7話 笑えない自虐はただの迷惑行為である
「こらファル、酒持って行かないで置いとき」
「もう、ルカは目ざといなあ」
ファルさんは頬を膨らませて抱えていた水筒を置く。どこまで酒に執着心があるのだろうか、この人は。
時刻は十時半。他の社員は仕事に勤しんでる中、私たちは一体何をしているのだろう。
「ファル、ルカ、タンポポ、そろそろ行くぞ。ペタロは……ってそうだ準備中か」
準備中、その言葉に私は首を傾げる。ペタロさんは先程トイレに言ってくると言ったっきり戻ってきてない。すると、「お待たせえ」と甘く間延びした声が扉から入ってくる。どうやらペタロさんが戻ってきたらしい。
「あっ、ペタロさん戻ってきた……って、ええ!?」
「あは、見慣れないよねえ」
無造作に生えた髭、顔に深く刻まれた皺、ぱっちりしていた目は弛んでいるように見える。ペタロさんのあの可愛さは見る影もなくなり、腰の折れた老婆のような見た目だ。
「嘘を吐いたのが私だってバレたら意味ないからねえ」
「ペタロはこういう化粧が得意やからな」
「け、化粧というか特殊メイクというか……」
「今回は開発部で出た毒ガスを吸ってお婆ちゃんになっちゃったウィッチ役で~す」
老婆の顔であざとい仕草をされると脳がバグりそうだ。ノーチェさんとルカさんは見慣れているらしく、一切動じていない。
「ほら行くぞ、ペタロは総務に向かって嘘の助けを求める、ファルは二階の警備員に接触、あたしとルカとタンポポは開発部近くで待機だ」
「は、はい!」
「はいよ」
「はあい」
「はーい」
各々返事をして、部屋を出る。階段を上がり、ペタロさんだけは総務部の部屋のある四階へ向かう。ファルさんが警備員に話しかけたのを確認したタイミングで、二階と一階を繋ぐ階段の踊り場の箱型の消火栓をノーチェさんが躊躇なく開けた。
「えっ、それ消火栓……」
「じゃないんだな、これが」
「これ最後使ったのいつやっけ、あの経理のハゲの浮気調査んときか?」
「深夜とはいえ堂々と階段の踊り場でちゅーするなんて、四十路のウィッチとハゲジジイの割に青臭いことしてたよな」
「浮気の言い訳が、開発のウィッチと恋仲になることで魔法で髪の毛生やしてもらいたかった、ってのも最悪やったな」
「うええ……」
経理にいた時の面々から思い当たるヒトが一人思い浮かび、頭から掻き消した。二人は笑いながら話しているが、そんなこと知らなかったし知りたくなかった。
私が非常時用の消火栓だと思っていたものは確かに消火栓だったが、まだその奥があった。開けてみれば程良く奥行きのある、それこそ窮屈ではあるが三人は入れそうな空間が広がっていた。そこに隠れて様子を窺う算段らしい。ご丁寧に覗き穴まで用意されているのは恐れ入った。
「しばらく時間あるな……おいタンポポ、この部屋だとお前のその髪鬱陶しいな」
「ゴム持ってるからウチが縛ったるで」
「え、あ、ありがとうございます」
髪を纏め上げられる感覚がくすぐったい。顔のラインが曝け出されるのが恥ずかしくて下を向いた。
「そういや、ポポちゃんは何でコラジョなん」
「えっ、と」
「こんなとこで聞くのも何やけど、まあ暇潰しの雑談程度だと思って」
髪をまとめながらルカさんが言う。私が言い淀んでるとノーチェさんが鼻を鳴らした。
「どうせ親に言われてとかだろ」
「……」
「……当たりかよ」
「まー親心としてはコラジョ勤めは安心やろな」
ルカさんはそう言ってくれるが、ノーチェさんが私に呆れた顔を向けていることが見なくても分かる。主体性が無いと言いたいのだろう。綺麗で気も強くてハツラツとしていて、何も怖い物が無さそうなノーチェさんに、私の気持ちなんて分からないに決まっている。
心の居所が悪くて指先で長い前髪をいじる。何か言わなくちゃと思って慌てて口を開いた。
「で、でもやっぱりコラジョに入社できても私みたいなグズは何させてもダメなんで……」
「なんや、いうて二年目とかやろ?一年で見切りつける方が酷い気もするけどなあ」
「あ、いや、今年で三年目です……二年しっかり見た上で見切り付けられました」
「はは……」と、笑いと呼ぶには悲壮感が有り余る顔で笑う私に、ルカさんは何とも言えない顔をする。ああまたコミュニケーション失敗だ。笑えない自虐はただの迷惑行為である。
