空を走るバス
いつかきっと、ぼくは乗るんだ。
誰も乗ったことのない、空を走るバスに・・・・・・
それは、おかあさんも知らない、こうちゃんの秘密の夢でした。
こうちゃんは毎日、公園の前を通りすぎていくバスを見ていました。
(一度でいいから、乗ってみたいなぁ。そして空の上まで行ってくれたらいいのにな)
走ってゆくバスを見送って、こうちゃんは今日もためいきをつくのでした。
ある日、いつもは通りすぎるはずのバスが、公園の前で止まりました。
公園には、こうちゃん一人しかいません。
バスの中から、運転手さんが顔を出して言いました。
「おーい、ぼうや、乗らないかい?今日は特別だよ。さぁ、早くおいで」
「うわぁ、本当にいいの? おじさん、ありがとう! 」
こうちゃんは、嬉しくてたまりません。急いで、バスに乗りました。ずっと座ってみたかった、一番前の席です。
バスはゆっくり走りだすと、やがて、ふわりと浮きあがるように空を登ってゆきました。
こうちゃんはびっくりして、あわてて窓から外を見ました。
「わぁ、すごいや! このバス、空を走っているんだね」
すごいすごい! と、こうちゃんがはしゃいでいると、運転手さんは言いました。
「次は、夕焼け雲のバス停だよ」
空はもう、ほんのりと茜色に染まっています。
夕焼け雲のバス停では、疲れた顔をしたカラスの奥さんが乗りこんできました。
「こんばんは」
カラスの奥さんはこうちゃんに挨拶をすると、さっさと後ろのほうへ行って、うつらうつら・・・眠ってしまいました。
こうちゃんは、運転手さんに聞きました。
「ねぇ、あのカラスはどこへ行くの? 」
「お月さまのバス停までだよ。カラスの奥さんはね、お月さまで待っている子供たちのところへ帰るんだ。いつもすごく疲れているから、そっと寝かせておいてあげようね。次のバス停までは静かだから・・・」
運転手さんは意味ありげに、くふっと笑いました。
次のバス停は、薄闇のバス停でした。
空はだんだん暗く紫色になってゆきます。
薄闇のバス停が近づくと、何やら騒がしい声が聞こえてきました。
バス停前の電線に、ずらりとスズメが並んでいます。
スズメのおしゃべり仲間は、いつもこの時間に集会を開いて、お互いに1日の報告をしあうのでした。
そうして集会のあとは、お月さまのねぐらへ帰るのです。
スズメたちは、わいわいがやがやと真ん中の席で、まだおしゃべりを続けています。
カラスの奥さんはめが覚めてしまったようで、欠伸を噛みころしていました。
運転手さんは、苦笑いをしながら言いました。
「次は、お月さまのバス停です」
紫色の空がどんどん暗くなると・・・ひとつ、またひとつと、星が輝きはじめました。
バスは星空をゆっくりと走ってゆきます。
星たちの途切れた先に、お月さまが見えてきました。
ちょっとクールな三日月です。
カラスの奥さんとスズメたちが降りると、今度はバイオリンを持ったおじいさんが乗りました。
おじいさんは、こうちゃんを見て、ぺこりと頭を下げました。
こうちゃんも、同じように頭を下げました。
バイオリンをぎゅっと抱きしめたおじいさんは、こうちゃんのすぐ後ろの席に座りました。
窓を開けて、遠ざかるお月さまをみつめながら、おじいさんの目からは涙がポロポロ零れています。
「次は、ネオンライトのバス停を通過します」
運転手さんが言い終わらないうちに、明るい光が押し寄せてきて、あっという間に後ろの方へと流れ去ってしまいました。
こうちゃんは悲しそうなおじいさんのことが気になって、そうっと声をかけてみました。
「おじいさん、どうして泣いてるの」
おじいさんは、涙を拭きながら言いました。
「ぼうや、わしの話を聞いてくれるのかい」
「うん・・・」
こうちゃんは静かに応えました。
おじいさんは、バイオリンを膝におろして話しはじめました。
「わしには、ピアノ弾きの可愛い娘がいたんだよ。或る時、演奏会にでかけていって、そのまま帰ってこなくてね。わしは、ばあさんと一緒に娘を待ち続けた。だが、ばあさんはとうとう去年の冬を越せなかったのさ。わしは娘のことが諦めきれず、あちこち探しまわって、やっとみつけた・・・遠い街で好きな男と幸せに暮らしていたのに、ばあさんと同じころ事故にあって死んでしまったんだと・・・」
おじいさんはバイオリンを手にとり、ゆっくりとトロイメライの曲を弾きはじめました。
