第21話 鞭と飴
「本当に大丈夫なのか、アレで」
「プリムちゃんがあそこまで言うんだから、仲間の俺達としては信じるしかないでしょ」
(あの糸娘は本当に何でもアリじゃなあ)
プリムの立てた作戦は……何とも荒唐無稽で、実に彼女らしいというか、そんな感じの中身だった。
俺たちは、昨夜トラックスが大穴を開けた向かいの建物に中に潜み、プリムの『飴と鞭作戦』が破綻したときに備えて待機中である。
何でも、一度やり合った俺達がいると警戒されるとか何とか。要するに作戦のジャマ、ということなのだろうが……。
「いいか、トラックス。危なくなったらすぐに出るからな」
「分かってるって、リーダー」
既に前髪を"固着"した俺はズボンのポケットに忍ばせたツルツルの板きれを握りしめ、いつでも『対話』を開始できるようにしていた。
トラックスも最初から半裸で、"筋力肥大"のスタンバイは出来ている。
上空は先ほどまでの嵐が嘘だったかのように、雲一つ無い青空が広がっていた。
アイリスとプリムは、元宿屋だった建物の前――つまり、両側に建物が建ち並ぶ大通りのちょうど真ん中あたりに二人並んで立っている。
いまだに強く吹く風と濁った水たまりだけが、過ぎ去った嵐が現実であったものだと感じさせていた。
そして、一際強い風が吹き、プリムの真新しい白いローブと、アイリスの垢抜けた服がはためいたその時――大通りの終端にあった建物の陰から、ヤツが悠然と姿を現したのだった。
「き、きましたっ!」
「アイリス。頑張ろう」
「……はいっ!」
俺達も壁の隙間から相手の姿を視認する。二人と白狼の距離は約二百トール弱、といったところだろうか。
白銀の毛皮に身を包み、獲物を切り裂く爪と鋭い牙、そしてこの距離からでも分かるほどの巨躯。
プリムもアイリスも、耐久力は並の人間と変わりない。仮に爪が掠っただけでも、致命傷になるだろう。本来なら絶対にこんなことをやらせるべきでは無い。
しかもアイリスは俺達の依頼人だ。『無力化』を言い出した一人とはいえ、あんな存在の前に晒させるなど、正気の沙汰では無い。
だけど、俺は知りたかった。彼女らは、何故あそこまであの白狼にこだわるのか――、と。
立ちはだかる『敵』など蹴散らし、屠れば良い。そう考えていた俺に違う答えを教えてくれるのかもしれない。
そして、そんなお前の甘い考えなどこの牙で引き裂いてやる――とでも言うかのように、ヤツは一声遠吠えを上げると、猛然と二人に向かって走り出してきた。
「作戦、開始」
「黒姫様、どうかわたしに、勇気を!」
プリムはカバンから青いポーションを取り出すと、それを一気に飲み干す。直後、彼女から青白い靄状の光が立ち上り、魔力の生成が急活性したことを知らせた。
「"鑑定、開始"。『精神状態』及び『欲求』を走査」
プリムは両目を見開き、黄金へと変わった瞳で白狼を見抜く。
もう、両者の距離は五十トールも無い。
「やっぱり。思った通り。じゃあ……最初は。少し怖い思い、させる」
焦った様子も無く、白いローブの少女はそう呟くと、愛用する白銀のロッドを一振りした。
「ガウッ!?」
ひゅるるる、と妙な音を立てて飛んでくる赤の魔法弾に昨夜のトラウマが蘇ったのか、白狼の足が鈍った。
その分、直撃することは無く、ヤツのかなり手前で魔法弾は着弾してしまう。
ここでヤツは『うまく避けた』と考えたに違いない。――だが、ここからだ。ここからが、彼女の謎魔法の真骨頂なのだ。(経験者談)
「なんだありゃ」
「妙なのが出てきたねえ」
(今回はどういった趣向なのかのう)
再び勢いを増そうとした白狼の前には、謎の人影が立ち塞がっている。
その人影は、燕尾服のような格好をして、ちょび髭にシルクハット、そして手には鞭が握られていた。
「ガアアアアウッ!」
だが、そんなものは関係ないとばかりに飛びかかっていく白狼。
その猛獣に向かって、妙な人影は思いっ切り鞭を振り下ろした――!
