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発射場に到着したのは、灰色の雨が降る日だった。
雨、と呼んでいいのかは怪しい。
鼻を刺す酸性の匂い。
鉄がゆっくり死んでいく匂い。
(あー……うん……これ、たぶん人体にも良くないやつだな……)
視界の先には、かつての『ロケット発射場』。
残っているのは三つだけ。
巨大な格納庫。
半分朽ちた管制塔。
そして――
ひとつだけ、奇跡みたいに動く船。
★
船名『ミナト』。
古い。
とにかく古い。
再利用。
再改造。
再々改造。
いわば、生き残りの寄せ木細工。
それでも――
核は健在だった。
推進系。
姿勢制御。
生命維持。
今の世界では、それだけで神話ランク。
(いやほんと、よく残ってたなこれ……)
★
搭乗員は四人。
操縦士『槙』。
元宇宙機関テストパイロット。
目が乾いている。
あの目は、たぶん、
何回も死ぬかもしれない状況を見てきた目だ。
工学士『蓮見』。
若い。
だが手が汚れている。
油と血の匂い。
整備士の手じゃない。
戦争の手だ。
医療担当『千早』。
顔色が悪い。
しかし声は落ち着いている。
医者のスキルの半分は、
安心しているフリをする能力だ。
そして――
僕。
『通信解析』。
仕事は一つ。
耳になること。
★
伊吹は地上に残った。
最後に彼女は、
僕に金属片を渡した。
リング状のプレート。
父の遺品に似ている。
だが刻印が違う。
「これ、月面の近距離通信で使う」
伊吹は言った。
「あなたの父親の世代が残した“鍵”」
「なんで……こんなものが」
「残してた人がいる」
彼女は静かに続けた。
「世界がこうなる可能性を、
想像していた人たちが」
想像。
昔は、それに価値があった。
未来を考えることが、
まだ笑われなかった時代。
そんなものが、確かに存在した。
★
出発直前。
槙が僕に言った。
「言っとくけど」
乾いた声。
「月に着いたら、帰れないかもしれない」
「帰れなくても」
僕は答えた。
「やることは同じです」
「……冷静だな」
「冷静じゃないと」
僕は言う。
「手が震えるから」
半分本当。
半分嘘。
僕は震えていた。
体じゃない。
内側が。
★
カウントダウンは短かった。
燃料は有限。
時間も有限。
つまり――
余裕ゼロ。
「点火」
ミナトが震える。
地面を蹴る。
重力を裏切る。
そして――
空に突き刺さる。
★
窓の外で、世界が縮んでいく。
海の色が鈍い。
雲は不自然に薄い。
地表には、赤い傷跡。
『リング改変跡』。
世界に刻まれた、巨大な手術痕。
空を見る。
リング。
近づくほど分かる。
あれは星じゃない。
天体じゃない。
構造物だ。
意志の形。
(……つまり、あれ作ったやついるってことだよな……)
★
月へ向かう軌道に乗る。
船内が急に静かになる。
静かすぎて、呼吸がうるさい。
僕はヘッドセットを装着する。
受信機起動。
耳の中に広がるのは――
砂嵐。
ノイズ。
いつものノイズ。
ただし。
距離が違う。
今日は、
“近いノイズ”。
★
そして。
そこに――
線が混じった。
ピー。
ピー。
ピー。
単純なパルス。
心電図みたいな脈。
僕は息を止める。
脳が勝手に解析を始める。
合図か。
誘導か。
罠か。
槙が振り向いた。
「拾った?」
「……拾いました」
「何て?」
「まだ分からない」
僕は言う。
「でも――」
一瞬、躊躇する。
「“呼んでる”」
★
呼んでいる。
その言葉を口にした瞬間。
背中に、冷たいものが走った。
もし呼ばれているなら。
それは会話じゃない。
交渉でもない。
――狩りだ。




