十話 怖い女
俺は目の前のルクレティア、その優美な外見の本当の輪郭を見定めようと目をすがめた。
ギルド主体の政治? 貴族ではなく?
いったいなんの話をしているのか理解できない。
人間だろうと魔物だろうと、結局は強いものが上にたつことは変わらない。魔物の場合はそのほとんど全てが腕っ節で決まり、人間はそれに生まれや地位が加わるというだけだろう。
将来、それをギルドという平民の集まりがくつがえすって?
そんなこと急にいわれてもピンとくるわけがない。
むしろ、それよりもそんな妄想じみた未来予知をいいだす相手の言動のほうに強烈な違和感をおぼえた。
王都で学び、貴族の血筋をひいているという女。
「お前は、なんだ。いったいなにがしたい」
今さらのような質問に、ルクレティアは薄く微笑んだ。
「目的であれば、はじめてお会いした時に申し上げましたわ。私はこの町を豊かにしたいのです」
「この町にそこまで思い入れがあるようにも思えないんだが」
「それも貴方に従う者としてご挨拶に参りました際にお伝えしたはずではありませんか? 私は、私の独善的な意志でこの町を豊かにしたいだけです。女でも、貴族でもない、私自身の証として」
町やそこに住む人々のためとうそぶかないのは、生粋の自己中心主義者であるルクレティアらしい。
「それで、わざわざ王都から田舎くんだりやってきたわけか」
ルクレティアの表情が自嘲に歪んだ。
「しょせんは王都から追われた身です。私にはこの町しかないというのも事実ですし――あるいは、男共の飾り物として一生を終えるかしかありませんでした。……魔物の奴隷に身をやつしている時点でそう大差はないかもしれませんが、こうなった以上、なにを利用してでも私は私の望みを実現させるだけです」
たとえ胸に隷属の呪いを科せられようと変わることのない決意の眼差し。
「貴方がもう少し凡俗な野心家か、低劣な好色家であれば楽だったのですけれど。他者の痛みに疎い愚か者であれば、どのような扱いを受けたところでいっそ清々します。だというのに」
あれ?
なんだか話がおかしな流れになっているような気がして、俺がそれを止める間もなくルクレティアは続けた。
「男でも女でもないモノを相手に身の毛もよだつような体験をさせられたあげく私を従えた主様は、隷属させた相手が嫌がることをしたくないなどとのたまうお優しさ。自分と他人が大好きで、傷つきたくないから傷つけたくないという軟弱者です。この私を下した相手なら、せめて悪人らしく、堂々とした非道さをまとっていて欲しいと願うのは身勝手な望みと思われますか」
「説教かよっ!?」
「説教ですわ」
平然とルクレティアは断言してから、
「――その貴方の在り方が、スラ子さんを不安定にしているのではありませんか?」
唐突な言葉がぐさりと胸に突き刺さる。
「……なんだと?」
「……スラ子さんがお変わりになるのが怖い、とおっしゃいましたわね。ならば、ご主人様。貴方はスラ子さんにいったいどうあって欲しいのですか」
虚を突かれた。
――スラ子に、どうあって欲しい?
「スラ子さんについて私なりに考えた結論です。あの方は自己の存在の全てを創造物である貴方に捧げきっています。つまり、スラ子さんが感じている不安は貴方のものでもあるのです。スラ子さんが不安にならないよう在ればいい……といったところで、どうすればよいかなどわからないでしょう。なら、貴方はスラ子さんにどう在って欲しいのですか」
そんなに難しい質問だとは思わなかった。
俺のためだからって無茶をしないでほしい。
これからも側にいてほしい。
ただの「ほしい」ならいくらでも思いつく。
だけど、「どう在って欲しい」かといわれるとそのどれもしっくりこないような気がして、俺は答えにつまった。
「貴方は百年後や百人、千人。もっと大きな数字をお考えになる器量ではありませんわ。ご主人様」
ルクレティアが笑う。
「貴方の器量では周囲の者々どころかたった一人でも精一杯。そういうご自覚はあるのでしょう。ならば、そのお一人をせいぜい大事にお考えになるべきですわ。それが身の程というものです」
小馬鹿にしたようにいいながら、表情は決して不愉快なものではなかった。
つける文句も思いつかずに沈黙するしかない間抜けな主をやりこめたルクレティアが、話の落着を告げるように長い金髪をかきあげる。
「今から地下の様子を見てまいります。ご同行されますか?」
「……する」