バイオリンの音色は、星空に沁みるように響きわたり、まるでおじいさんの啜り泣く心そのままに、繰り返し繰り返し・・・こうちゃんの心にも沁みこんでゆくのでした。
「次は、灯火のバス停です」
星明りが途絶え、辺りが暗くなってしまうと、前の方にぼうっとした小さな光が見えてきました。
灯火のバス停では、女の人がひとり、燭台を手に淋しげに佇んでいました。
バスが停まっても、女の人はすぐには乗らずに、運転手さんに話しかけました。
「お願いがあるんです。この手紙を、流れ星のバス停で働くあの人に届けてほしいの。私、赤ちゃんができたんです。だから、早く知らせたいのに、逢いに行くこともできないし、郵便屋さんにも間に合わなくて・・・」
運転手さんは、手紙を受け取りながら言いました。
「いいですよ。お安いご用です」
バスが走りだしても、女の人はずっと立ったまま、心配そうな顔で見送っていました。
運転手さんは、なんだか嬉しそうに目を細めています。
「赤ちゃんって、いいよね」
ふいに運転手さんが言いました。
「新しい命が生まれるって、ただもうそれだけでみんなを幸せな気分にしてくれるよね」
すると、こうちゃんの後ろから、さっきのおじいさんがひょいと顔を出して言いました。
「そうさな・・・今は悲しみでいっぱいのわしでさえ、ほんの少しだが、こう胸のあたりが温かくなるのを感じるよ」
運転手さんは、ひとつ頷くと、顔を引き締めて言いました。
「天の川を渡ります。少し揺れますので、座席に深くお座りください」
言い終わらないうちに、バスは一揺れして、天の川に入りました。
しばらく進むと、星々の間を縫うように、飛魚の郵便屋さんが飛び交っているのが見えてきました。
こうちゃんは、運転手さんに言いました。
「郵便屋さんよりも早く届けてあげられそうだよね」
「そうだね。できるだけ早く・・・と思ってちょっととばしてきたから、いつもより揺れたかもしれない。すみませんでした」
最後の言葉は、こうちゃんではなく、後ろのおじいさんに向かって言ったようでした。
おじいさんは何も言わず、静かに頷きました。
流れ星のバス停は、天の川を渡りきったところにありました。
バス停のすぐそばに、大きな機械が据えられています。
「こんばんは! 灯火のバス停から手紙が来ていますよ」
運転手さんが声をかけると、大きな機械の向こうから、メガネをかけた男の人が顔を出しました。
「あれ、今夜は運転手さんが郵便屋なんですか」
「ええ、飛魚の郵便屋に間に合わなかったとかで、私が預かってきました」
「そうですか、ありがとうございます。・・・そうだ! ちょっと待っててください」
男の人は、機械の向こうで何かゴソゴソしていたかと思うと、大きめのマグカップをさしだして言いました。
「そこの可愛いぼうやに、これをどうぞ」
マグカップのなかには、ミルクがたっぷり入っていて、色とりどりの金平糖が浮かんでいました。
「おじさん、ありがとう」
ニッコリ笑ってこうちゃんがお礼を言うと、男の人もニッコリ笑いました。
流れ星のバス停から、しばらくは天の川に沿って走っていたバスが、急に向きを変えました。
「時計塔の横を通って行くんだよ」
運転手さんは、なんだか嫌な顔をしています。
こうちゃんが心配そうに見ていることに気づいて、運転手さんは苦笑い。
「なんとなく・・・ね。あそこを通るのは、本当は嫌なんだ。時の番人に声をかけなきゃいけない、そういう決まりがあるんだよ。でもね、奴は性質の悪いイタズラっ子だから、あまり好きじゃないんだ」
そうこうするうちに、時計塔が見えてきました。
「やあ、こんばんは」
時の番人は、チョビ髭をはやした見るからに嫌味な感じの奴でした。
「こんばんは」
運転手さんは、むっつりしたまま挨拶を返すと、さっさとバスを出しました。
「次は、オーロラのバス停です」
「さて、ぼうや、お別れじゃ」
バイオリン弾きのおじいさんが言いました。
「オーロラのバス停には、ばあさんの墓があるんじゃよ。ばあさんの遺言でな。オーロラの柔らかい光の中で眠りたいと・・・ばあさんにも、娘のことを知らせてやらんとな」
こうちゃんは、黙ったまま頷きました。
おじいさんは遠い目をして、窓の外の星を眺めています。
オーロラのバス停は、柔らかな光のカーテンの中にありました。
バスが停まると、おじいさんはこうちゃんの頭をそっと撫でて言いました。
