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失態失明  作者: krd.k
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夢の中で

      四


 凛亜はこんなに大きかったっけ?

 未来亜はまだ子供で、小さいよ。

 なんでだろう? 未来亜のほうがお姉さんだったはずだろう? なんでだろうね?

 随分大きなプールだなぁ。野球場くらいの大きさはありそうだよ。こんなプール見たことないよね。

 未来亜も凛亜もまだプールには入らないでね? 家族みんなでお話しているんだから。

 あれ? 四人いるよ? もう一人……、亜子か。久しぶりだな。亜子が来てくれるなんて思ってもみなかった。

 みんな仲が良いね。こんなに広いプールで家族揃ってゆったり出来るなんて最高だね。

 小さな虹が架かっているよ。

 赤、青、黄色、オレンジ色、ピンク色、紫も見えるね。色鮮やかで綺麗な虹。

 よし、じゃあお父さんが浮き輪を膨らましてあげる。

 一生懸命やってみるからね。

 フーフー、フーフー。

 うーん、うまく膨らまないなぁ。

 うわっ、なんだ? 未来亜が急に膨らんできたよ。なんだろう? 顔が大きくなったり、体が大きくなったり、ブヨブヨで、フワフワしてる。

 おかしいなぁ。浮き輪がうまく膨らまないなぁ。一生懸命、吹いてるのになぁ。亜子も手伝ってよ? 

 あれ? 亜子がいない。亜子はどこにいった? あ! 向こうの方でこっちに向かって手を振っているよ。

 あいつ、どっかに行っちゃうのかなぁ。あれ? 未来亜も凛亜も泣いてるよ。

 泣きながら手を振ってるよ。なんで泣いてるの? なんで泣かなきゃいけないの?

 俺もじゃあ泣くね。泣いたら、あいつ喜んでくれるのかなぁ。

 俺もわんわん泣いちゃうね。

 あ、未来亜がお姉さんになった。凛亜は中学生の頃に戻ったんだね。学校の水着を着てるんだね。

 水に入るのが怖いのかい? あれ? お父さんだけじゃないか、ずっと泣いてるの。

 お前らは強くなったなぁ。二人とも泳ぎに行っちゃった。

 お父さんは涙が止まらないんだよ。

 富士山がね、とても綺麗なんだよ。

 こんな近くで富士山を見たの初めてだ。

 こんなに綺麗だと涙が止まらなくなっちゃうね。

 おーい、未来亜ァ、凛亜ァ、早く上がっておいで。

 お父さんはビールを飲むね。

 竹の筒に入ったビール。でも大粒の涙がどんどんビールに溶け込んでいくよ。

 未来亜と凛亜は大丈夫だね。

 立派に育ってくれたんだね。

 遠くの方でクロールしてる。どんどんどんどん遠くなる。

 もう、お前らには会えないんだね。

 富士山もどこかに消えちゃった。

 色鮮やかな富士山。どこかに消えちゃったよ。

 もうすぐ虹が大きな円になるからね、そこに首をかけることにするよ。

 お父さんは涙が止まらないよ。



      *

 

 ひんやりとした空気と森独特の湿気が辺りを覆い尽くしている。

 

 誰もいないわけではない。

 今、樹海の中には生きている人間が数名いる。

 だがそれぞれが近しい場所にいるわけではない。

 樹海においてそれぞれは、それぞれの場所から入水し、それぞれのルートを辿り、それぞれの場所で落ち着く。それぞれは老木たちの念によって霧散され、消えていく。

 ある男は火をおこして米を炊き、缶詰めを開け、酒を飲み、歌を唄った。思い浮かぶ歌を、余すことなく全て唄った。唄い終わると、次は出会った人間の名前を思い出せるだけ唱え始めた。その人間にまつわるエピソードを織り交ぜながらたっぷりと時間を使って、時折涙を飲み込みながら、くどくどと今生を振り返る。それがルールであるかのように。

 ある痩せぎすの男は木にくくったロープを眺めながらもう数時間も動かないでいる。日が沈もうとも、どこかで野犬の遠吠えが響こうとも意に介さずに。三角座りをして、ロープの輪っかに焦点を当て、その中心を揺らぐ空気に不思議な恍惚感を覚えている。

 ある中年の男は眠りについている。眠りながら涙を流している。流れ出る涙の筋に小さな虫がたかる。小さな小さな虫達が、涙を啜っている。この男の眠りは恐ろしく深いようだ。当分の間、目覚めそうにないか。小さな虫達は、ガツガツと、一心不乱に涙を啜っている。

 ある若い男は、テントを張り、ランプに火を灯し、読書をしている。外国の本のようだ。英語を原文のまま、辞書を片手に読み進めている。傍に置かれたラジオから流れる音楽は樹海によって乱れた電波で時々歪められてしまっている。ポットに淹れてきたホットコーヒーを飲みながら快適に樹海の夜を過ごす。明日の朝には愛車のマウンテンバイクで樹海から引き上げるんだろう。柄の長いサバイバルナイフを手の届く位置に置いているのは、何かに対する用心だろうか。だが、呪いの声さえ聞こえてこなければこの男にはここは必要な空間であるようだ。どこかで屍がぶらさがっていようと、どこかで死者が彷徨っていようと、どこかで死者が歌を唄っていようと、どこかで死者がロープを見つめていようと、どこかで死者が眠っていようと、この男には関係ない。ただ静かに本を読み続ける。

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