返事を聞いて悠然と立ち上がる。
ほとんど目線の変わらない高さにある眼差しが俺を上目にとらえ、わざとらしく微笑んだ。
「かしこまりました。それではご案内いたしますわ、ご主人様」
――本当に。腹が立つ相手だと思う。
なにより腹が立つのはそんな相手の表情すら魅力的に映ってしまうことで、そのことさえ相手は十分に理解しているのに違いなかった。
石積みの地下室にぐったりとして、男は拘束されていた。
鉄錠で手足を縛られ、横たわることどころか身体を休めることさえ満足にはできない体勢。
硬く冷たい石の床に不自然な姿勢で強制的に長時間を座らせられる。そんなもの、それだけで立派な拷問だ。
元々、懲罰のために用意されていた部屋だというが、まるでその部屋にしみついた血と悲鳴の伝統が空気をかたどっているように息がつまる。
地下にあって採光先のない室内に入室とともに光が射しても、男は顔をあげなかった。
反抗の意志ではないことは一目でわかった。
「水だけ与えて闇に放置して四日。名前と、自分がギーツ籍の冒険者であることを明かして以降は口をひらいていません」
「……クソ、が」
かぼそい声。
全ての力を振り絞るように男が顔をあげる。髭の生えた顔は憔悴しきって、睨みつける眼光にも力がない。
「おはようございます、ブラクトさん」
「今は……朝、か――?」
「さあ、どうでしょう。昼かもしれませんし、真夜中かもしれません」
冷たい地下室の空気に負けず劣らずの声音でルクレティアがいう。
「なぜあとをつけるようなことをしていたか。なにか話す気にはなりましたか?」
「……ギルドに、連絡を」
「何故でしょう。貴方はメジハ・ギルドへの登録をされていません。冒険者としての籍がない者について、こちらからギーツに問い合わせる理由がありませんわ」
各町のギルドは決して友好的な間柄にはないが、冒険者というやっかいな連中を利用するにあたっての取り決めがいくつかある。
しかし、相手が無登録であればそんなものはなんの意味もなさない。モグリというのは、だからこそのモグリだ。
「それに、余所で間抜けをして捕まる冒険者をわざわざ助けようとするほどあちらがお優しいとも思えませんが。それとも、貴方を助けなければならない理由がギーツのギルドにあるのでしょうか」
ルクレティアの問いに、
「……俺は、歩いてただけだ。そこの男を、追ってたわけじゃない」
返った答えは別のこと。
誤魔化したようにも、単に意識が朦朧としているだけにも思える。
「では、メジハにはなにを目的にやってきたのです」
「金儲けだよ……」
「なんの手段で? 貴方を家に囲っていたのはどなたですか」
男は沈黙した。
冷笑したルクレティアがささやくように告げる。
「三日ほどしてから来ます。口がきけるうちに、どうするのが利口か考えておきなさい」
それを聞いて力尽きたようにうなだれる男を置いて外へ。
「砂糖水を。手足の様子も確認なさい。血がいかず、腐り落ちないように。なにもしないうちに死なれては困ります」
そばに控えている家の者に指示をだすルクレティアに、女中が黙って頭をさげる。
廊下を去っていく中年女性の後ろ姿を見送りながら、
「……なんか、家中が慣れてるんだな」
「小さな町でも、長などという役柄をやっていればこうした行いをすることもあります」
淡々とルクレティアが答える。
町に敵対する何者かを尋問するのも長の仕事か。嫌な気分になって、息をはいてそれを体外に押し出す。
「本当に三日も放置するのか?」
「昼も夜もない場所に置かれて、とうに時間の感覚は失せています。明日にいってもそうとは気づきません」
「口を割らせるのにどれくらいかかる?」
「情報をひきだすだけならすぐにでも。ですが、無理に聞き出して死なせてしまうよりは、生かしておくべきかと」
「根拠はなんだ」
「あの男の持ち物に手がかりとなるものはありませんでした。証拠はなく、あの男が自供したとして出てきた相手に問い合わせたところで、向こうにシラをきられてしまえばそれまでです。それならば、むしろあの男そのものの価値に意味を見出したほうがよろしいでしょう」
バーデンゲンの、あの男と繋がりがあるかもしれないからか。
まあ、おんなじ姓で偶然ってのはないんだろうが。似ていなかったり、腹違いの兄弟なんていうのだって別に珍しくもない。
