十一話 メジハ・サカバ・ナイト
一晩の巡回を三人でまわすなら、交代で二人がまわっているあいだに残る一人が休む形になるが、その前に俺たちは三人で広場に向かった。
あたりはすでにとっぷりと日が暮れて、町の中央あたりだけはまだ室内灯の光が続いている。
宿屋と酒場を兼ねている建物のひとつには葡萄と藁吹きの看板が掲げられていて、これは見たまま酒と寝床があると客に示しているのだ。
田舎町にある限られた娯楽。
薄い壁越しに聞こえてくる荒っぽい喧騒に、生粋のびびりである俺はごくりと喉を鳴らして恐る恐る扉へと腕を伸ばし――隣から伸びたスケルの手がさっさとそれを押し開いた。
「なにやってんですかい、ご主人。ばーんといきやしょう!」
意気揚々とはいっていく後ろ姿を渋面で見送り、なかに続いた瞬間――ぎろりと店中の視線がこちらを見た。
薄暗い店内には多くの人影がこもっている。
入ってすぐのスペースから乱雑に長机や椅子が並び、男たちがそれぞれの卓を囲んでいた。奥側の広間では雑魚寝の格好で何人かが休んでいる姿が見える。
二階は個室になっていて、ちょっと多めに金を払ったりあとは商売女を連れ込んだりというあれだ。
「こっちこっち、こっちですぜー」
手際よく席を確保したスケルは、まわりから注目を浴びているというのにまったく動じた気配がない。呆れるよりも感心してしまった。
無遠慮な視線のなかを横ぎってテーブルにつくと、すぐに陰気な顔をした宿の主人がやってくる。
「注文は?」
「俺は――エール。カーラは?」
「えと。……それじゃ、薄めたワインを」
「あっしは大エールでお願いします!」
大ってなんだよ。
「気分っす!」
「はいはい。それと、なにかつまむものも」
「茹でた豆あたりでいいかね」
「ああ、それでいい」
「あいよ」
去り際、主人が俺の姿を値踏みするように視線を上下させていった。
金を持っているのかどうか怪しまれたのかもしれないが、怪しまれたのはもっと別のことだろう。
四脚のがたついた椅子に居心地の悪さを感じて座りなおす。
周囲の喧騒はそのまま、あちこちから飛んでくる視線が背中に突き刺さるようだった。
「こういう場所は緊張するな」
「ですね」
隣に座ったカーラが肩をすぼめるように笑った。
俺とカーラはどちらもメジハから浮いてる存在だ。夜の酒場になんてそうそう顔をだせたりしない。
「あっしはルクレティアさんのとこに泊まるようになってから、ちょいちょい来てるからけっこう慣れましたね」
「いったいお前はなにをしてるんだ」
俺はルクレティアの身辺警護を命じたのであって、飲み歩くような指示をだしたおぼえはない。
「いやですねぇ、ご主人。これもいわゆるひとつの情報収集っすよ。情報収集」
「嘘つけ」
「失敬な。ルクレティアさんから直々に、お願いですお小遣いをあげますからしばらく外にいってきてくださいと真顔で頼み込まれたんですぜっ」
「仕事の邪魔だからどっかいけっていわれただけだろ。……スケル、お前が来てたのはこの店か?」
町にはいくつか宿屋(酒場)があるが、それぞれで客層が違う。
この店は町の人間が仕事の疲れを癒すために訪れる酒場。あの店は冒険者たちが昼から入り浸る酒場という住み分けは誰かが意識するでもなく、自然とできるものだった。
「いえ。ここの隣の、もう少し古い感じの建物でさ」
「“町側”だな。店にいた連中から、変な顔はされなかったのか」
髪も身体も、全身が白っぽいこと以外スケルの外見は完全に人間のそれだが、あやしい余所者であることは変わらない。
「いやいやっ。若い女の子が酒場に来るなんて珍しいみたいで、色々ちやほやしていただきましたとも!」
豪快な飲みっぷりを気に入られたらしく、酒や食事まで奢られたらしい。
元スケルトンのくせにやけに社交的なやつだ。ちょっとでいいからその対人スキルを俺にわけてくれ。
「わけれるものなら全力でわけてさしあげたいところっすが……」
冗談のつもりだったのに、哀れむような目が悲しい。
ちょうどそこに酒と皿を持ってきた主人がやってきて、どんどんと乱暴にテーブルのうえに置いた。
「銅貨5枚」
財布からとりだして渡すと、うさんくさそうに硬貨の磨耗度合いを調べてから、
「……揉め事はお断りだよ」
忠告を残して戻っていく。
「露骨な感じっすねぇ」
「そうだな。まあ、気にしなきゃいいさ」
