5
僕の意識は、二層に分かれていた。
一つ。
月面で膝をついている僕。
送信器を握っている僕。
もう一つ。
リングの『仕様』の中へ、
静かに滑り込んでいく僕。
★
仕様の中では、時間が違う。
人間の時間は直線だ。
過去。
現在。
未来。
一本の線。
だが、ここでは違う。
時間は――網。
過去が隣にある。
未来も隣にある。
出来事が、
並ぶ。
絡む。
重なる。
(うわ……脳が処理拒否してる感じ……)
★
僕は理解する。
リングは兵器じゃない。
侵略装置でもない。
リングは――
『搬送路』。
★
巨大な生態系のための環境整備装置。
惑星を整える。
大気を揃える。
磁場を揃える。
重力圏を揃える。
ある条件へ。
ある生命が生きられる条件へ。
生命。
……いや。
それを生命と呼ぶのも、人間の勝手だ。
★
その条件の中に、
人間は含まれていない。
ただ。
それだけ。
★
それでも。
僕は割り込める。
『同期』さえできれば。
仕様に、
小さな誤差を入れられる。
誤差。
小さいズレ。
だが。
ズレが増えれば、
搬送路は乱れる。
搬送路が乱れれば――
改変は止まるかもしれない。
★
止まれば。
地球は助かる。
止まれば。
僕らは生き残る。
止まれば――
★
その瞬間。
僕は気づいた。
止めたら。
何が起きる?
★
リングが運んでいるのは、
侵略者じゃない。
環境を整えた先で、
“来る”ものがいる。
そしてその“来る”ものは、
リングの外側の宇宙に広がる、
巨大な体系の一部。
★
僕が誤差を入れる。
搬送路が乱れる。
搬送路が乱れれば――
詰まりが起きる。
詰まりは圧力になる。
圧力は――
解放される。
★
解放先。
どこだ。
答えは簡単だ。
地球。
月。
ここ。
★
僕は冷たくなる。
理解したからだ。
僕がやろうとしていること。
侵略を止めることじゃない。
侵略の流れを、
ここで破裂させること。
★
それは勝利じゃない。
自爆だ。
★
「ユウ!」
槙の声。
遠い。
「戻れ!
出力が危険域だ!」
千早の叫び。
「脳が焼ける!
やめて!」
★
僕は戻れない。
戻れば。
地球は改変されて終わる。
続ければ。
ここで破裂して終わる。
★
違いは一つ。
終わり方。
それだけ。
★
僕の中で、
醜い計算が生まれる。
地球全体が、
ゆっくり死ぬ。
それより――
ここで、
速く死ぬ。
その方が、
まだ。
まだ。
何かを選んだ気になれる。
★
それが真実。
僕は救いたいわけじゃない。
選びたいだけだ。
自分の手で終わらせたい。
無意味な終わりに、
意味を付けたい。
★
正義じゃない。
ただの人間のエゴ。
★
でも。
エゴ以外に何がある。
宇宙が倫理を持たないなら。
人間は、
エゴでしか戦えない。
★
僕は出力を最大にした。
送信器が光る。
白い光。
金属片が震える。
月面の砂が浮く。
柱の膜が波打つ。
空間が裂ける。
音が、現実に溢れる。
★
リングの仕様が乱れる。
乱れが増幅する。
搬送路が詰まる。
圧力が溜まる。
そして――
★
光が咲いた。
爆発じゃない。
花。
白い花。
月面に、
静かに広がる。
花弁が開く。
一枚。
二枚。
三枚。
空間を、
薄く剥がしていく。
★
僕は最後に、
地球の方向を見る。
見えない。
裏側だから。
それが救いだった。
もし見えていたら、
躊躇していたかもしれない。
★
伊吹の顔が浮かぶ。
彼女は、
僕を許すだろうか。
たぶん。
許さない。
でも。
止めることもできない。
★
僕は笑った。
笑ってしまった。
人間らしい。
最低の笑い。
★
そして。
僕の意識は、
静かに切れた。