「血の繋がりがあるかどうかはわかりませんが、わざわざその姓を持ち出した意図はあるはずです。バーデンゲン商会に本当にそうした人物がいるか確認に走らせていますが、戻ってくるのには時間がかかりますわね」
またそれか。
切った張ったではなく、利害関係の渦巻く者同士の争いにはどうしたって時間がかかるとわかってはいるが、めんどくさい。
ルクレティアの自室に戻り、机に座った令嬢が振り返った。
「もっと簡単な方法もあります」
「なんだ」
「スラ子さんに篭絡してもらうのです。目につく片端から快楽に漬けて、その後に隷属させてしまえばそれで事足りますわ。この私のように」
呪印のある胸元に手をあてながらの台詞に、俺は渋面になった。
「本気でいってるのか」
ルクレティアが冷たく笑う。
「もちろん冗談です。非効率極まりますわ。しかし、ご主人様。今、貴方が嫌な顔をされたのはそれだけが理由ではありませんでしょう」
「黙れ」
見透かしたような表情に言葉が荒れる。
それでもルクレティアは黙らず、
「自分以外の男に触れて欲しくないという独占欲ですか? あるいは、」
「――マスターが黙れとおっしゃってますよ?」
声に振り返ると、そこにいるのはスラ子と、カーラ。
半透明の微笑みを浮かべたスラ子がにこやかにルクレティアをにらみつけている。
「ルクレティアさん。なにかご自分の立場を勘違いしていませんか?」
「……勘違いをしているのは貴女では? スラ子さん」
ルクレティアがいった。
「私の主はご主人様であって、貴女ではありません。貴女に指図される理由はありませんわ」
「また躾けられたいです?」
「今度こそ、細切れにしてさしあげましょうか」
「やめろ。二人とも」
なんだ、この空気。
険悪になりかける雰囲気に手を振って、俺は息を吐いた。
「スラ子、バーデンゲンの商人はどうしてる」
「宿に戻って、なにか書きつけているようです。今のところ訪れてくる相手はいませんでした。今は、シィに様子を見てもらっています」
うなずいて、それまで不安げに様子を見守っていたカーラに視線を移す。
「ギルドはどうだ?」
「詰め所に知らない人は来てません。登録の申請も。スケルさんが他の人に話を聞いたら、何人か酒場に顔を見せたりはしてるみたいだけど、詳しいことまでは……」
「なにか気になる話はなかったか?」
「夜警のことで、少し悶着があったって話してました」
メジハに不審者が潜んでいる恐れがあるという話から、この数日はギルドの冒険者たちが持ち回りで夜間の巡回に出ている。
一方、町の人間は町の人間で、若い青年団を中心に似たようなことをしているという話も聞いてはいて、
「ギルドの人たちと自警団の人たちが鉢合わせて、言い合いがあったみたい。ちょっとお酒が入ってたとか。遠くでそういう話をしてるのが聞こえただけなんですけど」
ルクレティアを見ると、思案げな表情の令嬢がこちらの視線に気づいて首を振る。
「そのような報告は入ってきていません」
もともと、ギルドと冒険者は集落が雇う用心棒みたいなものから端を発している。つまり町にとっては外様で、決して好んでなるような職業でも好まれる存在でもなかった。
それは「冒険者」という職業がそれなりに一般的になった今でも変わらず、自分の有能を生かすために冒険者を目指す人間ばかりじゃない。
畑がない。仕事がない。能がないから冒険者になるしかない、そんなごろつきみたいなのだって大勢いる。
さらにいえば、腕もなければごろつきにさえなれなかったのがここにいるが、それはともかく。
決してガラのいい連中ばかりではないギルドに、集落側だってそうそう全幅の信頼はおけない。
いつの間にかギルドそのものが野盗の巣窟になってしまっていることだってある。というかそういう事件も実際あったはずだ。
集落にとってギルドは自衛のために必要不可欠であり、同時に余所者の集まりとして不審の思いはぬぐえ切れない。
だからこそギルドの管理は重大事であり、ほとんどの集落で長やそれに近しい立場にある人間がその手綱をしっかりと握っておく必要があるのだが――
そうした知識の切れ端が目の前の現状と合致して、俺はルクレティアを見やった。
「もし、メジハのギルドに所属してる連中が町の奴らと揉め事を起こしたら?」
「――責任者の管理不足。私の失態ということになりますわね」
鋭い眼差しが返る。
「騒動を起こしたのがモグリの冒険者や、それですらなかったとして。町の連中相手に言い訳がつくもんかな」
