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月の裏側に、祈りは届かない  作者: ハイカラな人


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2

 僕の所属は『対環観測・通信局』。

 名前だけ聞くと、なんだか立派な機関に聞こえるが――実態は違う。


 局、と言っても、官庁の優雅さなんて一ミリもない。

 地下に潜り、残っている発電をかき集め、残っている回線を縫い合わせ、

 そして、空に浮かぶ『リング』に向けて信号を投げ続ける連中の寄せ集め。


 ……要するに。


 世界が壊れている最中でも、

 まだ“問いかけ”をやめない、しぶとい連中の巣だ。


 攻撃ではない。

 交渉でもない。


 ただ、問いかける。


 ――『あなたは誰だ』

 ――『何をしている』

 ――『なぜ、ここにいる』


 返事はない。


 ないが、投げる。

 投げ続ける。


 なぜなら――


 返事がないこと自体が、

 唯一の返事だからだ。


(いや、まあ……それ、ただの既読スルーじゃね? って思わなくもないけどな……)


 ★


 僕の専門は『帯域解析』。


 通信の欠片を拾う。

 意味を仮定する。

 照合する。

 そして、捨てる。


 この作業を延々と繰り返す。


 地味?

 当然、地味だ。


 虚しい?

 めちゃくちゃ虚しい。


 だが、人間という生き物は、妙なところで壊れている。


 空虚な仕事ほど、

 人は、しがみつく。


 空虚に溺れていると、

 心が少しだけ楽になる。


 だから僕は、毎日端末の前に座り、

 リングから降ってくるノイズを眺め続けた。


 降る。

 延々と降る。


 宇宙ノイズ。

 電磁ノイズ。

 構造ノイズ。


 意味のない揺れ。


 ……あるいは、意味を理解できない揺れ。


 僕らは、その海を『ノイズ海域』と呼んでいた。


 理解ランク:0。


 ★


 『伊吹』は僕の上司だった。


 僕より少しだけ年上。

 そして、僕より少しだけ世界に諦めている人。


 彼女は、よく言う。


「人間が変わるとしたら、“悲しみ”より“疲れ”のほうが早い」


 その言葉の意味を、

 この半年で、僕は完全に理解した。


 悲しみは、燃える。

 でも、疲れは、腐る。


 腐った心は、もう元には戻らない。


(うん、まあ……実感しかないな……)


 ★


「ユウ」


 ある日、伊吹が僕を呼び出した。


 防空壕の奥。

 小さな部屋。


 昔は倉庫だったらしい。


 机の上には、紙の地図が広げられていた。


 ――紙。


 今の世界では、かなりの高級品だ。

 ほぼ文化財ランク。


「月に、行ける?」


 ……。


 最初、意味が理解できなかった。


「月……って、あの月?」


「そう。裏側」


「行けるわけ――」


「行ける」


 伊吹は言った。


「今だけ。

 行ける可能性がある」


 ★


 彼女は地図を指で叩いた。


 そこには、赤い丸が描かれている。


 日本列島。

 太平洋側。


 かつて『ロケット発射場』だった場所。


 僕の喉が、ゆっくり乾いていく。


 月。


 月に行く?


 戦争前ですら、

 そんなもの、夢物語だった。


 それを――


 今やる?


(いやいやいや……世界終わりかけてるタイミングで宇宙旅行って……)


 僕は聞いた。


「目的は?」


 伊吹は答える。


「リングの根元」


「……」


「月面裏側にある構造物に、直接信号を入れる」


 彼女は淡々と続けた。


「近距離なら、

 何かが拾えるかもしれない」


「拾えたら、勝てるの?」


「分からない」


 即答だった。


「でも、拾えなければ、確実に負ける」


 ★


 残酷なくらい、論理が綺麗だった。


 僕は笑いそうになった。


 勝つ。

 負ける。

 生きる。

 死ぬ。


 いつから、こんな単語が、

 こんなに軽くなったんだろう。


「なんで僕?」


 伊吹は、少しだけ間を置いた。


「……あなたの父親、覚えてる?」


 胸が、一瞬だけ痛んだ。


「覚えてる」


「あなたの父親は、

『月面通信基幹プロトコル』の設計者の一人」


 僕は黙る。


「あなたの解析技術は、その延長線上にある」


 伊吹は言った。


「あなたなら、

拾ったものを“音”にできる」


 ★


 『音』。


 僕らの業界用語だ。


 意味のある揺れ。

 ノイズの海に潜む、規則。


 それは、

 音楽みたいに聞こえる。


 もし宇宙に意志があるなら、

 それは必ず“音”になる。


 理論上は、そういうことになっている。


 理論上は。


(理論って便利だよな……だいたい現実の方が壊れてるけど……)


 ★


 伊吹は、さらに言った。


「それに――」


 少しだけ声が低くなる。


「あなた、自分がここで死ぬつもりでいるでしょう」


 図星だった。


 僕は何も言えない。


 沈黙。


 防空壕の天井が、また遠雷みたいに鳴る。


「月に行くのは、死ぬより怖い?」


 その問いは、優しさじゃない。


 検査だった。


 僕は自分の中を覗いた。


 死。


 それは、逃げ道だ。


 月。


 それは――


 逃げ道が存在しない場所。


 僕は答える。


「……怖い」


「それでも行く?」


 僕は、頷いた。


 怖いから行く。


 逃げ道を、

 自分で塞ぐために。


 ――これ以上、

 ここで腐らないために。


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