氷の壁は闇より深く
悠斗の言葉に小紅は目を大きく見開いた。
生命を司る神子、クウロ。
でも本当は誰もクウロの力を見た事がない。
それはクウロ自身がその力を忌み嫌い、使わなかったからだ。
理由は…クウロの力は人の命を奪い、浄化する力だ。生命を生み出す術は持たない。例え神子といえど、人の定めに干渉してはならないのだ。
「クウロ様……いえ、悠斗様でしたね。貴方はご自分の力をご存知なのですか?」
小紅は不思議そうに悠斗を見た。十六年間、普通の人として生きてきたはずだ。誰にも命を狙われることも無く…それなのに、悠斗は自分の力の特性を知っているように言う。
「本当は、なにも知らないんだよ。でも誰かがいうんだ。お前では駄目だ。殺すまえに消えろって…きっとクウロなんだね」
「悠斗様…私は、貴方のお力を怖いと思った事はありません。あれは不可抗力というのです。クウロ様は見境なしに人を傷つける方ではありません」
悠斗と小紅は大きな木の前に立っていた。
その木はとても大きく光り輝いてまるで何か別の力を宿しているかのよう。
少し木の幹が裂けて黒く見える。そこがどこか別の空間にでもつながっているようだ。
「小紅…クウロでいいよ。きっと俺は、あの人なのだから。同じだよ」
「小紅!」
小紅は何か言おうと口を開いたがそれを別の声が遮った。二人が振り返った先にいたのは長身の男。
優しげな容貌に薄い水色の髪。その着物は小紅の纏っているものと良く似ていて綺麗に飾りがつけられている。
きているのが男だからか、その着物が今度は随分と上品に見える。
「あなたが……私はナガレといいます。姫に仕える水神です」
「どうも……クウロです」
悠斗は少し躊躇ってから自らをクウロと語った。それに驚いた小紅声をかすかに荒げた。
「悠斗様!」
「お前達が望んでいるのは俺じゃなくて…クウロのほうなんだろう。それに名前が二つあるというのはやりにくいから、だから悠斗じゃないクウロとして振舞うことにしたんだ」
悠斗……クウロはふとくしゃりと笑った。
「貴方がそう、おっしゃるのなら」
小紅は微かに微笑んで頷いた。
その時にクウロが見せた表情は昔、まだナガレと小紅が思い悩んでいた頃の、クウロそのものだった。
――クウロ様、貴方はご存知無いかも知れないけれど、私は貴方のその笑顔と優しさに本当に感謝しているのですよ。
小紅はクウロのいない右の方を見た。そこにいるのはナガレだ。
彼も、クウロ様も本当に変わらない。
変わったのは周りの環境と時間。
あの頃のクウロ様のお傍には常に姫がいて、とても楽しかった。四神は小紅にも優しくて私の心はいつもココにあった。
なのに今は……。
四神はトウカの作り出した闇よりも深い氷の戒めの中眠り続け、姫もルグドラシルの根元に横たわり動かない。そしてクウロは違う姿となってココにいる。
あの時、自分が異界に転移なさるという寸前のクウロは小紅にいった。
――神子として生きろ。自分の立場を確証して四神と姫を救ってくれと…
でも十六経っても、四神も姫も救えない。
「私は、無力だ」
小紅の小さな声をナガレは聞き逃さなかった。
ぎゅっと小紅の手を握る。
「ココは…」
クウロの呟きに小紅は一度息を吐き出してクウロを見た。
「クウロ様…ここが我らの姫の眠る場所、聖樹・ユグドラシルです」
そこにあるのは黒く霞んだ、今にも枯れそうな大樹だった。