「キャウンッ!」
どうやらカウンターで入ったらしく、白狼は情けない声を上げて飛び退いた。
いや、本当にどうなってんだあの魔法。俺の闘気キック食らってもピンピンしてたんだぞ、あいつは。
「ストップ! ステップバック! ストップ! ステップバック! ストップ! ステップバック!」
魔法弾から出てきた燕尾服の男(?)は謎のかけ声を上げながら鞭を地面に叩きつけている。
そして背後では(な、なんじゃあれはっ)とダリアが爆笑していた。アレを見たら、そりゃまあとても命がけの戦いには見えないだろうけど、不謹慎なヤツだなあ。
と思ったら、俺の横ではトラックスまでが吹き出していた。
「ウゥゥゥゥ……!」
何が怖いのかは分からないけど、白狼は完全にひるんで遠くから「お、お前なんて怖くないからな!」と唸るのが精一杯の様子。
しかし、プリムの謎魔法はいつまでも効果があるわけでは無いので、いずれは消える。
「オウ! シーユーアゲイーン!」
最後にそう言って、謎の鞭男は赤い煙になって消えていった。
「ガウゥゥゥッ!」
「次は、自分は弱虫だって、思い出させる」
ようやく自分の番が来た、と走り出した白狼に、今度は複数の白い魔法弾が飛んで行く。
しかし今度は立ち止まらずにそのまま駆け抜ける選択をしたようだ。変なものが出てきても、何かをされる前に攻撃してしまおう、という魂胆かもしれない。
だが、それが再び裏目に出てしまう。
「グァァッ!?」
白狼のあちこちに着弾した魔法弾から出てきたのは、『巨大な白狼の頭』だった。
ヤツの頭より一回りも大きい白狼ヘッドは、首筋や耳、脇腹や尻尾などにしっかりと噛みついている。
「ガァッ、グァッ、ゴォアッ」
懸命に頭と体を振るものの、あれは謎魔法なので物理的な干渉で外れるはずが無い。
言うまでもなく、『首筋』は生物の急所。そしてそこに牙を突き立てるということは「こっちはお前をいつでも殺せるんだぞ」というメッセージになる。
痛みの有る無しではなく、これは群れに生きる動物の『どちらがボス』かという上下関係を教え込む行為。
至る所に牙を立てられた白狼は、自分は『子分』であるということを思い知らされていた。
「すげえな。ダメージなんてほとんど無いのにメチャクチャ効いてるぞ、アレ」
「なるほどねえ。獣には獣のルールってものがあるってことかあ」
(いや、本当にあれで良いのか……?)
ようやく『自分より大きくていくら抵抗しても無駄な存在』から解放された白狼は、すっかり様子が変わってしまっていた。
背中を丸くして座り込んでしまい、まるで母犬に叱られた子犬のよう。
耳が折れ、尻尾は下がり、自慢の牙は口の中に隠れ、爪も引っ込んでしまっている。
「確かにこれで戦意は無くなったと思うけど」
「ここからどうするのかねえ」
(無力化というにはまだ足りぬな)
当初のミッションを忘れた訳ではないけど、俺達の興味は一体ここからどうやってフィニッシュに持ち込むのか、ということに変わっていた。
「最後は、あなたの一番怖いもの」
プリムは、白銀のロッドを振り、真っ黄色な魔法弾を打ち出した。
白狼の体がビクン、と震える。
着弾した場所に現れたのは……あの、巨大な唇だった。
「おお、アレか」
「最後に心を折ろうっての? プリムちゃんもなかなかやるねえ」
白狼は地面に伏せて、目を瞑り、前脚で耳を塞いでガタガタと震えだした。
もう、見ているこちらの心が痛むほど怯えている。
そして、巨大唇がすうううう、と息を吸い込み始めたところで――
「――アイリス。お願い」
「は……はいっ!」
アイリスが、たった一人で白狼の元へ向かって歩き出したのだった。
「おいおい、さすがにそれはマズいだろ!」
ここに来て、まさかのアイリス参戦である。
俺は急いで再び臨戦態勢に戻り、霊器もどきを握りしめる。
だが、そんな俺に気づいたのか、プリムがこちらを向いた。そして――
「リーダー。邪魔しないで」
――と、黄金にキマった視線で射貫きながら言ってきたのだった。
「何言ってんだ、あんなの黙って見てられるわけ――」
「――いいから。その殺気、引っ込めて。いま、すぐ」
「……わかったよ」
戦いはふざけているように見えても、彼女は本気だ。
ならば、きっと勝利条件を満たしたと判断してのことだろう。どっちみち殴りあって簡単に勝てる相手じゃないんだ、ここまで来たら腹をくくるしか無い。
あとは、俺達の依頼人、アイリスに全てを託す――!
