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プロローグ スラ子誕生

 俺は、……やった。


 暗い室内。湿気に満ちた空気には、換気をしてないせいで薬品の匂いがこもっている。

 中央にうっすらと浮かび上がった五芒星、そのラインに沿ってそそがれた魔力が走査して輝いている。

 そこにある物体を見おろして、身体の奥底から震えが起きるのを止められなかった。


 ――物体?


 自分の台詞に、笑いがこみあげる。

 なにをいってるんだ、俺は。これはそんなもんじゃない。


 長く濡れた髪。

 すらりと伸びた手足。

 盛り上がった胸部に、ひきしまった腰。

 男ならば誰でもむしゃぶりつきたくなるような、けれどスレンダーな体型。

 そして――それら全ての、半透明の質感。


 淡く輝く陣のうえに横たわるのは、物体などではなく、生命体だった。


 スライム。

 不定性状生体と呼ばれるそれは、広く一般的な存在だ。


 暗く、水気のあるところを好んで生息する下級モンスター。

 下級というカテゴリーからわかるように、知能は乏しい。食べる、増えるといった原始的な生存本能だけがそれらのほとんど全てであるとされてきていた。――今までは。


 そう。今までは、だ。


「くっくっくっく、ふは、はーっ――げほ、かはっ」


 また笑いがこみあげてきて、テンションのせいで呼吸がなんか変な感じにからまって咳がでた。

 その音で目がさめてしまったらしく、もぞりと目の前のそれが身体を揺らす。


「ん……」


 全身が水気に満ちているせいか、ただのうめき声なのにひどく艶っぽい。ほとんどあえぐようなその声に、ちょっとどきりとした。

 研究ばかりで地下にこもってたのだから仕方がない。男の性だ。おいやめろ、そんな哀れむような目でこっちを見るな。


「あ――」


 前髪からのぞいた大きな瞳が、こちらを見た。妖艶に微笑む。


「おはようございます。マスター」


 ちょっと、うるっときた。


 別に女性体から声をかけられたのに感動したわけじゃない。

 長年、自分が心血を注ぎ込んできた研究の成果。すれば必ず報われると決まっているわけじゃない、それなのに他人は口を開けば決まってその一言で全てをひとまとめにしようとする「努力」の二文字。それが正しかったのだと、胸が晴れる思いだった。


「マスター?」


 返事がないことを不思議に思ったのか、小首をかしげられた。

 あわてて口をひらいてから、気づく。――名前を考えていなかった。


 どうする。実に五年間、ただこれだけに人生をかけて実った研究体だ。名前にも、なんというかこう、ハイセンスで素晴らしいものをつけてやりたい。

 やはり父と母にちなんだものにするべきだろうか。いや、それとも落ちこぼれだった自分に目をかけてくれた魔物アカデミーの教授に捧げるべきか、それとも初恋のあの人、いやいやさすがにそれはない。ないわー。


「マスター」


 耳にゾクゾクくるような魅惑的な声に急かされて、


「――おはよう、スラ子」


 ぱちりと相手がまばたきした。


「それは、わたしの名前ですか。マスター」

「……うむ」


 口にした次の瞬間には後悔していたが、今さらとりけすのもマスターとしての矜持がある。くだらないプライドだと笑わば笑え。自分の信じる漢道に、俺は渋い表情でうなずいてみせた。


「いまいちか?」


 それでも相手の反応が気になって聞いてしまうあたり、我ながら悲しいくらいに小物だと思う。


「そんなことないです」


 スラ子はにっこりとして、


「いまさんくらいですね」

「……ごめんなさい」


 女性体をかたどったスライムは、くす、と笑った。 


「冗談です。マスターからもらった名前ですから。嬉しいです」


 なんだろう。

 服を着ていないせいなのか、なんかいちいち発言がエロく感じる。


 スラ子の身体をイメージしたのは自分で、そのイメージに使ったものの影響があるのかもしれない。

 たまりまくったリビドーの成せる業か。ともあれ、スラ子にはなんだか直視に困る妖しい雰囲気があった。


 まあいい。これからやってもらうことを考えれば、それは決して悪いことじゃない。


「スラ子。お前がつくられた――生まれた理由はわかるか?」

「はい、マスター」


 スラ子は即答した。


「マスターの命に従い、マスターの望みを叶えるためにわたしの全ては存在します」


 あ、なんか背筋がぞくっときた。エロイ、実にエロい。

 禁欲生活が長いから、悲しいくらいに反応してしまう自分が情けないが、しかしこれも男の性だ。


「……マスター?」

「ああ、いや、すまん。うむ、そのとおりだ。そして俺が望むものはもちろん」


 息を吸う。


「世界征服だ!」


 吠えた。


「おー」


 ぺちぺちとスラ子が手を叩く。


「思えば長かった……」


 脳裏に、今までの苦労が次々に浮かんでは消えた。


「アカデミーでは魔物連中からなんの特殊能力もないパンピーと罵られ、学科でもろくな成績をとれずに親にまで呆れられた。当然いい就職先なんて斡旋されるわけもなく、向かわされたのがこんなへんぴな場所だ。森に湿地、生活環境最悪。おまけに近くには竜の住処に妖精の泉。近頃は人間たちまで分をわきまえずに進出してきて生きた心地がしない。死にたくなければ、ボロいダンジョンにこもってじっと息をひそめておくしかなかった……」

