所だけは守れるよう警戒しながら、どうやら本当にいなくなってくれたらしいと判断するのにしばらく待った。


 ほっと息をついて、俺はあわてて遠くにうずくまるスラ子に駆け寄る。


「スラ子、大丈夫かっ」

「大丈夫です。普通の人なら、やられちゃってたとこですけど」


 すでにレジストの効果時間は切れて、胸の切り傷も砕けた右腕も元に戻っている。


「ならよかった。……しっかし、なんて奴だ」


 一時的にとはいえスラ子を無力化して、もう少しで俺も殺されるところだった。


「手ごわい、相手ですね。マスターの機転で相手が素直に退いてくれて助かりました」


 確かに。

 相手が他の連中を巻き込んでもかまわないようならまずいことになっていた。


「とりあえずスラ子は帰って休んでくれ。俺とカーラは、集まってきた連中に事情を説明しなきゃならん」


 遠くから人の声が近づいてきていた。


「わかりました。すみませんが、お先に失礼します」

「ああ。助かった、シィたちが起きてたらなにがあったか伝えといてくれ」

「了解ですっ」


 スラ子の姿が薄れて消える。

 俺はまだそのあたりにタイリンがひそんでいるような気がして、地面に落ちた松明の近くに寄った。


 ――闇を渡る暗殺者。

 次の瞬間、虚空から伸びたナイフが自分の喉を裂いているかもしれない。


 そんな不吉なことが頭に浮かんでしまえば背伸びをすることすら恐ろしく思えて、今にも身を丸めてどこかに隠れてしまいたい気分だった。



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