1話 異世界転生なんてロクなもんじゃない
私が本屋で見かけた異世界転生ものは少数派の物だったのだろうか。転生したら貴族だった、悪役令嬢だった、無敵の力を手に入れていた、特別なスキルを手に入れていた、プレイしていたゲームの世界だった、読んでいた漫画の世界だった、そういう感じが異世界転生ではなかったのか。
「こんなはずじゃ……」
「何言ってんのよタンポポ、仕事遅刻するわよ」
そのどれにもそぐわない朝に頭を抱えていると、母親の声が背に降ってくる。そうだ、前世と違うところがあるとすれば、母親が存命であることだった。食事を自分以外が用意してくれるということは、とんでもない幸せである。異世界転生して変わったなと思える唯一の点である。
「……私は変わんないなあ」
「そういえば、小さい頃からタンポポは人見知りだったわねえ」
「ううん、前世からだよ」
「え?」
「私仕事……クビかも」
怪訝な顔をしながら朝食の後片付けをする母親の横を通って、玄関に向かう。朝に履く靴は前世と変わらない、黒いパンプスである。
外に出ると、前世でいうイタリアのような町並みが広がっている。川には多くの小さな船が停められており、川沿いにカラフルな家々が並んでいる。
元々漁業で栄えたこの街は濃霧がよく発生することから、漁師が帰ってきた時に自分の家が見分けられるようにとビビットカラーで家を塗ったのが元らしい。各言う私の家も、それはそれは鮮やかな黄色に塗られ、窓枠は緑で塗られている。まるでタンポポである。少し恥ずかしい。
仕事前だろうか、船の上でおじさんがのんびりと今朝の朝刊を読んでは、たまにぼーっとしている。穏やかでのんびりしていて綺麗な町並みだとは思うが、この二十三年で見慣れてしまった。今となっては街の景色より地面の砂を見ている時間のほうが長い。
よく晴れた空は春から初夏への移り変わりを感じさせる。レースの襟のブラウス、七分の袖には大きなカフスボタン、膝丈のプリーツのスカートは切り返し部分で色が違い、ブラウンにゴールドの金具が付いたベルト。全部社内指定のものだ。そろそろ衣替えの季節だが、その頃私はまだ働いていられるだろうか。
「はあ」
朝の美しい景色に似合わないため息が零れる。朝につくため息、これも前世から変わらない。そう、異世界転生したとて何も変わらなかったのだ。相変わらず人付き合いはできないし、自己主張もできないし、生まれも育ちも容姿も地味で平凡、何なら平凡以下だ。
あの少年に出会った時にはっきりと要求しておくべきであった。特別な力が欲しい、特別な家の元に産まれたい、それが無理だと言うならせめて私のこの人格を消してほしい、と。
『あっちでもこっちでも、自分の世界を変えるのは他でもない君自身だ』
少年が最後に私に投げ掛けた言葉を思い返す。申し訳ないが、何も変わらないまま、変えられないまま、異世界でも無駄に時間を過ごしてしまっていた。
ああ仕事、行きたくないな。なんて、前世と同じことを思いながら立ち尽くす。水面に映った私はそれはそれは酷い顔だ。伸びきったボサボサの髪に分厚い瓶底のような眼鏡、我ながら年頃の女とは思えない。自分の見た目に気を遣うことさえ、引け目を感じる私の感受性って何なのだろう。
変わりたい。自分の存在を誰からも認められるような__
「はあ」
今度は声に出してため息をつくと私の斜め前辺りにいた、船の上で朝刊を読んではぼーっとしていたおじさんが「うわっ!?」と仰け反るようにして驚く。おじさんの乗っていた船が大きく揺れた。
「嬢ちゃんさっきからそこいたか?!」
「え、あ、はい……」
「地味すぎ……風景に馴染みすぎてて全然気が付かなかったぜ、朝から幽霊かと思っちまったよ」
「は、はは……」
船乗りのため慣れているのだろう、おじさんはすぐにバランスを元に戻して言う。私は愛想笑いとも言えない微妙な笑いを返すことしかできない。この人今、私のこと地味って言いかけたな。
誰かに認められる以前に、存在が認識されないのでお話にならない。「幽霊みたい」「地味」前世の頃から相変わらず今世でも言われ慣れた言葉である。そしてこの存在感の無さも前世から変わらないが、今世は輪にかけて酷い。今みたいに、存在そのものに気が付いてもらえないことも少なくない。まあ、人によっては単なる意図的な意地悪の場合もあったかもしれない。考えたくはないけれど。
「幽霊かと思ったなんて言って悪かったよ。だから朝から暗い顔すんなって!聞いたか?モンテのダンジョン、やーっと攻略されたらしいぜ!景気良くなるなあ!」
「え、あ、そうですか」
「んだよ興味無いのか?今回の攻略者の武器、コラジョ製の新しいやつだったってよ!やっぱ力強いのが一番だよ」
おじさんはそう言って力こぶを作って見せる。この街の人は大体が気さくで、こうして見知らぬ人にもお構い無しに話しかけてくる。それが私はとても苦手だ。
愛想笑いもそこそこにしたところで、おじさんの目線が私の胸付近に移った。まずい、そう思って私はそそくさとその場を離れようとしたが遅い。「っておいおい!」とおじさんのまるで景気の良さそうな声に引き止められる。
「その社章……嬢ちゃんコラジョ社員なのか!」
「あ、はい……」
「なんだよそれなら尚更もっと明るい顔で胸張ってくれよ!あんたんとこの商品が世の中を明るくしてんだからよお」
「は、はは……ありがとうございます」
反応の薄い私におじさんは不思議そうな顔をする。きっとにっこり笑ってくれるとでも思っていたのだろう。
