依代
2027年(令和9年)初夏――――――【日本列島南東沖 領空15000m】
大赤斑洋上からの陽光が浮遊する清浄な島嶼を下から照らす中、俺達の乗った『ディアナ号』は水の大地を離れて日本列島を目指して降下してゆく。
水の大地の調査を終えたものの、地球人類を害する意図を持った何者かの存在をうっすらと感じた大月家一同は、言葉少なに横浜市へ帰還すべく黙々と操舵室で各々配置に就いている。
「あ、そう言えばっス!」
何かを思い出して声を上げる瑠奈。
瑠奈さんや。アップルパイの載った紙皿片手に制御卓を触らないで欲しい。
それとわざわざ語尾にっス!を無理やり入れなくてもいいから。
瑠奈のアイデンティティは既に確立されているからね。
就寝前に操舵室のベトついた机をウエットティッシュで拭くのは大変なんだぞ?
というか、パイ生地がぽろぽろ制御卓に落ちているから。機器はデリケートなんだから綺麗にしようね?
瑠奈に諸々言いたいことはあるが、先ずは話を聴かねば。
「それで?何がどうしたの?」
「東山兄ちゃんとソーンダイクおじさんに説明するの忘れてた」
「何の説明?」
「月面都市を説明なしでジュピタリアンと一緒に木星へ連れてきてしまったっス」
あちゃーという顔をする瑠奈。
ちょっと待って瑠奈さんよ。なかなか衝撃的な話題じゃないか。それをど忘れみたいな感じで流しちゃダメ絶対!
「じゃあ、直ぐに説明に行かないと駄目じゃないか」
此処は俺が東山に代わって注意しておこう。
「行きたいけどいけないっス!」
「どうして?」
「大赤斑大気圏外周だから、常に気流に乗っているから現在位置が分からないっス!」
おいおいおい。それはマズいじゃないか。
「分かった。先ずは早く横浜に返って岩崎さんと春日さんにごめんなさいしような」
「うぅ……」
しょんぼりする瑠奈よ、だがそれは日頃の行いから来るものだ。
しっかり説明して反省しような。それからでも月面都市捜索に取り掛かっても遅くはならないはず。空自も動いてくれているしな。
「ひかりさん。そういう事で少しなるはやで横浜へ戻りましょう」
「アイアイさー貴方❤️」
うっ……昨晩から機嫌の良いひかりさんからのお返事。
この光景を視ている掲示板民が居れば全会一致で爆発させられるだろう。
だから、ここはニヤけず威厳を持ってだな。
「お父さん。ひかりとイチャラブしてもいいけど、操舵室と食堂の映像は毎日ミツル商事HPでリアルタイム公開されているから程々でお願いするわ。あと次は弟が欲しい」
美衣子が爆弾を投げてきた。撮影されていたとは。ニヤけないで良かった。弟の話は後でね。
「マジですか」
「マジよお父さん。さっきからミツル商事HPにお父さん爆発しろコメントが殺到してダミーサーバーがダウンしたわ」
結が冷たく報告する。ダミーサーバーなら大丈夫かな?
「お父さんみんなから注目されて凄いっス!」
尊敬の目で俺を見る瑠奈よ、それは悪目立ちというのだ。良い子は真似しちゃダメ!絶対!
まぁ、そんな感じでディアナ号は分厚い木星大気圏をどんどんと降下してゆく。
水色や灰色をした筋雲の合間から日本列島が見えてきた。
さあ、ごめんなさいの時間だ、瑠奈。
抜き足差し足で操舵室から遠ざかろうとする美衣子と結もこっちへ来なさい。
君達は共犯だろう?