「残念な人生だったのですねー」

「包め。オブラートに。……だが、これからは違う!」


 ばん、と手を叩く。痛かった。


「長年の研究により、スライムに知性とともに定まった人の形を与えることに成功した今! 俺はこれから人生の攻勢にでる! 一気呵成に突進猛勢だ!」

「はい、マスター」


 ぴ、とスラ子が手をあげる。


「なんだ、スラ子」

「わたし、力や魔力は他のスライムとたいして変わりないのですが。世界征服という大望は素晴らしいと思いますが、実際、わたしだけではどうでしょうか」

「なんだ、そんなことか」


 俺ははっはっはっと笑って、スラ子の肩をだいた。ひやりとした心地が気持ちいい。


「問題ない。スラ子、お前はもうスライムであってスライムでない。オンリーでサイコーなスライムだ、スライム・オブ・スライムだ。お前にできないことなんて何一つない」

「そんなものでしょうか」


 スラ子はちょっと困惑した顔だった。


「だいたい考えてみろ。力があれば最強か? 魔力があれば無敵か? そんなわけがない。どんな勇者だって寝首をかけば死ぬし、どんな生き物だって呼吸をとめれば細胞は死滅する。俺とお前には飛びぬけた力やずば抜けた魔力はないが、だったらどうだっていうんだ。そんなものよりよほど大切なものが今の俺にはある」

「マスター。それは……」


 なにかに期待するように、スラ子が訊く。俺はうなずいて、


「根暗パワーだ!」


 スラ子の眼差しが冷たくなったようだが、気にしない。


「アカデミーでずっとぼっちだった俺の暗黒パワーをなめるなよ。力こそパワー? ふざけんな、そんなもん練りに練った罠と策略でけちょんけちょんにしてやるわ、クケー!」

「奇声になってます。マスター」

「む。すまん、テンションあがった」

「いいえ。なんだかマスターがぼっちだった理由がわかった気がしました」

「いうな。ストレートに。えー、つまりあれだ。お前ならできる!」


 スラ子の細い肩を叩くと、ぱしんと水面を跳ねる音がした。


「お前はスライムの女王になるんだ! スライムの星だ、スライム・ザ・ワンスターだ!」


 半透明な細い眉を寄せて、困ったように笑ったスラ子がため息をついた。


「……もう。強引ですね、マスター」


 そっと肩に置かれた手に手をのせる。冷たくて柔らかい、それでいて温かみのある不思議な感触だった。


「わかりました。すべてマスターのお心のままに。なんなりとお申しつけください」


 上目遣い。魅了の魔法でも使ったかのような色っぽさに、思わず目を奪われる。

 スラ子の瞳に魂を吸い込まれる前に、あわてて目線をそらした。自分の使役する魔物に取り込まれてどうする。


「――うん。まずは、あれだ。人間だな」 

「人間ですか」

「そうだ。連中、俺がちょっと甘い顔をしておいたらつけあがりやがって、人の家だっていうのにずかずか入り込んできやがる。最近じゃ『初心者向け』なんて触れ込みで、わいわいがやがや、ほとんどピクニック気分だ。クソ、ふざけるな」

「なめられてますね」

「だから包めオブラートに。まずは、あいつらにここが恐ろしい魔物の住処だと教えてやらねばならん。いくら探したところでお宝なんてないのに、いつ帰ってくれるかなーと隠し部屋にひそんでドキドキしてるこっちの身にもなれと、恐怖を教えてやらんといかん」

「マスター」

「いうなストレートに」

「まだいってません、マスター」


 スラ子の視線は冷ややかを通り越して哀れむようだったが、気にしない。そんなもの慣れてるからな。


「全てはこれからだ。連中に目にものみせてやる」

「わかりました」

「もちろんお前にも手伝ってもらうぞ、スラ子。お前には考える頭も、なにかをつくる手もある」

「お心のままに」


 どこまでも従順な返事。それだけでなんだかテンションがやたらにあがる。


「そう、お前ならできる。敵が屈強な冒険者どもだろうがしょせんは人間! 全てその身にとりこんで、喰らい尽くしてしまえ!」

「屈強な、ですか?」

「そうだ。筋骨隆々、たとえ剛毛のような髭を持った大男だろうが、お前なら――!」


 んー、とあごに手をあてたスラ子がいった。


「そういうのはちょっと、趣味じゃないですね」


 ん?と思った。


「趣味?」

「そういう男くさい人はちょっと……。わたしにも、好みってものがありますし」


 しごく当然という表情だった。


 スライム。食事。好み。ムサい大男はNG。

 なにかが激しく間違っているような気がしてならなかったが、スラ子の表情は真面目だったから、なんとなく頷くしかない。


「……だな。好みは大事だからな」

「そうです、好みは大事ですよ。マスター」


 いって、スラ子は妖艶に微笑んだ。



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