付け外しが面倒で付けっぱなしにしていた胸の社章を忌々しく眺める。盾の手前に羽の生えた剣の社章、コラッジョーソファブリカの社員であることを示すものである。製品にもこの社章が刻印されており、知名度はそれなりに高い。
「しかしまあ、マレーアやヴェント辺りは一向に攻略されねえもんだなあ」
「はあ、まあ……」
「嬢ちゃん頼むぜ、いくらギルド共が勇者一行を派遣したって使う武器が鈍らじゃ意味ねえからな!」
ガハハ、とおじさんは豪快に笑ってみせるが、こちらは引き攣った笑みを浮かべるので精一杯だ。勝手に言いたいことだけ言って「じゃあな!」とおじさんは船を出す。この時間に船を出す辺り、大方一般客人船の運転手なのだろう。川の多いこの街では必須である。あっちの世界で言う水上バスだ。
私は本日二度目のため息をついて、川の向こう側に薄っすらと見えるそびえ立つ建造物を見る。川は全て海に繋がっている。川の先、そして海のその先にあるのは第十七ダンジョンのマレーアだ。
次に空の上を見る。青空に薄っすらと浮かぶ円盤は第二十三ダンジョンのヴェントである。初代ダンジョン出現から間もなく現れたのに、未だに攻略者の出ないダンジョンたちだ。攻略者が出ないと言うよりは、その立地の悪さから辿り着けないと言ったほうがいいか。
二十数年前から乱立するようになったダンジョン。人智を超えた建造物が突如出現し、誰もが恐れ慄き寄り付かない者が大半の中で勇敢に立ち向かう者達がいた。初代攻略者と称えられたその一行によって、ダンジョンには多くの有益な資源が有されており、ダンジョンの守護者に打ち勝つことでその資源が得られることが世の中に周知されたのだ。
しかしダンジョン攻略は一筋縄ではいかない。何人もの挑戦者たちが無残に打ち砕かれた上、同時期にいくつものダンジョンが急に乱立したことから、ダンジョン攻略に関する管理が早急に必要とされた。ダンジョンは政府によって打ち立てられた迷宮省によって一括管理。迷宮省による手形が無ければ挑戦不可となった。
迷宮省とやり取りをして多くの勇者をそのパーティーを送り出す役目として複数の派遣用ギルドが設営され、ギルドを通して勇者たちに武器を提供する役目として数多くの武器メーカーが台頭した。他にも魔法道具の類や、回復薬の類など、必要とされる量が増えたことで産業が一気に発展した。一介のギルドや鍛冶屋では手に負えなくなったため、あっちの世界で言う所謂"企業"が誕生したのだ。
ダンジョンの出現によって大きく発展した産業の総称、"勇者産業"は世の中に多大な影響を与えることになった。ダンジョンを攻略することで得られる恩恵は凄まじい。世界は最早、ダンジョンの攻略によって景気が左右されるまでになっていた。
「ダンジョン攻略ねえ……」
その響きだけでロマンがある。政府の管理の元とはいえ、ダンジョン攻略は誰しもが一度は夢想する憧れだ。
自我が芽生え、思春期を迎えた十歳頃に私は前世の記憶を思い出した。そしてちょうどその頃、ダンジョン攻略に関する法令が整備され、我こそ勇者とギルドに入団する者が後を絶たなかった。
幼い私は思った。「ああはいはい、そういうことね」と。きっと私も成長期を機に特別な力に目覚め、ギルドにスカウトされ、愉快で信頼できる仲間と共にダンジョンを攻略し、紆余曲折、山あり谷ありながらも充実した人生を……なんて。
結果、特別な力も、ギルドへのスカウトも、愉快で信頼できる仲間も現れないまま今に至る。いつかダンジョン攻略に挑むなら知識は必要不可欠だ!と思って色々調べたが、出来上がったのは知識に富んだ勇悍果敢な勇者ではなく、常に意気消沈したダンジョンオタクであった。
齢二十四になり、現実はとっくに見えている。夢に溢れた未来はどこへやら、今や前世と変わらないしがない会社員である。
コラッジョーソファブリカ、通称コラジョ。初代ダンジョン攻略者である勇者の持っていた剣、ベルテンポを造った鍛冶屋のファブロが創設した武器メーカーだ。今や業界最大手を誇っており、今回の攻略にも武器が使われたことで更に箔が付いただろう。コラジョに勤めていると言えば、先程のように街の人には感心されるものだ。
「コラジョ社員って言っても経理なんだよなあ……」
その上ミスばかりして同僚や上司に迷惑をかけてばかりだ。そして愛嬌があると言うには程遠いこのコミュニケーション能力の無さ。こうなっては最早会社のお荷物も同然である。
自分に特別な力は無いのだから、せめてダンジョン攻略に寄与できる職に就いたのだが、私には特別な力はおろか平均的な能力も無かったというオチだ。
そして遂に昨日、上司から帰り際に「明日今後に関する話があるから」と言われてしまったのだ。企業という体制が作られてわずか二十数年、元いた世界と違って雇用契約もザルである。コラジョではまだ聞いたことがないが、無能だからと会社都合で首を切られるなんてことはこの世界では少なくない。
異世界とはいえ生きるのには衣食住が必要だし、衣食住を得るにはお金が必要だし、お金を得るには労働が必要である。ここで働き口を失ってしまったら、私の人生は前世以下だ。
ああ、私もダンジョン攻略で自他共に認める主人公になりたかった。
「異世界転生なんてロクなもんじゃない」
そう独りごちる私の足取りは重い。ロクなもんじゃないのは、異世界転生というより自分自身である。そんなこと、前世の頃からとっくに分かっている。
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