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22話 タンポポさんやっぱアホですね

「経理部のカメリアさん、結婚するらしいよお」

「えっ、そうなんですか!?」


 営業事務一課と秘書課に頼まれた雑務を終えた十六時。いちごフレーバーの紅茶を思わず吹き出しそうになる。


「ああなんかそれ聞いたわ、現場の獅子男やろ?」

「社内恋愛しないタイプだと思ってたけど、意外とやることやってんだな」

「ノーチェ言い方」

「ラッシュだねえ、六月だからかなあ?」


 この世界にもジューンブライドの概念があるらしい。私は落ち着いて紅茶にまた口を付ける。二年一緒の課にいたが、彼氏がいるなんて聞いたこともなかった。


 飲み物は、ノーチェさんは炭酸のジュース、ペタロさんはアイスココア、ルカさんはブラックコーヒー、ファルさんはハイボール。


 お菓子は、私とペタロさんはクッキー、ノーチェさんはスナック菓子、ルカさんはお菓子を食べず、ファルさんはお菓子と呼んでいいのか分からないがあたりめを食べている。


 こうも毎日給湯室でお茶とお菓子を嗜んでると、二課の面々の趣味嗜好が分かってきてしまう。


「まあ、結婚する人がいる一方で……ねえ……」

「なんだペタロ、新情報か?!」

「いやあでもこれはなあ〜〜結構ビックニュースでさあ」

「とか言ってホラ吹くんじゃないんやろな」

「んもう!社内の噂話はちゃんと裏取りまでしてから話すって矜持があるんだからあ!」

「その矜持はあるけど根も葉もない嘘も付くの、どういう精神状態?」

「最近もしょーもない話広めてたよな、なんやっけ、開発部が七色に光るマーモット生み出したとか」

「マーモットってあの叫ぶやつだっけ」

「見たいようなどうでもいいような微妙なラインですね……」

「そんなのどうでもいいだろ!ペタロ、離婚か!?不倫か!?」

「下世話すぎるやろ」

「んだよ、じゃあルカは聞かなくていいぞ」

「……聞きたないとは言ってはないやん」

「結局みんなそういう話好きじゃんねえ」


 によによとペタロさんの目が不自然な三日月型の弧を描く。


「と言ってもビックニュースってのは嘘で、営業部のロッソさんの三股がとうとうバレちゃいました〜ってだけなんだけどねえ」

「そこが嘘なんかい」

「なんだロッソかよ、でもついにバレたんだな」

「ロッソさんが女癖酷いの、有名な話だよね」

「結構修羅場だったらしいよお、全員社内の女だからねえ。しかも三人共エルフ。エルフにとって三股されてたなんてプライドが許さないだろうねえ、しかもロッソはヒトだし」

「エルフにとってヒトと付き合うなんて下方婚もいいとこって考えだろうからね、裏切られたらそりゃ……」

「あの……ロッソさんって方は何でそんなにモテるんですか?」

「エルフでさえ惹かれちまうくらいの面の良さと口の上手さだろうな」

「あのよく回る舌で契約もバンバン取るみたいだね、業績良いらしいよ」

「詐欺師が天職みたいな男だよねえ」

「そんな天才詐欺師に引っ掛かってくれないどこかの誰かさんがいるから躍起になってんですよ、ロッソさん」

「あ、ニコちゃん」


 「ねえ、ルカさん」と給湯室の入口付近で視線を送るのはニコロさんだ。ルカさんは居心地悪そうにその視線から逃げている。ニコロさんは慣れた手付きで自分のコーヒーを淹れ始めた。


「ニコロ久々じゃねえか、元気かー?」

「あんたらと違ってこっちは今大忙しなんですよ」

「相変わらず可愛くない口だね」


 ファルさんがニコロさんの両頬をつまむ。「しゅみましぇん」とニコロさんは伸びた顔で言う。


 心なしかイライラしているように見えたが、淹れたコーヒーを飲んで心を落ち着けたようだった。「この後も十七時から会議ですよ……」と項垂れている。その前に息抜きに来たらしい。


「で、ロッソが何だって?引っ掛かってくれないどこかの誰かさん?知らねえなあ、ルカ」

「ええっ、そんなの知らなかったあ!何で私が知らなくてニコちゃんが知ってるのよお」

「営業部……特に一課じゃ周知の事実ですけどね、ルカさん」

「知らん知らん知らん知らん!ていうかノーチェ!お前は知っとるやろ!」

「えっ、ロッソってルカのこと好きなの?」

「そういうことなのお!?」

「好きなんてもんじゃないですよ、俺が入社してすぐ聞かされたくらいですし……五年は拗らせてんじゃないすか、あの人」

「その埋まらない穴を他の見た目麗しい女で埋めてるって訳かあ」

「うちほんまあいつ嫌いやねんけど……」

「またんなこと言って。知ってますよ、たまにルカさんロッソさんがいない間に営業部来て差し入れ置いていくでしょ。あんなことするからロッソさん引きずるんですよ」

「え、あれうちのって気が付かれてるん?!」

「当たり前でしょ、他に誰がいるんですか」

「えールカ思わせぶりは良くないよ」

「あっっっっ……かんわ……あいつがよく金券くれるからせめて何か返さな思ってただけなんやけど」

「ロッソ、ルカのこと金で釣ろうとしてんじゃねえか」


 知らなかった。ルカさんにそんな関係性のヒトがいたなんて。聞いたところ、二人は同期らしい。ロッソさんは昔からルカさんにお熱で、ルカさんはそれをずっとあしらってきたようだった。