「難しいでしょう。先日の話し合いで、顔役をはじめ町の住民達に不審者の存在はある程度知られていますが。彼らにとってはしょせん、どちらも余所者にすぎません」
「……誰かの思惑どおり、それで騒ぎが起こってギルドと町に溝ができたとする。そのあとは」
独り言じみたつぶやきに、スラ子が答える。
「私なら、両者のいさかいに油をそそいでまわってから、使い捨ての駒を切り捨てて犯人として晒しあげて事態を収拾します。自分の功を立てて、同時に目の上のたんこぶであったギルドの現責任者を排斥する――」
「代理代表という立場から追い払うか、少なくとも単独管理という現状を変えるくらいはできるでしょうね。そのために支払う手駒も、使い捨てであればさして痛くありません。もともとそれだけのために飼っていたのでしょうから」
「じゃあ。町の誰かがルクレティアを陥れようとして」
「人、あるいは組織。“町の誰か”だけではないかもしれません」
脳裏に昼間あった商人の顔がちらついた。
もちろん相手があの男だとは限らない。だが、そういった連中であることは間違いなさそうだった。
「うざったいやり口だ」
「ですが、単純だからこそ有効だと認めざるをえません」
「問題はそれにどう対処するか。町の人間からギルドへの偏見がもとからある以上、どうしたって防ぎづらい。ルクレティア、どうだ」
「……残念ながら。メジハに本籍を登録している冒険者にはすでに全員、私の息がかかっていますが、個々の質としては能力、意識ともに決して高くはありません。昨日の一件が報告としてあがっていない程度です。そこに何者かが紛れ込んだとして、さらに酒でも入れば、容易に扇動されてしまうでしょうね」
ルクレティアが祖父からギルドを預かってまだ一月かそこらしか経っていない。
自分の手元にあるギルドについても、とても自分の満足する組織のあり方なんて実現できてはいないのだろう。答える表情は涼しいまま、言い切ったあとでルクレティアはわずかに唇を噛んだ。
それを見ていない振りをして、あとの二人に訊ねる。
「なにかしでかされるのを未然に防ぐのは難しい。なら、解決策は?」
カーラが首をひねって、
「誰かが犯人を切り捨てる前に私達の手で犯人をあげればいい、のかな?」
スラ子が続ける。
「となると、現場を捕まえるのが一番わかりやすいですねっ」
「決まりだな」
俺はうなずいて、
「ルクレティア。しばらく俺たちもメジハに滞在するぞ。今夜からカーラやスケルと町を張って、怪しいやつが出てこないか待つ。なにか問題はあるか?」
少しのあいだ考え込んだ仕草を見せてから、ちらりとカーラを見て。
ルクレティアはうなずいた。
「ございません。寝床の用意はこちらでさせていただきますわ」
◇
俺やカーラがルクレティアの“手札”であることはすでに町の顔役連中に知られてしまっているが、町にいるあいだずっと町長の家にいるわけにもいかない。
俺たちはカーラが町に越す前に住んでいた小屋を拠点にすることにして、ルクレティアの指示で生活に必要な道具が運ばれた。
「おば――リリアーヌが、ずっと空けてくれてたみたいで。いつ町に戻ってきても、生活できるようにって」
お礼をいっておきますといって、カーラは道具屋に走っていった。
……婆さんの気遣いは確かにありがたいが、カーラ以外に俺やスケルまで寝泊りすることが知られれば、投げナイフの一本や二本は覚悟しないといけないかもしれない。
「場所としてはよろしいですが、広さがありません。ベッドをいれてしまえばそれだけで溢れてしまいますわね。毛布だけでは寒さが厳しいかもしれませんが」
「大丈夫っす! あっしやカーラさん、スラ姐にシィさんたちも一緒に全員でくるまって寝れば問題なしっすよ!」
「風邪なんかひいたら大変ですしねっ」
ぐっと親指をたてるスケルに、スラ子がにこやかに同調した。
「それはようございました」
「いや、なんでそんな目で俺を見るんだよ! 俺一人だけ、外で寝ろってのか!」
「なにも申しておりませんが」
「だったらその目をやめろ! 心が風邪をひくわ!」
ふん、とルクレティアは鼻を鳴らして、
「お好きになさいませ。……ご主人様がたが夜警に出ることはギルドや町の者達に伝えておきます。ですが、お気をつけを。いちゃもんをつけられることも、それを装ってくることも十分に考えられます」
「わかってるよ。それだって狙いのうちだ。そうなんだろ?」
俺に思いつくようなことをルクレティアが考えないわけがない。
