九話 竜、来襲
「あーるまーげどーーーーーん!」
分厚い岩盤の壁をものともせず、洞窟の奥まで響き渡る。
攻撃魔法でもなんでもない、ただの声が魔力をともなって能天気に轟き、全員の鼓膜を打ち砕いた。
「こ、この声は――?」
耳をふさぎながらスラ子が顔をしかめる。音波にあてられたようにその全身が細かくあわだっている。スラ子のとなりにいるシィは黙ったまま、眉間にしわをよせていた。
「りゅうこわい、りゅうこわいりゅうこわいりゅうこいわい」
「マスター、なんでそんなすみっこで震えてるんです!? りゅう? 竜さんが来たんですねっ」
土壁に一体化しようとしていたところをスラ子に肩をゆさぶられる。俺はうつろな瞳でスラ子を見て、
「もうだめだ、おしまいだぁ……」
「なんで道ばたで大魔王に遭遇したみたいな顔になってるんですか、しっかり! しっかりしてくださいっ」
ガクガクと視界が揺れる。一緒になってシェイクされる意識にとどめをさすように、大声が続く。
「マギちゃん、元気かー! 遊びにきてあげたぞー!」
「いやあああああ、こないでええええええええ」
「マスター、マスターっ」
精神が崩壊しかけている俺の正気をひきとめようと、スラ子が必死に呼びかけてくる。
「スラ子、俺は駄目なんだ。連中に会うときは一日前から覚悟をきめて、予想できるパターンを考えに考えつくして、ギリギリまで自分を追い込まないと。アカデミーの席替えの日みたいに、怖くて怖くて仕方がないんだ……ぼっちは怖い。ぼっちは嫌だぁ」
「どれだけアカデミー時代に嫌な思い出を持ってるんですか! 大丈夫、ここにはマスターをいじめる人なんていませんっ。私たちがついてますっ」
健気な言葉が心にしみる。
しかし……駄目だ。やつがいる。あの天然の暴虐竜が、すぐそこまでやってきている――
「あれ、いないのかー。今度こそ引越ししちゃったかー?」
はっと思い出す。
少し前、みかじめとして払うお金がなくてこんなふうに洞窟の奥に引きこもっていたら、同じような台詞のあとに大岩で入り口をふさがれていたという恐ろしい出来事があった。
いくら押してもぴくりともしない岩の前で、絶望にくれたあの瞬間の恐怖ったらない。
俺はスライムちゃんたちと水と苔を食べるようにしながら、手持ちのスコップかわりになるものを握ってひたすら岩を削り続けた。
カリカリカリカリカリカリカリとひたすらに岩肌を削り続けて幾数日。
ついに一筋の光がさしたときのあの感動。
その一点を広げるようにして、人一人通れるくらいの穴が開通したときに流れたあの熱い涙。
外に出ると、そこにはちょうど空高くに太陽がのぼっていて、それを見上げながら俺は思った。
――りゅう、こわい。
俺はその十日間で体重が激減し、一緒に作業を頑張ってくれた唯一の手下スケルトンは、その重労働がひびいて今ではすっかりリタイア寸前になってしまった。
このままでは、心と身体の双方にとてつもないダメージを残してくれたあの悲劇が再現されてしまう!