「でもうちが横領疑惑が深まったんだって、ロッソのこと好きやった営業部二課の馬鹿女共が仕組んだようなもんやん。好かれるのもいい迷惑なんよ」

「ええ……そうだったんですか?」

「女の嫉妬はこえーよ」

「男の執着と女の嫉妬は生物を殺すね」

「まあそれが余程ショックだったのか、ロッソさん大人しくしてますけどね。俺がここ来てるのも知ってるけど着いてきませんし」

「ぜっっっっっったいに来させんな、ニコロ」

「それにしてもルカさん営業戻る気ありません?あんなしょうもない理由で営業事務二課とかあり得なくないですか?」

「やー……もうええわ、あの女は役員の娘やもん。ロッソが動いて無理だったんやから今更訴えかけてもなあ。ニコロくらいやで、今でも戻ってきてほしいとか言うの」

「……そりゃ俺は世話になりましたし」


 ニコロさんは相当ルカさんを慕っているらしい。どうやらルカさんが二課に来たのはここ一年、二年くらいの話のようだ。


 ルカさんは金の亡者だが、もう営業部に戻ってバリバリ働いて稼ぐ気は無さそうだ。


「最近うち、ダンジョン鉱石の時価高騰を狙ってちまちま買い集めとんねん、今買うといた方がええで」

「あたしそういうの分かんねえんだよな」

「中でも金の相場は上がる、絶対上がんねん!」

「そう言って上がらなかったら大損じゃんかあ」

「ちまちま給料貯めてた方が結果的に良かったりして」

「アホ!守りに入っても資産は大して増えへんで!」

「ルカって銭ゲバな割にギャンブルに走るとこあるよな」

「ダンジョン鉱石はギャンブルやない!投資や投資!」

「そういえばちょっと似た話だと、私の大切にしてたお酒、今価値が上がってすごい値段で取引されてるみたい」

「ファルが大切にしてるっていうとウイスキーとかあ?」

「そうそう、収集癖のあるマニアの間ではもう売られてなかったり年代物だったりするお酒は高い価値がつくらしいよ」

「あーなんか聞いたわ、総務部の部長が奥さんブチ切れさせてお酒のコレクション売られたって。奥さん価値なんて知らんからとんでもない値段ついたらしいで」

「さっき俺総務部行きましたけど、とんでもなく落ち込んでいましたよ」

「私だったら自死するね、お酒って自分の命にも他人の命にも勝るから」

「多分そんなことないで、ファル」

「まあ何が一番大切かって人によりますから……」

「捨てられたのは可哀想だけど怒らせちゃったんだから仕方ないねえ」

「こういうのから離婚に繋がるんだろな、知らねえけど」

「離婚といえば酒場で聞いた話なんだけどさ」


 給湯室の話題は二転三転としていき、ぼーっとしているとあっという間に次の話題に移ってしまう。そのスピード感について行けない私は、たまに相槌に似た何かを言葉にするだけで精一杯だ。


 しかし助かることに、二課の皆は良い意味で反応に無頓着のため、私が何を言おうが言うまいがあまり気にしない。のんびりと紅茶を啜りお菓子を食べながら話を聞き、たまに発言する。給湯室の井戸端会議は参加型のラジオみたいだ。


 そうやって目を細めてぼけーっと話を聞きながら呆けていると、肩を小さく叩かれる。ニコロさんだ。


「あの、ちょっといいですか」

「……は、はあ」


 皆はファルさんの話す、ギルドの有望株勇者が離婚を切り出された話に夢中だ。あーだこーだいいあっており、私たちが抜けても全く問題なさそうである。


 私はニコロさんに手招きをされて給湯室から出る。ニコロさんは何となく言いづらそうに眉を顰め、口をモゴモゴさせている。


「あ、あの、どうかしましたか?」

「あ、いや、その、ですね……大変不躾だとは分かっているんですけど……」


 私と同レベルくらいまで吃るニコロさんなんて、初めて見た。私がキョトンとしていると、ニコロさんはスーツのスラックスからペンを取り出す。羽根ペンではなく筆のようだが、普通の筆ではなくフォンテを纏った筆だ。これもまた、メルレッティの商品だろう。


 フォンテを変換してインクにしてくれるため、羽根ペンのようにいちいちインク切れを気にする必要が無く、また滲む心配の無い高価な筆だ。こっちの世界では高価だが、あっちでいう油性ペンと相違無い。


