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長旅のスタート

上司への相談は、あっけなく終わった。

「民間の水道事業者による国際貢献プロジェクト? 具体性に欠けるし、どこが予算を出すんだ?」

亀田課長の一言だった。

「そうですよね……」

あっさり終わった話だったはずが、年を越し、三月になろうとした頃、思わぬ形でぶり返した。

ある朝、事務所がざわめいた。

「ゼロが二つ違っていました。今年度の——」「コロナ対策費のアクリル板? 俺が責任取るよ。」「違うんですよ。ゼロが二つ少ないんじゃなくて、多いんです。どうしましょう?」「伸子君、君、素晴らしい予算の使い道を前に言っていたよな。」「えっ……?」

——こうして、旅立ちの準備は慌ただしく始まった。

伸子は後から知ったが、「虹の輪」プロジェクトのメンバーは七人だった。しかし、伸子とダビデ、そしてダビデの恋人が約束の部屋に入ると、そこにはバラ子がいた。彼女を加えると八人になる。

伸子は少しホッとした。

「やっぱり私は行かない運命なんだわ。それはそれでよかった。この準備期間も楽しかったし……」

せっかく大阪に集まったのだから、八人で食事をすることになった。お好み焼き屋へ行き、その後、大阪駅近くの居酒屋へ。

食べて、飲んで——そんな時間の中でも、ダビデはまだ伸子を諦めていなかった。そして、当然のようにダビデの恋人も一緒に行くことを譲らなかった。

新しく加わるバラ子は、すでにプロジェクトのためにカタールから日本へ来ていたため、「今さらメンバーを変えるのは嫌だ」と主張した。

なんとなく、「伸子かダビデの恋人のどちらかが抜ければいいのでは?」という空気が漂う。

伸子はこの時点で降りるつもりだった。

しかし、ふとした誰かの一言で空気が変わった。

「そもそも、恋人同士がこのプロジェクトにいるのって、どうなのだろう?」

微妙な緊張感が漂う中、誰かが提案した。

「カラオケハウスに行かない?」

言い出したのは、ジェリーこと中居くんだった。

気分を変えようと、みんなでマイクを回す。それぞれの国の歌を歌うかと思いきや、意外にも日本の歌が人気だった。

「このプロジェクト、途中で抜けてもいい」

「でも、最初の日本だけは来て損はない」

そんな打算を抱えている者もいた。

伸子は、こんな国際的な集まりに自分がいることが不思議で仕方なかったが、それでも楽しかった。

さっきの張り詰めた空気はどこへやら、八人の国際カラオケ大会を楽しんだ。

バラ子は、アニメ『ベルサイユのばら』のテーマ曲「薔薇は美しく散る」を宝塚風に歌い上げた。サビの部分以外は、変な日本語で埋められた星野源の曲もあったが、それはそれで面白く、伸子だけがウケていた。

遅れて入ってきたと思ったら、わざわざホテルにギターを取りに行き、持ってきた者もいた。そのギターは特別で、日本のある楽器店を仲介して購入したものらしい。彼は日本語で説明してくれたが、ギター自体に興味を持つ者は少なかった。ただ、その音色は最高だった。

ダビデは、福山雅治の「恋人」を歌った。

さよならを言葉にせず 恋の終わりを迷わせた♬

優しさの意味さえも 知らない僕がいた♬

ダビデの声は歌手本人そのものだった。その場は密会ライブのような雰囲気になり、もしかすると福山本人が扮しているのではないかと錯覚するほどだった。

ダビデの恋人の表情を覗き込んだ。陽気な印象を受けた彼女だったが、ダビデと歳が一回り違う彼女は、とても複雑な表情を見せた。異国で始まった恋が、今まさに終わりを迎えようとしているのかもしれない。二人が目を合わせる瞬間の表情を、伸子は気にしていた。

そんなとき、「ひよこちゃん、歌ってよ。」

そう言ったのはギタリストだった。

カラオケは苦手だったが、最終的にはサザンを歌いまくった。

ダビデと彼の恋人は部屋を出て、何か話し込んでいた。

最後は、SMAPの「世界に一つだけの花」を、残りの五人とギタリストのギターで歌った。

「これからのことは、明日考えよう。」

そう思いながら、伸子は眠りについた。

翌朝。「10時に集合ね」「いや、1時だったよね?」

そんなやりとりが飛び交う中、朝9時に部屋のドアがノックされた。

ドアの向こうに立っていたのは、ダビデの恋人だった。

「あなたの補佐として、一緒に行けないかしら?」

もちろん、自分の経費は自分で払うという。

伸子は少し考えた。

「補佐がいれば、私も何かしら役割を果たせるかもしれない……」

まるで神様に背中を押されたような気がした。

「いいよ。みんながOKなら、私は構わない。」

ダビデはすでに他の4人に根回しをしていた。

「彼女は優秀だけど、言葉が苦手だから補佐がいた方がいい。彼女は、ああ見えてロイヤルファミリーかもしれない」と。

昼のランチの場で、伸子は参加した。ワッカーとジェリーの2匹が握手を交わしてる。

「Kitty Foiled」とプリントされたトレーナーを着ていた。

みんなの前に立った瞬間、自然と握手の輪が広がる。

「主役のいないトムとジェリーだね」

「君のセンスはいい」

「君のユーモアもね」

「君はひよこちゃんだね」「僕は、ジェリーだね。」という異国人が、どうやら、この仲介案を考えたみたいだ。

そうして、伸子は「ひよこちゃん」と呼ばれることになった。伸子は何のユーモアの意味はわからないが、皆は伸子とダビデの恋人とひともんちゃくあるかもと、企画そのものがだめになるかもと、いくえをおっていたみたいだ。

「僕はトムでいいよ」

ダビデは自ら「トム」と名乗る。

伸子が「子どもたちは『トムとジェリー』を見て育った」と言うと、不機嫌そうにしていた少しふっくらした金髪の男の表情が、ふと明るくなった。「アメリカンドリームはづづく。」

「そうか、仕方がないな。僕はトレーナーでいい。トレーナーと呼んでくれ」

こうして、8人の旅は続く。

次の目的地は——横浜。



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