薄い氷のような微笑がうなずいた。
「けっこうですわ。申し訳ありませんが、私は夜警には同行できませんけれど――」
「当たり前だろ。町長の孫がそんな時間に出歩いてどうする」
「お立場を考えれば、ご主人様もそのようになさるべきではと思うのですが」
ルクレティアはいったが、俺は奥でふんぞり返ってるのも、他のみんなが起きてるのに一人だけ寝てるなんてのもごめんだった。
「部屋のなかで起きてお待ちになっていればよろしいではありませんか」
「それも嫌だ」
「なぜです」
「こんなところにずっと夜一人きりとか、怖いじゃないか!」
出来の悪い冗談には言葉すら惜しまれて、ため息ひとつが返される。
「なにかあればご連絡ください」
「ルクレティア」
小屋から出て行こうとする背中に声をかけた。
立ち止まって肩越しに振り返った相手に、
「お前がいったとおり、俺は、俺の周囲くらいで精一杯だ。だから自分の周りのことは絶対に大切にしたい。――夜警にはカーラも同行させるぞ。いいんだな」
言下に含めて念を押す。
知的な容貌の町の次期権力者は、俺の視線をしばらく受け止めたあと、さえぎるようにまぶたを落とし、もちあげて、
「ご随意に。主の意に添うようにするのが僕の務めでしょう」
去っていった。
相手の態度や台詞のどこかに本心が隠されていないかと、じっと人影の消えた玄関口を見つめていると、
「こういうところで寝泊りするというのも新鮮ですねっ」
「洞窟の空気と違って、なんだか落ち着かない気分っすねぇ」
わくわくしている人外二人を振り返り、息を吐く。
「お前ら、わかってるんだろうな。遊びじゃないんだぞ」
「わかってますっ。けど、マスター。洞窟のほうはよろしいんですか?」
「ああ。まあ、リーザとエリアルにいってあるから大丈夫だろ」
洞窟地下のリザードマンたちとマーメイドたちは遺恨のある関係だが、いずれにせよ俺たちがアカデミーに発った場合、洞窟の留守は彼女たちに任せることになる。
一月は不在することになってしまう本番の前に、あの連中にも慣れておいてもらっておくべきだろう。
「おお。ご主人、意外と先のことまで考えてるんすね」
「……お前、俺のことを馬鹿だと思ってないか?」
「そりゃもう、ご主人っすから!」
力一杯の返事は否定とも肯定ともとれる、というか肯定しているようにしか聞こえなかったが、あえて無視する。
「スケル、お前とカーラは俺と一緒に町の巡回だ。スラ子、お前とシィは人前に出られないから、姿を消しつつ町全体の監視を頼む。特に、注意しないといけないのが――」
「タイリンさん。あの自称暗殺者さんですね」
「ああ。あの変な相手の目的はいまいち不明だが、騒ぎに乗じてくる可能性はある。闇属の使い手だしな」
夜にとけこむ行動はお手の物だろう。
「さすがに天の三属性のひとつ、ですね。あの霧みたいなものには私の知覚も効かないようですし――ただし、霧の有無で境界がある以上、そちらから違和感を察することはできます」
「お前の注意はむしろ全力であの相手に向けといてくれ。暗殺なんて、言葉だけでぞっとしない。ルクレティアがいったように、エキドナの刺客って線もないわけじゃないからな。狙われるとしたら俺か、ルクレティアか」
ふと、昼間のことを思い出す。
身内のなかでカーラとルクレティアは決して良好な仲ではないが、スラ子とルクレティアのとりあわせが今まで特にいさかいを起こしたことはなかった。
考えてみれば、ルクレティアと俺たちが敵対していた際、ルクレティアをさんざ虐め抜いてみせたのがスラ子なのだから、ルクレティアには忸怩たる思いもあって当然ではあったが、
「ルクレティアの家の地下にいる、あの男が狙われることだってあるかもしれない。ルクレティアともども、カバーはしっかりな」
「了解です!」
「……昼間のこと、怒ってたりしないか?」
「昼間です?」
きょとんと瞳をまばたかせたスラ子が、ああ、と小さく苦笑した。
「すみませんでした。ちょっと、挑発に乗ってしまいました」
「挑発? ルクレティアが?」
「はい。カーラさんとだけ争うつもりはない。そういう意思表示ですね。ルクレティアさん、さすがですっ」
スラ子はむしろ楽しげに微笑んでいった。
「そうなのか」
生返事をしながらいまいち話が理解できない俺の隣で、
「女心ってヤツっすよ、ご主人」
その場にいもしなかったスケルが、うんうんと知ったような顔でうなずいていた。