「大丈夫。見てて」
アイリスはトテトテと白狼の傍へと近寄っていく。気づけばもう、手を伸ばせば触れられる距離にいた。
そして、顔のすぐ傍にしゃがみ込むと――少女は怯えて震える獣の耳元で、囁くように告げる。
「だいじょうぶだよ」
と。
「いい子だね。怖くないよ。だいじょうぶだよ」
優しく、母親が子供に語りかけるように。
その声が届いたのか、白狼の目が開いた。鼻をひくひくと動かし、目の前にいる存在が何者かを確かめている。
しかし、この獣は人間に対して、きっと深い不信感を抱いてる。
本当に、この程度で大丈夫なのだろうか……。
「くうん」
俺の心配をよそし、白狼は甘えたように鳴いた。
くうん、くうん、とすぐ傍にしゃがみ込んでいる存在に何を訴えかけるかのように。
「うんうん、怖かったね。でも、もう大丈夫だから。見てて」
そう言うとアイリスはプリムの方へと振り返った。
そして、あの巨大唇に向かって――
「――こらっ!」
と一喝。
それと同時に、白狼の恐怖の対象はぱちん、と間抜けな音を立てて弾け飛んでしまった。
「ね? もう怖くないでしょ?」
アイリスがそう言った瞬間――白狼が急に動いた!
と思ったら、寝っ転がってアイリスにお腹を見せて尻尾を振り出した。
「撫でてほしいの?」
白狼は「うん! うん!」とでも言うように目を輝かせ、自分の主と認めた相手に撫でて貰うのを待っている。
「わあ、ふかふかー」
アイリスは撫でるどころか、大胆にも腹の毛皮に顔を埋めて腹全体をもしゃもしゃと撫で始めた。
「わふ、わふっ!」
喜びの声を上げる白狼……というかデカい犬だな、あれは。
「作戦、成功」
そう言ってプリムも近づいていく。
その姿を確認した途端、一瞬だけびく、と反応した白狼だったが、
「だいじょうぶだよー。もう、怒ってないって。ね? プリムさん」
「うん。いい子。とっても」
「わふ!」
アイリスの反対側から、プリムもダイブ。ぼふ、もしゃもしゃ。
「ほんとに、ふかふか」
「気持ちいいですよねー」
二人は、その後しばらくの間、延々と白狼の腹を堪能したのだった。
ちなみに、俺とトラックスは近づいただけで唸られてしまい、触ることすら許してくれなかった。どうやら、男二人は敵として認定されてしまったらしい。
あと、このデカい犬は、やっぱりというか何というか……しっかりとアレが付いていた。
*
「狼、群れの生き物。リーダーいないと、不安」
戦い……というか調教のような出来事が終わった後――いつもの糸目に戻ったプリムに作戦の詳細を聞いてみると、俺達の印象とは違い、実に明確な彼女なりの論理があったことが分かった。
「虚勢、張ってた。強く、見せるため」
彼女が鑑定眼で常に精神状態を視ていたのは、自暴自棄になって逆上してしまうギリギリの線を見極めるためだったらしい。
「あと……あの子、まだ子供」
「あっ、あれで?」
「甘えられる相手、ほしかった」
なるほど、怖い思いをして不安になっているところを庇ってくれて、優しくなだめてくれる存在が欲しくてしょうがなかったわけだ。
まあ、意思を奪われる首輪なんてものを付けられて、気がついたら苦手な雷は鳴ってるわ群れの皆はいないわで、そうなってしまうのも分かる気がする。
既に一度やり合って姿なり匂いなりを覚えられていた俺達なんかがノコノコ出て行ったらそりゃ逆効果だわな。
「それにしたって、よくあんな作戦をやろうと思ったよ」