どこかで見た顔だと思って、このあいだのルクレティアが顔役を集めた話し合いの場にいた人物だったことを思い出した。
つまり、俺とカーラがルクレティアの手下だということを知っている。
今まで顔を見せたこともない連中がいきなり飲みにやってきて、なにか勘ぐってしまうのも無理はない。
「そうっすね。さあさあ、んなことよりも飲みましょうぜっ」
一番でかいジョッキを握ったスケルが高らかに掲げて、俺とカーラがそれにあわせてごつんと鈍い音を鳴らす。
「酔いましょわっしょーい!」
「酔ったら駄目だろ」
嬉々とした様子のスケルに釘をさしながらジョッキをかたむける。
常温の麦酒にはいくらかの香料がまじっていて、喉越しによい具合の苦い風味が広がった。
自家製の麦酒つくりはそれぞれの家庭の味そのものだが、メジハの近くにある水は麦酒作りにむいているようだった。
「で、スケル。町の連中は、お前のことルクレティアの手下だって知ってるのか?」
「ええ。少し前から家で世話になってる謎の冒険者ってことで通しときました」
「どういう反応だった」
「特にはないっすねえ。このあいだの騒動でたくさん冒険者がやってきたりしたんで、そのなかの一人だと思ってくれたみたいです」
実際にスケルがギルドに登録したのもその頃だし、決して嘘ではない。
「ルクレティアについては? 評判とか」
木製のジョッキを傾けたまま、スケルはうーん、とこもった声をだして、
「最初にルクレティアさんの名前をだしちゃったんで、あんまり本音を聞かせてもらえなかっただけかもしれませんが。悪い感じではなかったっすよ。近寄りづらいっていうか、そういうのはあるみたいでしたけど」
まあ、よく手入れされた髪に仕立てのよさそうな衣服と、見た目から田舎町にいるような雰囲気ではない。
貴族の血までひいているのだから、普通はそういう感想になるだろう。
「ちょっと前に様子がおかしい時期があったって、そのことはけっこう皆さん心配されてましたね」
なんだ。
ルクレティアのやつ、俺やカーラとは違う意味で町から浮いてるんじゃないかと思っていたのに、そんなでもないのか。
ああそうそう、とにたりとスケルが笑った。
「ちょうどその頃から、ルクレティアさんのまわりに変な男がうろつくようになったって噂になってましたぜ」
その頃というのは、姿を消したスラ子がルクレティアにとりついていた時期だろう。
昼夜問わず、筆舌に尽くしがたいおぞましい行為があったということは聞いているが、俺は自身の柔なハートを守るために詳しいことは聞いていない。聞けばダークサイドに落ちてしまいそうだからだ。
そして、そのあたりでルクレティアの近くにあらわれた相手といえば、
「俺じゃないか」
「そうっす。薬草を煎じて上手くとりいったらしいが、怪しいもんだと皆さんおっしゃってました。ルクレティアさんの病気もあの男が起こしたんじゃないかって」
ルクレティアの奇行の責任は俺にあるのだし、町の人間から怪しく見られているという自覚もあったが、実際に聞かされるとちょっぴり辛いものがある。
「……で、お前はなんて答えたんだ?」
「そりゃもちろん。『そうっすね』と、笑顔でうなずいときましたっ」
「フォローしとけよ、そこは!」
「冗談っすよ。ちゃんと、見た目はああでも意外と残念な感じに普通な人ですっていっときましたから」
「フォローになってねえ!」
「そんなこといわれても、実際ご主人が洞窟にひきこもってるのにフォローもなにもあったもんじゃないでしょうよ」
ぐ、と俺は言葉をのむしかない。
「古典的な魔物らしさってのもいいっすけど、せっかく近くに町があるんすから、もっと新しい現代魔物像を開拓したらいいんじゃないっすかね。毎朝、町の人たちと挨拶をかかさない気さくな悪の魔法使いってのもいいと思いますぜ」
「そんな明るいダンジョン管理人は嫌だ」
「だからって、誰も来ないダンジョンに毎日ひきこもっててどうするんですかい」
「いいんだよ。俺はスライムたちに囲まれて酒をちびちびしてるだけで癒されるんだから。……もちろん、お前たちにもそうしろなんて強制しないけどな」
羽目をはずしたり騒ぎを起こさないのなら、外にいってくれて問題ない。
特にカーラなんかは元は町の人間なんだし、むしろそうしてくれたほうが本人のためにも――と、ワインのはいったコップを両手で持ったままのカーラに動きがないことに気づいた。
「カーラ。飲まないのか?」
