4話 常識とは、十八歳までに身に付けた偏見のコレクションである
「ん」とノーチェさんに促されて部屋に一歩入る。人間、第一印象が肝心だ。如何に印象の良い挨拶ができるか。新しい場所に飛び込む際はこれに限る。そして私はそれを分かった上で、毎度失敗している。今日こそは失敗しない。明るくて接しやすい人間の印象を……と思ったのだが、ノミの心臓の持ち主である私の心臓は既にバクバクだ。
と、とにかくハキハキした挨拶が大事だ。私はゆっくりと息を吸い込んだ。
「え、あ、その、も、元経理部のタンポポ・ファルネーゼです!!よ、よろしくお願いします!!!」
大きく大きく吸い込みすぎた息は、それはそれは大きな大きな声になった。空気がビリビリとする程の大声に、これから同僚になる予定の面々の顔が一気にこちらを向く。その顔が引き攣っているのが見え、咄嗟に口を抑える。
「緊張しすぎだっつの」
「す、すみません」
頭をノーチェさんに軽く叩かれる。やってしまった。また加減を間違えた。絶対に最悪の第一印象だ。「変な子」が来たと思われたに違いない。
あまりの緊張に周りが見えていなかった。部屋は地下のため窓がなく、白い蛍光灯だけが部屋を照らしている。壁を埋め尽くすように棚が並び、カレンダーや時計などがある、至って普通の部署の部屋だ。掃き溜めだと言うものだから、もっと劣悪な環境を想像していたが違うらしい。
唯一異質なのは、向かい合わせに並ぶ六つのデスクの上座には何故か大きな亀の置物が置いてあることだ。思わず凝視してしまう。今にも動き出しそうだ。
「ノーチェ、その子が新しい子〜?」
亀を見ていると、まず飛び込んできたのは甘い糖分をたくさんに含んだ声だった。しかしその出処が分からない。デスクに座っている二人は口を開いている様子が無い。一人に至っては口元に水筒を運んでいる最中だ。
「あっ、私に気が付いてないなあ〜?!」
またあの声だ。私は辺りを見回していると、ノーチェさんは歩いて自分のデスクらしき場所に座ってしまう。どうしていいか分からず、「え、あ、えっと、」と戸惑っていると、足に何かが抱き着いてくる。
「わっ」
「タンポポ、間違えて蹴るなよー」
「蹴るのはノーチェだけだよお!」
目を下に向けるとそこにいたのは、薄いピンク色の髪を三つ編みにして赤いリボンを編み込んだドワーフの女の子であった。ここに勤めているのだから、女の子という年齢ではないのだろうけど。それより、ノーチェさんは逆にこのドワーフを日常的に蹴っていると言うのか。
ドワーフはノーチェさんに向かって頬を膨らませた後、私に向かって笑いかける。
「私はペタロ・トンティ!よろしくねえ」
「あっ、えっと、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、頑張ります!よろしくお願いします!」
「うひゃー、真面目な子なんだねえ」
「ここに来る子だから次はどんな子かと〜」とペタロさんは頭を下げた私の膝裏辺りをぺちぺちと軽く叩く。背丈は私の腰下辺りだろうか。ドワーフの中でも小さい方だ。
頭を上げると、ノーチェさんとペタロさん以外の二人と交互に目が合う。その目にとりあえず嫌な感じはせず、ホッとする。ノーチェさんは自分のデスクでふんぞり返っている。
「ねね、タンポポちゃん」
「は、はい」
「屈んで屈んで」
ペタロさんに急かされ、私はペタロさんと視線が合うくらいまで屈むと「あのね」と耳打ちされる。可愛い。会社の掃き溜めと言うからどんな恐ろしい人がいるかと思っていたが、こういう癒し要員もいるらしい。
「ノーチェってエルフなのに馬鹿力だなって思わなかった?」
「え、あ、はい。さっきも扉壊して会議室入ってきて……エルフって本来非力な種族ですよね?」
「あーやっぱり?ノーチェってさあ、エルフとトロールのハーフなのお」
