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月の裏側に、祈りは届かない  作者: ハイカラな人


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4

月は、白くなかった。


 灰色でもない。


 黒に近い。

 鈍い黒。


 そして、その黒の上に、紫の筋が走っている。


 地球から見ていた月と、

 同じ天体のはずなのに――


 完全に、別物だった。


(いや、月ってこんな色だったっけ……)


 ★


 船が月の裏側へ回る。


 その瞬間。


 地球が消えた。


 視界から、完全に。


 胸の奥が、空洞になる。


 人は、見えるものに安心する。


 地球が見えない。

 それだけで、僕の脳は理解した。


 ――帰れない。


 事実が、静かに確定した。


 ★


 着陸。


 荒れた。


 月の重力は弱い。

 本来なら、もっと楽なはずだった。


 だが。


 地形が狂っている。


 蓮見が叫ぶ。


「地形データと違う!

 クレーターが増えてる!」


 槙が歯を食いしばる。


「増えてるんじゃない」


 一瞬の沈黙。


「作られてる」


 ★


 作られている。


 その言葉が、船内に落ちる。


 地球だけじゃない。


 月も改変されている。


 つまり――


 リングは地球を侵略しているわけじゃない。


 もっと大きい。


 太陽系そのものを、

 自分の『領域』に書き換えている。


(……スケールでかすぎだろ……)


 ★


 船が安定した。


 僕は窓から外を見る。


 そして――


 それを見つけた。


 構造物。


 ★


 月面の地平線を切り裂くように、


 巨大な柱。


 一本じゃない。


 二本でもない。


 何本も。


 柱。

 柱。

 柱。


 その間に、

 薄い膜が張られている。


 光を吸っている。


 形は、神殿に似ていた。


 ただし。


 人間の神殿は、人間の尺度で作られる。


 これは違う。


 尺度がない。

 意図がない。

 意味もない。


 ただ存在している。


(いや、意味はあるんだろうけど……

 人間の脳が理解できないやつだな、これ……)


 ★


 僕らは宇宙服を着る。


 外へ出る。


 月面。


 砂。


 足を取らない。


 音がない。


 完全な無音。


 自分の呼吸だけが、やけに大きい。


 ★


 構造物に近づく。


 その時。


 僕のヘッドセットのノイズが変わった。


 ピー。


 ピー。


 ピー。


 パルス。


 それが重なる。


 揺れる。


 複雑になる。


 信号じゃない。


 圧力。


 音が骨に触ってくる。


(うわ……耳じゃなくて、頭で聞いてる感じ……)


 ★


 僕は金属片を取り出す。


 伊吹の『鍵』。


 父の世代の残骸。


 送信器へ接続。


 手袋越しに操作。


 送信開始。


 僕は言う。


 ――こちらは地球。

 ――あなたは誰だ。

 ――何をしている。

 ――なぜ。


 ★


 返事は、すぐ来た。


 ただし。


 言葉じゃない。


 ★


 視界が歪む。


 月面が近づく。


 柱が近づく。


 いや。


 違う。


 柱が、


 僕の内側に入ってくる。


 “理解”が、外から押し込まれる。


 ★


 僕は膝をつく。


 吐き気。


 ヘルメットの中で広がる。


 そして――


 頭の中に、


 何かが流れ込んだ。


 ★


 暗い海。


 無数のリング。


 星。


 星が並ぶ。


 音符みたいに。


 並ぶ。

 崩れる。

 並び直される。


 巨大な手。


 惑星を撫でる。


 砂場をならすみたいに。


 撫でられた場所が、滑らかになる。


 そこに住んでいた気配が――


 消える。


 ★


 僕は理解した。


 敵は、僕らを敵だと思っていない。


 殺すつもりですらない。


 虫を踏みつぶす意識すらない。


 ただ。


 整える。


 地形を。


 環境を。


 宇宙の一部を、


 別の仕様に合わせている。


 それだけ。


 ★


 そして。


 僕らは、


 その仕様に合わない。


 だから消える。


 意味もなく。


 ★


「ユウ!」


 槙の声。


 遠い。


 千早が僕の肩を掴む。


「意識を保って!

 脳波が――」


 ★


 僕は叫びたかった。


 でも。


 空気がない。


 代わりに。


 僕は送信器の出力を上げた。


 理解したからだ。


 問いかけは無駄。


 交渉も無駄。


 相手は倫理を持たない。


 そもそも。


 僕らを“相手”として認識していない。


 ★


 なら。


 僕らができることは一つ。


 仕様に割り込む。


 それだけ。


 ★


 父のリングプレート。


 刻まれた番号。


 鍵。


 それは。


 月面通信の暗号じゃない。


 もっと古い。


 もっと根源的な。


 『同期規格』。


 ★


 僕は送信器に番号を入力した。


 一瞬。


 世界が静かになる。


 ノイズが止まる。


 音が一本の線になる。


 線が――


 扉になる。


 ★


 扉の向こう。


 何かが、こちらを見る。


 視線じゃない。


 測定。


 僕の存在が、初めて、


 『データ』として取り込まれる。


 ★


 その瞬間。


 僕は確信した。


 地球を救えるかもしれない。


 ……いや。


 違う。


 僕はただ、


 その希望を、


 欲しがっただけだ。


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