伸子とバラ子の春
日本を離れて、はじめての春を迎えていた。
虹の輪の仲間と最初に見た春は、横浜の春だった。
津軽海峡をこえただけなのに、あのときも、はじめて見る春の色に心が動かされた。
計り知れない樹齢のソメイヨシノの桜に立ち止まる人、見上げることもせず急ぐ人。見知らぬ二人が、桜の花をさして、語りだす。
そのどれらも、まるでバスのシルバーの窓枠が額縁となり、動く美しい絵画のように見えた。
横浜の町は、おもいのほか坂道のおおい町だった。バスの運転手が、「お降りの際は、バスの後ろを渡りますと、大変危険です。」「皆様ご注意ください。」「この先の信号さきのも、美しいさくらがございます。健やかな新生活をおすごしください。」とアナウンスした。バラ子と見た桜がわすれられない。
あれから一年。太平洋も大西洋もこえて、冬が終わる新しい季節を異国の地で迎えている。
横浜の時と同じように、人々がスマホで写真を撮る姿が、新しい季節の訪れを知らせてくれる。
その横を通り過ぎるとき、異国の言葉が飛び交うことで「やはり違う」と思う感覚と、
「どこも同じ」という静かな安堵が交差する。
——世界中、どこでもこうであってほしい。
バラ子は、「Graham Thomas」と書かれたバラの木の前に立っていた。
「ここでも、もうこんなに花のつぼみができているのね。去年、横浜で見たのと同じだわ。」
伸子「黄色いきれいな薔薇ですよね。」
花人クラブの面々が「あの薔薇だけは庭に欠かせない」と言っていたのを思い出して、答えた。
「お庭にトーマスあるの?」
「いいえ。なんとなく、うちの庭には似合わない気がしていて。」
「アンジェラが主役ですものね。」
「よく覚えていますね。」
「ええ。」
「このトーマスと青いバラ、そんな景色、すごいと思わない? なんでもバラ子さん、好きそうじゃない?」
「はは、そう、なんでもバラ子さんって。ふふ。」と、こちらのバラ子さんと笑いあった。
「でも、私は植えないわ。なんでもバラ子さんじゃないから。私、帰ったら日本の山茶花植えたいの。」
さざんか、さざんか、咲いた道。落ち葉だ、落ち葉だ、♬
北海道で生まれ育った伸子には、まだ見ぬ花。
日本の旅をしたいと思っていたのに、こんな遠いところまで来た自分をふと思った。
「このトーマスが咲く前に、また出発よ。いいのよ、日本に帰っても。そういう決まりだから。」
バラ子が言った。
「いえ、次の場所にも行きます。」
答えは、昨日のうちに決めていた。
「きっと、きれいだわ。咲いたら、この景色。」
バラ子としばらくそこに立っていた。
“It's enough that I've taken the picture with my heart.”
バラ子はそう言って、伸子の肩をたたいた。
——心のシャッターで、十分。
グラハムトーマス作出年、1983年。ベルリンの壁もまだあった年。
ヨーロッパにも、安堵の時があったのだろうか。
百年戦争、三十年戦争、ナポレオン戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦——
そして、ベルリンの壁。崩壊して、今年で36年。伸子の長女が誕生した年だ。
「グラハム、トーマス オースチンが命名したのよね。」「イギリスの植物学者であり園芸家でもあるグラハム・スチュアート・トーマスへのオースチンのオマージュですね。」
「この敬愛のループを、ここは守っているのね。」バラ子もまた、その敬愛のループをつなげていると、伸子は思った。
ユーラシア大陸もまた、今度こそ。
千年単位の「花の都」をつくりたい、そう思っている人もきっといる。
ジョセフィーヌも、あんな美しいバラを見たら、きっと驚いたでしょう。
天国に行ったときにはおしえてあげましょう。
——あなたの生んだバラで、世界中で、こんな美しい花が咲いているのよ、と。
ナポレオン皇后となったジョセフィーヌ。
彼女が波乱の人生の晩年を、バラの育種に注いだことは日本でもよく知られている。
でも、その生涯は、わずか50年で幕を閉じた。
「でも、まだ、見てなかったんだわ。私。黄色いバラ。」
バラ子さんが黄色いバラを見てなかったことに、伸子は驚いた。
グラハム・トーマスの鮮やかな黄色。
それは、希望の色でもある。




