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プロローグ 私はこの世界の住人じゃないと思うんだ

 今日の飲み会も断ってしまった。"一応"誘ってくれる同僚は「残念」と言ってくれたが、それも建前であると分かっている。すごいな、顔だけは本当に残念そうな顔をするんだもの。そういうのが私はできないから、人生一貫して浮いてしまうのだろう。


 毎日毎日、脳内反省会を行っては頭を抱えている。あんな言い方したらまた変だと思われたかもしれない、あの時ちゃんと合わせて笑えてただろうか、また変に気を遣わせてしまったかもしれない、あれってやっぱり嫌味だったのかな、そんな答えの無い問題が提起されるだけされて、解決されないまま脳内を埋め尽くして思考を支配していく。


 とぼとぼ、という擬音が正にぴったりであろう足取りで帰路につく。家に帰る時、家にいる時だけが心休まる時間であった。それ以外は、いつだって周りに合わせようと気を張っている。会社は仕事をする場所である。もちろん仕事の出来ない無能に居場所は無く、その上このコミュニケーション能力の低さなら尚更だ。


 死にたいというより、こんな人生を生きたくない。ずっと負け確定の消化試合のような人生である。


 ため息をついたその時、スーツを着たサラリーマンとすれ違い際に肩がぶつかった。謝らなきゃ、そう思った時には遅かった。


「ったく、どこ見てんだよ」


 わざとらしく聞こえるように舌打ちをされる。前見てなかったのはそっちも同じじゃないか、なんて言える訳もなく、小さく小さく「すみません……」と呟いた。自分が情けなくて視線が下に落ちる。


 適合ができない。どんな場でも馴染むことができない。皆の当たり前が私には当たり前じゃない。普通が分からない。心許せる友人ができたこともない。人肌にも、人の心にも触れることを許されたことがない。無いものばかりの人生だ。私も誰かに必要とされてみたい。仲間に囲まれてみたい。慕われてみたい。たまに冗談を言ってみたい。


 仕事においても対人関係においても無能な私にとって、この世界では息をし続けるだけで精一杯だ。私には平気で生きている皆が宇宙人に見えるけど、きっと皆にとっては私こそが宇宙人なのだ。合わせようと頑張ってみて二十余年。やっぱり、私は。


「……この世界の住人じゃないと思うんだ」

「じゃあ君はどこの世界の住人なんだい?」


 思わず漏れ出た言葉、それに返答があるなんて思っていなかった。俯いてた顔を上げれば見慣れたそこはいつもの帰り道ではなく、コンクリートのはずだった足元には草木が生い茂っていた。


「え、ちょ、な、なにこれ」

「君だめじゃないか、そんなに下向いてばかりいるから人どころか車にぶつかったんだよ」

「車に?」


 信じられない。私は夢でも見ているのだろうか。だって私は今日もいつも通り、職場から逃げるように帰宅している最中だったはずだ。そう、おじさんとぶつかって舌打ちされて、ああ嫌だなって思って下を向いて、そして、車に、轢かれたって言うのか?


「わ、わたし死んじゃったの?じゃあここって天国……?」

「うーん残念だけど違うよ、まあここは関所みたいなものではあるけど」


 私がたじろぐ目の前で、少年は優雅に椅子に腰掛けている。その後ろにはログハウスがあり、家の前にはスコップや鉢植が置かれていたりと妙に生活感がある。


「僕は時空の境目であるこの谷の守り人さ。はは、お客さんなんて珍しいからびっくりしたよ」

「時空の境目……?」

「あっちとこっちで世界の時空が違う。君はあっちから来たんだね」


 彼は私から見て右側を指差す。谷を挟んで、あっち。あっちはつまり、私のいた世界のことらしい。


「幸い、君はまだ死んでないよ。命は助かる。たまーにだけどいるんだ、死の淵にこの谷に迷い込んできちゃうお客さん。大体のお客さんは皆元いた方に戻りたいって言うからそうするんだけど__」


 少年はいたずらっぽく笑って私を見た。


「君はあっちの世界の住人じゃないって言うから」

「え、あっ、それは……」


 言葉が詰まる。まだ死んでないと言われた時、正直ホッとした。しかし、あの人生に戻りたいかと言われるとそうではない。何なら、戻りたくはない。


「ちなみにこっちは……そうだな、あっちでは異世界って呼ばれるやつだ」

「……ふぁ、ファンタジーみたいな?」

「そうそう、多種多様な種族が共に暮らしてるんだ。そういえば、最近は急にダンジョンが出現してそれをクリアした勇者がどうこうって話してたなあ」

「えっ」


 そういった創作物には明るくないが、流石に本屋で目にしたことがある。何だか大体、表紙が派手なイラストの本だ。タイトルがやたらと長くて、タイトルさえ読めば内容が分かってしまうようなやつ。冴えなかった主人公が急に強くなったり無敵になったり特別な力を手に入れたりするやつ。そういうの、何て言うんだっけ。ああそうだ。