二十余年生きてきても学ばない愚かな自分には、一度口を開くと喋りすぎてしまう悪癖がある。喋る量をコントロールできない。これも対人関係が上手く行かない一因だ。
「お前さあ……」
「……ノーチェさんみたいな人には無能の私の気持ちなんて分かりませんよ」
ノーチェさんの言葉を遮る。何かを言いかけていたがきっとまた、「その性格どうにかしろ」とかそういうことだろう。
エルフなんて、エルフとして生まれた時点で勝ち組だ。ノーチェさんだって問題を起こして今は二課にいるが、その美貌とエルフの魔法能力があるなら私なんかよりよっぽど復帰の可能性がある。無能で平凡なヒトの悩みなんて縁がない。
ああもう、前世も今世も人生の何もかもが上手く行かない。今世では相変わらず冴えないながらも大手のコラジョに入れたというのに、あまりの無能さに異動させられてこのザマだ。何でこんな暗くて狭い所にいるんだ、何でこの後クビ覚悟で窃盗に挑まねばならないんだ。
ダンジョン攻略に夢見てた幼い頃はもう遥か遠い。私は一体全体何をやっているのだろう。何だか惨めで泣きそうになってきた。つい、私は堰をきったように言葉を続ける。
「私は愛嬌も無いしすぐ吃るし上手く言葉は出ないし、暗くて地味で卑屈で……そうやって誰とも上手く関われないならせめて仕事はって思ったんですけど、だめですね。コミュニケーション上手く取れない奴って基本仕事もできない無能なんですよ。終いには厄介払いされて営業事務二課……」
次々と出てくる言葉は、誰が聞いてもつまらない、興味のない最悪の自己開示だ。
「……でもどこかで自分はこんなはずじゃないって思っているのが一番辛いんです。何においても無能な自分を自分で受け入れられないのが、肯定できないのが、辛いんです」
そこまで吐ききった所ではっとして口を閉じるが、もう遅い。やってしまった。もう営業事務二課にも居場所は無いだろう。ルカさんとノーチェさんからこの話がペタロさんやファルさんにも伝わり、遠巻きにされる未来しか見えない。
「あ、あの、すみませ……」
「お知らせします。二階、開発部から有害なガスが発生したとの報告がありました。ただちに二階にいる社員は他の階への避難をお願いします」
謝りかけた時、館内放送が響いた。館内放送と言っても、ウィッチによる魔法を利用した魔法道具によるものだ。
「ペタロは上手いことやったみたいやな」
「の割に、二階はあまり騒いでる様子ねえなあ」
「誤報だと思ってるんちゃう?」
「ファルが警備員けしかけて全員一階に移動させる算段なのにな……」
まるで私の話は無かったことのように、二人は話している。おしまいだ。どうしようもない。もう私は存在しないものとしてこれから扱われるのだろう。また今日も脳内反省会が開かれそうだが、反省したとて取り返しはつかないのだ。
穴があったら入りたい気持ちでいると、ノーチェさんが「うーん」と俯きながら唸った後、覚悟を決めたように前を向いた。
「しゃあねえ、起こすか。毒ガスもどき」
「なっ……まあ、しゃあないか」
「え?」
魔法を使うと言うことだろうか。確かにエルフは魔法が使えるので納得だが、それなら何故最初からそうしなかったのか、そして何故ルカさんが引き攣った顔をしたのかが気になる。
「二人はここにいろ」
「……不安やなあ」
ぼやくルカさんを無視してノーチェさんは消火栓の小部屋から出て行く。しかし小部屋から出かけたところで、勢い良くこちらを振り向いて私を見た。
「タンポポ、お前があたしのことどう思ってるかは大概想像つくけどなあ、あまり人を見かけで判断すんじゃねえぞ」
「へ」
眉を顰めながらそれだけ言って、ノーチェさんは今度は本当に出て行く。私は呆気に取られてぽかんとしていると、ルカさんに「まあまあ」と背中を擦られる。
「ノーチェは真っ直ぐなだけやからなあ。ああ見えて二課のうちらは特に皆、ノーチェに救われてるんよ」
「そ、そうなんですか……」
ルカさんが眉を下げて笑う。私はそれ以上何も言えなかった。沈黙が流れる。そしてしばらく待っていると突然、とんでもない爆発音が響き、地震でも起きたのかと思う程に大きく揺れた。
「なっ、なんですかこれ!?」
「うひゃー、今回派手にやったなあ」