ひかりさんは操舵お願いします。
「アイサー、ダーリン」
……俺も一緒に反省するから、砂糖を吐き出した顔をしないで欲しい娘達よ。
☨ ☨ ☨
――――――【太陽系第五惑星『木星』 大赤斑最深部から4000Km上空の大気圏】
時速500kmで大気圏を交互に流れる幾重にも及ぶ筋雲の中に、合成樹脂パネルで覆われた月面都市が浮遊していた。
木星大気の主成分である水素やヘリウム、アンモニアとは違い、数少ない酸素と水を含んだ筋雲の中にユニオンシティは転移していた。
現在のユニオンシティは、都市ドームに付随した居住区域の土壌と巨大岩盤(実は瑠奈の研究室だったりする)に木星大気中の水分や珪素が付着し凍結した氷塊が、ジェット気流と微細な氷塊に削られて半球状となり、某宇宙戦艦アニメに登場する某都市帝国の如き外観である。
木星中心部から放射される惑星磁力線は太陽系最大出力であり、密かに都市に付随した瑠奈のマルス・アカデミー研究室は自動的にそれをエネルギー源として重力を相殺、浮遊環境を維持し高圧大気をプロテクトして都市を防御している。
【ユニオンシティ宇宙ドック 管制センター】
都市ドームに隣接した宇宙ドック管制塔には、行政府代表のソーンダイクと日本国特命全権大使の東山龍太郎が数人の防衛軍技術者と共に通信システムや観測機器を操作して現在位置と状況把握に努めていた。
「管制レーダーの反応は?」
「識別不明物体多数を確認。目視で観測している気流と同じ方角へ移動していることから自然物と思われます」
「フェーズド・アレイ・レーダーは?」
「探知範囲300km圏内に航空機、艦船反応なし」
ソーンダイク行政府代表に訊かれた技術者達が答える。
「此処から偵察機なりシャトルを出せればいいのですが」
宇宙ドックの表示を見ながら呟く東山。
「先程のアレを視ただろう?無人宇宙戦闘偵察機が都市ドームから出た途端にぺしゃんこだ」
肩を竦めるように左右の枝を震わせて応えるソーンダイク。
「木星大気圧を舐めていたな」「地球の320倍ですからね」
「一緒に転移したジュピタリアン達は黄金林檎に夢中でお願いを聴いてくれませんしね」
肩を竦める東山。
一度はソーンダイクと共に真摯にお願いに行ったのだが、水素クラゲ達は『チョット無理シタ』『シバラク栄養補給ノ時間』と主張してドーム外縁の果樹園から離れなかったのだ。
大月瑠奈の惑星間携帯電話に電話しても『おかけになった電話番号は~』と留守電設定になっており、メッセージを入れる事しか出来なかった。
「外部から通信は入っていないか?」
「6日前のJAXA木星探査船『おとひめ』からの通信以外は受信なし。強烈な木星磁場がネックで通信環境が常に不安定です」
「このまま此処であてどもなく浮遊し続けるか、ドックの空飛ぶ箱舟で打って出るか……」「ドーム内は自給自足出来ますが、毎日黄金林檎も飽きますしね」
思案するソーンダイク代表と東山。
その時、ふと幹に悪寒が走ったので幹を捩じったソーンダイクが振り向くと、背後にこの前とは違う黒い水素クラゲが佇んでいた。
『ドーナツ一袋ト黄金林檎狩リデ仲間二会エルヨー』
黒い触手をゆらゆらとさせてソーンダイク代表と東山に話しかける黒い水素クラゲだった。
☨ ☨ ☨
――――――【東京都千代田永田町 首相官邸 内閣官房執務室】
「先輩、この度は水の大地の調査ありがとうございました。早速、旅行業界には安易な木星探索を助長する広告を排除するよう要請した所です」
春日が俺たちにお礼がてら経過を教えてくれた。
「それと、一つ分かった事があります。
美衣子さんが水の大地湖畔で拾ったドーナツ袋ですが、印字や製造番号などから販売エリアを調べました。北陸地方の山間部にあたる場所ですが、この2週間で数回の重力波異常が計測されていました」
おお、さすが政府組織だ。細かい所から情報を辿る能力ぱねぇ。
だけど北陸地方の山間部ねぇ。まさか富山市の尖山基地で、結が黒幕か!?
「それはない」
即答の結。失礼いたしました。
「尖山のマルス・アカデミー基地でないとするならば、八百万の神システム=日本列島生態環境保護育成システムの誤作動では?」
可能性を言ってみる。
「それはもっとない!」
激しく即答する美衣子。ホントごめんなさい。
「うーん、違いました。確かに重力波異常の震源地は神社跡だったので出雲大社の七福神に問い合わせたのですが、その神社はどの神も対応していない隙間スポットでした」
春日が答える。
「では其処を利用した何者かが被害者一家を運んだのか……」
「そう考えるのが自然です。八百万の神々でないならば、はぐれジュピタリアンの可能性もあると思いチューブワーム長にあらためて確認しましたが、長の感知能力をもってしてもジュピタリアン達に富山県山間部への”遠征”は無かったとの事でした」
「他に誰が居るのでしょうかねぇ……」
うーんと首を傾げるひかりさん。
「分かりません。我々が知る以外の何者かが木星に潜んでいるという事しか分からないのです」
春日の言葉に沈黙する大月家一同だった。
☨ ☨ ☨
――――――【日本列島西方沖 領空20000m】
黒い水素クラゲの指図に従って宇宙ドックに停泊していた数隻の空飛ぶ箱舟を方向転換させ、推進用に使う水素エンジンを都市の外側へ向けて、都市岩盤の方向転換を繰り返す事十数回、交互に流れる木星大気流から生じたダウンバーストを利用して降下を続けたユニオンシティは、遥か下方に蒼い大洋を視認できる所の筋雲まで到達した。
