6 弟、ヒロインに懐く②
なんとか蒼葉を落ち着かせた後、俺は凛音に謝った。
「すみません、変なこと言って……」
「いえ、大丈夫です」
凛音が微笑んだ。まだ少し頬が赤い。
「あの……弟さん、可愛いですね」
「手はかかりますけど」
「でも、雨宮くんのこと、すごく慕ってますね」
凛音の表情が、少し寂しそうになった。その変化に、俺は気づいた。
「私、一人っ子で……兄弟がいる人、羨ましくて」
「そうなんですか」
「ええ。家は広いけど、いつも一人で……兄弟がいたら、もっと楽しかっただろうなって」
凛音が蒼葉を見つめる。その目は優しくて、でもどこか寂しそうだった。彼女の孤独が、その表情から伝わってくる。
裕福な家庭に生まれ、何不自由ない生活を送っているように見える凛音。でも、その裏には、家族と過ごす時間の少なさ、兄弟がいない寂しさがある。
「蒼葉くん、雨宮くんのこと大好きなんですね」
「まあ……そうみたいです」
「素敵です……家族で支え合って、一緒に笑って……」
凛音がぽつりと呟いた。その声は小さくて、でも心からの憧れが込められていた。
少し離れたところで、さくらとすみれが俺たちを見ている。
「お兄ちゃん、絶対意識してる」
「うん、顔赤いもん」
二人の声が聞こえてきた。聞こえないふりをする。
「あの……」
凛音が俺を見た。その瞳は真剣で、でも少し不安そうだった。
「もしよかったら……今度、蒼葉くんと……遊びに行ってもいいですか?」
「え?」
予想外の提案に、俺は驚いた。
「私、子供と遊ぶの、好きで……ボランティアで児童施設に行ったこともあるんです」
「そうなんですか」
「ええ。月に一度、児童養護施設でお手伝いをしているんです。子供たちと遊んだり、勉強を教えたり……」
凛音の表情が柔らかくなった。本当に好きなんだ、子供と接することが。
「それに……雨宮くんの日常、もっと知りたいんです」
凛音が真剣な目で俺を見つめる。
その言葉に、心臓が跳ねた。凛音は、俺の日常を知りたいと言ってくれている。家族と過ごす時間、妹弟の世話、そういった俺の普通の生活を。
「やったー! おひめさまとあそべる!」
蒼葉が飛び跳ねた。さくらが慌てて抑える。
「蒼葉、静かに」
「でも、うれしいもん!」
蒼葉が凛音に抱きついた。凛音は優しく蒼葉を抱きしめた。その光景を見て、俺の胸が温かくなった。
凛音は、本当に優しい人なんだ。子供にも分け隔てなく接して、心から楽しそうに笑う。お嬢様として育てられても、その心は純粋で優しいままだ。
「お兄ちゃん、良かったね」
さくらがニヤニヤしながら言った。
「デートだね、これ」
すみれも笑っている。
「デートじゃない……よな?」
俺が言うと、二人が同時に首を振った。
「デートでしょ」
「完全にデート」
「いや、蒼葉も一緒だし——」
「家族同伴デートってやつだよ。むしろ、家族に紹介するってことは、真剣な証拠だよ」
さくらが断言した。
凛音は蒼葉と話すのに夢中で、こちらの会話は聞こえていないようだ。
「じゃあ、今度の日曜日は?」
凛音が提案してきた。
「日曜日……」
俺はスケジュールを頭の中で確認する。バイトは夜十時からだから、昼間は空いている。掃除や買い物は土曜日に済ませれば問題ない。
「大丈夫です」
「本当ですか! じゃあ、公園とか……どうでしょう?」
「公園、いいですね。蒼葉も喜びますし」
「やったー! こうえん! ぶらんこのる!」
蒼葉が嬉しそうに叫んだ。
凛音が笑顔で俺を見る。
「楽しみにしてます」
その笑顔に、俺の心が大きく揺れた。純粋な喜びが溢れている笑顔。計算も打算もない、ただ楽しみにしているという気持ちが伝わってくる。
*
その夜、家に帰ってから、リビングは賑やかだった。
「りんねおねえちゃん、だいすき! にちようび、はやくこないかな!」
蒼葉が興奮して叫んでいる。夕飯を食べ終えても、まだテンションが下がらない。
「四条さん、優しかったね」
すみれがしみじみと言った。
「うん。子供にあんなに優しく接せられるって、本当に良い人なんだと思う。蒼葉の話、全部ちゃんと聞いてたし」
さくらも頷いた。
「それに、お兄ちゃんの日常を知りたいって言ってくれるのも嬉しいよね。普通、お金持ちの人は、私たちみたいな普通の家庭のこと、馬鹿にしたりするかもしれないのに」
「四条さんは違うんだね」
すみれが微笑んだ。
「お兄ちゃん、次いつ会うの?」
「……日曜日」
「デートじゃん」
「デートじゃない。蒼葉も一緒だし」
「家族公認デートだよ。しかも、お兄ちゃんの家族と過ごすってことは、四条さん、本気だよ」
さくらがニヤリと笑った。
「お兄ちゃん、四条さんのこと、好きになってきたでしょ?」
すみれが真剣な顔で聞いてくる。
「……わからない」
「顔に出てるよ」
「出てない」
「出てる出てる。さっき校門で、四条さんと話してる時、すごく嬉しそうな顔してた」
二人に笑われた。
俺は反論できなかった。確かに、凛音と話している時、胸が温かくなるのを感じている。彼女の笑顔を見ると、自然と笑顔になってしまう。
俺は部屋に戻り、ベッドに横になった。
凛音の、蒼葉を撫でる優しい笑顔が浮かんでくる。子供に対する優しさ、家族を羨ましがる寂しさ、そして俺の日常を知りたいと言ってくれた言葉。
やばい。
完全に意識してる。
俺は、四条凛音のことを、好きになり始めている。
この気持ちを、どうすればいいんだ。
誤解から始まった関係。でも、今の俺の気持ちは、誤解じゃない。
本物の、恋心だ。
枕に顔を埋めた。
日曜日、凛音と会う。
その時、俺はどんな顔をすればいいんだろう。どんな風に接すればいいんだろう。
心臓が高鳴って、なかなか眠れなかった。
窓の外を見ると、月が綺麗に輝いている。
凛音も、今頃この月を見ているだろうか。
日曜日を、楽しみにしているだろうか。
そんなことを考えながら、俺はようやく眠りについた。




