表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
失態失明  作者: krd.k
1/6

失態失明

      零


「あれ……?」

 目玉――何か黒い部分と、濁った白地――上下左右に、とりあえず敏速に動いた。とりあえず。

「なんだ……?」

 何も無い。

「目が……、見えねぇ」

 もう最後まで。

 おそらく最後までは大した時間は残されてないだろう。

 最後までのわずかな時間。

 何時間か。数時間か。

 姿、形はもちろん。自分が存在しているであろう事実以外は、一切何も見えやしない。


      *


 ほんの少しだけ渦を巻いた風に、三枚ほどの木の葉が嬉々として、巻き上げられようかと反応した。

「なんなんだ……? 一体どうなったんだ? 俺、死んでないよな……? 生きてるよな?」

 だが渦巻くのをやめた風はそのまま跡形もなく消滅し、踊らされただけに終わった木の葉は何やら欲求不満を感じているらしい。

「心臓は……、動いてる。肌の温もり……、柔らかさも。完全に生きてるじゃねぇか……」

 その傍で、鬱蒼と生い茂る木々の間をすり抜けていく風達は、無人のサーキットで自由にマシンを乗り回すレーサーのように悠々と、そして技巧をふんだんに披露している。 

「なのになんで何も見えないんだ……? さっきは全然明るかったじゃねぇか? 気でも失って、その間に夜になっちまったっていうのか!?」

 サナギから脱皮しようとしている者もいる。ヒクヒクと殻を揺らし始め、ピリッと裂けたサナギの隙間から頭を出そうともがいている。 

「それでもなんなんだよ、この真っ暗な闇は? 太陽はおろか、光の筋一つ見当たらねぇぞ……。曇ってんのか? なんなんだ? なんで光がねぇんだよ! おい! おいいいいい!」

 後ろの風達は順番待ちをしているようだ。随分と穏やかで行儀が良い。空が開けたちょっとした広場の中を、競馬のパドックを回る馬のように、ゆったりとした動きでその時を待っている。

 鳥も犬も猫も虫も、木も山も風も湖も人も、見渡す限りの息吹は概ね予定通りに育んでいるようだ。

 

      *


 おい。

 木漏れ日が淡く照らしてくれるのは、そこにお前がいるからじゃなく、そこにお前しかいないからだ。

 風が優しく頬を撫でてくれるのも、雨の日の雨だって、そこにお前しかいないからお前を打つのさ。

 今この瞬間でこそ、一面に敷き詰められた枯葉の絨毯をお前は一人歩くことが出来るわけだが、樹海は万人の誰の為にだって開かれてるのさ。

 意識を持った肉の塊が自分の為だけに蠢いていても、鳥達は特段騒ぎ立てたりはしないさ。

 お前は富士の急所を突き、消し去ることは出来ないが、こっちの世界に来れば、それを叶える可能性が少しは増えるかもしれない。

 自在に操れる夢の中で、富士を消したことのあるお前だとしても、この富士の麓にいるのは偶然にすぎない。

 現にお前はその夢を覚えちゃいない。

 いずれにせよ、夢との因果関係は皆無と言ってもいいだろう。

 そんなものは。

 そんなものは、その日そこにお前しかいなかったから、そんな夢を見ただけさ。


      *


「うわあああああ!」

 うるせえ!
 ――てかまぁ焦るか、そりゃ。
 首吊ろうとしたら枝が折れて失敗して、次の瞬間から目の前が闇なんだから。

 俺もそんな奴は初めて見るわ。

 神経の構造のどこがどういう風に作用してそうなったのかはわからんが意味不明だわな。まぁ確かに訳がわからん。――で、パニックってやつか。

「見えねぇ! 見えねぇよぉぉぉ!」
 見苦しい。

 でも残念だったな、死ねなくて。一大決心して頑張って首吊ったのにな。あんたが今まで生きてきた中でおそらく一番頑張ったんじゃねぇか?

 人生におけるエネルギーの最高到達点とも言うべき沸点が自殺なんだから、今まであんたが抱いてきた希望達もびっくりだな。

 過去に成し遂げてきた全ての努力や辛抱は自殺に凌駕された。

 今まで見てきたどんな夢や希望も自殺超えならず、か。

 想像力が敗北した瞬間だ。傑作だな。でもきっと新しいストーリーはこういうところから生まれるんだ。

 現にお前は死を達成出来ず、精神が錯乱した単なる生命体としてただのたうちまわっている。
 でもこのケースは不幸中の幸いと言えるのかね。命拾いはしたが、その拾った命は失明のオプション付きで、おそらく治る見込みのなさそうなもの。それはとてもじゃないが神からの情けだとは呼べるようなものじゃない。神はさらなる厳しさをもって、より深い不幸を被せてきた。慈悲による再チャンスだなんてとんでもない。

 絶望――おそらくはだが――の果てに自殺を試みたが完遂出来ず、拍子抜けしたと思ったら視界が全て闇に包まれた。

 何回瞬きしてみても、頭をいくら叩こうが、どれだけ眉間をマッサージしてみたところで同じことだ。残念ながらもう二度とその目は見えるようにならない。

 とどめをくらったようなもんだろう。
 でもこの男は果たして、万が一にも救われたというような恩寵を感じて、生き続けようという選択肢を選ぶことがあるのかね。生きる気力のない人間が、樹海のど真ん中で失明という新たな困難まで背負わされて、この先の生を編むことが出来るのか。

 ――そんなことは知らんしわからん。
 だが生きてる以上は何かしら選択しなきゃいけない。
 どうすんだ? 

