名古屋駅
名古屋駅
キッチンの前のダイニングテーブルで、伸子はこの2年を振り返っていた。
2022年11月21日の名古屋の天気は、朝に雨が降り、その後晴れた。最高気温は21.6度、最低気温は11.9度で、日中は暖かい陽気だった。昨夜は遅くに寝たが、早く目が覚めた。
早々にホテルをチェックアウトし、名古屋駅に向かう。
札幌駅は、一方向に人が流れるのに対し、名古屋駅は右、左、上、下と人々が行き交うターミナルだった。いや、駅がターミナルというよりも、未来都市の中枢部にいるような錯覚を覚えた。
名古屋駅と札幌駅に共通するのは、皆がマスクをしていることと、スマホをポケットに入れていることが分かる、自信に満ちた足取りだ。あの日の朝、少し雨が降っていて傘を持つ人も多かったが、そのことさえも織り込み済みで、狂いのない足取りだった。
人の流れを観察すると、札幌駅では外国人が異国から来たとすぐに分かるのに対し、名古屋ではそうではない。名古屋の人々は、当たり前のように都市の巨大ターミナルの流れに溶け込んでいる。あの時の伸子のほうがよっぽど異国人だったと思う。そんなふうに、初めての一人旅を振り返った。
2025年1月4日
2025年1月4日、伸子は朝からずっと同じ場所に置かれている新聞に目をやった。相変わらず報告書の行は10行のままだ。一字も進まない。画面に「kkkkkkkkkkkkkkkkkkkk」と20回打ってはデリートしたりしていた。
記憶の波は、人の波に任せた名古屋駅の光景に戻った。最初、あの波には乗れなかった。伸子は名古屋駅の構内で一瞬立ち尽くした。どの人の流れに乗ればいいのか、まるで分からなかった。
そういえば――ベンチがない?
こんなに立派で素晴らしい駅なのに、どこにも座れる場所が見当たらない。これでは、孫を連れてくるのも、老いた母親を連れてくるのも難しい。やっぱり、一人で来て正解だったわ、と伸子は胸の中でつぶやいた。
前日のコンサートで隣に座った人が、「札幌駅って、光がたっぷり入るし、駅全体が暖かくて素敵ですね」と話していたのを思い出した。そう言われて、初めてそのありがたさに気づいたばかりだった。
札幌駅構内のあのベンチ。黒いストーブの前に置かれていて、近すぎると熱くて汗をかくけれど、どこか懐かしい。上に置かれた古いテレビでは、いつも地元の情報番組が流れている。馴染みのアナウンサーが穏やかな声で「道内の天気」を伝えるその姿は、長年見慣れた安心感そのものだった。
「今日は、午後から気温が少し上がりますが、風が強いので防寒対策をしっかりと――」そんなアナウンサーの言葉を聞きながら、ストーブの熱で手を温めた学生時代までがふと蘇る。
あのときは、もっとトイレの近くに置けばいいのに、と文句を言ったこともある。けれど今、名古屋駅でそのベンチがないことに気づいて、札幌のあの空間が恋しくなっている自分に驚いていた。たった二泊の一人旅で、ホームシックを楽しむなんて、ちょっとおかしい。
「ベンチがないなら、せめて‘ベンチはこちら’って標識でも置いてくれたらいいのにね」
伸子は心の中でぼやきながら、再び人の波に身を委ねた。
名古屋のコメダその2
札幌と変わりない落ち着いたコメダの内装だったが、新型コロナウイルスの影響が徐々に緩和されつつある当時の日常と、非日常が交錯しているように感じた。
聞くわけではないが、店内の道を挟む同世代の会話が耳に否応なく飛び込んでくる。なんだか私と響香さんを映しているかのような、とりとめない会話に、コロナが少し落ち着いて久しぶりに会えた喜びがあふれていた。
その会話の中で、2人とも名古屋の住民ではないらしいことが分かった。お互い新幹線に乗って昨日名古屋に来たとのこと。2人の街にはコメダはなく、名古屋のモーニング文化を褒め称えていた。
片方は一人息子を名古屋の大学に通わせていて、学生食堂では100円で朝食を取っているので安心だと言う。そして「あなたの娘さんも名古屋の大学に通わせたらいい」と名古屋の宣伝大使のように勧めていた。
「そしたらまた、こうして名古屋で会えるから」と盛り上がる2人。食生活を偏差値よりも心配する母の愛と、からの巣を守る自分の心のケアを考える親のエゴが交差する会話に、親近感を覚えた。
ふと、その1人の持ち物を見ると、サザンのグッズがあった。「やっぱりね」と思いながら、少しぬるくなったコーヒーを手に取ったとき、伸子のスマホがテーブルの上でカタカタ揺れた。
スマホの画面に「北広島にこにこ水道」と書かれていて、旅行気分は一気に消えた。有給休暇はきちんと取るけれど、会社から電話がかかってくることは滅多にない。あの日を除いて。
2018年9月6日 北海道胆振地震
2018年9月6日。胆振地震の日だ。あの日は有給休暇で、北海道全土がブラックアウトしたあの時を思い出した。
地下鉄を使う同僚は職場にも来れない。信号機のつかない道路に、息をすることを忘れながら職場に着いた。水道インフラの水道管の対応、自治体とのやりとりも大変だったが、想定以上に一番大変だったのは住民への対応だった。
電気がない中で、住民は断水の心配をしていた――デマだと一言では片付けられない話がSNSで広まり、住民たちは携帯電話やスマホの充電具合に注視し、対応に奔走した。
その後の検証をしたが、実のところ今も最善が何かは分からない。最初から「このブラックアウトは43時間で終わりますよ」と予備練習のように進まないのは分かっていたのだから。
正月すぎた報告書を描く伸子のテーブルで、スマホが軽く音を立てた。開けてみたら、ただのお菓子屋の新年の挨拶だった。