「エルフとトロールの!?」
トロールとは森や山に住む怪物である。知能が低いため意思疎通ができず、自分以外の種族を見るや否や襲ってくるため、狩りや採集はトロールの生息地域を避けるように言われている。
しかし、それなら納得である。エルフは魔法能力や優れた頭脳には恵まれているが、その分筋肉がつきにくく、力は弱い傾向にある。ノーチェさんのように扉を簡単に破壊し、人一人を持ち上げて振り回すなんて芸当は普通のエルフならできるはずがない。
「……ノーチェさんの家は色々複雑なんですね」
「そうなんだよお」
「おいタンポポ、どうせペタロに何か吹き込まれているんだろうけど、そいつの言うことは八割嘘だと思ったほうがいいぞ」
「えっ?!」
驚いて立ち上がり、ノーチェさんを見るとデスクに頬杖をついて全てを見透かしたような冷めた目をしていた。次にペタロさんに目をやれば、あざとく両手を頬に当て、首を傾げて舌を出している。
「えんたーていめんとってやつだよお」
「お前のそのエンタメでこの会社の損失がいくらだったか忘れたとは言わせねえからな」
「え、ぺ、ペタロさん……?」
「もーいつの話?エルフは無駄に長命だから物覚えが良くて困るねえ」
「無駄にって言うな虚言癖ドワーフ」
ペタロさんはまた私に向かって笑いかけてくれるが、その笑顔を素直に受け取れなくなってしまった。嘘ついて会社にとんでもない損害を与えたって、どんな嘘だろうか。想像がつかない。
「ペタロの嘘に困らせられるのはもう通過儀礼やな、ウチの時はノーチェは本当はゴブリンだけど足と耳引っ張って伸ばしてエルフに擬態してるって言われたわ」
「そ、それも酷い嘘ですね……」
並ぶデスクの中で入り口に近い所に座っている、見たところリザードマンであろう女性が尻尾の鱗の手入れをしながら言う。これまたエンタメと呼ぶのが憚られるしょうもない嘘だ。
しかし細い舌をチロチロさせながら話すその言葉があっちの世界で言う関西弁なのは何故だろう。異世界でも方言とか存在するのか。リザードンの女性はセンター分けのハンサムショートで、如何にも仕事のできる女性といった雰囲気だ。かっこいい。
「ウチはルカ・フライド。見ての通りリザードマンや」
「よ、よろしくお願いします」
「ルカは会社のお金横領してここ来たんだよねえ」
「えっ!?……って、あ、これも嘘ってこと……ですか……?」
私は困惑しながらもたどたどしく聞くが、ペタロさんは先程のようにあざと可愛い表情で舌を出していないし、ルカさんも否定をせず何とも言えない表情で鱗の手入れをし続けている。思わぬ沈黙の空気に狼狽えていると、ノーチェさんが思わずといったように吹き出した。
「ぶはっ!そうだよなあ、普通嘘だと思うよな!会社の金横領なんて!」
「残念ながらこれは嘘じゃないんだよ〜」
そんな明るく言えることではないと思う。しかしペタロさんもノーチェさんもあっけらかんと言うから、まるでこちらがおかしいのかと錯覚させられる。
「横領やない!横領疑惑や!確かにウチは金にはがめついけど犯罪はせんわ!」
「いやいや〜だって飲み会の幹事やらせると本来の金額より多く徴収しようとしてくるような奴だぜ」
「それは幹事費やから!てか横領疑惑も確証無いから首切られてへんのや!営業二課のアホ共の仕業や!」
「幹事費って言うには色付けすぎてたけどな」
向かいに座るノーチェさんに対してルカさんは机を大きく叩いて身を乗り出す。ルカさんの切り揃えられた深緑色の髪がバラつく。
「大体ノーチェは秘書室いたけど役員グーパンしたんやろ?!そっちのが傷害罪で犯罪やわ!」
「あれはあのハゲジジイがわりぃんだよ!」