「勢いで頼んじゃったけど、酔っちゃうのも怖いなって。ボク、あんまりお酒強くないし」
困ったように笑う。
そういえば、カーラがお酒を飲んでいるところを見たことは何度かあるが、強いイメージはない。すぐ頬があかくなって、可愛い感じに――
「……暴れちゃうかもだから」
……それはたしかに少し困るかもしれない。
「なにいってんですかい! カーラさん、お酒なんて飲んだもん勝ちっすよ! 酔わなきゃ損です!」
「頼むからお前はもっと慎めよ、遠慮しろ」
だが、スケルのいうこともわかる。
カーラは真面目で、だからこそ根に詰めやすいところがある。
きっとたくさんお酒を飲むのも、自分が狂暴化するのを抑えられるようになってからにしようと思っているのだろうが――なんというか、それもどうなんだ。
カーラが狂暴化のことで苦しんでいるのは知っているし、もちろん本当の苦しみなんて本人にしかわからないのだろう。だけど。
「――こりゃまた珍しいな、おい」
声の乱入に振り向くと、男臭い顔が並んでいた。
「こんな店に若い女が二人なんてな」
おい、しょっぱなから俺の存在は無視かい。
カーラが眉をひそめ、なんともない様子でスケルがジョッキをあおぎつつ、
「どーも。皆さんお仕事お疲れ様っす。それとも夜警前の休憩ですかい?」
「俺たちゃ今日は非番だよ。門番も巡回もねえから、こうやって気にしないで酒も飲めるってもんさ」
「そりゃよかったっすね。どうぞ楽しくお酒を飲んじゃってください」
「おう。へへ、お前さん可愛いな。どうだい、こんな陰気なテーブルじゃなくて俺らと一緒に飲まねえかい」
下品な笑みを浮かべる男たちにスケルはにっこりと笑って、
「嫌っす☆」
「そんなこといわずによ、なんなら奢ってやってもいいんだぜ。なにせ、俺たちゃ最近羽振りがいいからな」
「おい、やめとけって。その姉ちゃんはいいが、もう一人おっかねえおまけまでついてきちまうぞ」
男たちの会話に注意しつつ、呼びかけられたそのもう一人というのはあきらかに俺のことをいっていたのではなかった。
「そうだな、獣くさくなっちまう」
「酔っ払って暴れられてもかなわねえしな!」
面白くもないことをいってわははと馬鹿笑いをする。
……なんだこいつら。酔っ払っているとはいえ性質が悪い。
メジハに本籍をおく冒険者連中なのだろうが、いくら息がかかっているとはいえこんな連中しか残っていないようじゃ、ルクレティアの日頃の苦労がしのばれる。
男たちからの罵倒を受けて、カーラはじっと我慢している。
その隣ではスケルの目が一秒ごとにがんがん据わっていって、今にも爆発してしまいそうだ。それを止める気なんかさらさらなかったが――
がたん、と椅子をけって席をたつ。
それではじめて俺の存在に気づいたように、男たちが俺を見あげた。
「なんだ兄ちゃん。文句でもあんのかよ」
「ケンカでもやろうってか? やめとけ、やめとけ。青白い顔しやがって、女の前でいいかっこしてえんだろうが――」
誰がケンカなんてそんな痛いことするもんか。
殴り合いなんて絶対に勝てるって決まってたって嫌だ。
「店主!」
男たちを無視して声をはりあげて、嫌そうな顔で近づいてきた親父に宣言する。
「エール、樽ごとだ!」
「……金はあるんだろうね」
真新しい銀貨を選んで一枚つきだすと、やれやれと首を振った主人が去っていく。
すぐに奥から、たっぷりと麦酒のはいったでっかい樽が運ばれてきた。
何事かと周囲の注目が集まる。
これから始まる地獄絵図に、俺は凄惨な決意を固めて男たちに笑いかけて、
「飲めよ、おっさんども。他人の連れに声かけるんならなあ――まずはこの俺を潰してからにしてもらおうか!」
「……おもしれえ」
にやりと相手のやつらが笑った。
「陰気な顔した若僧がナマいいやがって、ぶっつぶしてやらぁ!」
「陰気っていうな! おうやってみろや!」
「やっちまえー! ご主人ー!」
他人事のような笑顔で、スケルが手際よく麦酒をジョッキについで並べていく。
その数が十を越え、二十を越え、テーブルにおさまらずジョッキのうえに重ねるといった状況になったのを見てさすがに男たちの顔がひきつっていった。
同じくひきつりまくった笑顔で、しかし俺はあとにひくつもりはなかった。
確信があったからだ。
なにせ、こちとら竜の酒だなんていう劇薬じみた代物まで食らわされた身だ。
こんな程度の酒、たかがしれるわ!