「大丈夫。傍に、二人がいたから」
「うっ……まあ、そうだな」
そうやってストレートに言われると、なんか照れるな。
まあプリムは基本的に言葉足らずなので、「お前達がかじられてる間に二人で逃げるつもりだった」という意味合いなのかもしれないが。
「でもさ、なんであんなに白狼の無力化にこだわったの?」
「アイリスさんは分からないけど。わたしは……あの子が、ジールくんと、同じに見えたから」
「……俺と?」
「『追放』の後。ジールくん、どう思った?」
あの時は……知らない場所に放り出されて、何も持ってなくて、独りぼっちで、頼れる人もいなくて……。
その気持ちを表す言葉は……なんて言うんだっけ。
「辛かった、寂しかった、でしょ」
「……かも知れないな」
(強がりおって。初めてお主と会ったときの顔をお主にも拝ませてやりたいわい)
うるせえ。
え、ていうか俺って、そんなに情けない顔してたの、あの時。
「そのとき、ダリアさんと、出会わなかったら」
「……まあ、野垂れ死ぬか――」
――あの後、たまたまあの場に来た遺跡調査員の人に……道を踏み外すようなことをしていたかもしれない。
「――ジールくんが、助かったのは。偶然だったかも、しれない」
「まあ。そうだろうな」
「今回は、わたしがなる。あの子の、『偶然』に。そう思った」
「……やっぱりよく分かんないって。一歩間違えてたら死んでたんだぞ、お前ら」
「でも、そうはならなかった。だから、これでいい」
そんなの、結果論だろ。と、突っかかりたくなった――が、それは『あの時の自分の気持ちを言い当てられて悔しいような、情けないような感情を彼女にぶつけようとしている』ような気がして、「そうだな」とだけ言ってこの話を終わらせた。
しかし、現実にフォーカスしてみると、感情だけでは解決しない問題が山積している。
「で、お望み通り『無力』になったわけだけど。どうすんの、アレ」
俺は、その最たる例の――アイリスと戯れるデカくて白い狼を顎で指し示す。
……何か『お手』とか覚えさせられてるんだけど。いや本当にアレは狼なのか?
「さあ。考えて、なかった」
「アイリスは元の場所に返す、って言ってたけどなあ」
(どこから来たのかも分からんのじゃろ)
「場所はまあ、あいつらを締め上げて吐かせれば」
そういえば、トラックス遅いなあ。
あのアスフェルド族の二人を連れてくるように頼んでいたんだけど、抵抗でもされてるんだろうか。
――元宿屋のドアが乱暴に開け放たれたのは、そんなことを考えていたときだった。
「お、きたきた」
「た、大変だよ!」
トラックスは慌てた様子でこちらへ走ってくる。
「あの二人がいない!」
「はあ!?」
勝手に逃げないよう、調理場に閉じ込めておいたはずなのに。
いや、あんな廃屋の扉なんてベルガーくらいの体格なら無理矢理壊すことも不可能じゃないとは思うけど、あの時はそんな物音なんてしていなかったはずだ。
「ドアを塞いでたテーブルとかはそのまんまだったのに!」
「探そう! まだ近くにいるはずだ!」
「ダメだよ、"探知"にも引っかからない!」
「嘘だろ……?」
一体何が起きたんだ。
閉じ込めておいたはずの二人が、忽然と消えた――まるで、最初から存在していない幻だったかのように……。
だけど、何事かとこちらを見ている白狼と、俺のポケットで指に触れる感触が、これは現実にあったことなのだと……はっきり告げていたのだった。