 ニコロさんはその筆を私に差し出す。同時に、ワイシャツを捲った腕も差し出した。


「この筆でここに、にこちゃんまーく、書いてくれませんか」

「え、ええ?!」

「お恥ずかしながら最近の忙しさのせいで常に虫の居所が悪く……十七時からの会議も憂鬱で、実は息抜きとして給湯室に来たのですが」

「あ、それは……はい、何となく分かります」


 照れ臭そうにニコロさんは無造作に頭を掻く。


「タンポポさんが書いてくれたあの絵、あれを見ると少し気持ちが安らぐ気がして」

「え」

「でも以前書いてもらったのが古紙の付箋だったものですから……ポケットに入れているうちにこんな有様に」


 そう言って広げた手のひらにはヨレてくちゃくちゃになった付箋があった。ニコちゃんマークもすっかり滲んでいる。これを渡したのはもう一週間以上も前のことだ。その間、ずっと持っていてくれたなんて。


「このペン総務部に借りてきたんですけど、メルレッティのペンならちょっとやそっとじゃ消えないらしいので……」

「そ、それで腕に書いてほしいと……?」

「こんな年になって情けないのは百も承知です」


 あまりにも予想しなかったニコロさんの発言に私は目を瞬かせる。


「これ見ると刺々した気持ちが丸くなるというか、あとタンポポさんのアホ面……穏やかな顔が浮かんで」

「え、今アホ面って言いました?」

「言ってないです言ってないです」


 何でこの人は絶妙にいらんことを言うのだろう。まあいい。私が人のために何かできることなんて滅多に無い。私が書いたニコちゃんマークを見ることでニコロさんの気が和らぐなら、書かせてもらおう。


「書くのここらへんでいいですか?」

「はい、お願いします……あ、腕持っていいですよ」


 書きにくそうにしていたのがバレた。ニコロさんは善意でそう言ってくれるが、お恥ずかしながら私は異性の肌になんぞ触れたことがない。ニコロさんにそんな意図が無いのは十分分かっているが、生まれてこの方、何なら前世からの喪女を舐めないでほしい。


 ええい!と気持ちだけは清水の舞台から飛び降りる気分で、ニコロさんの腕を左手で支える。筋肉質で骨太ながっしりした腕は、どう考えても成人男性の腕だ。まずい。書く手が震える。


 ただ点二つ、曲線一本、それを囲む円一つを描くだけなのに妙に緊張する。やっとの思いで描きあげる。


「ニコちゃん!ニコロさんマーク描けました!……ん?」


 逆じゃない?そう思った瞬間、ぶはっと思わずといったように噴き出す音が聞こえる。


「わ、わわ、すみませんすみません!逆でした!」

「ぶふっ……逆でしたって……」


 ニコロさんは顔に手をやり、俯くような形で笑っている。しまった。


「す、すすす、すみません!つい間違えてしまって……死にます」

「死ななくていいです、あータンポポさんやっぱアホですね」

「なっ……」


 アホ面は決して言い間違えではなかったらしい。やっぱり、なんて言われてしまった。ニコロさんは顔にやっていた手を外し、「あーしんどい」と仰ぎながら言う。笑った顔、やっと見れた。


 この人は笑うと、少年みたいな顔をするらしい。目がぎゅっとなり、いつも顰めている眉は下がっている。くそ、そんな顔して笑われたら文句の一つも言えやしない。そういえばこの人も、女性人気の高い社員だった。


 ニコロさんは満足気に腕のニコちゃんマークを眺める。しかし不思議そうに首を傾げた。


「……なんか前回より歪ですね?」

「う、す、すみません……」

「まあいいですけど。すみません、こんなお願いしてしまって」

「いや、全然……こんなのでよければ。ていうかもう早く行った方がいいんじゃないですか?」


 面の良い男性とこんなにも言葉を交わし、笑顔を拝見し、肌に触れてしまった。このままだと喪女の私にとっては刺激が強すぎて蒸発してしまう。いくら給湯室で二課にいじられるニコちゃんとはいえ、男性は男性だ。


 お引き取り願いたい私の態度が伝わったのか、ニコロさんは一瞬不服そうな顔をする。とはいえ時間が時間なのは事実だった。


「じゃあ俺行きますね。あと俺に対してもあまりオドオドしないで話してくれるようになったの、俺かなり嬉しいです」

「えっ」

「ふ、その顔がアホ面なんだよな」


 「じゃ!」とニコロさんは上機嫌でそのまま歩いていってしまう。私はどんな顔をしていたのだろう。ていうか、絶対、絶対絶対に馬鹿にされている。なのに、あの笑顔はどこか人懐っこいのだから、面の良い男はずるい。


「あれ、ニコちゃん帰っちゃったのお?」

「あ、ペタロさん……そうみたいです」

「遅いから何かあったのかなって……今ねえ、顔面の良い男についての文句話してたんだよお」

「そ、それ!私も会話に入れて下さい!」

「おっ、ポポちゃん珍しく乗り気だねえ!」

「顔面の良い男ってそれだけで存在がずるいですよね!!」

「そうそう、そうなんだよお!」


 「行こ行こ!」とペタロさんに手を引かれる。ニコロさんの顔が思い浮かび、それを振り払った。

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