「そ、それだけは……!」
あわてて部屋を飛び出して、
「なんだー。いるんじゃない」
そこに、にこにこと微笑む女の子が立っていた。
息をのむ。
金髪に白肌。スラ子より少し低いくらいの背丈の容貌は、まだその相手が種として若い年齢でしかないことを示している。
竜の寿命はゆうに千年を越える「らしい」といわれている。
魔物には長命な生き物は多いし、寿命だけなら竜族のそれに近いものも他にはいる。
しかし、寿命は寿命だ。
なにごともなく寿命を全うすることができる生物なんて、そんなにいない。事故や病気、冒険者や魔物同士の抗争だってある。
竜のそれがあくまでらしい、という伝聞形式であいまいなのは、それを実際に確かめられるような存在が他にほとんどいないからだった。
竜の寿命は長く、平均寿命もずば抜けて高い。
「返事がないから心配したぞ、マギちゃんー」
そう。目の前で人なつっこく笑うその相手こそが、俺が住む山の頂に居をかまえる竜。
その名もストロフライ・ヴァージニア・ウィルダーテステだった。舌をかみそうな長ったらしい名前がナチュラルにわずらわしい。
竜のままでは洞窟に入れないから、人に似た姿になっているのだろう。この相手がわざわざそんな配慮をしてくれたことを奇跡に思いながら、俺は直立姿勢で答えた。
「お、おはよーございます。ストロフライサン……」
「うん、おはよー。マギちゃん、元気だった?」
「え。ええ、なんとか。おかげさまでもちまシテ……」
「ほんとにー? なんかやけに顔色わるくない? って、いつもっかー」
けらけらと笑う。
邪気のない笑顔は、その可愛らしい容姿とあいまってとても愛らしいが、俺はこの相手が笑ったまま敵を八つ裂きにできることを知っている。
だいたい、俺の住む山にだって、もともといたのは彼女ではなかったのだ。
そこには長いあいだ、それなりに力があってそれなりにアカデミーにも協力的な魔物が住んでいた。
俺とそいつは決して仲良くはなかったが(というか見下されてた)、それでも互いに大人のつきあいってやつを尊重して不干渉の関係を続けていた。
ある日、まったくの突然にその竜は現れた。
近くを飛んでいて景色が気に入ったから今日からここに住むと宣言し、困惑する山の主になんだかお前の顔が気に入らないからここからでていけといい、その魔物が口答えようとした次の瞬間。そいつは命ごと消し飛ばされた。
勝負でもなんでもない。
虐殺とかそういうものでもない。手についた汚れを落とすかのような、淡々とした行為だった。笑顔のままの。
そうしてその幼い竜は山の頂に君臨した。
俺は死を覚悟した。
竜なんて存在は、災害と同じだ。
なんで、とかどうして、とか考えとところでなんの意味もない。
先の短い人生を儚み、これまでのぼっちな人生を省みながらがくがくと震える俺の前に現れた新しい山の支配者は、俺を一目見るなり、いった。
「不幸そうな顔ー」
そして続けた。
「家来にしてあげよう!」
舎弟が誕生した。
それから俺はたまに現れる竜の気ままな振る舞いにふりまわされてきている。さっきの洞窟の一件もだが、他にもいくらでも。
あまりに強すぎるせいでその行動を非難できる相手がいない竜は、性格に加えてまだ幼いこともあって、言動が妖精たちとよく似ていた。
ただし、妖精とはやることの規模が比較にならないくらいひどい。迷惑の桁が違う。
その気になれば山の一つや二つ、簡単に吹き飛ばせるような連中だ。そんな連中を災害といわずしてなんと呼ぼう。
「あれ。なんだか知らない顔だ」
俺の背後に目をやって、竜がぱちくりとまばたきした。
「あれ、だーれ? マギちゃん」
やばい、と俺は焦る。
竜の興味はたいてい、二つに一つだ。殺すか生かすか。
前者は即、殺戮。後者だった場合には、それはほとんど全て「奪う」に直結する。
それが誰のものかなんて関係ない。本人の意思も同じく関係ない。世界のものは自分のものだ。
下手なことをいえばスラ子やシィの身が危ない。
答えに迷う俺の背後から、
「――あの。はじめまして。私、スラ子っていいます。マスターの、お手伝いをしています」
「……シィです」
二人が挨拶する。さすがにどちらも緊張を隠せない様子で、
「ふーん」
獲物を見定めるような瞳が二人を見て。
にっこり笑った。
「マギちゃん、やったじゃーん!」
ばしんと背中が叩かれる。加減はしてくれてるつもりなんだろうが、息がつまるほど痛い。
「ついにぼっちじゃなくなったかー! しかも一人は妖精、こんなちっさい子! 犯罪だーっ」
ばしんばしん。痛い、死ぬほど痛い。
「もう一人は……スライム? へえ、人型の」
やばい。
ちらり、と凶悪な爬虫類の眼差しが俺をとらえた。
「これ、マギちゃんが作ったの?」
「そ、そう。デス」
「へええええええ」
じろじろとスラ子の身体をなめまわすようにしてから、竜の少女は呆れたようにいった。
「また、手間暇かけて変なことやったもんねー。まあ、マギちゃんらしいけど」