「じゃあな、ぼうや」
「さようなら、おじいさん。おばあさんによろしく」
「・・・明け方には、ばあさんの涙で雨になるだろうよ」
運転手さんは、静かにバスを出しました。
「次は、朝日のバス停改め、虹のバス停」
雨は程なく止み、暗い空も少しずつ明るくなってきました。
そこかしこに七色の虹が、浮かんでは消えていきます。
虹のバス停には、色とりどりのドレスを着た美しい娘が、7人並んで立っていました。
「あれは、レインドロップの娘たちさ。飛行機雲のバス停で待っている雲の男たちのところへお嫁に行くんだよ」
眩しそうに目を細めながら、運転手さんが言いました。
幸せに輝く娘たちは、目も眩むほどに煌めいていました。
バス停までもが光りはじめたような気がします。
たくさんの虹の中を、負けずに輝くバスが走って行きます。
「次は、飛行機雲のバス停です」
虹の海を抜けると青空が広がり、小さな飛行機がたくさん、くるくるとアクロバット飛行を繰り広げていました。
カラフルな飛行機雲が、次から次へと形を変えて流れていきます。
「結婚式のお祝いなんだよ」
運転手さんが、言いました。
飛行機雲のバス停では、雲の男たちが浮かれて踊り狂っていました。
バスの中の娘たちも、つられてステップを踏みはじめます。
軽やかなステップ音は、やがてメロディとなって程よくバスを揺らしています。
こうちゃんは、いつしかコックリコックリと眠ってしまいました。
バスの一番後ろには、いつのまに置かれたのか、砂時計がさらさらと時を刻んでは何度も向きを変えています。
実は、運転手さんも気づかないうちに、こっそりと乗りこんだ誰かが置いたのでした。
「こうちゃん、目を覚ますんだ! 」
運転手さんに揺さぶられて、こうちゃんが目を覚ますと、バスは暗闇の中で停まっていました。
「どうしちゃったの・・・」
こうちゃんは不安になってきました。
車内の僅かな明かりの中、運転手さんが厳しい顔をしていたからです。
「どうやら、時の番人が潜りこんでいたようなんだ。・・・こうちゃん、不思議な夢を見なかったかい」
こうちゃんは首をかしげました。
「さあ・・・よくわかんないよ。なんか、いろんなものがグルグル回ってたみたい」
「やっぱり! 」
運転手さんが大声を出したので、こうちゃんはビクっと震えました。
怯えるこうちゃんをなだめるように、運転手さんは少し声をおとして優しく言いました。
「時の番人はね、たまに人の時間を勝手に進めちゃうんだよ。こうちゃんは、いつから眠っちゃったのかな」
「えっとぉ・・・飛行機雲のバス停のあたりかなぁ・・・」
おそるおそる、こうちゃんは応えました。
「そうか・・・じゃあ、たぶん2年分くらいだな。・・・つまりね、それだけ早く大人に近づいたってことなんだ」
「ぼく、早く大人になりたいから、それでもいいよ」
こうちゃんは無邪気に言いました。
運転手さんは少し悲しそうに、こうちゃんの頭を撫でて言いました。
「大人になるのは簡単なことさ。時間は流れていくものだからね。けれど、過ぎた時間はもう戻らない。だからこそ、今を大事にするんだ。今をもっと楽しんでごらん・・・・・・」
ふと気がつくと、こうちゃんは公園のブランコのそばに立っていました。
空はとっぷりと日が暮れて、もう真っ暗でした。
街灯の光がチラチラと揺れています。
こうちゃんは、一人でおうちに帰りました。
ドアを開けると、おかあさんが泣いていました。
おかあさんは、こうちゃんに気づくと、ぎゅっと抱きしめて、さらに大声で泣きくずれました。
「公園にも、どこにもいなくて、ずっと捜したのよ。こんなに暗くなるまで、いったい何処にいたの」
やっと落ちついたおかあさんが聞いても、こうちゃんは「ごめんなさい」を繰り返すばかりでした。
その夜、おかあさんは遠くの町で働いている、おとうさんに電話をかけました。
こうちゃんが珍しく一人で寝てしまったので、おかあさんは首をかしげるばかりです。
いつもは、おかあさんと一緒でもなかなか寝つけない子なのに。
その時、電話の横に置かれた砂時計の砂が、とぷん・・・と、波打ったことに、おかあさんは気づきもしないのでした。
小さい子に読み聞かせる童話として、思うままに書いていた作品です。
昔、ホームページで発表していましたが、そちらは閉じてしまったので、ここに残そうと思います。