私は驚いて体を縮み上がらせ、ルカさんは絵に描いたような苦笑いをしている。そこはかとなく異臭が漂っているのが只事でないのを物語っている。ただ毒ガスもどきを魔法で発生させるのに、こんなに大事にする必要があったのだろうか。
するとドタドタと騒がしい足音を立てながら、ノーチェさんが迫真の顔で戻ってくる。
「あぶねー!まじであぶねー!」
「何やってんねんノーチェ!」
「今日調子悪かったわ、開発部全部吹っ飛ばしたかも」
「あんたの魔法は毎日調子悪いやろ」
ノーチェさんの綺麗な髪が少し焦げており、顔の至るところに煤が付いている。せっかくの美人が霞んでしまうほどだ。
爆発音を境に、二階が一気に騒がしくなる。今ここの外は一体どうなっているのだろうと思うと自然と冷や汗をかいてしまう。私が目を白黒させていると、ルカさんがノーチェさんを見ずに言う。
「ノーチェは魔法使えんねん、エルフやのに」
「えっ」
「どんな魔法使おうとしてもぜーんぶ爆発してまうんや」
思わずノーチェさんに目をやれば、ムスッとした不機嫌そうな顔で私の隣に雑に座り、乱雑に手で煤を拭っている。
「エルフはプライド高いし選民思想高い奴ばっかりだからな、これでも魔法が使えないってので苦労したんだぜ」
「そ、そうだったんですか」
「周りから見りゃお前の言う無能だよ、あたしも」
エルフは他人にも自分にも厳しい種族だ。さぞ嫌な目を向けられたことだろう。私はよっぽど険しい顔をしていたらしい。ノーチェさんはしょうがないなとでも言いたげに、不機嫌そうだった顔を緩める。
「ま、別に平気だったけどな!教えてやるよ、同じ無能のあたしとお前の何が違うのか」
「な、なんですか?」
「あたしはな、お前と違って無能でも堂々としてんだよ」
ふん、と胸を張ってみせるノーチェさん。
「仕事ができなかろうが、友達や恋人がいなかろうが、思ってる人生と違おうが、堂々としてりゃいいんだよ。自分で自分を後ろ指指してたらおしまいだぜ」
「で、でも……」
「無理だとしたら、せめて姿勢だけでも胸張って上見てろ。下見てると見えるはずのものも見えないぞ」
ノーチェさんの言葉に合わせるように、ルカさんが私の頭を撫でてくれる。
言われてることは別に私の悩みの解決に直結するものではない。しかし、確かに私はいつも俯いてばかりだった。
少しだけ顎を引いて、背筋を伸ばして、胸を張って、上を見てみてもいいかもしれない。
私は今までいくつ、見えていたはずのものがあっただろうか。
「ま!あたしは何でだか馬鹿力だったから、ムカつくこと言われたら全部殴って黙らせてたけどな!」
「ええ……」
「あの雑魚共、杖が無きゃ何もできやしねえからな!力こそ正義よ!」
「エルフのくせにコラジョ社員の鏡やな」
ルカさんのツッコミに、わはは、と煤のついた鼻を擦りながらノーチェさんは笑う。殴ってしまうならもう、無能とか関係無いじゃないか。私のちょっと上向いた気持ちを返してほしい。
そのノーチェさんの豪快さを忌々しくも清々しくも思っていると、頭にポンと手を置かれる。
「……ま、上だけ見てると見えなかったものが下見るとあったりするから、たまには下向くのも悪くねえけどな」
「空に浮かぶ月には何したって触れられへんけど、水面に映る月には触れられるもんやで」
ルカさんが小さくウインクする。二人の具体的な年齢は知らないが、仕事においても人生においても私よりよっぽど先輩だ。ノーチェさんに至っては長命種のエルフだ。見てきた景色の桁が違う。
そんな話をしていると、数多の足音が目の前を通過していく。ノーチェさんの起こした爆発で社員たちがようやく避難を開始したらしい。
「おーし行くぞ、タンポポ、まだメソメソしてるか?」
「い、いえ!」
私が勢い良く返事をすると満足気にノーチェさんは笑う。消火栓の小部屋から出ると、階段から二階に繋がる所に立入禁止の規制線が貼られていた。ファルさんが警備員に言って貼らせたのだろう。これでしばらくは二階に誰も寄りつかないはずだ。調査員がやってくるまでの数分から十数分が勝負だ。
「ファルも上手くやったんだな」
「あとはうちらだけや」
「は、はい!」
三人で顔を見合わせる。意気込んだはいいものの、本当に毒ガスが発生してしまったのではないかと思わせるほどに煙が酷いが、大丈夫だろうか。
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