事態の展開についていけてないカーラの横で、もはや楽しんでいるとしか思えない溌剌とした表情のスケルが高らかに右手を振り上げる。
「それではどちらもよござんすか、よござんすねっ。見合いましては――れでぃごっ!」
――もちろん。
“飲める”という、体内にいれるということと、体内に含まれたアルコールをあますことなく消化できるというのは、まったく別の話であるわけだが。
◇
ふと気づけば俺は朦朧とした意識のなかにあって、
「マスター、お気づきですか?」
「……スラ子?」
鮮明になった視界は暗いまま、自分が横になっていることに気づいた。
「ここは、」
「カーラさんのお家です。お二人に運ばれてきたの、覚えていらっしゃいませんか?」
なんとなく、引きずられるようにして歩いたことだけは覚えている。
「俺……ぶっ倒れたのか」
「はい。三人の相手を道連れに、壮絶な両者ノックアウトだったそうです」
「……あいつら、ざまあ。明日は二日酔いだぞ。クケー、だ」
勝てはしなかったが、負けなかったんなら勝ちだ。
「カーラとスケル、は。巡回か」
「はい、交代の時間まで少しありますからお休みください。解毒はしておきましたが、ご気分はいかがです?」
「ああ。大丈夫……すまん」
酒も一種の毒だから、魔法で状態異常を癒すことはできる。
もしかしたらスラ子かシィのどちらかが使えるかもしれないなんていうくらいの算段はあった。
だが、スラ子から処置を受けるまえに一通りの地獄は見てきたらしく、身体のあちこちが痛くて口のなかが酸っぱい。妙にだるいのは何回か吐いたからか。
「胃のむかつきまでは治せませんので……もう少し横になっていてくださいね」
頭がおかれた柔らかいものがスラ子の膝枕だと知って、なんとなく気恥ずかしくなる。
ふふー、と笑い声が届いた。
「大活躍だったみたいです?」
「むかつく連中がいたから、ひきずりこんでやっただけだ」
「スケルさん、大喜びでしたよ。カーラさんも感謝されてました」
「……カーラをあんな場所に連れてったのは俺だぞ。感謝されるいわれなんてあるか」
酒場で中傷に耐えていたカーラの表情を思い出す。
あの酔っ払い連中には腹がたつが、俺だって人のことはいえない。
だけど――
「……スラ子」
「はい」
「こないだ。竜騒ぎのあと、洞窟に帰ってすぐ地下で宴会が始まったろ」
「はい」
「あれ、楽しかったよな」
「すごく楽しかったです!」
俺はけっこうな重傷だったらからあまり酒は飲めなかったし、すぐに上に逃げ出したけど。
妖精族にリザードマン、マーメイドまでいりまじっての大騒ぎは本当に楽しかった。
「カーラさんも楽しそうでした」
「……また、ああいうのやろうな」
「やりましょう! なんなら毎日でもいいですっ」
「それはキツい」
――ああいうふうに、カーラが人間の町で楽しくお酒を飲むようにはなれないものだろうか。
これは余計な世話か?
とりあえず、洞窟にひきこもってるような男の台詞じゃないのかもしれないが。
「……マスター?」
気配がうごいて、すぐそこにスラ子の顔が近かった。
「いや。なんでもない、少し休む」
「はい、私もシィと交代してきます。寒いですからちゃんと添い寝してあげてくださいね?」
「……わかった。見張り、よろしくな」
「了解ですっ」
そっと頭がはずされる。
相手が遠ざかっていくのを感じながら、考えた。
たとえばカーラなら――将来、メジハの酒場で狂暴化のことなんて心配せず楽しくお酒を飲めるように“あってほしい”と、そう思う。
なのにスラ子についてはうまくイメージできない理由がわからなくて、それをまだ少し酒が残っているせいにして無理やり意識を閉じた。