ノーチェさんも机を大きく叩くと身を乗り出してルカさんと真っ向から睨み合う。いつの間にか喧嘩が始まってしまった。私が狼狽えていると後ろからぽんと肩を叩かれる。振り向くと、ノーチェさんの隣に座っていた方が肩を竦めて「騒々しくてごめんね?」と眉を下げて言った。
「おっかない人達ばっかりでしょう?」
「あっ、いえその……びっくりしちゃって」
「でも皆根は悪い人達じゃないから……私は狼女のファルファッラ・モンターニャ。皆ファルって呼んでるよ」
「ファルさん……」
ロングのウルフカットから生えている耳が小さく動く。獣人の中の狼女だ。黄金色の瞳が溶けるように弧を描く。
エルフにドワーフ、リザードマンに狼女……こんなに様々な種族と関わるのは初めてのことだ。
世の中には適材適所というものがあり、種族ごとに得意としているものは違う。この世界では種族ごと得意としているものを生業にしている者が多い。
この世界に存在する種族で人口の割合が多いのは、まず初めに私のようなヒトだ。情報処理能力が他に比べて高いのと、コミュニケーション能力に長けているのでコラジョでは営業や経理、事務などを任されている。
次に人口の多い者として、狼女のファルさんのような獣人や、ペタロさんのようなドワーフが挙げられる。双方筋力の発達が凄まじいことからコラジョでは現場作業している八割がこの二種族だ。いくら良い武器を開発してもそれを作る者がいなければ意味が無い。
コラジョでは見かけたことがないが、力が強い者としては魚人も挙げられる。魚人は肺呼吸とエラ呼吸を持ち合わせる種族で、世界規模で見れば少数派だが、漁業が盛んなこの地域では多く見られる。
そして次にウィッチ、魔法を使えるヒトだ。前世の世界とは違いこの世界でウィッチと言えば、男女関係なく魔法使いを指す。魔法を活用したバフ、デバフ効果を武器に付与する開発などを任されることが多い。基本的に能力が高いので上層部にいたりもする。
ウィッチと同じ開発に多い種族で言うと、魔法能力に長けているエルフもそうだ。一般的にエルフは皆容姿端麗のため、秘書室や受付嬢にも多い。種族としては群を抜いて最も少ないのもエルフである。
ウィッチとエルフの中間辺りの人口がリザードマンだ。手先が器用で視力が良く、無機物の構造を把握する能力に長けている。コラジョでは魔法ではなく強度を上げるための開発として従事している者が多い。また言葉巧みな者も多く、営業にもいることも珍しくない。
他にも種族はいるが、主に社会を回していける知能や社会性を持っているのは今紹介したここらへんである。部署には基本偏った種族が集まっているため、この営業事務二課のように多種多様な種族が集まっているのは極めて稀なことだ。
「わ、私ヒトばかりと接してきたので上手くやっていけるか不安で……」
「大丈夫、種族は違えど皆家に帰ったらご飯を食べてお風呂に入って寝るんだ。見た目だけで中身はそう変わらないんだよ」
「そう……ですかね」
「うん、何かあったら気にせず言ってね」
ファルさんはそう言って、頬に差した紅の位置が上がるように優しく微笑む。心の奥がじんわりと暖かくなる。包容力ある、大人のお姉さんという感じだ。落ち着いた声のトーンも、ゆっくりとした喋り方もとても安心感がある。絶対にこの人がこの部署の良心だ。そうに違いない。そう思っていると、ノーチェさんのハスキーな声が飛んでくる。
「おいファルがまーた人たらししてるぞ」
「ポポちゃん騙されたらあかんで、そいつも大概や」
「ファルの水筒の中身、見てみなあ」
「え?」
ペタロさんがファルさんのデスクから大きな水筒を抱えて来る。「匂いだけ嗅いでみてねえ」と渡され、蓋を開ける。瞬間、強烈な匂いが鼻をついた。思わず勢い良く水筒から顔を離す。
「こ、これ、お酒ですか?!」
「ファルはアルコールに毒されてるからな、職場でもこうやって平気で酒を飲む」
「え、そ、それっていいんですか……?」
