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僕の所属は『対環観測・通信局』。
名前だけ聞くと、なんだか立派な機関に聞こえるが――実態は違う。
局、と言っても、官庁の優雅さなんて一ミリもない。
地下に潜り、残っている発電をかき集め、残っている回線を縫い合わせ、
そして、空に浮かぶ『リング』に向けて信号を投げ続ける連中の寄せ集め。
……要するに。
世界が壊れている最中でも、
まだ“問いかけ”をやめない、しぶとい連中の巣だ。
攻撃ではない。
交渉でもない。
ただ、問いかける。
――『あなたは誰だ』
――『何をしている』
――『なぜ、ここにいる』
返事はない。
ないが、投げる。
投げ続ける。
なぜなら――
返事がないこと自体が、
唯一の返事だからだ。
(いや、まあ……それ、ただの既読スルーじゃね? って思わなくもないけどな……)
★
僕の専門は『帯域解析』。
通信の欠片を拾う。
意味を仮定する。
照合する。
そして、捨てる。
この作業を延々と繰り返す。
地味?
当然、地味だ。
虚しい?
めちゃくちゃ虚しい。
だが、人間という生き物は、妙なところで壊れている。
空虚な仕事ほど、
人は、しがみつく。
空虚に溺れていると、
心が少しだけ楽になる。
だから僕は、毎日端末の前に座り、
リングから降ってくるノイズを眺め続けた。
降る。
延々と降る。
宇宙ノイズ。
電磁ノイズ。
構造ノイズ。
意味のない揺れ。
……あるいは、意味を理解できない揺れ。
僕らは、その海を『ノイズ海域』と呼んでいた。
理解ランク:0。
★
『伊吹』は僕の上司だった。
僕より少しだけ年上。
そして、僕より少しだけ世界に諦めている人。
彼女は、よく言う。
「人間が変わるとしたら、“悲しみ”より“疲れ”のほうが早い」
その言葉の意味を、
この半年で、僕は完全に理解した。
悲しみは、燃える。
でも、疲れは、腐る。
腐った心は、もう元には戻らない。
(うん、まあ……実感しかないな……)
★
「ユウ」
ある日、伊吹が僕を呼び出した。
防空壕の奥。
小さな部屋。
昔は倉庫だったらしい。
机の上には、紙の地図が広げられていた。
――紙。
今の世界では、かなりの高級品だ。
ほぼ文化財ランク。
「月に、行ける?」
……。
最初、意味が理解できなかった。
「月……って、あの月?」
「そう。裏側」
「行けるわけ――」
「行ける」
伊吹は言った。
「今だけ。
行ける可能性がある」
★
彼女は地図を指で叩いた。
そこには、赤い丸が描かれている。
日本列島。
太平洋側。
かつて『ロケット発射場』だった場所。
僕の喉が、ゆっくり乾いていく。
月。
月に行く?
戦争前ですら、
そんなもの、夢物語だった。
それを――
今やる?
(いやいやいや……世界終わりかけてるタイミングで宇宙旅行って……)
僕は聞いた。
「目的は?」
伊吹は答える。
「リングの根元」
「……」
「月面裏側にある構造物に、直接信号を入れる」
彼女は淡々と続けた。
「近距離なら、
何かが拾えるかもしれない」
「拾えたら、勝てるの?」
「分からない」
即答だった。
「でも、拾えなければ、確実に負ける」
★
残酷なくらい、論理が綺麗だった。
僕は笑いそうになった。
勝つ。
負ける。
生きる。
死ぬ。
いつから、こんな単語が、
こんなに軽くなったんだろう。
「なんで僕?」
伊吹は、少しだけ間を置いた。
「……あなたの父親、覚えてる?」
胸が、一瞬だけ痛んだ。
「覚えてる」
「あなたの父親は、
『月面通信基幹プロトコル』の設計者の一人」
僕は黙る。
「あなたの解析技術は、その延長線上にある」
伊吹は言った。
「あなたなら、
拾ったものを“音”にできる」
★
『音』。
僕らの業界用語だ。
意味のある揺れ。
ノイズの海に潜む、規則。
それは、
音楽みたいに聞こえる。
もし宇宙に意志があるなら、
それは必ず“音”になる。
理論上は、そういうことになっている。
理論上は。
(理論って便利だよな……だいたい現実の方が壊れてるけど……)
★
伊吹は、さらに言った。
「それに――」
少しだけ声が低くなる。
「あなた、自分がここで死ぬつもりでいるでしょう」
図星だった。
僕は何も言えない。
沈黙。
防空壕の天井が、また遠雷みたいに鳴る。
「月に行くのは、死ぬより怖い?」
その問いは、優しさじゃない。
検査だった。
僕は自分の中を覗いた。
死。
それは、逃げ道だ。
月。
それは――
逃げ道が存在しない場所。
僕は答える。
「……怖い」
「それでも行く?」
僕は、頷いた。
怖いから行く。
逃げ道を、
自分で塞ぐために。
――これ以上、
ここで腐らないために。