「ソーンダイク代表、フェーズド・アレイ・レーダーに反応。航空機です」
「どこの所属だ?」
「敵味方識別信号照合。日本国航空・宇宙自衛隊所属のF2戦闘攻撃機です!」
『ハロー。こちら日本国航空・宇宙自衛隊小松基地所属です。ようこそ木星日本領空へ』
「歓迎ありがとう。こちらユニオンシティ。本都市は気流に沿って大赤斑外周を移動している」
『了解。間もなくこの空域に英国連邦極東の『大黒屋丸Ⅱ』が到着するのでこの通信回線を維持してください』
「OK感謝する」
「これで孤立解消できればいいが」「日本領空から出ないうちにデータリンクが確立出来れば大丈夫でしょう」
ようやく日本国と連絡が取れて安堵するソーンダイクと東山。
「ミスタークラゲ。君には大変感謝している。どうすれば君に報いる事が出来るのだろか?」
ソーンダイクが黒い水素クラゲに尋ねる。
『ドーナツ一袋ト黄金林檎狩リデ充分デス』
傘を震わせて答える黒い水素クラゲ。
空飛ぶ箱舟のエンジンを防衛軍技術者が改修している時に、ドーム外縁で一人黄金林檎狩りを堪能したらしく『素敵ナ所デシタ』と艶艶になった黒い傘を震わせてご満悦だった。
「本当にお代はドーナツでいいのですか?」
不思議そうに首を捻りながら、防衛軍の売店で購入したドーナツ一袋を黒い水素クラゲに手渡す東山。
『毎度オオキニ。ホナ、サイナラ……』
黒い傘をぺこりと下げるとドームをすり抜けてぴゅーっと上空の筋雲へ飛んでゆく黒い水素クラゲ。
「……ミス瑠奈が連れて来たジュピタリアンとはかなり毛色が違ったな」
黒い水素クラゲが飛び去った筋雲を見上げたソーンダイクが呟いた。
「今度ミツル商事の大月社長に聞いてみましょう、おっとこれは?噂をすればなんとやらです。大月社長からです」
ソーンダイクに応えた東山の惑星間携帯電話が振動する。
『もしもし瑠奈っス!東山お兄さんごめんなさいっス!実は――――――』
惑星間携帯電話から瑠奈の真摯な詫び声が中央庁舎の中庭に響き渡る。
F2戦闘攻撃機が浮遊するユニオンシティの周囲を旋回する中、彼方からは甲板に積み上げた米俵が印象的な千石船=ソールズベリー商会の多目的船『大黒屋丸Ⅱ』が都市ドームへ近づいていた。
果樹園で寛いでいた水素クラゲ達はソールズベリー商会のスコーン目当てに宇宙ドックへ飛んで行く。
大黒屋丸Ⅱがドーム隣の宇宙ドックへ入港していた頃、ドーム外縁に在る住民が樹木化した果樹園では見慣れない果実が次々と実っていた。
黄金林檎と同じ形状だが、陽光すら反射しない黒一色の果実だった。
『……この依代ハ我ラ新天地繁栄ノ礎二相応シイ』
黒一色の果実を実らせた幹に浮かび出た洞から呟くような声が漏れた。
幹から枝分かれした先端、細く黒く変色した部分が触手の如くゆらゆらと揺れている。
変色した枝に実った黒一色の果実がボタっと地面に落下すると、ぐしゃりと潰れた果実が土壌に吸収されてゆく。
呟いた幹に実った黒一色の果実が次々と地面に落下しては潰れて直ぐに吸収されてゆく。
数分後、果実が落下した地面には黒い針の様な芽が続々と現れていた。
☨ ☨ ☨
――――――【群馬県某所】
過疎化が進行し、人が定住出来なくなった山間部の廃村に荒れ果てた廃寺院が在った。
長年の風雨に晒されて今にも崩れ落ちそうな伽藍の下、朽ちた仏像の裏側で一体の黒い水素クラゲが触手を器用に動かしてホログラフィックPCを通じて求人サイトに募集投稿をしていた。
『限定募集4名。新天地で夢のリゾートアルバイト!時給5万円(現物支給在り)』
黒い水素クラゲは募集投稿に書き込むと触手でその画面を脇へどけると新しい画面で募集投稿を書き続ける。
「マダダ。マダ足リナイ。我々ノ依代タル生物ヲ増ヤシ続ケネバナラヌ」
黒い水素クラゲがぼそりと呟く。
夜が明けるまで、崩れかかった伽藍の下は無数のホログラフィック画面で埋め尽くされていくのだった。
―――水の大地(完)―――
最後まで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月満=ミツル商事社長。多目的船『ディアナ号』船長。総合商社角紅の元社員。
・大月ひかり=満の妻。ミツル商事副社長。総合商社角紅の元社員。社員時代、満が指導役だった。
*イラストはイラストレーター 七七七 様です。
・大月 美衣子=マルス・アカデミー・日本列島生物環境保護育成プログラム人工知能。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 結=マルス・アカデミー・尖山基地管理人工知能。マルス三姉妹の二女。
*イラストは絵師 里音様です。
・大月 瑠奈=マルス・アカデミー・地球観測天体「月」管理人工知能。マルス三姉妹の三女。
*イラストは絵師 里音様です。
・東山 龍太郎=ひかりとは大学時代の同級生。しがない外務官僚だったが大月満がマルス・アカデミーと関係を築く中、ひかりに巻き込まれる形で大月家と関わって大使にまで昇進していく。
日本国地球方面特命全権大使としてユニオンシティのソーンダイク代表を支える立場に就く。
*イラストは、イラストレーター 更江様です。
・ソーンダイク=月面都市行政府代表。元アメリカ宇宙軍宇宙飛行士。大変動直後に建国した宇宙国家『アース・ガルディア』英語圏代議員。マルス人異端科学者による福音システム攻撃で多くの住民と共に樹木化人類になった。