「ダメだからここにおるんやろ」
至極当然のことを聞いたら、至極当然の答えがルカさんから返ってくる。思わずファルさんの顔を見ると、先程のようににっこりと微笑まれた。頬に紅を差しているかと思ったが、アルコールによるものだったのか。そういえば、私が入室した時に何か飲み物を飲んでいたのもファルさんだった。まさか飲酒してたなんて。
「でもファルの一番ダメなところはそこやない。こいつにワイン飲ませたらほんまにあかんねん」
「どんな酔い方をするのかは知らんが、こいつと食事に行ってワインを飲んだ男たちが軒並み辞めてるんだよな、会社」
「ええ……?」
どういうことですか、の意を込めてファルさんを見る。ファルさんは相変わらず全てを包み込んでくれそうな穏やかな笑みを浮かべている。
「みんな、可愛がってあげたのになあ」
「何をどう可愛がったった言うんですか!?」
そして何故それが会社を辞めるまでになるのか。「ファルは酒呑みな上に色欲魔や、男女見境無いから気いつけや」とルカさんが言う。営業事務二課は確かにとんでもないメンツ揃いではあるが、一番底知れないのはファルさんなのかもしれない。
部署の面々の癖の強さに私は頭を抱える。ここは多分、常識が通用しない。もっとこう、まともな人はいないのだろうか。しっかりした。社員をまとめるような立場の__
「あっ、部長さん!この部署にも部長っていますよね?」
そう言うと、ノーチェさん、ペタロさん、ルカさん、ファルさんが揃って顔を見合わせる。私何か変なこと言っただろうか。
「ぶ、部長いないんですか……?」
「いやいるぞ、さっきからずっと」
「へ?」
ノーチェさんがそう言って指差した方向を見ると、私が入室した時に凝視していた亀の置物があった。置物だと思っていた亀の前足がゆっくりと上がる。
「う、うごいた!!」
「……常識とは、十八歳までに身に付けた偏見のコレクションである」
「しゃ、しゃべった!!」
「喋るし動くぞ、生きてるんだから」
しかも何だ今の格言的なものは。ここに来てから驚いてばかり、常識を覆されてばかりの私にやたらと効く言葉なのが少し憎たらしい。
「部長は昔は開発にいたけど実験に失敗してそのまま亀になっちゃったんだ」
「ちなみに一日に一言しか喋れないよ~さっきのでもう今日の分使っちゃったね」
ファルさんが亀部長に近寄って甲羅を突きながら言い、ペタロさんもそれに何でもないことのように続ける。実験で亀にって、とんでもない話だと思うのだけれど。
「なんで一日に一言しか喋れないんですか?」
「亀は普通喋れへんやろ」
「そこは普通が適用されるんですね……」
何もかも常識と普通が通用しないくせに、亀は普通喋れないだろと言われても納得がいかない。ていうか一言は喋ってる時点でそれも破綻している気がする。それに一日に一言しか喋れない中で発する言葉があの格言的な何かで良かったのか?本人の渾身の一言、本当にあれでいいのか?
「ちなみに部長、歩くと遅すぎて家に帰れないし会社にも来れないから、移動手段はスケボーだぜ」
「スケボー!?」
スケボーで移動する亀って何だ。想像がつかない。ああもうダメだ、突っ込みどころが多すぎる。暴力エルフにホラ吹きドワーフ、守銭奴リザードマンにアル中狼女、そしてスケボー亀部長。混沌としたこの部署でやっていける気がしない。私は頭を抱え、ノーチェさんはそれを愉快そうに見ている。
そして今気が付いたのだが、いつもならこういう知らない輪に入る時は他人と交わす言葉一つ一つを深読みしては気疲れしていたのだが、今回はそれが一切無い。自己開示をして周りにどう思われるだろうか、と考えるより先に相手の自己開示がえげつなすぎて、己のことを気にする余裕が与えられなかったのだ。そんなこともあるらしい。掃き溜め二課ならではだ。