4 お嬢様の本気アプローチ②
昼休み。
俺は購買でいつもの通りパンを買いそうになって、思いとどまってジュースだけ買って屋上へ向かった。
扉を開けると、フェンスの近くに凛音が立っていた。すでに弁当箱を広げている。
「雨宮くん!」
凛音が笑顔で手を振った。
「来てくれて、嬉しいです」
「約束しましたから」
俺はフェンスの近くに座った。凛音も隣に座る。
弁当箱を開けると——完璧な彩りだった。
卵焼き、唐揚げ、ミニトマト、ブロッコリー、おにぎり。一つ一つが丁寧に盛り付けられている。
「全部、私が作ったんです」
凛音が誇らしげに言った。
「すごいですね」
素直に感心した。これだけのものを作るには、かなりの時間がかかったはずだ。
「雨宮くんは、お料理するんですか?」
「まあ、妹と弟がいるので」
「そうなんですね」
凛音の目が輝いた。
「素敵です……家族想いで……」
彼女は少し照れたように視線を逸らした。
「私、家族でご飯を食べることって、ほとんどなくて」
「え?」
「両親は忙しくて、いつも仕事。食事も一人で取ることが多いんです」
凛音の声が少し寂しそうになった。
「だから、雨宮くんみたいに、家族のために料理を作ったり、一緒に食べたりするのって……憧れます」
俺は言葉を失った。
四条家は裕福で、何不自由ない生活をしているのだと思っていた。でも、凛音には凛音の寂しさがあるんだ。
「いただきます」
二人で手を合わせ、食事を始めた。
卵焼きを口に運ぶ。ふわふわで、出汁の味がしっかりしている。
「美味しいです」
「本当ですか?」
凛音が嬉しそうに笑った。
「雨宮くんに美味しいって言ってもらえて、すごく嬉しいです。だって、雨宮くんは料理ができる人だから……」
「いや、俺のは家庭料理ですから。これに比べたら——」
「そんなことないです」
凛音が首を振った。
「家族のために作る料理って、一番美味しいんだと思います」
彼女の言葉が、胸に染みた。
「私、ずっと寂しかったんです」
凛音がぽつりと呟いた。
「え?」
「家にはお金も、地位もあるけれど……両親は忙しくて、友達も……『四条家の令嬢』として接してくる人ばかりで」
凛音の表情が、少し翳った。
「本音で話してくれる人が、いなくて。みんな遠慮して、壁を作って……」
彼女は空を見上げた。
「でも、雨宮くんの視線は……違った」
「違った?」
「『私』を見てくれてる気がして」
凛音が俺を見つめる。その瞳は真剣だった。
「他の人は、『四条凛音』を見てる。でも、雨宮くんは……ただの『私』を見てくれてる気がしたんです」
——いや、見てない。夕飯のこと考えてた。
そう言いたかったが、言えなかった。
凛音の表情があまりにも真剣で、その言葉があまりにも切実で。
「だから……嬉しかったんです」
凛音が小さく笑った。
「雨宮くんと一緒にいると、普通の女の子でいられる気がして」
俺の胸が、ざわついた。
この感情は何だろう。罪悪感? それとも——
「雨宮くん?」
「あ、ごめん」
俺は首を振った。
「いえ、こちらこそ。変なこと言ってしまって」
「変じゃないです」
俺は真剣に言った。
「凛音さんの気持ち、少しわかった気がします」
凛音が目を丸くした。
「凛音さん……って」
「え?」
「名前で……呼んでくれたんですね」
彼女の頬が赤く染まった。
俺も、自分が何を言ったのか気づいて、顔が熱くなった。
*
放課後、昇降口を出ると——
目の前に、黒塗りの高級車が停まっていた。その周りに、何人かのスーツ姿の男性が立っている。
「あ……」
隣にいた凛音が、気まずそうに呟いた。
「お迎え、来ちゃいました……」
執事風の男性が近づいてきた。
「お嬢様、お時間です」
「わかってます……」
凛音は少し不満そうだったが、従うしかないようだ。
彼女は俺に向き直った。
「雨宮くん、今日はありがとうございました」
「いえ……こちらこそ、美味しいお弁当をありがとうございました」
「また……お話し、聞かせてくださいね」
「はい」
凛音が車に乗り込む。窓が開き、彼女が手を振ってくる。
俺も手を振り返した。
車がゆっくりと走り去っていく。
その後ろ姿を見ながら、俺は不思議な感覚に包まれていた。
なんだろう、この気持ち。
寂しいような、温かいような。
凛音の笑顔が、頭から離れない。
*
家に帰ると、すぐにスマホが鳴った。
田中からのLINEだ。
『お前、完全に学園の伝説だぞ』
『四条様とのランチ、写真撮られまくってる』
添付された画像を開くと——
屋上で笑顔の凛音と、少し困惑した顔の俺が写っていた。
『学園の掲示板、お前たちの話題で持ちきり』
『「お似合い」って意見が大半だけど、一部の過激なファンが荒れてる』
『気をつけろよ』
俺は深いため息をついた。
もう後戻りできない。
凛音との関係は、誤解から始まったものだ。でも、今日の昼食で、俺は確かに彼女のことを意識し始めている。
彼女の寂しさ、純粋さ、そして俺を見つめる真剣な瞳。
どうすればいいんだ。
このまま流されていいのか。それとも、ちゃんと誤解を解くべきなのか。
答えは、まだ出ない。