「私これ今異世界転生の瞬間に直面してるってこと……?!」

「へえ、あっちではそういうの異世界転生って呼ばれてるんだ」


 今世紀最大の驚愕をかます私に対して、世間話でもしてるかのようなテンションで彼は返してくる。


 これはチャンスかもしれない。異世界に転生してテンプレ通りに何らかの力や地位や環境を手に入れられたら、今の何の色味もない日々からは想像もつかない毎日が送れるのではないだろうか。特別な力を有し、仲間に恵まれ、山あり谷ありながらも最後は大団円。そういうものでしょう?

 

 幸か不幸か、私があっちの世界で亡くなって悲しむ者はいない。友人も恋人もいなければ、両親さえ既に他界している。未練などこれっぽっちもない。むしろ、新しい場所で、世界で人生をやり直せるのなら。


「それで、どうする?」

「えっ、いや、どうしよう……」


 とはいえ、異世界といえどどのような場所に転生させられるかは分からない。何より、怖い。私という人間は新しい環境に飛び込むのが何よりも苦手な臆病者である。


 頭を悩ませ数分。少年は足をぶらぶらさせながら、つまらなそうな顔をしている。ああ早く決めないと。でもこんな大きな決断、自分で決めるには荷が重すぎる。


「…………」

「まだ決まらない?」

「あ、その、すみません……」

「ふうん、君はドがつく程の優柔不断なんだなあ」

「す、すみません……」


 要するに、自分の選択に責任を負うのが怖いのだ。自分では何も決められず他人に委ねてしまえるならそうしたい。思えば、人生ずっとそんな感じだった。自己選択、自己決定の能力が欠けている私は少年に促されてもまだ、唸ることしかできない。


「う、うーん……」

「えーいじれったい!どうせあっちではロクな人生じゃなかったんでしょ!?その異世界転生ってやつ?しちゃえば?!」

「えっ、あっ、はい!」


 痺れを切らした少年に捲し立てられ、咄嗟に返事をしてしまう。


「こっちの世界での君の人生記録は無いからまた産まれた時からになるけど、いいよね?」

「あ、は、はい……」


 つい勢いで決めてしまった、というか決められてしまったが、異世界転生とはどんなものなのだろうか。名前とか容姿も変わるのだろうか。


 そう私が思いを馳せていると、彼はどこからともなく書簡のような物を取り出し、ふんふんと眺める。


「ふうん、君の苗字の田菜って蒲公英の古名なんだね」

「へ、あ、はい、そうかも」


 内心、ほこうえい?と思っていたがつい話を合わせてしまう。悪い癖だ。異世界に転生する際には治っててくれないだろうか。そして何か話す時に「あ」とか「え」とか「へ」とか付けてしまうの、それも転生したら治っていてほしいなとぼんやり思う。


「こっちでの名前にはちょっと馴染まないかもしれないけど、せっかくだから残しておきたいよね、何より可愛いし__うん、決めた」


 少年は一人でぶつぶつ何か言ってから、立ち上がる。そして私に手を差し伸べ、柔らかく微笑んだ。それに合わせて、穏やかな風が吹く。彼の短い髪と、私の長い髪が揺れた。


「それじゃあ行こうか。大丈夫、安心して。僕の手を取って目を瞑れば一瞬さ」


 私は歩み寄り、言う通りに彼の手を取る。私より小さな手はひんやりと冷たかった。目を瞑ると、風に揺らされた木々のざわめきがだんだんと遠くなっていくような気がした。一瞬とはこういうことか。


 どうか、あっちの世界よりも息のしやすい世界でありますように。出来れば、私が見かけた異世界転生のテンプレ通り、私にとって都合の良い世界でありますように。こんな地味で冴えない人生とおさらばできますように。ああそうだ、ダンジョン攻略とかしてみたい。自分の殻を思いっきり破れるような、そんな体験を……。


 そう願っていると、どこか遠くで彼の声が聞こえたような気がした。


「あっちでもこっちでも、自分の世界を変えるのは他でもない君自身だ。それを忘れないで。__行ってらっしゃい、タンポポ」

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