それだけで、スラ子がどういう生き物なのか把握したようだった。
「ちょっと感心するよー。こんだけ緻密に魔力を編みこむのは、ちょっと普通じゃないんじゃないかなー。才能、というよりぼっち力の執念ってやつ? そんなに話し相手が欲しかったのかー」
「はっはっは。いやいや……」
けっこう図星だったりしたので、笑うしかない。
「まあ、二人ともマギちゃんの身内? ってことは、あたしの手下ってことでもあるわけだから。よろしくね!」
堂々といってのける相手に、内心でスラ子から興味がそれたことに安堵した。
「えーと、スラ子ちゃんと、シィちゃんだっけ? つけた名前がまたマギちゃんっぽいなあ。スラ子ちゃん、あたしがもっといい名前つけたげよっか?」
急に訊ねられたスラ子は、戸惑うようにしてから、にっこりと笑って首を振った。
「マスターからいただいた、大事な名前ですので」
おい。スラ子、お前そんな竜に逆らうようなこといったら――
戦々恐々とする俺だったが、意外なことにいわれた相手はむしろ機嫌よさそうに笑って、
「そっか。そうだよねー。うんうん、マギちゃん、いい子作ったじゃない!」
また背中を叩かれる。そろそろ背骨が折れそうだと思った。
「はは、いえいえ。あ、そうだ。いつものやつを――」
理由をつけて竜の近くから逃げ出して、金貨の入った袋を持ってくる。
「あ。ありがとー。助かるよー。なんか、お金って自分で用意しようとすると面倒なんだよねー。こないだ北の国で人間の街襲ったんだけど、加減がむずかしくて全部溶けちゃってさー」
とりあえず、次に来るまでに財宝たんと用意しとけっていっといたけどねー。ほがらかな笑顔で恐ろしいことをいう相手に愛想笑いを返しながら、金貨入りの袋を差し出す。
いつも渡す分よりはるかに多いはずのみかじめを受け取って、とくになんの感想もいだかなかったらしい相手は、
「たまにはさ、お金じゃなくてもいいんだからねー。マギちゃんの誠意が嬉しいってだけなんだからー」
「そ、そうですね。じゃあ、今度……」
「それが前みたいに、ガラス玉とかつまんない冗談だったら焼き殺すけどねー」
「デスヨネー」
「それで、最近はどう? 誰かにいじめられたりしてない?」
「いえ、大丈夫デス。おかげさまで平和に生きていけてマス」
「そっかー。誰かマギちゃんをいじめるやつがいたら、いいなよ? あたしがとっちめてあげるからさー」
あははははーと笑う相手に、こちらも乾いた笑みを返す。
彼女に頼めば、たしかにどんな相手だってとっちめてくれるだろう。
竜には誰も逆らえない。
それは魔物たちのなかで唯一、組織的な団体であるアカデミー運営組織にしたところでだ。
この山、そして俺のダンジョンがろくな管理をされないまま放っておかれている理由の一つには、きっと彼女の存在もあるだろう。
誰だって竜を相手どって、下手なちょっかいをかけたりなんかしたくない。
それから他愛もないことをいくらか話して、ふと思い出したように竜少女が顔をあげた。
「ん。じゃああたしはそろそろ帰るねー。用事の途中に近くを寄ったから、顔を見にきただけなんだよ」
「そうですカー。それはそれは」
「元気そうでよかった! また近いうちに遊びにくるねっ」
「そ、そうですカー。楽しみに、お待ちして。ます……」
なんとか辛い返事を押し出しながら、洞窟の外まで見送る。
外は昼だったが、竜の雄たけびが聞こえて顔を見せるような間抜けな人間はいない。竜は人間の敵ではないが、それはただ単に気にもとめてないだけだ。足元にいれば平然と踏みつぶす。
「それじゃ! スラ子ちゃん、シィちゃんも、まったねー」
ひらひらと軽い感じに手を振って、
「あーぽかーりぷーす!」
大声とともに、風圧が周囲をなぎ倒す。
一瞬で巨大な黄金竜の姿になったそれが、翼を打って空へと舞い上がる。
吹き飛ばされないように伏せながら見上げる視界で、一気に竜が姿を小さくしていき。くるりとこちらに合図するように円を描いてから、飛び去った。
俺に抱きつくようにして風圧に耐えていたスラ子が、ぽつりとつぶやく。
「マスター、あの掛け声はいったい……? 魔法じゃないですよね?」
「知らん。竜のあいだで流行ってるんじゃないか。なにが面白いのかぜんぜん理解できんが」
竜を理解するのに考えては駄目だ。感じてもいけない。ただひたすらあるがままを受け入れるしかない。
「なんというか――凄い方でした。悪い人では、なかったですけれど」
「そうだな」
俺はうなずいた。
たしかに悪い相手ではない。むしろ(気まぐれな)善意をもってくれている、と思う。ありがたいことに。
だが、世の中というものは悪気がないからいいというわけでも、善意があるから迷惑ではないというわけでもない。
彼女という存在。まさしく天然ヤクザであるところの竜という生き物は、つまり俺にとってそういうありがたくも迷惑な、そしてなにより恐ろしいものなのだった。