おじいさんの花束
ばあさんには霊感がない。
儂が前にいても横にいても後ろにいても気付かない。
お~い、ばあさん~。
話しかけても反応がない。
さびしいなあ、せっかく帰ってきたと言うのに……。
13日。
墓参りをしたばあさんはお迎え提灯に火を灯し、儂を家まで連れて帰ってくれた。
「おじいさん、付いてきてますか?」
提灯を持ったばあさんは何度も振り返りながらそう言う。
そんなに心配しなくてもちゃんと付いてきているよ。ばあさんこそ、ちゃんと前を見て歩きなさい。ああ、そこ、危ないぞ。気を付けて。
「おじいさん、付いてきてますか?」
付いてきているよ。儂だって会いたかったんだから。
家に帰ったばあさんは提灯の火で迎え火を焚いた。
ろうそくにも灯して仏壇まで持って行く。
「おじいさん、お帰りなさい」
ただいま。
て言っても聞こえないんだよなあ。
「今日はおじいさんの好きなもの作りますからねえ」
儂の好きなものか。何だろうな。
ばあさんが台所に立つ。
ああ、この音、久しぶり。ばあさんの料理の音、好きなんだ。
トントントン。カタカタカタ。
包丁の音。鍋の音。
「お料理するの久しぶりなんですよ。1人だと作る気がしなくって」
おお、それはいかん。儂の好きな物より自分の好きな物を作りなさい。そうだ、それがいい。たくさん食べなさい。
「肉じゃが。おじいさん、好きでしたよね。おいしく作りますよ。待っててくださいね」
肉じゃが。肉じゃがか。ばあさんの肉じゃがは絶品だからな。でも、ばあさんはそれを食べたいかい?
「ふふふ、いいにおいがしてきましたね」
ああ、本当だ。幸せそうだね。まあ、それならいいか。
料理が出来上がるとばあさんはそれを仏間に持って行った。
「今日は私もここで食べますよ。いっしょに食べましょうね、おじいさん」
ああ、そうしよう。いっしょのごはん、嬉しいね。
「いっしょのご飯、うれしいですね」
おや、聞こえたかい? ああ、聞こえてないか。いっしょの気持ちだっただけだね。
「いただきます」
いただきます。
ばあさんといっしょに手をあわせる。
ああ、おいしいね。やっぱりばあさんの料理はおいしい。
肉じゃが。豆腐の味噌汁。白ご飯。
おいしい。おいしい。あったかいね。
ばあさんもおいしいかい?
ニコニコ笑ってる。よかった。よかった。それが一番だよ。
「ごちそうさまでした」
ごちそうさまでした。
いっしょに手をあわせる。
綺麗になくなったばあさんの器と全然減っていない儂の器。
ばあさんは少しさびしそうにそれを見た。
「おいしかったですか? おじいさん」
おいしかった。おいしかったよ。ああ、なんで儂、からっぽにできないんだろうな。ちゃんと全部食べたのに。
「片付けますね……」
ばあさんはしょんぼりと片付け始める。
そんな顔をさせたい訳じゃないんだけどなあ。この声がばあさんに届けば良いのに。
後片付けをしたばあさんはお風呂に入って、歯を磨くと、また仏間にやってきた。
「今日はここで寝ますよ。いいですよね」
何を言っているんだ。良いに決まっているだろう。いっしょに寝よう。
ばあさんは自分の布団の横に儂の布団をひいた。
まだ残してくれていたのか。
せっかくひいてくれたので儂はそこに横になった。
「おじいさん、傍にいますか?」
隣にいるよ。
「ここにいてくれなきゃ嫌ですよ」
大丈夫、ちゃんといるよ。
「おじいさん、おやすみなさい」
おやすみ、ばあさん。ゆっくりお眠り。
14日。15日。ばあさんとの日々は過ぎていく。
起きて、食べて、寝て。当たり前の日常をいっしょに過ごす。幸せだ。幸せなのだが──。
ばあさ~ん、お~い、ばあさん~。
庭で洗濯物を干すばあさんに話しかけてみる。
やはり反応はない。
ちょっとくらい聞こえてもいいのになあ。こっちを見てはくれないだろうか。触れることが出来たらどんなにいいか。
人間というのはやっぱりよくばりだなと思う。
16日。ばあさんと過ごすのも今日で最後か……。
そんなことを思っているとばあさんの髪に蝶が止まった。
「あらあら、ここはお花じゃありませんよ」
くすくすと笑いながらばあさんが蝶をそっと逃がす。
ばあさんは優しいなあ。儂もあの蝶だったら触れることが出来たのに。ん? 待てよ。
思い出す。神様が言っていたこと。
お盆に帰ってもばあさんが全然、儂に気付いてくれない。そう言うと神様は笑って言った。
「それならば、別のものに変身すればいいんですよ。風でもいい、蝶でもいい。人間にはなれませんが、お盆の間、あなた達には特別にその力を授けているんですよ」
思い出した!
今まで何で忘れていたんだろう。儂のバカ。
そうだ、変身すればいんだ。何が良いだろう。ばあさんの好きなもの。見てくれるもの。触れてくれるもの──。
「あら?」
洗濯かごを持ったばあさんの足が止まる。
「リンドウ。どうしてこんなところに咲いているのかしら」
縁側の近くに咲いた一輪の青いリンドウの花。
ばあさんは洗濯かごを置くとそっと花に触れた。
「綺麗ね、あなた」
ばあさんの指先が優しく優しく触れてくれる。
嬉しい。嬉しい。やっと触れることが出来た。嬉しい。嬉しい。やっと見つめ合うことが出来た。
「おじいさん、見て下さい。私たちの好きな花ですよ」
違うよ。ばあさんが好きだから儂はこの花が好きになったんだよ。
「お水あげましょうね。今日も暑いから喉かわいたでしょう?」
そう言ってばあさんは台所に行って冷たい水を汲んで来てくれた。
与えてくれる。気持ちが良い。
ばあさんはじっと儂を見ると縁側に腰掛けた。
「送り火までまだ時間がありますからね。もう少し、ここにいましょうか」
そうだ。それがいい。もう少しここでいっしょに過ごそう。暑くはないかい?
「大丈夫ですよ。あら?」
ばあさんがキョロキョロと周りを見回す。
「おじいさん?」
おや、聞こえたかい?
「気のせいかしら」
やっぱりだめか。あーあ、本当はもっとたくさん咲かせたかったんだけどなあ。花束になるくらい。
「これで充分ですよ」
おや?
「あら?」
ああ、そうかい。充分かい。
「はい、充分ですよ」
それなら良かった。
夕方が近付き、リンドウの花は閉じていく。
送り火の時が近付いてくる。
ばあさんがぽつりと呟いた。
「来年もまた会いましょうね」
ああ、来年もまた会おう。
さあ、焚いておくれ。
墓場までいっしょに歩こうじゃないか。