 て、泣いてやがる。
 シクシクシクシクシクシクシクシク。
 まぁ辛いわな。

 これ以上ないくらいの最悪な結果だもんな。死ねなかったわ、目は見えなくなるわ、でな。

 この美しい富士の麓で、日本を代表する偉大な生命力の象徴を背にして、文字通りの背信行為だ。この樹海を漂流し、溺れ、息を引き取る。数々のドラマが生まれてきた想像力の海。そういう意味では樹海は最高の舞台なのかもしれない。密集する木々は大人しく観劇する冷静で行儀の良いお客達とも取れるし、もしくは執拗に延々と追いかけてくる怨念の権化のようにも取れる。うねうねとあらぬ方向に伸びる幹や所々で地表に飛び出して剥き出しになっている根も、呪いを具現化したように見えなくもない。

 なるほどその種の人間にとっては彷徨い甲斐がある場所と言えるわな。陶酔しやすい環境だわ。

 ざっ、ざっ、ざっ、と木の葉を踏みしめて奥深くへと歩を進める感じってのはどういう気分なんだろうねぇ。

 死刑囚が首吊り台の階段を一歩一歩上っていくような感覚か?

 いいねぇ、テレビやら映画で見たことあるわ。まさに最後は自分を主人公に仕立て上げて自己演出するわけだ。

 楽しいねぇ。オレもそういう時あるよ。

 で、方向感覚も無くなっていよいよ帰り道がわからなくなった時はどんな気分だった?

 それともあれか、死に向かって突き進んでるわけだから、振り返ったりしないのか。

 よくわからんが凄まじい推進力なんだねぇ。

 だが、失敗して、結果失明。

 絶命じゃなくて失明。

 今のあんたには観客も富士も何も見えない。

 絶体絶命ではなく失態失明といったところか。

 まさにピエロだ。

 観客達は非常に良い日に当たった。ラッキーデーだ。

 今のところは素晴らしい劇じゃないか。

 傑作だ。

 目の前で人間が失明した瞬間に立ち会えたんだ。

 確かにこの男のリアクションはありきたりなお粗末なもので、期待していた何か新しいストーリーとは違って興醒めかもしれんが、そこは今から死のうとした人間なんだから許してやってくれ。いかんせん準備不足だったんだろう。

 でも失明するってどんな気分なんだ?

 どんな演技が相応しいんだよ。 

 吃驚するでしょう、そりゃ。半端なく。まぁこれからも生きていく予定の人間にとっては、ということになるかもしれんが。

 そうだな、俺だったらどうするかな。もし俺が同じような状況だったら……。思い直し生き続けるとして、障害者登録とか出来たら国から援助金みたいなのも出るんじゃねぇの。そしたら少しは生活の足しになるだろ。悠々自適とまではいかねぇが、新しい人生は待ってるさ。なんか趣味でも探してさ。余生を使ってとことんそれを追求しまくるとか。でも自殺未遂者にまで援助は適用されるのかな。

 どういう事情で自殺にまで踏み切ったのかはわからねぇが、何者かに追いかけられてたりとかで立場が危ないんだったら保護申請とかも出来るんじゃねぇの? 詳しくはわからんが。

 あとはここからどうやって脱出するかだよな。こんな奥深くまで入って来ちゃったら、どれだけ叫んでも誰かの耳には届かんだろう。他の自殺志願者も他人を助けることにまで神経は及ばんよ。だからといって失明したまま当ても無くヨタヨタ歩いてても体力を消耗するだけだしね。そこが問題だわな。
 ――まぁこんなところかな。もういいや、俺は行くわ。どこの馬の骨かもわからない、いつ泣き止むのかもわからない、誰にも届くことのない、届けるつもりもないそんな涙に、執着するつもりもなければヒマも愛情も何もない。

 俺もなんでこんなとこに居合わせちまったのかはわからないが、首吊りに失敗しての失明ってとこにはまぁまぁ驚いた。

 そこはネタとして頂いとくわ。

 ――でもな、もう一回死のうとするんならきっちり死ねよ。

 しっかりした木の幹を選んだら、失明したままでも一度ぶらさがって思いっきり体を揺さぶってみて強度を確かめろ。確認したら手探りでロープを探り当て、器用にしっかりと結び直せ。いいか、しっかりとだぞ。それくらいは光が無くても出来るだろ。
 次は失敗するなよ、じゃないと秋の樹海で失明したお前に残された死に方は飢え死にくらいのもんだ。凍死なんて安らかなものは今の季節では期待出来ない。
 野犬に襲われるって可能性もあるか。

 どっちにしてもあんたの性根じゃ耐え難いものばかりだろう。首吊りのほうがずっと楽だと思うぜ。

「うわああああああ! うわああああああ!」

 泣きやめよ。もうどうしようもないんだから。

「くそ! くそ! くそ!」

 うん、確かにツキがなかったわな。

「死んでやる! 死んでやる! 死んでやる!」

 お、その意気だ。

「何度でも死んでやる!」

 そうそう。

「ロープ……! ロープはどこだ!」

 足下にあるよ、うるせーな。

「ない! ない! ひいいいい!」

 そのうち見つかんだろ。

「ないいいい! ああああああ!」

 あるよ!! って叫んでも聞こえるわけないんだが。

「ない! ない! ない!」

 死ぬまでやってろ。

「うわああああああ!」

 もういい。じゃぁね。俺は消えるわ。

 空高くへと、舞い上がるわ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