表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【旧稿】台所シリーズ 第2部 台所は世界をかえる(長旅編)  作者: 朧月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/22

伸子とバラ子の春

日本を離れて、はじめての春を迎えていた。

虹の輪の仲間と最初に見た春は、横浜の春だった。

津軽海峡をこえただけなのに、あのときも、はじめて見る春の色に心が動かされた。


計り知れない樹齢のソメイヨシノの桜に立ち止まる人、見上げることもせず急ぐ人。見知らぬ二人が、桜の花をさして、語りだす。

そのどれらも、まるでバスのシルバーの窓枠が額縁となり、動く美しい絵画のように見えた。

横浜の町は、おもいのほか坂道のおおい町だった。バスの運転手が、「お降りの際は、バスの後ろを渡りますと、大変危険です。」「皆様ご注意ください。」「この先の信号さきのも、美しいさくらがございます。健やかな新生活をおすごしください。」とアナウンスした。バラ子と見た桜がわすれられない。


あれから一年。太平洋も大西洋もこえて、冬が終わる新しい季節を異国の地で迎えている。


横浜の時と同じように、人々がスマホで写真を撮る姿が、新しい季節の訪れを知らせてくれる。

その横を通り過ぎるとき、異国の言葉が飛び交うことで「やはり違う」と思う感覚と、

「どこも同じ」という静かな安堵が交差する。


——世界中、どこでもこうであってほしい。


バラ子は、「Graham Thomasグラハム・トーマス」と書かれたバラの木の前に立っていた。

「ここでも、もうこんなに花のつぼみができているのね。去年、横浜で見たのと同じだわ。」



伸子「黄色いきれいな薔薇ですよね。」

花人クラブの面々が「あの薔薇だけは庭に欠かせない」と言っていたのを思い出して、答えた。


「お庭にトーマスあるの?」

「いいえ。なんとなく、うちの庭には似合わない気がしていて。」


「アンジェラが主役ですものね。」

「よく覚えていますね。」

「ええ。」


「このトーマスと青いバラ、そんな景色、すごいと思わない? なんでもバラ子さん、好きそうじゃない?」

「はは、そう、なんでもバラ子さんって。ふふ。」と、こちらのバラ子さんと笑いあった。


「でも、私は植えないわ。なんでもバラ子さんじゃないから。私、帰ったら日本の山茶花さざんか植えたいの。」


さざんか、さざんか、咲いた道。落ち葉だ、落ち葉だ、♬

北海道で生まれ育った伸子には、まだ見ぬ花。

日本の旅をしたいと思っていたのに、こんな遠いところまで来た自分をふと思った。


「このトーマスが咲く前に、また出発よ。いいのよ、日本に帰っても。そういう決まりだから。」

バラ子が言った。


「いえ、次の場所にも行きます。」

答えは、昨日のうちに決めていた。


「きっと、きれいだわ。咲いたら、この景色。」

バラ子としばらくそこに立っていた。


“It's enough that I've taken the picture with my heart.”


バラ子はそう言って、伸子の肩をたたいた。

——心のシャッターで、十分。


グラハムトーマス作出年、1983年。ベルリンの壁もまだあった年。

ヨーロッパにも、安堵の時があったのだろうか。

百年戦争、三十年戦争、ナポレオン戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦——

そして、ベルリンの壁。崩壊して、今年で36年。伸子の長女が誕生した年だ。

「グラハム、トーマス  オースチンが命名したのよね。」「イギリスの植物学者であり園芸家でもあるグラハム・スチュアート・トーマスへのオースチンのオマージュですね。」

「この敬愛のループを、ここは守っているのね。」バラ子もまた、その敬愛のループをつなげていると、伸子は思った。

ユーラシア大陸もまた、今度こそ。

千年単位の「花の都」をつくりたい、そう思っている人もきっといる。

ジョセフィーヌも、あんな美しいバラを見たら、きっと驚いたでしょう。

天国に行ったときにはおしえてあげましょう。

——あなたの生んだバラで、世界中で、こんな美しい花が咲いているのよ、と。


ナポレオン皇后となったジョセフィーヌ。

彼女が波乱の人生の晩年を、バラの育種に注いだことは日本でもよく知られている。

でも、その生涯は、わずか50年で幕を閉じた。


「でも、まだ、見てなかったんだわ。私。黄色いバラ。」


バラ子さんが黄色いバラを見てなかったことに、伸子は驚いた。

グラハム・トーマスの鮮やかな黄色。

それは、希望の色でもある。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